第三十七話 隠された予言書

『シェエラザートの予言詩録』


 ロベルトはその表紙の字体を目で追ってから顔を上げた。


「これは?」


「それがわしが出した答えじゃ。まあ手に取って見てみるがよい」


 言われるままに厚みのある本を取ってぱらぱらと項をめくる。そこには古代テオト文字の原本の写筆とその横に現代語の訳が記してあった。


 彼はこの書物に関して知識がないわけではない。これの原本であるシェエラザートの予言詩録とは正式には『神託原本』と呼ばれる古代遺跡からの出土品で、今から一千年以上昔のシェエラザートという巫女が記したとされる現存する世界最古の書物だ。


 テオト族の文字で書かれたこの書物は穀物の収穫祈願やら吉凶の予測などがやたらと難解なテオト文字という古語で長々と記されているものだが、最古の書物といっても解読はほとんど終了していて、古代文字解読の補助教本として使われるくらいで古代兵器に比べればそれほど重要なものではない。


 ロベルトは半分ほどめくった辺りで九郎が連盟で遺跡管理と古代語解読の仕事を担当していたことを思い出した。烏丸九郎は世界三強の剣士であると同時に古言語にも精通していた。

 彼はこのシェエラザートの予言詩録の解読にも携わっていたはずだ。


 だが、この本が今回の計画とどう関係があるのかさっぱり分からない。


 九郎は燭代の浅い色の火を背に身を乗り出して本の後半の項をめくった。


「ここじゃよ」


 その開いた項には『未公表分』とタイトルが振ってあった。その次の行からはロベルトの見たことのない文字で横書きの文章が綴られている。鎖を繋げたようなその文字は短い段落で仕切られ、流れる神秘の文様を描いていた。


 シェエラザートの予言詩録は全てテオト文字で書かれていたはずだ。このような新種の文字での記述があるなどという話は聞いたことがない。それにこの予言書はほとんど解読が済んでいるはずなのに『未公表分』と書かれた先にはまだ数百項もの厚みがあった。


 九郎はにやりと笑って首を傾げるロベルトの手から本を取ってぱたりと閉じた。


「よいか、ロベルト。大世界連盟が古代遺跡から発掘した遺物のうち世間に公表されるのはごく一部じゃ。重要な物ほどその存在は明らかにされぬ。古代兵器にしろ書物にしろそれは同じじゃよ」


「どういうことです?」


 ロベルトの言葉に九郎は本の表紙をぽんと叩いた。


「一般に『シェエラザートの予言詩録』とか『神託原本』と呼ばれておる書物は解読が完了したことになっておる。写本も許可されて、専門書店に行けば店先に山積みにされておる三百数項の書物にしか過ぎぬ。つまりその三百数項には公表、出版許可ができる内容のことしか記されていない、ということじゃ」


「つまり……」


「そう。騙しの森トロンプルイユ古代遺跡メガリスから発見された『シェエラザートの予言詩録』は本来数千項に及ぶ大書物じゃよ。現在世間で『シェエラザートの予言詩録』と呼ばれておる書物は本物の十分の一以下の前書きにしか過ぎぬ」


「後の十分の九のページは隠匿すべき内容だった、ということですか。まあ、遺物の隠匿は連盟では珍しいことではありませんが……。いったい残りのページには何が記されていたのですか」


 九郎はロベルトの問いには直接答えず、代わりに本の中ほどの項を開いた。


「よいか。予言詩録本編に記されている文字は見ての通り、テオト文字でも古西語バベルでも竜語ジブラルでもない。お主も知らぬ新種の、いや、未公表の古代文字じゃ」


「この文字の文法は大抵三行か四行、または六行詩で、例えるならば魔術の言霊詠唱に似ておる。さらに一つ一つの語が本来の意味とは別の暗示を含み、同じ場所に留まることはない。ある文字が配置によって全く異なる語彙となり、球体の表面を彷徨さまよう永遠曲線が如く、一切が巡り会い一切が再び離れ合う。わしが思うに世界で最も難解で最も美しい文章じゃ。なにしろ一行解読するのに数日を要するのじゃからな」


「我々はこの文字を『神の筆跡ゴッドハンド』と呼んでおる。前書きと本編を別々の文字で記したのはこれが聖刻文字ヒエログリフで知るべき者だけに伝える、あるいは知らざるべき者には隠匿すべき必要があったからじゃろう」


 九郎はそこまで言って少し間をおく。


「ロベルトよ、そもそもこの本の著者であるシェエラザートとはいかなる人物か知っておるか」


「……世間一般では大昔のテオト族の巫女ということになっていますが」


「そう、世間一般では一千年ほど前に実在した『記憶の民』古代テオト族の宗教的半政治的指導者、となっておる。じゃが実際はかの女、ただの巫女ではない。恐らく有史最大の予言者じゃよ」


「シェエラザートの予言詩録は項数、文章の構成、的中率、全てにおいて他の予言書とは桁違いの規模じゃ。お主は今までこの書物に関してこう思ったことはないか? 表題の割にはたいした内容ではない、とな。予言詩録と銘打っておるのに予言らしい予言は載っていない。よってシェエラザートは豊凶作やら吉凶を占う歴史上の一巫女として、世間ではさほど重要視されていなかったのじゃ」


「本物の『予言詩録』は隠匿されていた残りの部分だったということですか」


「そうじゃ。予言詩録本編の解読はわしがその任に就くよりかなり前から極秘に行われていたようじゃ。予言と言うのは実際に事が起こってからでないと嘘か真かの区別がつかぬからのう、解読にも時間がかかるのじゃ」


「で、その的中率とやらはどのくらいなのですか?」


 ロベルトは期待せずに聞いた。


 そもそも未来の予測などできるはずがない。だが数千項もあるのならばその内のいくつかは偶然の事実があるかも知れない。俗に予言書と呼ばれるもののほとんどはこの理屈で数学的に説明がつく。

 多岐の解釈が出来る一見意味不明な比喩文で、「偶然の事実」を「予言と言う名の虚構トリック」に仕立て上げるのだ。



 九郎は予言詩録のある項をめくった。そしてそこの古代文字の第一節を指差した。


「星の道が東の夜に二と三の間を示す時間、ここにはそう書かれておる」


 そう言ってロベルトに顔を向けた。


「この予言の意味が分かるか?」


「星の道……黄道のことですか」


「そう、黄道上を星座は周期的に移動し、およそ百年ごとに各方角に異なる星座が浮かぶ。この行は黄道における星座の運行を示すことによって予言が起こる時期を示しているのじゃ」


 この星の地軸の傾きによって起こる歳差運動を利用した天空時計は、太古から知られている、異なる暦を持つ種族同士が同じ時間感覚を共有するのに最も有効で正確な手段だ。


 例え、発信者と受信者の間に幾千年の時間が横たわっていたとしても、この空に星が浮かんでいる限り、そのメッセージが朽ちることも狂うことはない。


「では、東の夜に二と三の間の時間とは………真東の夜空に黄道十二宮の二番目、金牛座アスモデルと三番目、双子座アムブリエルが浮かんでいた間の二百年間――」


「うむ。現在、真東の夜空に見えるのは六番目の乙女座ハマリエルじゃから、今から三百年から五百年前ということになる。世界暦で言うと五四六年から七四六年までの間じゃな」


「つまり、この項には今から三百年前から五百年前に起こったことが予言されていると?」


 ロベルトの問いに九郎は次の行を指して、その古代文字を現代語に訳して読んだ。


「赤き龍によって三つに裂かれた大地に、肩を組む二匹の獅子が咆哮をあげる」


 ロベルトは腕を組み、少し間を置いてから思考をそのまま口にした。


「赤き龍と言えば……始祖龍アルルード・ファーブニール、つまり『赤き龍によって三つに断たれた大地』とはアルルード山脈によって三つに分けられている、ここアイオリス大陸のことですね。――しかし、後半の『肩を組む二匹の獅子』とは何のことです?」


「紋章じゃよ。『肩を組む二匹の獅子』とはこの大陸の最東国レクスヴァラ王国ウォーダン家の紋章じゃ。つまりこの文章は『世界暦五五一年のレクスヴァラ王国の成立』を予言したものじゃよ」


 九郎はロベルトが次の言葉を発しようとしているのを制して、次々に予言の文章を読み上げた。


「――『二匹の獅子の隣で王冠を抱いた鷲が飛び立つ』、これは六一七年のブレイナ―王国の成立の予言。 『宝石を盗んだ道化師が月に憑かれ、己が身を焼く』、これは六七七年の大量殺人鬼バドリー・トランプ処刑の予言。 『赤き舞台の上で黒き芸術家が泣き声を上げる』、つまり六八〇年、赤土のラテライト大陸での黒魔術士ブラック・アーティストエドワード・グーツムーツ誕生の予言……他に挙げればきりが無い」


 そして最後に、残り少なくなった湯飲みの中の液体を一気に飲み干してから言った。


「……完璧じゃよ。解読済みの予言は全て的中しておる」


「全て? そんな馬鹿な」


「わしも初めはそう思うた。しかしな、全てが的確な記述じゃ。他の予言書のような都合のよい解釈ができる偶然ではなく、その出来事を指しているとしか思えぬ。しかも全てが年代順に記されているのじゃよ」


 ロベルトはそれでもまだ疑いの残る声で言った。


「にわかには信じられませんが……。その予言の中に今回の計画に関わることが記されていると言うことですか」


「左様。名無しがレイを預けるのをわしに任せたのも、わしが計画とその意図について気付く要素を持っていたからじゃろう」


 そこで九郎は本の最後の項を開いた。


「さて、かの巫女、シェエラザートがいかなる手段を用いて未来を垣間見たのかは誰にも分からぬが、この予言書には起こりうること全ての筋書きが記されておる。いわば世界の予定表じゃ。

そしてここにはさらに最悪の結末が記されておる。今からわしが読むのは詩録の最終章、即ち世界の終わりに関する予言じゃ」


 ロベルトは極めて深刻な表情で言った九郎の発言の意味をすぐに飲み込めずにいた。


「はあ、世界の終わり? 冗談でしょう。そんなもん――」


「まあ聞け」


 九郎はいぶかしむ声でさらに表情をしかめるロベルトを制してその項を読み始めた。

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