第107話 市東 桂壱 2

最初の間違いは、僕が性善説せいぜんせつ論者だったったことだ。

世の中は優しいと信じていた。


先生も、友達も、両親も、みんなみんな優しい。

神父様は、心にふわふわの綿を詰めて生きるようにと僕らにいた。

もし人とぶつかってしまっても、相手が痛く無い様にだ。



だから僕は他人を疑いも無く信じた。

そして、だから多分、身を守る術を持たなかったのだ。


「え、星弐くんのお兄さんってアレ? ぶっふふ。マジ、血繋がってんの?」


「ね、期待するとダメって言ったっしょ?」


放課後。

廊下に面した窓の外で今日も数人の女子生徒が囁きあっていた。

僕が中学2年になって星弐が入学してきてから毎日、毎日、飽きないものだ。


彼女たちを連れてくるのは、僕が友達だと思っていた奴らだった。

新入生の可愛い女子の気を引きたいのか、星弐をネタにして僕を売る。


そんなのは友達じゃない。


同じクラスになって数年を過ごし、たまに挨拶をしてときどき話す。

その程度の仲でも僕は彼らを友達と思っていたのに……。


世の中は皆、悪意に満ちていた。

僕は何もしていない。それでも傷つけられるのだ。

心に綿を詰めて?

馬鹿じゃないのか。

そんなのでどうやって、ナイフを振り回す連中と生きていけるんだ。


血を吸ってベチャベチャになった赤い綿が心の肉壁に開いた傷跡からグロテスクにのぞいていた。


「聞こえてるんだよ!自分の顔を見てから言え。お前らも僕と同程度だろ」


心の中で毒づいた。

言えないのは気が弱いからか、酷い言葉で他人を傷つける自分を見たくないからか、どっちだろう。


僕の中の葛藤や激情なんて、外に出さないから誰も気づかない。

歯向かわずうつむいて一方的に傷つけられるだけの大人しい僕を、今日も皆、あなどって笑っている。

最初は同情的だったクラスメイトもその内に可哀想な僕に慣れて関わらないことに決めたみたいだった。

不意に、意地の悪い囁き声が黄色い歓声に変わる。


「桂壱、一緒に帰ろう」


星弐だった。

中学にもなって、恥ずかしがらずに兄を迎えにくる天真爛漫さ。

この子はこれで許されてしまうのだ。

思春期の僕らにとって、容姿が良いって言うのは権力を持つことだった。


星弐。


声をかけてくれて嬉しい。


来ないで欲しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る