福利厚生 業務中の食事補助
日乃出は仏壇の前に座っていた。先ほどまで回想していた8年前の禅寺の思い出はもう頭の中から消え、今は無の境地に入ろうとしている。朝食前の座禅を行っているからだ。
禅寺から帰って来た日乃出は、これから毎日をどのように過ごすか決めるにあたって、基本的に禅寺での生活を踏襲しようと考えた。禅が日本に伝わったのは鎌倉時代。以来800年間、雲水たちの心身を健やかに保つ修行が考案され、現在に伝えられているのだ。その知恵を拝借しない手はない。
ただし完全に真似る必要はなかった。日乃出は修行僧ではないからだ。あくまでも職業は自宅警備員。禅寺では朝食前には座禅と読経を行うが真似たのは座禅だけだ。
日乃出は最後まで経を読めなかった。10名ほどの雲水が発する読経は滝壺に落ちる水音のように轟轟と響いてくる。その迫力に圧倒されて、日乃出は口をパクつかせるのが精一杯だった。
「腹の底から声を出すのは内臓の鍛錬になるんだろうな」
腹に力を入れて大声を出すと、肺だけでなく胃や腸も活性化される心持ちがする。読経は心身の鍛錬に打って付けなのだろう。その効用はわかっても、まったく意味のわからぬ題目を毎日唱える気にはなれなかった。
そこで日乃出は読経の代用として体操を行うことにした。ラジオ体操をベースにして独自に考えたものだ。意識して呼吸をすれば読経と同じく内臓も多少は鍛えられる気がする。そうしてひとしきり体を動かした後で朝食にする、これが朝の日課となった。
「今日の座禅はここまでにするか」
日乃出は足を解くと縁側に向かった。晴れているので縁側から庭に下りる。そしていつも通りの体操。3月になって真冬の寒さもようやく和らぎ、これからは気持ちよく体を動かせそうだ。
座禅や体操の時間は特には決めていない。夜の暗さが薄らぎ始めれば起き、時刻に関係なく座禅を始め、止めたくなったら体操に切り替えて、満足すればそこで終わる。禅寺では始める時間も終わる時間もきっちり定められていたが、修行僧ではない自分がそこまで時間を厳守する必要はなかろうと日乃出は判断したのだ。
「よし、飯だ」
日乃出は縁側に上がると台所へ向かった。昨晩セットしておいた炊飯器には1日分の食料、玄米2合の飯が炊き上がっている。蓋を開けて独特の匂いを楽しみながら杓文字でほぐし、仏飯器にてんこ盛りにする。仏壇に供えるのだ。
「今日も米を食べさせていただけることに感謝します」
再び仏前で手を合わせる日乃出。物心ついた時から繰り返してきた決まり事。祖母が生きていた時は祖母が、自宅警備員になってからは日乃出自身が、こうして毎朝欠かさず炊き立ての飯を仏壇に供えている。
行為自体を見れば熱心な仏教徒に見えるが、まったくそんなことはない。キリストへの信仰など皆無なのに、毎年クリスマスにはチキンとケーキを買って食べるのと同程度の行為に過ぎない。供えた飯も冷めてしまう前に仏壇から降ろして、残りの飯と一緒に容器に入れて保存。昼飯として食している。供えることにそれほどの意義を見出だしてはいないのだ。
これはいわば単なる習慣。風呂に入ると洗い始めるのはいつも左足からだったり、真剣に聴くつもりもないのに食事時にラジオのスイッチを入れてしまうのと同じような、ほとんど無意識の振る舞い。明日からするなと言われれば、何の抵抗もなく止められるのだ。
「さて、オレも朝飯にするか」
飯のお供えは止められるが、止められないのは飯を食うことである。基本的に24時間自宅の警備に当たっている自宅警備員にとって、食事は最大の楽しみであり心身共に寛げる時間だ。当然、それなりの量と質を揃えたいところだが、それは無理な相談だった。基本的に無収入の日乃出にとって贅沢な食事など考えられない。毎日が粗食である。禅寺の粗食の真似をして粗食なのではなく、経済的な面から粗食にせざるを得ないのである。
「人は米、味噌、漬物があれば生きていける」
これが禅寺で体得した日乃出の持論だった。実際、明治生まれの詩人宮沢賢治は有名な詩の中で、
「一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ」
と書いているし、また同じく明治生まれの俳人尾崎放哉は井泉水に宛てた書簡で、
「『米』ヲヤイテ(中略)『豆』ヲイツテ(中略)『塩』『ラツキヨ』『梅干』(中略)『麦粉』『オ砂糖』以上ダケシカ私ノ体ノ中ニハイルモノハ一品モアリマセン」
と書いている。麦や砂糖は炭水化物である米で代用できるはずだから、やはり米、味噌、漬物があれば人は生きていけるのだ。この明治生まれの2人が生きていけたのだから間違いないはずである。
「さりとて賢治も放哉も40才前後で亡くなっている。現代と違い結核の特効薬もなかったような時代とはいえ、若干気になるな。やはり昼と夜くらいはおかずを1品増やすか」
日乃出はそう結論付けると自分の1日の食事メニューを考え決定した。この8年間、次のような食事を続けている。
朝……乳粥、漬物
昼……玄米飯、キャベツの味噌汁、納豆、漬物
夜……玄米飯、キャベツの味噌汁、菜1品、漬物
朝の乳粥とは牛乳に玄米飯を浸したものである。なぜ普通の粥にしないのかというと、明四津家では朝食が洋食だったからである。幼少の頃から朝は牛乳とパンに馴染んできたため、それを踏襲したのだ。言うまでもなく牛乳は1リットル100円の低脂肪乳である。
昼の納豆は放哉の「『豆』ヲイツテ」を意識して加えた。1パック3個入り50円なので負担は小さい。
夜の菜1品は大抵の場合、豆腐、もしくは卵か鳥むね肉を使った料理だ。豆腐は1丁30円の安物。これを半丁ずつ2日に分けて食べる。卵は10個で100円の特売品、鳥むね肉は滅多に出ないが、100グラム40円という激安で売り出されることがあるので、その時に買う。
漬物は自家製である。明四津家には代々伝わる「ぬか床」があるので、特売の野菜を買って、そこに漬けておけば漬物が出来上がる。毎日適度にかき混ぜるのを忘れてはいけない。
玄米は米屋が配達してくれる。これは祖母の代から付き合いがある米屋で、毎月最終営業日に玄米10キロを家に届けてくれるのだ。値段は年により変動するが、配達料込みで10キロ2千円前後。安い。玄米であることを考慮しても安い。その理由は古米だからである。平成29年度は27年産の玄米を持ってくる。恐らく味は落ちるのだろうが、食費を節約したい日乃出にとってはまったく無問題である。
味噌汁の具はキャベツである。切らずに葉を1枚ずつはがし、1週間かけて消費する。ただしキャベツは値段の変動が激しいのでひと玉100円で買えない場合はモヤシを代用することもある。モヤシの価格は安定しているので安心である。
「こんなに安くてモヤシ農家の人は大丈夫なんだろうか」
と心配したくなるほど、モヤシは低価格野菜のトップの地位に君臨しているわけだが、最近、こんな価格ではとてもやっていけないというモヤシ農家の悲鳴がニュースに取り上げられたので、この低価格もいつまで続くかは不透明ではある。
味噌汁の具にキャベツを選定したのは理由がある。日乃出が大学に入学した年、チョコレート工場を舞台にした映画が封切られた。そこに登場する少年の家は超極貧であった。お約束通り幸福になるラストに感動した日乃出は原作を買って読んだ。そこに書かれた少年の家の1日の食事は次のようなものだった。
朝……マーガリンをつけたパン
昼……茹でたイモと茹でたキャベツ
夜……キャベツのスープ
「そうか、キャベツとはこれほどに万能な野菜なのか」
単純である。何の栄養学的根拠もなく、子供向けの物語の中に出てきた記述をそのまま鵜呑みにしてしまったのだ。この時以来、日乃出は自炊する時には必ずキャベツを使うようになった。
もっともキャベツがひと玉500円くらいする高級野菜だったなら、いかに万能野菜と言ってもメニューに加えようとはしなかっただろう。結局、量の割には安い野菜であったことが一番の理由なのである。
こうして選定した食事メニューに対して、1か月分の玄米10キロ2千円の他に、食材の費用として週千円を充てることにした。結果、明四津家の食費は1か月6千円で済んでいる。更に節約しようとすればできないこともないのだろうが、現在手元にある資産がこの程度の贅沢を許してくれているので、当面現状を維持していくつもりだ。
ただし将来過度のインフレになり、食材の高騰が起きれば考えなくてはならないだろう。平均寿命までまだ50年あるのだ。粗食に体を慣れさせておくことは重要である。
「いただきます」
朝食の支度を整えた日乃出は乳粥に向かって手を合わせ一礼した。禅寺では食事の前に必ず五観文を唱えるのだが、とっくに忘れてしまったので世間に広く流布しているお馴染みの言葉で代用する。
「もぐもぐ、おお、明日は18日か。ちょうどいい。1週間分の食材も買ってくることにしよう」
食材の買い出しは原則週1回だ。もちろん例外もある。特売などでキャベツひと玉50円などの破格値がついた時は、問答無用で買い出しに行く。
そして奇数月の18日。この日は暴風雨警報が出ていても必ず外出する。たこ焼きを買うためである。
粗食に甘んじている日乃出ではあったが30代の若者。食欲はまだまだ旺盛である。酒もタバコもやらぬ日乃出にとって、食という娯楽まで奪われるのは辛かった。
禅寺で辛抱できたのは1か月という期限付きだったからだ。この先一生、この粗食と向かい合っていくのはさすがに精神衛生上よろしくない。鬱積した不満が思いがけず爆発する恐れもある。
そこで日乃出は2つの例外を設けた。ひとつは正月である。幼少の頃からお節料理を欠かさず食べていたので、この習慣だけは変えたくなかったのだ。餅や正月用の料理を買う経費として3千円を計上している。
「もう2か月が経ったか。年を取ると月日が早く過ぎると言うが、本当だな」
そしてもうひとつの例外がたこ焼きだ。日乃出の誕生日は5月18日。物心付いた時から誕生日はたこ焼きでお祝いをしてもらっていた。理由は簡単だ。行きつけのスーパーの中には、たこ焼きや大判焼きなどを売る粉物屋がある。この店は毎月18日を「たこ焼きの日」と称して、たこ焼きだけ半額で売り出すのである。
祖母も母も特にたこ焼きが好きなわけではなかったのだが、幼少の頃の日乃出は店先の宣伝用のぼり旗に描かれているたこのイラストが大好きで、スーパーに連れて行ってもらうと必ずたこ焼きを欲しがった。
そこで18日は半額でもあるので、ある年の誕生日に仕方なくたこ焼きを買ってやったところ、この日はたこ焼きが食べられる日だと思い込んでしまった。それ以来、5月18日のたこ焼きは明四津家の定番になったのだ。
「昔はよく食ったなあ」
乳粥を食べながらたこ焼きの思い出に耽る日乃出。幼稚園の頃は1舟だけだった誕生日のたこ焼きも、小学入学と同時に2舟、小学4年から3舟、中学では4舟、高校では5舟となり、大学に入った年には6舟となった。
ちなみにこの店のたこ焼きは、一般の店と同じくひと舟が8個である。徐々に値上がりしているものの、値段は今でもひと舟300円。18日の半額日は150円である。関西にある激安たこ焼きには及ばないが、この地方では破格の安さだ。大学に上がった日乃出がわざわざ五月に帰省して、このたこ焼きを求めたのも納得の安さだ。
しかしそれならば、たこ焼きを食べるのは5月18日の誕生日1回だけで、奇数月の18日に食べることにはならないはずである。実はこれには理由がある。大学1年の年末に観た、前述のチョコレート工場の映画が大きく影響している。
主人公の少年はチョコレートが大好きだ。だが、夜にキャベツのスープしか食べられない激貧一家である。当然、チョコレートを買ってもらえるのは誕生日の時だけだ。
年に一度の貴重なチョコレート、そう簡単に食べることなどできようはずがない。原作の中では主人公の少年のいじらしい姿が描写されている。貰った当日は包み紙を破りもせず姿を眺めて終わる。翌日も眺めるだけだ。数日経ってから包み紙を破り、翌日は銀紙を破り、翌日はチョコレートが少しだけ顔を覗かせたところで満足。そして角からチビリチビリと齧っていき、1か月以上かけて1枚のチョコレートを完食するのである。
「オレはなんという意地汚い男だったのだろう」
これを読んだ時、涙が出そうなほどに日乃出は感動した。誕生日だからと言って1度に48個のたこ焼きを一気食いしていた自分が恥ずかしくなった。そこで大学2年になってからは、6船のたこ焼きを1度に買うのではなく、1年に渡って2か月毎に消費することにしたのである。これが奇数月にたこ焼きを買うようになった理由だ。
もちろん冷凍たこ焼きならば更に安く買い求められることは、日乃出にもわかっている。この主人公の少年を見習うのなら、安い冷凍たこ焼きで我慢すべきではないのかと悩んだこともあった。
だが日乃出はそこまでは妥協できなかった。冷凍たこ焼きと店のたこ焼きは役割が違うのだ。禅寺の夕食は薬石。食事ではなく体の飢えを癒すための薬である。ならば店のたこ焼きもまた心の飢えを癒すための薬。腹を膨らますための食事ではないのだ。冷凍たこ焼きでは心を癒すことはできないのだ。
「しかし最初の頃は辛かったな」
禅寺の新人研修を終えて正式に自宅警備員となり、毎日の食事の献立と奇数日のたこ焼きを決定しても、それを順守するのは容易ではなかった。スーパーの食料品売り場は誘惑のるつぼである。揚げたてのトンカツ、新鮮な刺身、色取り取りのスイーツ。思わず買い物かごに放り込みたくなる衝動を抑え、決められた食材だけで我慢するのは大変な努力が必要だった。
煩悩を抑制できるのは煩悩の対象から離れているからである。目の前にご馳走や美女や札束を並べられて、それでも食欲や色欲や財欲に打ち勝つ平静心を保ち続けるには、強固な意志力がなければ到底無理である。
そんな時、日乃出は思い出した。チョコレートを我慢するあの少年を。少年の最大の苦しみは年に一度しかチョコレートを食べられないことではない。彼の住む町に世界最大のチョコレート工場があったことなのだ。
学校の行き帰りに、工場から漂って来るチョコレートの甘い香りに彼は包まれる。甘い香りに浸りながらも食べられるのはキャベツである。この苦しみを11か月続けるのだ。それに比べれば自分の苦しみなど大したことはない。スーパーに行くのは週に一度だけ。その一瞬を我慢すれば良いだけなのだから。
「ごちそうさまでした」
乳粥を食べ終わった日乃出は手を合わせて礼をした。8年間この食生活を続けてきたおかげで、今ではスーパーに行ってもさほど心を乱されることはない。
日乃出は茶こしと保温ポットを持ってくると、食べ終わった茶碗にお茶を注いだ。漬物で茶碗の内側を洗い清めるのだ。禅寺で学んだ洗鉢は今も守っている。実際、まだ満腹には程遠い状態なので、茶碗の内側に残る牛乳ですら舐め取りたいくらいなのだ。するなと言われても自ら進んでしてしまうだろう。
お茶は粉茶だ。粉茶というと回転寿司によく置かれている粉状のお茶を思い出すが、あれは粉末茶であって粉茶ではない。粉茶は煎茶製造時に出る残りカスである。カスなので安い。1キロ千円だ。1日に3グラム弱ずつ使っていけば1キロで1年持つ。玄米を買っている米屋がお茶も扱っているので、年に1回、玄米と一緒に配達してくれる。
「やはりお茶を飲むと気分がすっきりするな。ポリポリ」
食後のお茶は漬物を齧りながらゆっくり味わう。この後、昼まで何も口にできない。物を食べたという余韻をできるだけ長く味わいたいのだ。
粉茶は煎茶に比べると浸出時間が短い。急須でのんびり入れていると一煎目が濃くなり過ぎて二番茶、三番茶が出なくなってしまう。そこで茶こしに粉茶を入れて直接茶碗に注ぐ。最後の一滴までよく振り落としてそのまま放置。昼と夕に飲んで出がらしになった粉茶は、最後に夕食の飯と混ぜて一緒に食べている。
「今日はどんな1日になるかな」
お茶を飲み干した日乃出は、一人だけの居間を見回しながらつぶやいた。24時間を自由に使える自宅警備員。だからと言って全て自分の思い通りに事が運ぶわけではない。思いも寄らぬ出来事、想定外の事態、嘘みたいな朗報。何が起きるかわからないのが現代社会。それに臨機応変に対応するのが自宅警備員の責務である。良いことがあっても悪いことがあっても悔いのない1日にしよう……最後の漬物を飲み込みながら、そう自分に言い聞かせる日乃出であった。
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