第三十六話 邂逅

 九郎は懐古に浸った表情で視線をさらに遠くにやった。


「あやつの傍に子供が立っておったのじゃ。まだ五、六歳の本当に幼い子供じゃった。その子はあやつに手を引かれて同じく陽の当たる芝生の上を歩いておった。不思議な光景でな、今でもまぶたの裏に浮かんでくるようじゃ。

わしは声をかけるのも忘れてしばらく立ち尽くしておった。するとその子がわしに気付いてこちらを向いた。その子は確かにわしの方を向いていたが視線が一定せず彷徨さまよっておるのじゃ。妙な言い方じゃがわしを見つけたのにわしが見えていないような感じじゃった。その子の瞳は恐ろしく澄んだ青色で髪の毛は見事な金髪じゃった」


「まさか、それが……」


 ロベルトは小さく呻いた。その間にも彼の脳は思考をめまぐるしく回転させて未完成のパズルを組み上げようとしていた。

 九郎は離れていた視線を手前の燭台の安い色の炎に戻し、それから少し間をおいて続けた。


「そう、それがレイじゃ。名無しはレイをわしの前に引き出して、しばらく預かってほしいと言い寄った。あの眠気を誘う口調でな。わしはもう一度その子を見た……」


「ロベルトよ、お主も感じたであろうが、あの子は初見であっても人を惹きつける不思議な魅力を備えておる。わしはそれに見事に捉えられたのじゃよ。類まれなる才能と無限大の可能性、さらに言えば運命を感じたということじゃ。それと同時にわしはこの子を育てねばならぬという強い使命を感じた。今もその感情に変わりはないし後悔もしておらぬ。そしてわしはその日の内に全ての官職から退いてレイと共にこの町にやってきたのじゃ」


「なるほど、あなたがいきなり引退したときは驚きましたが、そういう裏があったとは……」


 隙間風もないのに燭台の炎が小さく揺れて部屋の明かりが少し暗くなった。九郎の目がその方向に少し傾き、彼の手が脇に寝かせてあった刀に緩慢に伸びてその鞘を掴んだかと思うと凄まじい速さで抜き身の刃が閃き、炎がゆらりと横に流れた。


 九郎が止めた刃を裏返すと湿気った火縄の黒い芯が床の上にぽとりと落ちて部屋の明るさが元に戻った。九郎は何事もなかったかのようにゆっくりと納刀して立てた膝を元に戻す。


 その一連の動作をやはり無反応に眺めていたロベルトが口を開いた。


「しかし……、まだ分からない点がありますね。あなたが隠居の地にこの町を選んだのは何か理由があるのですか。それとも、あの男がここを指定したということですか?」


「いや、あやつはこの子を預かってくれ、と言っただけじゃよ。他は何も言わずにあの部屋に戻りおったわい。それにこの町に隠居するのははじめから決めておったことじゃ。ここは静かじゃし、かといってそれほど不便でもない。特に町の者がわしのことをよく知らぬのが決め手じゃな。インドラやラテライトにも候補地がないわけではなかったが、あの辺りではわしは名が知れ過ぎておるからの。訪問やら剣術指南の依頼やらでどのみちゆっくりできそうにないじゃろう」


「ニコラがこの町の町長に任命されておったとは知らなかったが、少なくともこの町を選んだのはわしの意思じゃ。あやつがわしの精神を読んでいたとすれば説明がつかぬでもないが、これも運命と考える方がわしは好きじゃがの」


 それを聞いてロベルトは腕を組んでしばらく考え込んだ。


 九郎はニコラがこの町で町長をやっていたのは偶然かもしれないと言ったが、連盟がこの国に働きかけて官職を斡旋するのは容易なことだ。しかしそうなるとこの計画は仮面の男一人が仕組んだことではないということになる。


「レイはその時のことを覚えていないのですか」


 ロベルトは少し冷めたお茶に手を伸ばしながら、あえて話題を変えた。彼は別の角度からの新たな情報を欲していた。


「いや、どうやらその時レイは何らかの術をかけられていたようじゃ。おそらく精神支配の類じゃろう。視線が定まっておらんかったし、その後も数日間は術が解けておらぬようで一言も声を出さすにわしの後をついて来るだけじゃったからのう。わしもそのことについてはあまり触れぬし、レイの方からも特に深く尋ねてくることもなかったから詳しいことは分からん」


「そうですか……」


「まあ、しかしレイの出自ははっきりしておるぞ。わしが調べたからな。

彼の母親はテト出身の魔術士、レイチェル・エンカーナシオン、父親はウェストホーム出身の連盟職員、グリム・アイバーソン。二人ともレイが生まれてすぐに火事で死んでおる」


「グリム・アイバーソン――!?」


 ロベルトは絶句した。それは彼の良く知る人物だったからだ。


「彼がレイの―――」



 ――ああ、そういえば―――



「なんじゃ、知っておるのか?」


 ロベルトの反応に九郎が怪訝な顔で聞き返す。



 ――グリム・アイバーソンは死んだよ。エルスペス侯爵も随分前に公務から引かれたそうだ――



 彼が二日前、町長との別れ際に発した言葉が、今度は彼自身を驚愕させ、過去に引きずり込むようにその脳裏で繰り返されていた。


「――知っているも何も……彼はニコラの元部下ですよ」


 ようやく発せられた声に九郎も驚きの表情になる。


「なんと、それはわしも初耳じゃ。あいつは昔の仕事のことは殆ど話たがらんからのう」


 まさに運命と言うべきか、とロベルトは一瞬考えたが、それにしては話が上手く出来過ぎているという感を拭えなかった。九郎も同じように考えたのか、お互い少しの間沈黙していたが九郎の方が先に疑問の深掘りを諦めたようで話の続きを始めた。


「レイは両親が死んですぐにテト王立孤児院に預けられておる。二人は正式に結婚していなかった様じゃから、レイの家名は未婚の庶子に付けられる『願名』というアイオリス大陸南部の古い風習じゃろう。『カリス』は古西語バベルで『大器』を意味する。そして孤児院からは連盟本部の者が連れ出したようじゃ」


「本部の者が……誰ですか?」


「さあのう。そこまでは分からぬ。じゃが、治安機構などはテト王立孤児院から定期的に才能ある若者を引きぬいておるからさして珍しい話でもない。片親が魔術士なら術素質があるのは間違いないじゃろうから、名無しが白鬼老にでも働きかけてそこに紛らせたのかもしれぬがな」


 いくら仮面の男といえども連盟のやることに直接関与することは出来ない。そもそも彼は囚われ人である。やはり連盟の幹部にも計画に加担していた者がいるということだ。


 九郎が言うように仮面の男と親しく、ハンターギルドや治安機構にも顔の利く白鬼老などはその第一候補だろう。いや、むしろ本当の黒幕は連盟首脳部なのかもしれない。


 彼はその他にもいくつかの顔を思い浮かべたが、すぐにやめた。誰であれどうでもよいことだ。それを知ったところで彼は干渉できる立場ではない。


 一つ言えるのはこの計画は彼が当初考えていたよりも相当大規模なものだということだ。


 もう一度整理してみよう。

 ニコラが引退したのは十六年前。いつからこの町の町長をやっていたかは分からないが、九郎とレイが来る十年前より前であるのは間違いない。


 そしておそらくニコラは九郎が来たその日の内にセント・クレドを九郎に渡しただろう。彼は元々重大な秘密を隠し通せるような人物ではない。最重要危険物を保管してきた日々はニコラにとって苦痛と怯えの連続にしか過ぎなかっただろう。


 彼は重圧からの解放を願っていたし、喜んで九郎にセント・クレドを預けた。もっともこの展開も計画の立案者が彼の性格を見越して仕組んだことであったのだろうが。


 しかし、なぜ幾人もの手を介して十数年もの時間を掛けて、レイに受け渡す必要があったのか。


「おそらく名無しは最初からセント・クレドの資格所持者の誕生を知っていたはずじゃ。そしてセント・クレドとレイモンド・カリスが同時に連盟の管理下にあることは好ましくないと考えた」


 ロベルトの考察を補完するように九郎が続けた。


「わしが考えるにその理由はこうじゃ。古代兵器とその資格所持者は互いに惹かれ合う。両者はいずれ出会う運命にある、というのはわしの経験則から間違いない。わしよりも遺物に詳しいお主にもこのことは分かるはず。

そして連盟の影響下にある王立孤児院にレイが入ったことで両者が出会う可能性が高まった」


「しかし、レイはまだ幼い。両者は未だ出会うべき時ではなかった。故にほぼ同時期にニコラに命じてセント・クレドを持ち出させ、レイから遠ざけた」


 彼は一気にそこまで喋り、湯のみに口を付けた。


「そして六歳になった時、魔剣を扱う技術と心力を習得させるためにわしに託した」


 ロベルトは九郎の推測を頭の中で反芻していた。確かにそれは辻褄が合っているように思える。しかし、彼にはどうしても腑に落ちないことがあった。


「確かに九郎殿の推測でこれまでの経緯は説明がつきます。しかし、俺の知りたい核心はそこではありません」


「―――何故、実行者を何人も用意して、しかも計画の真実を知らせずにわざわざ回りくどい偶然を装わねばならないのか。そこまでしてセント・クレドの資格所持者を育てる必要性が……いや、それよりも俺が理解できないのは九郎殿がレイに魔剣を渡したことです。これが偶然でないのはもはや明らかですが、どうやってそれを必然に成し得たのか。九郎殿は何故レイが資格所持者だと気付いたのか。やはり、九郎殿はこの計画の核心に迫る何かを知っているとしか思えません」


 ロベルトのしかめっ面を見て九郎が意味ありげに少し表情を緩めた。


「ふむ。やはり、お主はなかなか鋭いの。わしの見込み通りじゃ」


 この老人は彼の考えていることを頭の裏側まで見透かしているようだ。


 九郎はゆっくりと腰を浮かせて立ち上がり本棚の方へと向かった。並んでいる本の背表紙の上に指を滑らせ右から六番目の浅黄あさぎ色の和綴じの本を引っ張り出すと、それをロベルトの前に置いた。

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