第二十七話 聖信者の魔剣

 欠けた月の薄い光が、赤レンガと素焼きの瓦とちぎれた漆喰からなる瓦礫の山を照らしている。バルバリッチャの視線はそこに頭を垂れて寄りかかっている金髪の少年に向けられていた。


「さすがにもう諦めたか」


 少年は首と両手を垂れたまま動かない。だが息はあるようだ。両方の肩が小刻みの上下している。


「……と言っても意識すら薄れているようだな。僕の声も届いてはいまい」


 言いながら片手を天に向けて掲げる。自然に口の端が大きく緩んだ。


「その頑丈さと無駄な足掻きに敬意を表して、僕の最大威力の魔術をお見せしようか」


 掲げた手を中心に半径五十センチの空間に魔術構成を編む。掌に渦を巻くように魔力が構成に流れ込む。それは次第に大きなうねりとなってミシミシと空間を圧迫し始めた。

バルバリッチャは魔力で膨れ上がった魔術構成が消失する直前を見計らって口を開いた。


辰砂の宝玉ヴァーミリオン・オーブ!」


 言霊に乗った意志が魔術構成を満たす。辺りの空気が一点に吸い寄せられて互いに摩擦しあい、ぼっという音と共に掌の上に巨大な火球を生じさせた。


 バルバリッチャはその太陽のように燃える火の玉を頭の上に掲げた。


「さあ! 肉も骨も、灰も、何一つ残さず燃え尽きるがいい!」


 そう叫ぶと同時に腕を振り下ろした。無数の火焔の帯を纏った紅蓮の球体がバルバリッチャの手を離れる。


 それは周囲の酸素を飲み込みながら、螺旋の残像を描いて瓦礫の上で四肢を垂れている少年に向かって飛んでいく。


 その光景の一部始終を離れた民家の崩れた壁の間から見ていた町長は思わず目を閉じた。九郎は薄い夜空を見上げ、ロベルトは咥えた煙草を唇から離した。


 辰砂の宝玉が全てを包み込む直前、彼らの誰からも見えなかっただろうが、レイの顔が起き上がって、かっと彼の瞳が開いた。そして彼は目睫の間に迫った火の玉に折れた木刀を振り払った。


 轟音がこの小さな田舎町を揺らした。


 焔の赤が闇を裂き、熱波が夜空を朱に染め、高らかな魔術士の笑い声が響いた。


 ――が、それは唐突に消えた。


 彼は見たのだ。


 吹き上がる黒煙と舞い落ちる火の粉を背後に、金髪の少年は立っていた。


 バルバリッチャの目と口は大きく開いたまま固まっていた。彼の動作が戻るのにはしばらくの時間が必要だった。


「きっ………貴様、何をしたッ――」


 ようやくバルバリッチャの口から出た言葉には明らかな動揺と畏怖が混じっていた。


 レイは燃える瞳でバルバリッチャを捉えたまま、ゆっくりと右手を顔の高さまで上げた。


「な、なんだそれは――!それで僕の魔術を防いだのかッ?」


 レイの手に握られていたのは先程までの折れた木刀ではなく、巨大な刀だった。


 刀身の先は澄んだ青色、鍔元に向かうほど深みを増して黒になる片刃の大刀。そしてその中央に光る古代文字。そう、彼が心の中で掴んだあの剣だ。


「あれは―――」


大路の先で壁にもたれかかっていたロベルトがそれを見てがばっと立ち上がる。彼の唇と唇が離れてその間からくわえた煙草が円を描きながら石畳の上に落ちた。続いて彼の口から言葉が漏れた。


「――聖信者セント・クレドの魔剣!?  どういうことだ、何であれをレイが持っているんだ?」


とっさに町長の方を振り向く。


「おい、ニコラ、一体どういうことだ? セント・クレドは九郎殿に預けたと―――」


 戸口にもたれかかっているというより、首だけを起こして倒れている町長はロベルトと同じように口を開けたまま激しく首を振った。


「い…、いや、私にも――」


「だから、レイは死なぬといったじゃろうが」


 ニコラの言葉を落ち着いた口調で九郎が遮った。彼だけが平然を保って足を組んで座っている。


 その視線は巨大な刀を両手で構えて魔術士ににじり寄る少年を見つめていた。


「まさか……、では、あなたがあれをレイに持たせていた―――」


「いかにも」


 九郎はこともなげに答えて脇に置いていた刀を膝の上に乗せた。彼の表情に曇りはない。一方、ニコラは呆けたまま、開いた口がふさがらない。


「あなたはあれの危険性を認知していたのですか? ――いや、していないはずがない! なぜあれをレイに持たせていたのですか! 」


 ロベルトは激しく叱咤した。


「――しかもあれがどういういわく付きの物かあなたが知らないはずがない! あれの使い方を誤れば己の身を滅ぼしかねない!」


 当然だ。『聖信者セント・クレドの魔剣』は古代兵器だ。大世界連盟は一般人の古代兵器の使用と所持を一切禁じている。それを一般人、しかもまだ子供であるレイに渡すなど論外だ。


 しかし九郎は一切表情を変えない。彼は視線をレイに向けたまま言った。


「分かっておらぬな、ロベルトよ」


「……分かる? 分かるわけがない! いったいどういう神経で――」


「言ったじゃろう。これは運命さだめじゃ、と」


 九郎は怒鳴るロベルトに諭すように言った。そして振り向いて意味ありげに町長に尋ねた。


「そういえば、ニコラ。聞き忘れておったが……、あの野盗どもの目的は何かな。こんな小さな田舎町に徒党を組んでかかるほど財はないはずじゃが、のう?」


 ニコラははっとして身を起こした。


「そういえば、あの魔術士……、この町にある古代兵器をよこせと……」


 その答えにまたロベルトが怒声を発した。


「何だと? あいつらの目的はセント・クレド? ――おい、ニコラ。なんでそれを早く言わねえ!」


「 ―――いや、ちょっと待て。……何でこの町に古代兵器があることをただの田舎野盗が知ってんだ? 国家機密に等しい情報だぞ」


「そうか、やはりな。――次にロベルト。お主は肝心な部分を見落としておるぞ。わしがあれをレイに渡したことの善し悪し以前に、レイがあれを使役しておるということをな。この意味が分かるな」


 九郎の問いかけにロベルトは沈黙した。

 先程まで怒気で赤くなっていた彼の表情が一気に冷めた。九郎は独り言のように続けた。


「古代兵器『聖信者セント・クレドの魔剣』。見た目はただの剣を模った金属のペンダント。いや、実際見た目だけではなくほとんどの者にとってただのペンダントじゃよ。月光にかざすと奇妙な反射をするだけの装具じゃ。

わしでもあれを本来の剣の形に具現化させることはできぬ。ロベルト、おぬしも同様。どんなに強固な精神の持ち主が意志を練りこもうともせいぜい柄を実体化させるのが関の山じゃな。しかもその状態で剣の形を維持するなど、到底不可能よ」


「――何故ならわしらにはあれのあるじとなる資格がないのじゃからな」


「資格? あいつが……まさか――」


 ロベルトの言葉の先をまたも九郎が遮った。


「運命じゃよ。全ては再び動き出した、ということじゃ。しかし、ここでは全てを語ることはできぬ。――関係者と言え引退すれば一般人。一般人の前ですべき内容ではない」


 と言ってニコラの方を見やる。彼は露骨なしかめっ面を作って九郎に言い返した。


「ちょっと待て、九郎。それは私の前では話せぬと言うことか? 私は一般人ではないぞ。私の任務はまだ終わっていない」


「いや、終わっておる。十年前にな。ニコラ・スタールに言い渡された最後の任務は『セント・クレドを保管せよ』。その任務は十年前にお主がわしにそれを預けた時点で終わっておる。もはやお主は一介の田舎の町長じゃ」


「そう言うのならこちらの言い分も聞いてもらうぞ。君もレイにセント・クレドを渡した。ということは君も私と同じで隠居の身だろう」


「違うな、あの子はまだわしの手元にある。それにレイはまだ一般人じゃ。任務を了承したわけでもなければ受けたわけでもない。彼は何も知らぬ。哀れなほどにな。百歩譲って仮におまえの任務がレイに移っていたとしても、わしの任務はそれ一つだけではない」


 九郎はそこで一息ついた。


「ともかく、今は何も話せぬ。それより、かつて世界を震撼させた古代兵器『聖信者セント・クレドの魔剣』……わしもこの目で直に見るのは初めてじゃ。その威力をゆっくりと観賞しようではないか」

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