第二十二話 牢獄の会談
この男と会話していると本当に時間が停滞しているように感じられる。
仮面に描かれた梟の目が彼に暗示をかけて、その心を虜にしようとするのかも知れない。だが、その下の顔の端まで裂けた嘲笑う口が彼の時間を元の刻みに押し戻す。
「気付いていたか」
彼は青白い光を放つ部屋の天井の隅を見上げながら、唐突に問うた。男は変化のない顔で答えた。
「……ええ、気付きましたよ……。その、瞬間に…ね……」
「では、話は早いな。まず被害を報告しよう。結界が破られた際に警護が十六人殺られた。全員背後から喉元を掻き切られている。一掻きだ、それ以外の外傷はない」
「その他にガーディアンが三体おしゃかになった。こっちは全身ズタズタに切り裂かれていた。手口から見て侵入者は一人と考えていいと思う。かなりの使い手だな。周囲を破壊せずに確実に標的のみを仕留めている」
懐から取り出した書類の一枚目を一気に半分ほど読み上げた。
彼が顔を上げるのを待ってから、仮面の男は組んだ手を解きながら問うた。
「……それに、該当する人物は……」
彼は書類を数枚飛ばして、開いたページを読み上げた。
「死体の傷に残留魔力はなかったから術士ではないが、得物からの特定は難しいな。鋭利な何かだと思うが、それがただの刃物か、古代兵器かは不明だ。可能性のある高額の賞金首を何人かリストアップしているが、おそらく無駄だろう。あそこまでの使い手が賞金首リストに乗るなんてヘマはしないだろうからな。それとも何か心当たりでもあるのか?」
男は考え込むように解いた指で仮面の縁をなぞってから答えた。
「……いいえ、今は、特に……。……ですが、相手は一人ではない、と思います…。…結界が、破られたということは…治安機構の監視システムが、機能しなかったのですか……?」
「いや、正常に作動していた。デュハルも言っていたがネットワークにも乱れは全くなかった。それなのに、捕らえ損ねた。侵入者を目撃した者がいたかどうかも不明だ」
「――まあ、恐らくいないだろうがな。いたとしても消されているだろう。だが、どうして侵入者は一人でないと?」
彼の問いに男は首を振った。
「いえ…、おそらく侵入者は一人、でしょう。多人数で、森を侵せば…それだけ、こちらに、顔を見られる確率が増します。」
「しかし…監視システムにかからなかった、ということは…他に、侵入者を援護して、システムから目を逸らさせた者がいたと、いうことです……その内のどちらかは、治安機構の監視システムに詳しい……内部犯の可能性が、強いと思います…」
「なるほど。殺害犯と結界を破った人物は別々ということか……。しかし連盟の者が関わっていたとなるとやっかいな話になりそうだな」
男の意見に頷いて、めくった書類を戻す。仮面の男は、青白く陰気に湿気る天井を見上げて言葉を続けた。
「結界が、破られたといっても…、彼女が、完全に復活した…ということではありません。まだ時間は、残されています。それまでに我々は…準備を整えねば、なりません……」
「……そうか、今まで水面下で進んでいた例の計画がついに本格的に動き始めた、ということか。 そういえばここ数週間ロベルトを見かけないが、彼もそのための任務をしていると?」
「…そうです。彼には、計画の核となる、重要な任務を依頼しています……」
「それは大いに結構。だが、いつも上の承諾なしに勝手に任務を指示するのは控えてほしいな。いくら極秘任務とはいえ我々は独立した機関でないのだから、規則を守ってもらわないと後々幹部から愚痴を聞かされるのはいつも私だ」
彼は男が嘲笑の仮面の下で笑ったのを感じた。この男の感情を見たのは初めてのような気がする。今までの彼の顔はまるで仮面と一体化して、もしくは仮面そのものが彼の顔であるかのように、その表情の変化を感じさせたことはなかった。
「すみません…。ですが、それも、遠くない未来に解消されますよ…。私が、この牢獄の呪縛から、解放された時にね…。それは同時に、彼女の完全な復活も……意味しますが…」
そう言って指と指を合わせる男の手は、前に見た時よりも血の気を取り戻しているように見えた。
それでもまだそれは青ざめた死人の手ではあったが。
彼は書類を傍の卓上において別の質問に移った。この男の管轄外のことであったが参考程度にはなるだろうと思ったからだ。
「森の警備はどうするべきだと思う? 治安機構の幹部会議でも意見が割れているのだ。遺跡警備の前衛第四部隊が調査のためにまだ駐屯しているようだが……」
「すぐに引き上げさせた方がいいでしょう」
彼の問いに今までの仮面の男からは考えられないような早さで返事が返ってきた。
やはりこの男の封印も確実に緩んできているようだ。仮面の男は自分の声の速度に驚いたのか少し間を置いてから、元の緩慢な口調で続けた。
「……彼女の封印が解かれたということは、同時に、彼女を封じ込めていたあの森も…同じく呪縛から解かれたということ、です…」
「ご存知でしょうが…あの森は彼女そのもの、彼女自身なのです…。もうしばらく時が経てば…あの森は彼女の支配によって、外界の時間の流れから遮断され…暗き深淵より這い出た、過去の亡者で埋め尽くされるでしょう…」
「空間の集束はすでに始まり、森の中心部は時空の狭間に飲み込まれつつあります。もはや治安機構の一部隊の手におえる問題では、ありません……」
「つまり…、このまま駐屯を続ければ、大きな人的被害が出るのは…まず、避けられません…。直ちに、安全線まで、全部隊の引き上げを、デュハル殿に進言いただきたい……」
幹部に進言、ではなく治安機構局長のデュハル・ベルヌーイを直接指名したということは、会議を通すまでもなくそうする必要があるという意味だろう。
この男には似合わぬ深刻な発言に、彼は尋ねた甲斐があったと深く頷いた。
「分かった。ロマンシングタウンまで後退すれば、さすがに大丈夫だろう。そのように伝えておこう」
しばらくして、彼はその牢獄を出た。
空気の胎動すらない螺旋の暗闇を上り始めると、その闇が上に進もうとする彼の体を深淵に引きずり込もうとしている。
螺旋の頂点で彼は歩を止めた。すると申し合わせたように石と石が擦れる音を立てて、彼の頭上に四角形の空が現れた。暗闇に身を置く彼の目にその光は眩しすぎた。
光の世界には輝かしい栄光と賞賛の懐に巧妙に紛れた悪意が潜んでいる。闇の側から見ればそれは陰影を落とし、醜いまでに事物の本質を浮かび上がらせているが、強烈な光に慣れてしまった者はそれに気付くことはない。
例え自分の身が蝕まれていたとしても。
彼は片手でひさしを作りながら石碑の穴から地上へと出た。
そこを囲う鮮やかな草花は虚構で模られた鉄くずの要塞のように感じられた。
しかし彼はため息をつくこともなく、もと来た道を歩き始めた。
彼に絶望は許されていない。
全ては再び流れ始めたのだから。
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