第三十四話 迂を以って直となす

 四時間ほどの仮眠だったがロベルトには十分な休息であった。


 レイの部屋に行くとジルの書置きがあり、看病は人を呼んでくるからおっさんも休んでくれ、というようなことが書かれていた。


 しばらく待っていると、ジルが数人の少年を連れてやってきた。


 彼らは多少の年の違いはあるもののレイとジルの友達で、部屋に入るなり目に入ってきた包帯だらけのレイの姿を見て絶句していたが、その寝顔が穏やかなのを確認すると幾分か安堵の表情になって、中には涙ぐんでいる者もいた。


 ロベルトは良い友達を持ったなとその様子を微笑ましく見ていたが、しばらくすると幾分か落ち着いてきて昨夜のレイの奮闘を聞かせてくれと騒がしくなってきた。


 病人の前なんだから大人しくしていろと彼らをなだめた後、入れ替わりに町の中心部に行き、その日は一日中倒壊した家の補修を手伝ったり、野盗を収容した岩屋を見回ったりした。


 そして九郎の道場に戻って来た頃には、すっかり日も落ちて月が空の頂点にさしかかっていた。


 玄関の扉を開けた瞬間、彼は突き抜けるような強い清涼感のある匂いを鼻腔の奥に感じて思わずのけ反った。


 下を見ると玄関口には古びた女性物の靴が二つあった。


 嗅覚が良すぎるのも困ったものだと思いながら、なるべく鼻から息を吸い込まないように呼吸しながら匂いの元であるレイの寝ている部屋に行くと、その枕元に酷く腰の曲がった老婆とレイと同い年くらいの利発そうな少女が座っていた。


 老婆は薬研やげんで薬草を挽いており、少女はその傍に置いてある薬湯と思しき薄緑に濁った水が張られた桶に手拭いを浸して絞り、レイの頭に乗せられた手拭いをかいがいしく交換しているところだった。


 ロベルトはそれが昨日、岩屋を紹介してくれた老婆だと気付き、続いて最初に町長の家を訪ねた時に彼が言っていた「柳下のダユ婆さん」とは彼女のことであったかとふと思い出した。


 彼女は薬師でレイの精神が少しでも癒えればと思い、夕方から少年らと入れ替わりで薬湯での処置をしてくれていたらしい。


 少女は彼女の孫で、しぐさなどからどうもレイに気があるようであったが、こいつ鈍いから多分気付いてないんだろうな、などとどうでもいいことを呑気な寝顔のレイを見ながら思った。


 老婆は改めて町を守ってくれたこと、レイのことについて深々と礼を述べたが、レイに関しては本当に何もしてやれてないので彼の大怪我について若干の負い目のあるロベルトは逆に恐縮しきりになってしまった。



 彼女らを見送って小一時間が経った頃、ロベルトは腰を上げた。表の門が開く音が聞こえたからだ。草鞋が庭の飛び石の上を擦る音でそれは九郎だと知れた。


 二日間も何をしていたのだろうか。

 最初に考えたようにバーサーストの街に騎士団の要請に行くのであれば、わざわざ歩いていかなくても伝書鳩を使えば済むことだ。それにこの町から霧降山を越えて往復するとしても丸二日もかかるのはおかしい。深夜に出かけるほどの急用なら一日で帰り着いてもいいはずだ。


 ロベルトは九郎の行動に対して多少の不信感を抱いていた。


 彼は今回の事件についても何か詳しい事情を知っている風であった。レイを助けようとしたロベルトを九郎が制した時、彼がこれは運命さだめだと言ったことが気にかかる。彼は野盗襲撃の情報をつかんでいたのではないか。


 だが、彼がレイに実戦を経験させるためにこの町に古代兵器があるという情報を野盗に流して襲撃させたと考えるのはあまりに馬鹿馬鹿しい。


 彼は酔狂で身内を危機に晒すような人ではない。


 しかし実際に情報は漏れ、町は襲撃されたのだ。


 そもそも、今回の襲撃はなぜ一昨日の夜でなければならなかったのか。


 つまり、なぜロベルトがこの町に着いた日の夜でなければならなかったのか。

 考えれば考えるほどタイミングのよすぎる襲撃だった。


 ロベルトは考えを整理するため、幾つかの事実を思い起こした。


 そもそもロベルトはこの町に一泊する予定はなかった。彼はその日のうちに古代兵器を回収した後、夜通しで霧降山を戻りバーサーストで宿を取る予定だった。


 行きにバーサーストに寄った際に宿屋に予約も入れてあった。だがレイに長話をしていたことも含めいろいろなことが重なって町長の家に着くのが遅くなってしまった。

 回収目的である古代兵器『セント・クレドの魔剣』はニコラから九郎に渡っていて、さらにその九郎が出払っていたためこの町で夜を迎えることになった。


 この程度ならまだ偶然と言い切ることもできる。だが話はここで終わらない。


 その直後にこの町が野盗の襲撃を受けた。

 この世に仮定の事実など存在しないが、もし町長が古代兵器を所持していて、何の滞りもなくロベルトが任務を遂行して帰路に着いていたならば、野盗襲撃の時点でこの町を護る戦力となるのは町長一人だ。


 そこにレイが加わったとしても四十名の野盗からすればたいした戦力ではない。

 戻ってきた九郎が駆けつけるのが遅れれば二人とも殺されていた可能性は大いにある。実際に九郎が駆けつけた時間では町長は確実に死んでいただろう。


 この全てを偶然として片付けるのには明らかに無理がある。この偶然が九郎の言う『運命』だとしても、あまりに話が出来過ぎている。



 そこまで考えて障子を開けると、目線のすぐ下に九郎の白髪の混じった頭があった。

 ぶつかりそうになって慌てて部屋の中に後退する。


「む…、いろいろと済まぬな」


 九郎はのそりと腰を屈めて部屋の中に入って、ぐっすり寝ているレイを見てからロベルトに声をかけた。


 ロベルトは再び腰を下ろして九郎に訊ねた。


「――それで、二日もどこをほっつき歩いていたんですか?」


 九郎は心外だという顔をして肩をすくめながら答えた。


「何と、ほっつき歩いていたとは酷い言いようじゃな。あれじゃ、バーサーストじゃよ。国立騎士団員を六名連れて来た。今日はもう遅いから連行は明日の朝にするそうじゃが、念のため野盗を収容しておるという岩屋を監視に行ったようじゃ」


「それじゃあ、もう少し前に帰っていたんですか」


「ああ、町の様子が心配でな。ここに帰る前にニコラの家に寄っていろいろと話しておった。いや、お主には死体の処理やら民家の修復やら本当に苦労をかけたな」


「いえ、たいした事はしていませんよ。それよりちょっと時間がかかりすぎじゃないですか? バーサーストなら一日で往復できる距離ですよ。後の一日は何をしていたんですか。第一、騎士団の要請なら伝書鳩でも済むことでしょう」


「そんなに一度に言うでない。このほうけた耳には入りきらぬわい。まあ、遅れた件に関しては他にも用事があってな。こればかりは伝書鳩では少し無理じゃて。騎士団の要請はむしろそのついでじゃよ」


「何ですか、他の用事って」


「おっと、そう急くでない。ものには手順というものがあるぞ。――を以ってちょくとなす。核心ばかりを追及するとかえって事象の核心というのは見えてこぬものじゃ。まずは周囲から整理していかねばならん。それにここでの長話は寝ておるレイの迷惑じゃろう。隣のわしの部屋までご足労願おうか」

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