第二十四話 反目

 騒音と傷の痛みが町長の意識を混濁の中から引きずり出した。しかし、まだ彼の体は鉛のようなだるさで満たされていた。


 手で辺りを探ると、やわらかい布の感触がした。どうやら自分はベッドの上に寝かされているらしい。


 彼は重い瞼をゆっくりとこじ開けた。


 すぐに視界に入ってきたのは夜空と漂う欠けた月だった。その光景を縁取るように天井に大きな穴が開いている。


 上半身を起こすと向かいの壁も半分ほどから大破してレンガの山と化していた。その向こうの民家の壁も同じように崩れているのが見える。

 顔を下ろすと、へその辺りから胸の中程まで雑に包帯が巻いてある。傷はまだ痛むので起き上がることは無理なようだ。


 突然、轟音が響いて天井の一部が剥がれ落ちた。


 とっさに動いた視線の先で、何かが焦げた煙を上げながら地面に投げ出された。


「レイ!」


 傷の痛みも忘れて町長は声を上げた。崩れた壁の向こうの石畳の上にレイの身体がうつむけに横たわっている。彼の震える手は切っ先の焼き切れた木刀を握ったままだ。


「レイ、逃げろ!」


 町長はありったけの声で叫んだつもりだったが、口から出たのは擦れた空気だけだった。

 彼は傷のうずく腹を抱えて立ち上がろうとして、ベッドから転げ落ちた。


「く、どうして彼がここにいるんだ! ――まさかロベルトがやられたのか? いやそれより早く助けないと……」


 呻いて床の上を這傾いたドアの方に向かう。その途中で後ろの崩れた民家のレンガの山が盛り上がって、その中から銀髪の大男が肩にかかった土を叩きながら現れた。


「ロベルト!」


 振り向く町長に彼は片手を上げてから、その手を頭に持っていって髪の毛を掻く。


「俺としたことが油断したぜ。あんなド素人にしてやられるとは。まあ、殆ど効いちゃいねえが……」


「ロベルト、何をやっている! 早くしないとレイが――」


「分かっている」


 焦るニコラを制して戦闘服の両袖をまくる。隆々とした筋肉が現れた。そして起き上がろうとよろめくレイに目をやる。


「すでに魔術を数発食らっているようだな。白崩術アスプロージョンもなしに直撃を避けているのは見事だがもう限界だろう。そもそも、あの怪我で起き上がれるのがまず普通じゃねえよ。あのキノコ頭には三倍返しぐらいしてやらんとな」


 両拳を打ってから入り口へと駆け出す。


 蝶番が外れて傾いたドアを引き剥がして横木をまたぐと、ちょうど右手の路地から黒い胴着と袴を着た老人が現れた。


「おお、九郎殿!」


 ロベルトは歩いてくる九郎に向かって言った。彼は腰に刀を帯びて草鞋を履いている。


「お主は……、ロベルト・ディアマンか」


 九郎は言ってロベルトの横で足を止めた。彼らの視線の先には満身創痍でふらつきながら折れた木刀を構えているレイとその向かいに悠然と立つ魔術士の姿がある。


「お久しぶりです。今日は別の用事があって伺ったんですが、あなたが留守の間に見ての通り厄介ごとが起こりましてね。今、俺が彼を助けますから、話はその後で――」


 ロベルトが早口で喋っている間、九郎は執念だけで立っているレイの方を顔色一つ変えずにじっと見つめていたが、話し終わって駆け出そうとするロベルトを片手で制した。


「その必要はない」


「はっ?」


 思わずロベルトが振り向いて聞き返す。


「お主が助けに行く必要はない」


 その意味を図りかねてロベルトは困惑した顔でもう一度聞き返した。


「それは九郎殿が助けに向かうということですか? それとも――」


「誰も助けに行く必要はない、ということじゃ」


 九郎は即答して腕を組んだ。


「それは――」


 詰め寄るロベルトの言葉を遮って九郎は続けた。


「あやつは自分から進んでこの戦闘に赴いたのだろう? ならば相応の覚悟はしているはず。始末は自分でつけねばならぬ」


 ロベルトは即座に頭を振って否定する。


「九郎殿! それは無茶だ。確かに彼の腕はたいしたものです。彼は木刀だけで武装した野盗十数人を倒した。 ――しかし、今度の相手は魔術士ですよ? いくら剣の達人でも彼は魔術士というものを今まで見たこともないし、対魔術士の戦闘訓練だって受けていないんです。あの魔術士と退治している以上、今彼はただの剣を持った人に過ぎない。自分で始末をつけるとかそういう次元の話じゃない! 」


「それに、―――あの格好を見れば分かるでしょう、すでに彼は戦える状態じゃない!」


 まくしたてるロベルトに、九郎は目を閉じて言った。


「そんなことは分かっておる」


「いや、あなたは分かっていない。戦える状態じゃないと分かっているのなら、なぜ助ける必要がないんですか? 放って置けば彼は死にます!」


「いや、あやつは、レイモンド・カリスは、死なぬ」


「それは違う! あなたは過信している。確かに烏丸流剣術は優れた武術だ。そして開祖であるあなたはかつて世界三強と言われたほどの剣士だ。魔術士だってあなたに敵うのは世界に数えるほどしかいない。 ――でも、彼はあなたじゃない。死なないなんて確証はどこにもない!」


「いや、わしは過信してはおらぬ。この世に存在するものは有為転変、不敗の剣など有り得ぬ。それにわしはレイの力量を過剰評価してもおらん。あいつは死なないだけの力、この危機を乗り切るだけの意志と生命力は持っておる」


 その時、ロベルトの背後で閃光が夜を裂いた。


 彼が振り向くと、爆音と共にレイの身体がくの字に曲がり吹き飛ばされて民家の壁に突き刺さったのが見えた。その崩れた民家の瓦礫に向かってバルバリッチャがゆっくりと歩を進める。


「もう限界だ! 次に魔術を食らったら間違いなく死ぬ!」


 ロベルトが九郎を振り向いて叫ぶ。


「――あなたの許可など必要ない。あなたが助けるなと言っても俺は彼を見殺しにはできない。俺は俺の意思で動くことができる!」



 彼は巨体を翻して駆け出した。


 しかし、その背後で無慈悲な声が響いた。


「させぬ」


 背骨の髄を舐められるような冷たい殺気がロベルトの動きを封じた。

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