第十五話 攻守逆転
「今更だが、覚悟はできているか。レイモンド」
正面を向いたまま背中を合わせた彼に問う。
「当たり前だ。――それより、レイでいいよ。レイモンドなんて呼ばれ慣れてないから、なんかこう、むずがゆいな」
彼は首の辺りをかきながら、やはり振り返らずに答えた。そして木刀を壱の型に構える。
「それより、おっさんは何だ」
「あ?何が」
「名前」
「――ああ、俺はロベルト・ディアマンだ。おっさんなんて二度と呼ぶんじゃねーぞ」
「ああ、分かったぞ、ロベルトのおっさん」
「……言ったそばから――」
その時、ロベルトの刺すような視線に耐えられなくなった正面の男が、叫びながら細身の剣を降りかぶって飛びかかって来た。
ロベルトは一歩踏み込んだ。
男の剣が振り下ろされるより先に、拳が正面から顔にめり込む。鼻血を吹き上げながら、男の体は後ろに吹き飛んだ。ロベルトは何事もなかったかのように言葉を続ける。
「――おっさん、おっさんって何度も言ってんじゃねえ。おっさんてのはな、三十路超えた親父面のことを言うんだよ。何度も言わせんな。俺はまだ、二十七だ」
「三十と二十七て、そんなに大差ないぞ……」
レイは半眼で呟いたが、ロベルトはそれを無視したのか聞こえていないのか、それには何も返さずに再び拳を構えた。
「いいか、レイ。敵の数は向こうのキノコ頭を除いて、下っ端が十九人。お前の向かいにいるのが八人で、こっちが十一人だ。そっちはお前に任せる。俺に加勢はしなくていいから自分の身は自分で守れ。分かったな」
「おう、了解」
こともなげにレイは言う。それを振り返ってロベルトは畏怖にも似た感情を覚えた。
(――こいつ、何者だ? 九郎殿の弟子だってのは分かった。この歳で剣の腕も皆伝並だ。九郎殿は弟子をめったに取らないことで有名だったが、確かにその目に適うだけのものはある)
(…だが、剣術と戦闘術は別物だ。どんなに稽古を積んだとしても、いきなりの実戦では思うとおりに動けないものだ。 ……しかし、こいつは木刀で真剣に立ち向かっているのに恐怖にかけらも持っていない。いや、それどころか戦闘を楽しんでいる風にも見える。いくら烏丸流が一流の実戦剣術だと言っても、稽古だけでここまでの動きと精神力が身につけられるものなのか…?)
ロベルトはレイが野盗の中に突っ込んでいくのを背中で見ながら、目の前に迫ってくる剣の切っ先を左手の甲で軽く払いのけた。勢い余って突っ込んでくる男の腹部に左からボディーブローが入る。男は体を捻らせながら苦悶の表情で崩れる。
(何にしろ、かなりの使い手だ。こんな田舎町で腐らせておくのはあまりに惜しいな。もう少し大きな町にいたならば、騎士団から確実にスカウトされていただろうに)
その間にも金髪の少年の木刀は闇を舞って、二人の鳩尾と腕を交互に打っている。鳩尾を突かれた男はその場に倒れた。もう一人は剣を落としたが、すぐに逆の手で腰布に挿された短銃を抜いた。
そして、目の前のレイの額に突きつける。すぐさま引き金が引かれた。
銃声が闇に響いたが、それとほぼ同時に男は足を取られて倒れこんだ。
レイは瞬間に屈んで銃弾をかわし、男のすねを払っていた。仰向けに倒れた男の鳩尾に木刀の切っ先が突き立てられる。男は腹から空気の抜けるような声を出して悶絶した。
つられるようにレイの背後で大剣を振りかぶっていた男が、その剣を後ろに落とした。
そして被弾して血のにじんだ肩口を押さえてひざまずく。すぐさま反転したレイの木刀が男の顔を捉える。男は横に殴り飛ばされて石畳を滑る。
ロベルトはその光景を横目で見て唖然としていた。
(おいおい、かわしただと? あんな至近距離から撃たれた銃弾を避けやがった!)
レイが銃口を突きつけられた時点で助けなければと思ったが、目の前の二人の相手をするのに精一杯でそこまでの余裕はなかった。
次々に繰り出される三本の剣を避けながら、自分の身は自分で守れと言ったのだから殺されるのも仕方ないと覚悟したのだが、それは全くの無意味だった。
(こういう場合、避弾術じゃ横に顔を反らしてかわすのが定法だ。屈んだんじゃ移動距離が大きいから最も危険な避け方だ。まあ、もっともあいつが避弾術なんて知っているわけがないが、額に銃を突きつけられた状態から屈んで銃弾をかわすなんて、どういう反射神経してやがる……)
そこまで考えて視線を前に戻して、振り下ろされた剣を無造作に素手で受け止めた。次に横から払われた剣を空いた右手でつかんだ。峰を握っているので手に傷は負っていない。
そして両手に力を入れる。すると、鉄の刀身に彼の指がめり込み、二本の剣が刀身の中ほどから真っ二つに折れた。
「脆いな。駄作だぜ」
にやりと笑って、驚く二人の男を交互に殴り倒す。さらに右手にいるもう一人に足刀を放った。男は剣の刃を片手で抑えて立て、蹴りを防ごうとしたが、剣は真っ二つに折れて腹部にロベルトの黒靴がめり込む。
「残念だったな。鋼板入りの靴底だ」
そう言って倒れ掛かってきた男の襟をつかんで横に払いのける。男はどさりと地面に倒れた。
ロベルトは顔を上げた。その視線の先には武器を構えた複数の男がいる。
「さて、お前らまだやる気か? その程度の実力じゃあ、何人群れても勝負にならんと思うが」
その声に男らの身体がびくりと震える。中には剣の柄を握る手ががたがたと震えている者もある。
しかし、彼らは退かない。
いや、正確に言うと彼らは退けないのだろう。ロベルトは震える彼らの後ろで腕を組んで立っている魔術士を見た。
顔はうつむいてこちらを向いていないが、その殺気は執拗なまでの粘り気を持って彼らに向けられている。
「……なるほどな。結局は恐怖で支配してるってわけかよ。まあ、野盗の結束力なんて大概はそんなもんだが」
ロベルトの呟きと同時に奥にいた男が脇に剣を構えて、声にならぬ叫びを上げて突っ込んで来た。ロベルトは半身だけ動いてそれをかわす。すれ違いざまに男の腹に膝がめり込んだ。
「さてと……。一気に片付けるか。俺には他にやることがあるしな。かかってくるのなら慈悲はねえぞ」
そう呟いて、彼は煙草の端を噛み潰した。むせるような苦味が口の中に広がる。その感覚が彼に生きていることの意味を再感させる。
ロベルト・ディアマンの身体が月闇に這った。
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