第十九話 応酬

 ロベルトは視線を下ろして、火炎弾で開いた大穴と自分に挟まれたバルバリッチャの背中を見やる。


 そして煙草を口から離し、燻る火口を彼に向けた。


「――なるほど。感情の激化によって精神を高ぶらせ、魔力を瞬間的に上昇させるってわけか」


怒りの赤ルビカンテたあ、うまく名付けたもんだが、一つ忠告しておく。 そういうやり方は精神力と体力を過剰消耗させ、結果として潜在魔力の低下を招くぜ?」


「ふん。偉そうに言ってくれるがお前も防戦一方じゃないか」


 バルバリッチャはこめかみに青筋を浮かべながらも無理な笑みを作って振り返る。


「大体、この僕に素手で立ち向かおうなど、愚かにも程が――」


「ほう。たいした自信だな。それじゃあ、こっちから行こうか」


 ロベルトはバルバリッチャを見下ろし、煙草を口に戻して革手袋の端を引っ張ってから拳を合わせる。


 その瞬間に彼の身体がバルバリッチャの視界から消えた。


「戦うんなら、楽しませてくれよ。一撃でのされたんじゃあ、こっちが面白くねえ」


 声の続き半分はバルバリッチャの足元から響いた。それに引き込まれた彼の視界には屈んだ姿勢から拳を繰り出そうとするロベルトが映っていた。


(いつの間に…! しかし、この甲冑に拳打は効かな――)


 思考を遮る鈍い音が体の中に響いて、バルバリッチャの視界は反転した。遅れて痛覚が他の四感を支配する。身体が石畳に叩きつけられたのが分かった。


「がっ……ぐ―――!?」


 思わず息が漏れる。鎧に手をやるが破損はしていない。しかし、その下の腹部には激痛が留まっている。

 起き上がろうとするバルバリッチャの頭に声が降って来た。


「どうだ。効いただろう?」


 腹部を押さえながらも反射的に後方に飛び下がる。ロベルトはそれを目で追って、自分の拳を撫でながら言った。


「今のは通透衝トランスミッション。手前にある物質を無視して、衝撃をより深部に直接伝導させる技術スキルだ。本来は外傷を残さず相手を殺すために暗殺術で編み出された技だが、お前のように防具で身を固めた相手を倒すのにも使える」


「まあ、お前の場合、思ったよりも甲冑が分厚かったから肋骨にひびが入ったぐらいで済んだようだが、生身の肉体に当てれば内臓ぐらいわけなく潰せる。甲冑着込んでりゃ拳打が効かねえなんて、とんだ素人の浅知恵だな。それにそんな重量のものを着込んでりゃ、当然動きも鈍る」


 バルバリッチャは舌打ちをした。


 この男、思った以上にできる。今の打撃技術といい、賞金稼ぎだとしても並みの腕ではない。魔術を寸前でかわせたのは、対魔術士戦用の戦闘訓練を積んでいるからだろう。


 バルバリッチャの場合、魔術発動の際に目標捕捉の確たるイメージを得るために掌を相手に向けている。魔術の標的は魔術構成自体に組み込まれてるため、魔術が発動してから回避するには構成が及ばない範囲に逃れるか、その構成自体を強制的に解除させて現象の発生を止めるかのどちらかしかない。


 対魔術士用の訓練というのは、魔術を回避するのではなく、相手の魔術構成に正対する魔術構成を流し込み、魔術構成を相殺して魔術自体を消滅、あるいは欠陥させて射程範囲を狭め回避しやすくするものである。


 ほとんど一種の魔術だが、魔術とは違って構成を組むだけで発動させるわけではないので言霊や大きな精神力を必要としないし、魔術構成にわずかであれ反構成をねじ込むことができれば魔術精度はその分落ちる。また、いかなる強力な魔術でも完璧な反構成を流し込めば消滅させることができる。


 俗に反魔術アンチマジックとか白崩術アスプロージョンとか呼ばれる。


 しかしながら、魔術構成を解除するには当然その構成内容を理解しなければならず、魔術の知識と素質、つまり精神力を魔力に転化させる能力が必要で、それを持つのは最も簡単なところでは魔術士である。


 元来、相手の魔術を無効化する魔術が発展して一つの戦闘技術となったものなので、述べたとおり職種別に見ればその習得者は魔術士が一番多い。


 とはいえ、瞬間的に組まれた魔術構成を正確に読み取り、自分に魔術が届く前にそれに対応する構成を編むというのは相当に高度な技術であり、初見の魔術を完全に消滅させるというのはよほど熟練の術士でない限り不可能に近い。


白の礼讃ホーリー・プライズ……」


 バルバリッチャが顔を歪めながらも呻くと、彼の腹に当てた手のひらから淡い光が漏れた。


 腹部の痛みが徐々に和らいでいく。


「ほう、治癒魔術も使えるか。しかし魔術じゃ骨折は治せても、内臓へのダメージは完全には癒せないぜ」


 ロベルトの言うとおりだ。治癒魔術というのは再生能力を増幅させて間接的に傷を癒すものだから、治療にも限界があるし疲労や蓄積したダメージは消せないどころか、傷の再生に使った分だけ体力を消耗してしまう。


 腹部に留まっていた局部的な痛みはなくなったが、その奥に鈍い重みが残っている。どうやらそこまで計算尽くして攻撃をしていたらしい。


「……久しぶりに面白い相手だ。本気でやってやろうじゃないか」


 苛立ちを押さえてバルバリッチャはゆっくりと上体を起こし、目の前で悠々と煙草をふかしている銀髪の大男を見上げた。


「へえ、やってみな」


 ロベルトは煙草を口から離して指で弾いた。その顔には余裕がある。


 火口が連なる円の残像を描いて足元の血だまりの中に消えた。同時にバルバリッチャが獣のように低く跳んで間合いを取る。そして、自分の甲冑の胸部に手を当て、叫んだ。


緑青の障壁ヴァーディグリス・ウォール!」


 手のひらを中心に透明な緑の光片が溢れ出した。

 それらはまるでパズルのように放射線状に組みあがって鋼の甲冑の表面を覆う。


「防御系の保護魔術か。まあ、懸命な選択だが…」


 落ち着いた呟きと同時にロベルトが動いた。軸足で蹴った地面の石畳が、その衝撃に耐えきれず剥がれ飛ぶ。


(く…、でかい図体のくせに何てスピードで動きやがる)


 バルバリッチャは慌てて胸に当てた手を迫ってくる巨体に向ける。


 相手が突っ込んで来る分、引きつけて魔術で迎撃すればかわされにくい。彼は最も得意とする構成を組んだ。そして意志を言霊に乗せる。


怒りの赤ルビカンテ!!」


 掌から空気の渦を巻いて生じた炎の塊は向かって来る男の肉体を正面から捉える。オレンジ色の閃光が走って、爆音が響いた。

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