第二十八話 決着
バルバリッチャは引きつった表情のまま、大きく後方へと跳ねた。
「フ、フン! どんな手品を使ったか知らないが、所詮は瀕死のガキだ。次で完全に息の根止めてやる」
不動の構えで蒼き大刀を彼に向けている少年を睨みつけてから、無理に笑みを作って嘲る。
「それに、そんな馬鹿でかい剣、満足に使いこなせるわけがない。刀身だけで槍ほどの長さじゃないか」
しかし、彼の視線はレイの燃える瞳に射すくめられて、耐え切れずに視線を夜空へとそらした。彼はさらにじわりと後ろに下がろうとする自分と身体に言い聞かせた。
(くそ、この僕が気合だけで完全に押されているじゃないか。 ――焦るな。何も焦る必要はない。僕が完全に押している、いや、すでに勝っているも同然だ。魔術を十数発も被弾した死にかけのガキが気力だけで立ち上がったところで何もできやしない!)
だが、彼の心に芽生えた不安をかき消すことはできなかった。それどころか彼の心の余裕はどんどんと不安に代わりつつあった。
彼はその侵食を食い止めようとするかのように片手を前に掲げた。そして、叫ぶ。
「
それとほぼ同時にレイが足を一歩踏み出した。バルバリッチャの言霊の残響がぷつりと途切れた。
バルバリッチャは硬直していた。彼の片手は掌を開いたまま宙で静止している。
何も生み出さずに。
「――う……」
ようやく彼の口から息が漏れた。視線の先にはレイが剣を振り払った体勢で止まっている。バルバリッチャは何が起こったのかを理解していた。
だが、同時にそれを必死で否定しようとしていた。起こりうるはずがない、と。
「魔術構成が―――」
彼の魔術構成は発動の瞬間に霧散した。いや、それだけならまだ驚くに値しない。
魔術構成は斬られたのである。少年の振り払った剣によって、横一文字に断たれて消滅したのだ。
魔術構成は物質ではない。空間支配だ。魔力を流し込む空間だ。感じることはできても構成を見ることはできない。それが剣で斬られた。
正確に言えば剣によって空間支配を拒絶された。それも
だが、彼の魔術構成は全く何の理論も段階を経ずに消滅した。
バルバリッチャはあまりに理不尽な、彼の理解を超えた方法で魔術構成が破壊されたのを理解していた。
「――ま……魔剣……」
導き出された結論にバルバリッチャの顔から一気に血の気が引いた。
人知を超えた武器。古の偉大なる種族が作り出した剣。それが魔剣、すなわち古代兵器―――。
この時、彼はプライドも何もかも全て捨てて逃げるべきだった。しかし、彼は踏みとどまった。
彼がこの町を襲撃した目的がこの目の前にある一本の剣だったのが彼の不幸であった。
彼の欲望は恐怖に勝っていた。この少年を殺し、古代兵器を奪えば手に余るほどの強大な力を得ることができる―――。
彼は引きつった笑みを浮かべながら、恐怖と興奮に震える手をレイの方に向けた。
そして充血した目をかっと見開いて絶叫した。
「
巨大な火球が唸りを上げて飛んだ。
レイがその場で大剣を右手一本で横に薙いだ。
蒼の刀身が飛来する火球の側面に接触した瞬間、辺りを包んでいた熱気が剣に吸い込まれて火球は真っ二つに裂かれた。そして断たれた二つの半円は魔力の拘束を解かれ数本の炎の筋にばらけて空中で行き場を失って虚しく彷徨さまよった後、夜の闇に掻き消えた。
しかしバルバリッチャはそれに構わず大きく跳び下がって広げた両手を突き出した。
「
二つの言霊と同時に左手から五つの青い燐火が、右手からは紅蓮の火炎弾がそれぞれ左右に弧を描きながらレイに向かって放たれた。
レイは魔剣を両手で握って身体をひねり、返す刃で周囲に円を描いた。するとその剣筋の残像が蛍光色の輪環となって闇の中に浮き上がって、彼を保護するかのように取り囲んだ。燐火の幾つかがレイを捕捉し、その光の輪の描いた見えない力場に入ろうとしたが、円の範囲内に侵入した途端、先端から侵食されるようにして次々に霧散した。
「空間支配――か。完全にセント・クレドを使いこなしている……。まさか、あいつが資格所持者……信じられん……」
それを通りの奥から見ていたロベルトが呻いた。
バルバリッチャの魔術が、より支配力の強いレイの空間に突っ込んだため、魔術構成が破壊され魔術が消滅したのだ。
先程、レイが魔剣で魔術を防いだのもこれと同じ理屈で、周囲の空間に強力な空間支配をかけて相手の魔術を迎え撃つというのは理論上不可能ではない。
そもそもこの自分の周囲の支配空間に構成を組んで魔力を流し込むのが防御系の魔術なのだ。
だが、人間がルーラー族から受け継いだ「支配する力」はごくごく小さいものであり、防御魔術といっても支配できる空間は身体の表面から数センチの範囲だ。
しかし、先程のレイの支配空間は彼の腕と剣の長さを合わせた半径三メートル弱もの円に及ぶものだった。もちろん彼は空間支配の方法など知るはずもない。
つまりこれが古代兵器の威力だ。人間が時の流れに逆らって数千年の過去に閉じ込められた忌まわしき神の力を手にするということだ。
「
続けざまにバルバリッチャが魔術を放つ。しかしその衝撃波も光の力場の前で
「く……」
バルバリッチャは低い声で呻いた。彼は今さらながら完全に少年とその武器の力を見誤っていたことに気付いた。
いくら強力な魔術を放ってもあの魔剣の前では虚しく散るだけだ。
しかも彼は続けざまの戦闘であまりに膨大な魔力を消費していた。特に感情によって魔力を高めるという彼のやり方は精神を確実に消耗させていた。加えてロベルトの拳打を数発食らっている肉体も、精神的優位の状況を逆転され、再び悲鳴を上げていた。
(だめだ……。やはり僕とて一人では古代兵器相手に勝ち目は薄い。今の消耗しきった状態ではなおさらだ。 ――だが、あの魔剣、このまま諦めるにはあまりに惜しい……。ここはいったん退いて体勢を立て直すべきだ。兄上に報告してマッシュウ強盗団の全勢力でかかれば何とかなるかもしれない。――とにかくこのままでは間違いなくやられる)
そしてさらに思考をめぐらせて脱出の作戦を立てた。
「――クソガキ! これで死ね!」
突然彼は大きく叫んで、最後の魔力で構成を組む準備をしてレイに目がけて突っ込んだ。
レイが向かって来るバルバリッチャを紅い瞳で捉えて大刀をゆっくりと振りかぶる。蒼い刀の切っ先が夜空に浮かぶ欠けた月と重なった。
だが、バルバリッチャはレイの間合いの直前で急停止した。彼の作戦は攻撃を仕掛けると見せかけて目くらましの魔術を放ち、その隙に遁走するというものだった。
彼は地面を強く蹴って後ろに飛び下がると同時に魔術を放つために右手をレイに向けた。
レイは構わず剣を振り下ろした。しかし、その距離からは魔剣は届かないとバルバリッチャは計算していた。そして実際それは届かないはずだった。
だが、振り下ろされた剣の刃が伸びた。
それはバルバリッチャの錯覚で、鍔元から先の刀身が消え、その消失した部分がバルバリッチャの頭上に出現したのだ。そして蒼い刀身がバルバリッチャの顔の前を掠めて轟音と共に地に落ちた。
同時にバルバリッチャの突き出した右手の肘の辺りに斜めの赤い線が走って、次の瞬間には肘から先が血しぶきを撒き散らしながら宙に飛び、べちゃりとレイの足元に落ちた。
バルバリッチャは奇声を上げながら鮮血のほとばしる右手を抱えるようにして後ろに崩れる。レイは地面に突き刺さった剣を抜いて右外に血振りした後、大きく踏み込みながら脇に剣を構えた。
だが、彼がバルバリッチャの左胴を断とうとした時、赤い閃光がレイの視界を埋めた。バルバリッチャが最後の魔力を振り絞って残った左手から魔術を放ったのだ。
レイの視覚が回復した時には切断されたバルバリッチャの右腕とその血溜りから幾つもの大きな血痕と引きずった血の跡が霧降山の方向に続いているだけだった。
「…………護っ…た……」
その呟きと共に全身の力が抜け落ちて、彼は両手をだらりと垂らした。
聖信者セント・クレドの魔剣は急激に色あせて闇の中へと溶け込むように消え、彼の手には折れた木刀が残った。だがそれもすぐに彼の指を滑って石畳の上に乾いた音を立てて落ちた。
駆け寄ってくる複数の足音と呼びかける声を
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