第三十五話 巨獣の背
九郎の部屋はレイの部屋に比べればものが置いてあった。
それでも必要最低限といった感じで、レイの部屋にあるのと同じようなこじんまりした木の座卓があって、その上には硯箱と書きかけの手紙らしきものが置いてある。座卓からすこし離れたところに敷布団が丁寧にたたんであって、部屋の奥に古い桐箪笥と本が見事に整理された二段の棚が並べられていた。
桐箪笥の一番下の棚には刀が納められているのだろう。頑丈な鉄錠がしてある。
本棚に並べられている本を右から挙げていくと、「刀剣目録」「万国草本」「シェエラザートの予言詩録」「アイオリス大陸の歴史」「独歩毘沙門流剣術指南」「ヴァンパイア族の長寿と純血度の関連性に関する報告書」「
洋書も混じっているがほとんどが毛筆の和綴じなのでどうやら九郎自ら写本したらしい。これを吝嗇と見るか倹約と見るかは意見が分かれそうだが、下の棚の中央にある「アイオリス大陸の歴史」などは十五センチ近い厚さがある。これを原本から写したとすると感服に値する。
九郎は部屋の隅に積んであった鈍色の座布団の山から二枚を引き抜いて、部屋の中央に間を開けて並べた。次に反対側の壁の近くに置いてある漆塗りの燭台を座布団の傍まで寄せてきて火縄に火を点けた。
真っ暗だった部屋に薄い光が浮かび上がる。
廃油で満たされた燭台の器に灯った炎が障子の隙間から吹き込む夜風に不規則に揺れた。
彼らは座布団の上に向かい合わせに座った。大きさの違う二つのぼやけた影が床の上に伸びた。
「腹の探り合いをしていてもらちがあかぬ。わしが説明するより先ず、おぬしの意見を聞こうか。 今回の件に関してどう考えておる?」
「その、今回の件、と言うのはどこからどこまでです。この町が野盗の襲撃を受けたという点に限ってのことですか?」
「いや、それをどう取るかはおぬしの考えの自由じゃよ」
「そうですか。では単刀直入に言いましょう。これは計画ですよ」
「ほう」
「この町に野盗が襲撃をかけるのも、その目的が古代兵器であるのも、その日に俺がここに来ることも、レイモンド・カリスが古代兵器を操る力に目覚めるのも、今現在に至る全てを含めたことが、あらかじめそうなるように仕組まれていた、完璧で壮大な計画ですよ。それをあなたは『運命』と例えた」
「…ほう」
「俺はこの数日間考えました。今回の不自然すぎる出来事の目的は何なのか、仕組まれたことだとすれば何のために練られたのかと」
「最初の俺の目的は古代兵器セント・クレドの回収でした。ところが事が進むにつれて問題がすり代えられていた。最重要視すべきはセント・クレドの魔剣であったはずが、いつの間にかそれがレイモンド・カリスになっているということにです」
「つまり、最初からこの計画において最も重要な目的は烏丸九郎でもロベルト・ディアマンでもセント・クレドでもない。計画の目的は最初からレイモンド・カリスです。これから先のことは分かりませんが、少なくとも今回の件に関してはレイを中心にして彼のために仕組まれていた。俺やあなたやニコラを含め、全てはそのために用意された駒にしか過ぎなかった」
「……ほう」
確信した表情で強く言い切ったロベルトに九郎はしばらく沈黙していたが、不意に両膝を叩いた。そして突然、手を打って笑いだした。
「ほう、ほうほうほう。素晴らしい、素晴らしいぞ。
「当たり前ですよ。俺の持っている情報程度でははっきりとした全体像は分かりません。あなたは俺よりもっと深く関わっていると見ていますが」
「ふむ、そう思うのはもっともじゃが、わしはさほど重要な役割ではない。しかし、ロベルトよ。重ねて言うがわしはお主の推論が正解じゃとはまだ言うておらぬぞ。的を射ていると表現しただけじゃ。的に当たってはいるがそれが中心から近いか遠いかは言うておらぬ」
「ではどうなのですか?」
ロベルトは改めて九郎の顔を直視した。九郎は一呼吸、間を開けてから答えた。
「近い……と考えておる」
「考えて?」
「そうじゃ。お主の言う通りわしも駒の一つにしか過ぎぬ。自分に与えられた任務は把握していても全体像を確証するには至らぬ。わしは疾走する巨大な獣の背に乗っているが自分の膝の上の猫をあやすのに手を焼いておるのじゃ。自分を運ぶ獣の顔など見えはせぬ。それが犬か獅子か化け物かの判別さえもつかぬ」
「ち、ちょっと待って下さい。与えられた任務ってどういうことです? それに、疾走する巨大な獣?何の比喩です? 話が交錯してよく分かりませんよ」
「ああ、すまぬな。どうやらこれはお主の情報外のようじゃな」
九郎は太い筋の入った首を少し下げて平謝りした。それから両肩を交互に回すしぐさをして視線をロベルトに戻した。
「お主の言うとおりこれは計画じゃ。全ては仕組まれたことじゃ」
九郎はひどく神妙な面持ちで低く言った。
ロベルトはそれにつられてたいした意味はなかったが深くうなづいた。
「この計画の発案者、指揮者は誰か分かっておるか」
九郎の質問にロベルトは素早く答えを返した。
「それはもちろん分かっています。仮面の男です。あの、名前の無い、我らの
「先程、あなたが言った与えられた任務というのも彼から依頼されたものだとすれば、あの男の関与は確実なものとなり、彼が黒幕で全てを裏で事を操っていたことは否定するほうが難しいでしょう」
その答えに九郎は顔つきを変えぬままうなずいた。
「全くその通りじゃ。わしの任務というのはあやつから依頼されたものよ。
あれは十…年前のことであったか。わしはそろそろ連盟の職務からの引退を考えておった。担当じゃった古代遺跡メガリスの調査も、そこの遺物の回収もガーディアンの排除もあらかた終わっておったし、どこぞの田舎に引っ込むつもりであった」
「そんな折にあの名無しがわしに話があると言うてな。もちろんあやつは囚われの身であるから直接言ってきたわけではなく
「これから隠遁して残されたわずかな余生を安らかに過ごそうとしている老いぼれが、あのような運命さだめに逆らって、生きているか死んでいるかの定義もつかぬ男に関わるのは非常によくないと考えたのじゃよ。それにわしはあやつの部屋があまり好きではなかった。あの独特の陰気臭さというか、湿っぽさが老躯と枯骨に沁みるのであろうな」
ロベルトは少し笑った。烏丸九郎ほどの人物でも昔のことになると自嘲的になるのが可笑しく、少し悲しかった。
「それはそうでしょう。あそこは牢獄ですからね。あの空気が好きだという人間はそういませんよ」
ロベルトの感情を察してか、九郎も苦笑しながら返した。
「それもそうじゃな。じゃが世の中には変わり者がおって、あのような生きている者の墓場でも、穢れた外界よりは遥かにましだと思う者もおる。わしはそこまで悟りきれてはおらぬだけじゃ。その点に関してはあの男は尊敬に値するかもしれんな」
そこで会話はしばらく中断した。
九郎がもう少し話が長引くからお茶でも入れようと言って席を立ったからだ。数分して柏木の盆に乗ったほうじ茶の入った湯飲みが二つ運ばれてきた。九郎は膝を曲げて馬鹿に丁寧なしぐさでロベルトの前に湯飲みを進めた後、自分は湯飲みを持ったまま腰を下ろした。
「どこまで話したかな。……ああ、あやつから言伝があった、というところまでじゃったか」
九郎はすぐさま湯飲みに口をつけてほうじ茶をすすりながら言った。
ロベルトも多少の喉の渇きを感じていたので自然に目の前に置かれた湯飲みに手を伸ばしたが、触れた途端、あまりの熱さに思わず手を引っ込めた。
「……熱くないんですか、それ」
ロベルトの呆れたような口調に九郎は自嘲的な笑みを浮かべながら言った。
「皮膚も舌も感覚が鈍るのじゃよ、老いてくるとな」
ロベルトはほうじ茶にはもう少し冷めてから手をつけることにして、九郎に話の先を促した。老人は熱い液体をもう一口すすってから続けた。
「わしは最初、あやつを無視するつもりでおったが、日が経つにつれてあやつに会うのもこれが最後になるかもしれんと思うようになってな。親密ではなかったにしろ長い付き合いじゃし、無理に暇を作って会いに行ったのじゃよ」
「すると全くの偶然じゃが、その日は『解魂日』じゃってな。あやつは一年ぶりにあの部屋の束縛から解かれて前庭の石碑の周囲をあてもなくうろついておった。その手足に巻きついていた鎖と仮面はそのままじゃったが、一つだけいつもとは違うところがあったのじゃよ」
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