第十二話 決死の抵抗
ニコラの視界の端にもう一人、バンダナの男が彼の左側面で長剣を振りかぶったのが見えた。
押さえつけられていた軍刀の刃を返し、剣を真横に
空を切った長剣は男の手に握られたまま腕ごと地面に落ちた。肩口から血しぶきと短い悲鳴が上がって、男は後ろのめりに倒れる。
ニコラはその様子を確認する間もなく、踏み込んだ足を軸に反転し、勢いに任せて背後の顎鬚の男の逆胴を払う。無防備な腹部に刃が吸い込まれる。
だが、それは鈍い金属音とともに弾かれた。刃の欠片が月の光に飛び散る。
顎鬚は右に数歩よろめいたが、片足で地面を踏みしめて体勢を立て直した。
(くっ……
刀身の中程で刃こぼれした軍刀を血振りして、ニコラは再び構えをとる。
「思ったよりできるな。今の一撃も見事だった。元軍人かと思っていたが、それ以上に戦闘に慣れている。王国の騎士団の元隊員といったところか」
顎鬚の男の推測は鋭い。王国のではないがニコラは騎士団の団員をしていた。
男は一メートル五十センチはあろう長剣を、棒きれでも扱うかのように片手でくるりと回し、ニコラに向かって突きつけた。
この顎鬚の男、元はアイオリス大陸ではそれなりに名の知れた
賞金首を捕らえるより賞金首になったほうが金を稼げるということに気付いたのかもしれない。
賞金稼ぎというと、自由奔放な職業だというイメージがあるのだが実際はそれとは異なる場合が多い。
まず、賞金稼ぎを始めようにも連盟管轄下のハンターギルドの許可証がいるし、試験も難関だ。
試験に通り、賞金稼ぎになったとしても命を懸ける仕事だから、賞金首の仲間から恨みを買う。自分の明日の命も保障されていない。
しかも、大物の賞金首はたいてい徒党を組んでいるから、よほどの腕の賞金稼ぎでないとその賞金を独り占めするのは難しい。並みの賞金稼ぎは仲間を募って、賞金の山分けということになる。
むしろ、大穴の大物より、確実な小物狙いの賞金稼ぎが多いのが現実だ。そういった連中は入手した金も、半分は滞在賃や諸経費に消えてしまう。
懸賞金額ランクの上位には金貨一万枚以上の超大物もいるが、彼らのほとんどは名うての殺し屋かまたは国家級の反逆者で、そんな連中に手を出そうとする程の腕利きの賞金稼ぎは世界に数えるほどしかいないだろう。
よって賞金稼ぎの大半はその日暮らしの生活で、金がある者は腐るほどあるが、ない者は全くない。
そういう安定のない職業だから、彼のようにそれなりの腕を持つ者でも、野盗などに落ちぶれるといったことは珍しくない。
ニコラは顎鬚の話など全く耳に入っていなかった。
彼が考えていたのはたった一つのことだった。
(やはり、どう考えても三十人相手に勝ち目はない。先ほどの攻撃はうまくいったが、それも一度限りだ。次からは警戒して間合いを取って、大勢で一気に仕掛けてくるだろう。 ――だが、奴らを市街地にだけは入れてはならない。住民の中にはまだ避難していない者もいる)
正対していた顎鬚の男が不意に剣を振りかぶって、地面を蹴る。
(とにかく、九郎とロベルトが来るまで、私が時間を稼がねばならない。彼ら二人ならこの程度の野盗、軽く一掃できる。それまでは私が―――)
―――速い。顎鬚の男は一足で町長の間合いを侵す。
ニコラは振り下ろされた長剣を、顔面の直前で辛うじて受け止めた。
しかし、前の一撃とは比べものにならない剣圧だ。踏ん張っている右足が石畳の上をずるずると後ろに下がっていく。
剣を捌こうとするのだが、軍刀の平面から押さえつけられていて、刃を返すことができない。次第に息が上がってきた。
(くッ…本当に私も衰えたものだ。まだ数分しか戦っていないのにこのざまとは。十六年前ならこの程度の相手、一太刀で倒せただろうに……)
顎鬚の男の後ろから剣を持った二人の野盗が駆けてくる。
ニコラがそれにわずかに気をそらした瞬間、顎鬚は長剣を引いて軍刀の下に滑り込ませた。
そして一気に振り上げて町長の軍刀を弾き上げる。
(しまった!)
後悔したがもう遅い。顎鬚の男の背後から駆けてきた二人は、左右に分かれてニコラの側面に回りこんでいる。そして、両手を上げた状態の彼の無防備な脇に目がけて同時に剣を払った。
肉を裂く音がして、その両脇から鮮血が吹き出る。
しかし、彼は倒れなかった。
最後の執念で軍刀を斜めに振り下ろし、一刀で右側の男の首を刎ね落とした。
吹き上がった血しぶきが町長の横顔を染める。さらに、激痛に耐えながら反対側に踏み込み、もう一人の胸に軍刀を突き立てる。
だが、刺した刀を引き抜こうとして、もう一度力を入れた瞬間に、両脇から大量の血が溢れ出した。
軍刀の柄から指がゆっくりと離れていく。流血とともに体中の力が抜けて、膝をつき、うつ伏せに倒れ込んだ。
次に、首から上を失ってなお、数歩歩いた男が、その次に、軍刀で串刺しにされた男が口からかすれた音を出しながら、倒れた。
「……ふん、無駄な足掻あがきを」
顎鬚の男は鼻で笑って、倒れているニコラに目を落とした。
彼はじわじわと広がっていく血だまりの中で微かに呼吸をしている。
それから顎鬚は顔を上げて辺りを見渡す。
ニコラを除いて、三人の手下が広場から市街地に至る石畳の上に倒れている。
頭のない死体は、まだ体内に血が残っているらしく、首の切断面から時折、小さい血しぶきを上げている。
背中の中央から軍刀が突き出して、屈むようにうつ伏せている男も、すでに事切れているようでぴくりとも動かない。右腕を切り落とされて仰向けに倒れている男は失神しているらしい。
あたり一面はまさに血の海で、あまり心地のよい光景ではない。
「しかし、派手にやってくれたものだ」
バルバリッチャが後ろで腹立たしげに言った。最初に斬られた者も含めれば、戦闘不能者はすでに三十五名中六名。そのうち死者が二人。
本隊でないとは言え、この小さな町の襲撃では予想外の痛手だ。
顎鬚の男は長剣を逆手に持ち直して、月の夜空に振りかざした。
「町長とやら、最後に問う。この町にある、古代兵器について何か知っていることはあるか」
ニコラはその問いに、わずかに顔を上げてかすれる声で答えた。
「この町にそんなものは、ない…。あったとしても、貴様らのような、心弱き者に、古代兵器は扱えん……」
顎鬚の男は口の端を引きつらせながら、剣の切っ先を町長の背中に狙いを定める。
「最後まで無礼な年寄りだな。まあいい、この程度の町、しらみつぶしに探せばすぐに見つかるだろう」
呟くその後ろで、バルバリッチャが右手を振って、早くとどめを刺せという仕草をする。
顎鬚の男は振り返り、こくりとうなずいて掲げた長剣を振りおろした。
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