第十三話 遅れてきた加勢
音が聞こえた。
顎鬚の男の耳に剣を振り下ろした音ではない別の、空気が裂けるような鋭い音が聞こえた。
次の瞬間、何かが砕け散る音とともに、右腹部、というより身体の側面全体に強烈な衝撃が走った。
同時に彼の身体は真横に吹き飛ばされて、民家の壁に激しく打ちつけられた。
顎鬚の手を離れた長剣が円を描きながら宙を舞い、バルバリッチャの足元に突き刺さった。
横手の路地から、剣を振りかぶっていた顎鬚の男目がけて水樽が飛んできたのだ。
並みのスピードではない。しかも樽は未使用で並々の水が入っていたから、 例え飛んで来る水樽に気付いて剣を構えたとしても、到底防げなかっただろう。
壁に叩きつけられたずぶ濡れの身体がずるりと落ちて、重力法則に抗することなくそのまま横に倒れる。白塗りの壁に放射線状に走った亀裂が衝突の激しさを物語っている。
バルバリッチャは自分の足元に突き刺さっている長剣を見下ろした。
そこはたまたま地面がむき出しになっていた場所だったからよかったものの、石畳の上に落ちていたら跳ねた刃が彼の身体に突き刺さっていたかも知れない。
それから、彼は水樽が飛んできた路地のほうを見やった。
民家と民家の間の暗闇から、大男がボサボサの銀髪の頭を掻きながらゆっくりと出てきた。
襟飾りのついた革のコートの下に戦闘服を着込んでいるようだが、腰に武器を帯びておらず、手にも何も持っていない。
「どうした、ニコラ。ひどい格好だな」
ロベルトは呑気に言って、血だまりの中に倒れている町長に歩み寄った。町長は目線だけを彼に向け、かすれる声で返した。
「君のほうこそ、随分、遅いじゃないか……」
彼の両脇からはまだ血が溢れ出ている。真っ白だったはずのシャツは血を吸い込んで赤く染まっている。
ロベルトはその傍に屈みこんで、傷に触らぬよう注意しながら町長の体を起こした。そして民家の壁にもたれかけさせる。
「駆けつける途中で路地に入り込んでしまったのだ。近道をしようとしたのがいけなかった。九郎殿は出かけているらしい。――しかし、ひどい出血だな」
言いながら、懐から小さな布の袋を取り出す。そして、その中から朱色の丸薬を三粒つかんだ。
「飲み込め」
半ば開いたままの町長の口に押し込む。これは薬草と
「傷は深くに達していない。見た感じでは内臓も無事だ。血止めをしておけば命に別状はないだろう。傷口は縫合しなければならないが、それは後だ」
ロベルトは立ち上がって、広場の方向を向いた。ローブを着た妙な髪形の男と、その後ろに大勢の野盗が武器を構えて攻撃態勢をとっている。
「ん、お前は――」
ロベルトはローブのキノコ頭の男に見覚えがあった。
「確か、霧降山脈の周辺を根城にしている野盗団、マッシュウ兄弟の弟の方、だったか。名前は、魔術士バルバー……いやバルバリー、違うな、バルバリットー、――でもないな、まあいい。とにかく、バルバなんとか・マッシュウ、だな」
「バルバリッチャだ」
バルバリッチャは不機嫌に抑揚のない声で訂正する。ロベルトはさらに頭の中で、賞金首リストをめくった。
「懸賞額は、
賞金首の平均懸賞金額がおよそ百五十マモンだから、三百六十マモンという額はそこそこの賞金首だ。ちなみに宿屋五泊が一マモン前後である。
懸賞金というのは、一般に使われるルフォー硬貨ではなく、一ランク上のマモン金貨で大世界連盟から支払われる。
それは、金貨のほうが大金の支払いがしやすいのが第一の理由だが、金貨が一番、物価変動の影響を受けにくい、信用のできる貨幣だということもある。
一マモン=百ルフォーが通常の為替で、貨幣製造年の金含有率によって多少左右されるが、先にも述べたようにその価値は殆ど一定している。
硬貨の単位、ルフォーは鉄鉱石の採掘量世界一のルフォー鉱山から、金貨の単位、マモンはこの金貨にマモンという金の悪魔の絵柄が入っていることに、それぞれ由来する。
ここエクベルト王国は強力な軍事力こそ持たないものの、領内にルフォー鉱山を有することから通貨発行に一定の権限を持っており、連盟内での大きなアドバンテージとなっている。
「貴様、
バルバリッチャは吐き捨てるように言って、ロベルトを睨んだ。
「ああ? ……まあ、
彼はそんなことはどうでもいいといった面持ちで、胸のポケットから煙草を取り出してくわえた。そして、マッチで火を点ける。
「――とにかく、面白くもねえ野盗がこんな田舎町に何の用だ。悪いことは言わん。見逃してやるから、さっさと帰って寝てろ」
それを聞いたバルバリッチャは逆に小馬鹿にした薄笑いを浮かべた。
「貴様の方こそ、素手で我らに挑もうというのか」
「まあな、それで十分だろう。たかが田舎野盗――」
「――――」
今度は、バルバリッチャの顔にはっきりと怒りの表情が表れた。ロベルトはそれをさらに無視して、煙草の煙を吐き出した。宙を漂っていた煙は、やがて月に吸い込まれて消えた。
「今日は、不快なことばかり起こる」
バルバリッチャが吐き捨てるように言った。
「町長とかいう年寄りがこの僕に暴言を吐いた上に斬りかかり、我らが同士を二人斬り殺し、四人を戦闘不能にさせた。さらにお前だ」
三十数人の手下が彼の声に合わせて、一斉に動く。広場の入り口をふさぐように、バルバリッチャの後ろに一列に並んだ。
「包み込んで、なぶり殺してやれ」
冷酷な声と共に人の壁が動き出す。訓練された陣形だ。一糸の乱れもなく変形して、たちまちロベルトの周囲を取り囲んだ。
だが、ロベルトは慌てた様子もない。まるで彼らが目に入っていないかのように、相変わらず月を見上げて煙草をふかしている。
彼の背面にいた、手斧を持った男が痺れを切らして跳びかかった。それにつられて三方から五人が一斉に襲いかかる。
最初にロベルトの間合いに飛び込んだ男の頬に裏拳がめり込んだ。次に、丸太のように太い右腕が伸びて、斜め後ろと右の二人の横っ面を続けて殴り飛ばした。最後に正面の二人の同時の斬撃を体を翻してかわし、左足を振り上げた。
全てが刹那の出来事だった。五人の男は、それぞれ突っ込んで来た方向に吹き飛ばされた。そして地面に落ちる。
「馬鹿ども、
バルバリッチャの叫ぶ声が、続いて跳びかかろうとする男たちを制した。
(危険だな――)
ロベルトは煙草を唇から離し、全方角から彼に狙いを定めて掲げられた短銃を見渡した。
彼の言う危険とは自分の身ではない。彼ら野盗である。
このように囲んだ状況で射撃すれば外れた弾がかなりの確率で向かいにいる仲間に当たる。彼らは気が立って、そんなことにも気付いていないようだ。
だが、ロベルトにとっては有難い。彼にとっては銃弾をかわすのは難しいことではない。
銃は剣と違って一撃の殺傷力は高いが、素直な武器だ。剣は切っ先の向いているほうに斬撃が来るとは限らないが、銃は銃口の向いている方向にしか弾は飛んでこない。
よって、コツをつかめば剣よりも銃弾のほうがかわしやすい。避弾術という専門の戦闘技術もある。
一斉射撃をしてくるなら、さらに好都合だ。この状況なら引き金が引かれた瞬間に身を屈めるだけで、半数以上は相打ちで痛手を負うだろう。
(それより、問題はバルバ……なんとかとかいう魔術士だな。腕はどれほどか知らんが、対魔術士戦というのはどうも好かん。打撃には実じつがあるが、術には実がねえ)
ロベルトは煙草をくわえなおして、だらりと両手を下ろした。
これは誘いだ。囲んでいたほぼ全員がトリガーに指をかける。
(――来るか)
彼が体勢を低くしかけたその時、囲みの一角が破られた。
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