第二十話 詰めが甘い

(仕留めたッ――)


 魔術構成は完璧だった。


 流し込んだ魔力も申し分ない。


 これほどの至近距離からでは反魔術でも構成解除はまず不可能だ。

 ロベルトの身体は炎をまとって後方に吹き飛ばされる。


 ――――はず、だった。


 だが、爆炎の間から飛び出た巨体がバルバリッチャの視界を塞いだ。ロベルトは被弾して失速するどころか、さらに加速してバルバリッチャの間合いに跳び入って来た。


(ばかな、|怒りの赤(ルビカンテ)は確かに直撃したはず――)


 再び構成を組もうと手を掲げたが、ロベルトの右腕が伸びて甲冑を襲う。だがそれもまだ予測範囲内だ。魔力膜で覆われた甲冑は衝撃を吸収して、ロベルトの拳を弾いた。


(今度こそ、かかった!)


 バルバリッチャは会心の笑みを浮かべて、勢い余って彼の脇を抜けていくロベルトの首筋に手を押し付けた。


 これだけの接着状態から魔術を放てばどんなに鍛えぬかれた肉体でも一撃で破壊できる。


 しかし、構成を編んで言霊を発しようとした時、またもバルバリッチャの視線が横にぶれた。


 ロベルトの左拳が交差法で鎧の脇を捉えていたのだ。もろにカウンターを受けたバルバリッチャの身体はきりもみしながら吹き飛んで、激しく地面に叩きつけられ石畳の上を転がった。



「詰めが甘いんだよ、どこまでもな。たった二重の策を張ったくらいで安心するとは、自分の力に溺れすぎだ」


 ロベルトは肩口が少し焦げて煙を上げているコートを脱いで、その肩口に点いた火を叩いて消しながら、地面にうつ伏せに倒れたバルバリッチャを見た。


 彼は腹を押さえながら手を突いて跳ねるように勢いよく立ち上がったが、それは虚勢だったようで両膝が左右に震えている。


「初撃の通常打撃で魔術膜の構成を破壊して、二撃目で通透衝トランスミッションを食らわせた。魔術の直撃を受けても俺が平気だったのは単に身体が頑丈ってのもあるが、このコートは魔法金属糸で編まれた特注品でね。柔い魔術やちょっとの衝撃じゃあ傷すら付かねえ」


 ロベルトは、顔を歪めて血の混じった唾を吐くバルバリッチャを嘲笑うように遠くの霧降山にかかる雲を見上げて続けた。


「お前は俺をはめたつもりだったようだが、所詮は井蛙せいあ。結局、全て俺が上だったってことだ」


 その言葉に吸い込まれるように激昂したバルバリッチャが跳び出す。そしてすぐさまロベルト目がけて突進しながら火炎弾を連発する。


 ロベルトは乱れ飛んで来るそれらを大きく斜めに跳んで避けた。しかし、同時に着弾した火炎弾の凄まじい爆風によろめいて着地でつまずく。


 そこに向かってバルバリッチャは手をかざし、彼の持つありったけの魔力と怒気を込めて叫んだ。


怒りの赤ルビカンテェッ!!!」


 爆炎の中にロベルトの姿が消える。


 しかし、炎が捉えたのはロベルトの投げたコートだった。それに気付く暇もなく、背後に殺気を感じて振り向いたバルバリッチャの顔の中央に大きな拳がめり込んだ。


 鼻血を吹き上げながら倒れこむその腹部をもう一方の拳が突き上げる。バルバリッチャの身体が宙に浮いて、上半身を覆っていた甲冑の接合部の金具が弾け飛び、複数の金属板に分解して彼の体とともに落下していく。


「さて、これで終わりだ。まあ、実力の割は粘ったほうだな」


 ロベルトは言いながら、地面に倒れているバルバリッチャの襟首をつかむ。


「き、貴様……」


 かすれる声で拳を振り上げるがそれは何も生み出さずロベルトの掌の中に収まる。そのまま襟首を掴まれてバルバリッチャの体が引き上げられた。


「さすがにあれだけ見せられりゃあ、お得意の魔術構成も解析済みだぜ? おとなしく捕まって断頭台に消えろ」


 罪人の処刑は通常、縛り首だが賞金首の場合は断頭刑である。それは見せしめの意味が大きい。


「貴様、殺し屋スタッバーか……。賞金稼ぎポットハンターの、腕じゃねえ……」


「はっ。俺が殺し屋だって? お前は眼力もたいしたことはないようだな。殺し屋は今から死んで頂く相手に向かってべらべら無駄話はしねえよ」


 その時、ロベルトの背後に見える壁の破壊された民家からレイの顔が覗いた。彼はロベルトに向かって大声を上げる。


「おーい、おっさん。町長の傷、手当てし終わったぞー」


 それにロベルトはゆっくり振り向く。


「おう、こっちも片付いたところだ」


「俺もそっちに行く」


「だめだ、まだそこに引っ込んでろ」


 その時、襟首を掴まれているバルバリッチャの口の端が緩んだのに彼は気付かなかった。


 バルバリッチャがロベルトの肩越しに手を突き出す。その掌の先には駆けて来るレイの姿がある。


「くッ――」


 ロベルトはその手を撥ねのけたが、すでにバルバリッチャの魔術構成は完成している。解析しようとしたが今までの魔術とは違う。構成を相殺する時間もない。後は言霊を発するだけで魔術は発動する。


 レイは魔術をかわす術を知らない。例え、彼がかわせたとしてもその後ろにある民家が直撃を食らう。そこには負傷した町長がいる。


 ロベルトは瞬時にそこまで考えて、自分が取るべき最善の行動を取った。それがバルバリッチャの思惑通りだということも理解していたが、取るべき手はそれしかない。


 彼は、最後の最後で油断した自分を悔やんだ。



黒の雌鳥ブラック・プーリット!」


 密着した状態から閃光と衝撃波が放たれる。


 ロベルトの身体は強風にあおられた木の葉のように、宙に浮いた。


 そして、向かって来るレイの横を吹き飛ばされて、町長がいる民家を側面から貫通し、その奥の民家の塀に叩き付けられた。


 二方の壁を破壊された民家の半分が音を立てて崩れる。



 バルバリッチャは両手を広げて天を仰ぎ、笑った。


 そして、鼻の下と唇の端に垂れた血を拭い、呆然と立ち尽くすレイを見て興奮気味に荒い口調で言った。


「ガキ、礼を言おう! ――あの筋肉バカ、思ったとおり自分の体で受け止めやがった。お前らを守るためにな! 下らない道徳心が僕を救ったというわけだ」


 レイは呆然と半壊して部屋の中がむき出しになっている民家の方を振り向く。


 バルバリッチャはそれを嘲笑って、彼の背中に言葉を吐いた。


「あいつは即死だ。いくら頑丈でもあれだけの至近距離から魔術の直撃を食らって生きているはずがない。後はお前らを始末して、古代兵器を持ち帰れば全て丸く収まる」


「死んでない!」


 湧き上がってくる恐怖を振り払うように、レイが叫びながら振り返った。


「おっさんも死んでないし、町長も死んでない。まだ誰も死んでない」


「分からない奴だな、言っているだろう。僕はほぼ密着した状態から彼の胸部に最大威力の魔術を放った。衝撃波は直撃した。その時点で内臓破裂、よしんばそこで死んでいなくても壁を二枚貫通した時点で――」


「……まあ、いつ死んだかなどどうでもいい。とにかく彼は死んだ」


 バルバリッチャは次第に冷静さを取り戻した口調で続けた。


「そして、次に死ぬのは君だ」


 レイは木刀を構えて道の中央に立ちふさがった。不思議と恐怖は消えていた。


「俺は死なない」


 腕を組んで立ちはだかる魔術士を瞳で捉えた。


「俺は死なないし、町長も死なない。おっさんも死んでない。全部、俺が護る」


 バルバリッチャはその視線を受け止めて、金髪の少年を見下ろした。


 そして薄い笑みを浮かべる。


「ほう、なかなかの覚悟だな。だが、どんなに頑張ろうが力の差は歴然。僕には勝てない。 君はここで死ぬ」


 言い終ると同時に掌を少年に重ねる。レイは軸足で地面を踏みしめた。


 二人の間をまだ冷たい夜風が流れた。


 しばらくの沈黙の後、止まっていた時間が再び流れ出した。レイの右足は力強く地面を蹴って、彼の身体を鈍色の暗闇へと押し出す。


 バルバリッチャの発した声と共に紅蓮の炎が二人の間の闇を裂く。


 欠けた月だけが何事もなかったかのように、薄雲の間を縫って漂っていた。

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