3

 乗せられた馬車は二頭式のもので、ナンテンは居心地悪く中の座椅子にもたれた。対面には蝶子とアオが座っている。アオが肩に抱いた化生斬りは、ナンテンを警戒するかのようだ。


「それで、あたしに何の用だって言うんだい。よもや、お嬢ちゃんが本気で今晩あたしを買う気じゃないだろう」


 委縮しきりなのはしかし、ナンテンの性に合わない。目を瞬かせた蝶子の手を取ると、ナンテンは自分の豊満な胸元にそれを招き入れた。


「まあ、言われれば、あんたみたいなちんちくりんのおぼこなお嬢ちゃん相手だってやることはやるさ」

「みだりがましい。蝶子に触らないでください。斬りますよ」

「この馬車で? やってみな。切っ先が天井に刺さるのが関の山さ」


 はん、と一笑に付すと、アオが不快そうに目を眇めるのがわかった。馬車の扉のほうをちらりと確認したので、必要とあらば外へ落として斬る気なのだろう。アオ、とたしなめるように蝶子が青年の裾を引いた。


「ナンテンを買ったのは聞きたいことがあったからだよ。斬ってはいけない」

「あたしに? 何をさ」

「『はじまりの男神』」


 蝶子は息をひそめて、その名を口にした。


「『はじまりの男神』の行方を知っている?」


 ナンテンは目を丸くして、次に笑った。


「ずいぶん古い名を持ち出してくるじゃあないか、お嬢さん」


 『はじまりの男神』、別名『常世男神』。いにしえより下御森神社が祀る祭神だ。この中つ国を生み出した二神のかたわれであり、対になる存在として『はじまりの女神』がいる。二神はまた、やおろずの神々を次々に生み出したとされるが、今から五十年前、この閉じた島国が外つ国にひらかれたのと同時に、神々を連れて一斉に深い眠りについた。以来、中つ国で神を見た者はいない。


「だけど、聞いてどうする。見たところ、あんたらは神御寮の人間だろう? 化生退治が仕事のあんたらが、化生以外に何の用があるっていうのさ。よもや、その刀でぶった斬る気かい?」

「そういうつもりはないよ」


 ナンテンの挑発に、蝶子は乗らなかった。灰の眸が、探るようにナンテンを見つめている。間近で見ると、蝶子の眸は灰色ではあったが、内側から淡い紅が薫るような不思議な色合いをしていた。


「『はじまりの男神』には、『こちら』と『あちら』を繋ぐ力があるという。わたしには、『あちら』側に神隠しにあってしまったひとがいるから、なんとかして取り戻す手立てを探しているんだ」

「神隠しねえ」


 ナンテンは嗤い、蝶子の衿をつかみ寄せた。


「そうやって嘆く人間たちはたくさん知っているがね、あんなのはみんな、死んじまったか、あんたを置いて別のところへ行ったんだよ。残念だったねえ、ちんちくりんのお嬢ちゃん。金百も出したのに、無駄足だ」

「蝶子? 扉を開けていいですか。つまみ出して斬り捨てます」

「どうぞ斬りたいなら斬ってごらん! どうせ、飽き飽きしてたんだ。舞ったら舞ったで、またヒルコの奴が毒蜘蛛を持ってやってくるんだし。面倒ったらありゃしないよ!」


 先ほどまでは死にたくないと喚いていたのに急にどうとでもよくなってしまって、ナンテンは吐き捨てた。おそらく先の一件で、蝶子に助けられた形になってしまったのが気に食わなかったのだろう。何度も組んでやってきたのに、逃走するときヒルコがあっさり自分を見捨てたのもこたえた。


「『はじまりの男神』の存在自体は、まやかしじゃあないみたいだね」


 アオとナンテンの応酬をまるで聞いていなかった風に蝶子が言った。


「あんたねえ……」

「それと、さっきのおヒネリの話だけど」


 呆れた顔になるナンテンの左腕を、おもむろに蝶子がつかむ。


「あれは別にいいんだ。この腕を押して舞いきったナンテンをすごいと素直に思っただけだから」


 指先までを覆う袖をめくると、ひとの腕とは異なる、醜い木肌が現れた。ところどころささくれて、南天の黄色い木肌をのぞかせている。

 ナンテンもまた、化生である。

 以前、別の化生斬りに傷つけられた左腕は、小さなささくれひとつであったにもかかわらず、その後も治癒することなくナンテンを蝕み、化生の本性をさらしていた。一部であっても元の姿をひとの子に見られることは屈辱で、ナンテンはぎりりと唇を噛んだ。


「これくらいなら、どうにかできるかな」

「蝶子」


 制止するアオにこたえず、蝶子はナンテンの木肌に唇を触れさせた。それまで終始ナンテンを苛んでいた重い痛みがぬくもりを帯びてしずまっていく。見れば、蝶子に触れられた木肌はなめらかな女の膚に戻っていた。


「なんだこりゃあ……?」

「おヒネリだよ、ナンテン。約束のね」


 小さく笑い、蝶子はナンテンから唇を離した。ふわりと甘やかな花の香がくゆる。舞に向かう前、この少女を見て、うまそうだ、と感じたことをナンテンは思い出した。いったいこの香りはなんだろうと記憶をたどっていると、唐突に馬車が止まった。


「蝶子様。着きました」


 年かさの御者が扉を開いて告げる。

 そう、とうなずき、蝶子はナンテンの背を優しく押した。


「じゃあね、ナンテン。ヒルコによろしく」


 馬車から下りると、そこは下御森神社へと続く石段の前だった。

 夜風に鳥肌のたった左腕をさすって、ナンテンは馬車を振り返る。御者が鞭を打ち、二頭の黒馬が白い息を吐く。不思議な少女と青年を乗せた馬車はしばらくがたごとと車輪の音をさせていたが、やがてそれも夜闇の向こうへぷっつり消えた。

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