超越者

 アルフレッド王子軍野戦陣地、約一刻後。


「賊軍は賊軍だ。騙されていた、脅されていたなどと国が転覆した後に言われても話にならない」

 ダン、と机に拳を打ち付けて、アルフレッド王子は言い切った。

「投降した兵は使わん。それどころか半分以上は処刑すべきだ」

「無茶苦茶を言うね」

 レヴァリアは呆れる。

「リルフェーノ姫。幼くも聡明と称賛される貴女なら兵站の概念くらいはわかるはずだろう。我が軍は我が軍しか養えぬ。急に倍を養うことはできん。これは感情以上に実利の問題だ。魔王との戦いがいつまでかかるかわからぬ以上、安易に兵の規模を広げることは不可能なのだ」

「それで部隊規模を維持するために、投降者は賊軍という認識を断固として堅持し、取り回し可能な規模まで切り詰める……とでも言いたいのかい」

「名目は重要だ。安易に恩赦を与えた後で撤回は利かんのだ。既に国は体を成さず、我々に余裕などない。……その上に、すぐに魔王に尻尾を振って生き延びたものたちを信じて指揮するなど不可能だ。信用ならない味方は敵より害悪と昔から言うではないか」

「現実が見えているような気になっているわけだね。そして自分の手腕を見せたくて仕方がないと。……全く。度し難い」

「リルフェーノ姫。いかに我が国がこの体たらくとはいえ、暴言は聞き捨てならん。そもそも魔王の気まぐれで我々が先に被害者となっただけで、貴国が泣いてすがる側になってもおかしくなかったのだ。馬鹿にした態度は理不尽だろう」

「いいかい坊や。現実を正確に認識させてやろう」

 レヴァリアは夏草の床を無遠慮に歩を進め、わざわざモルバから荷馬車に乗せて運んできたであろう、屋外には不似合いな立派な机に手のひらを叩き付けてアルフレッド王子を睨み据える。

「君の軍勢はこの戦い、何の役にも立ちはしない。合流した兵たちも然り。まだ君が指揮して戦争をするつもりでいるなんて滑稽だよ。いいか。魔王に……いや、超越者にとって常人の軍はもはやよく踊る虫けらでしかない。君は退屈な魔王に、もっとも笑えるパフォーマンスを見せようとしているだけだ。賢しらに身内を殺戮し、全く無意味無価値なことのために、この国の王者たる資格を投げ捨てるという、最悪の喜劇をね」

「……何を言っている、姫。言葉の意味が分かっているのか」

「……あぁ、ここまで黙っていて済まなかった。この国では君の生まれる前にいなくなったんだったね。気付く気配もないわけだよ。……僕はね、君より980年は長く生きている。ランディウス王の末娘リルフェーノ姫は僕の影武者。僕の名はレヴァリア。かの国の始祖たる魔族だよ」

 レヴァリアは冷めた目で自己紹介をし、指を鳴らして着ていたドレスを一瞬で消し、次の瞬間に魔族らしい脅しの利いた怪しげなローブに瞬時に着替えてみせる。

 実物の服を消し、取り寄せる。それをスムーズにやってみせるだけでも魔術の腕は相当なもの。アルフレッド王子や控えていた護衛兵が息を飲むのも道理だった。

「君がこの兵たちで考えるべきことは、ジェイナスやファルネリアが魔王に勝った後のことだ。魔王の恐怖に乱れ切った国を平定し、再び王政を立て直すためにはどれだけの兵数があっても過ぎることなんかない。全部まとめてモルバまで下げ、なんならセネスやベルマーダに金を借りてでも維持する価値があるのが、この兵数だ。寝ぼけて間引きなんか考えるんじゃないよ。君らが潰れたらアスラゲイト一強時代じゃないか」

「……ま、魔族……貴様こそアスラゲイトの身内のようなものではないか!」

 今更にそんなことを叫ぶアルフレッド王子に、レヴァリアはほとほと呆れ果てる。

「ああ、君の頭の中では魔族は敵でアスラゲイト側か。いいね、シンプルな対立軸だ。だが現実に僕は君の眼前、守るのは三流勇者と雑兵だけだ。その価値観を堅持して僕を敵とみなしていいのかい?」

「ぐ……」

「現実を見ろ、ボンクラ王子。王族の王族たるを最終的に担保するのは人を束ねることによる暴力だ。その気ならいつでも相手を屈服させられるという保証があるからこそ、他人に自分のための礼儀を強要し、価値観を押し通すことができる。だが今の君はどういう気になっても僕を屈服させることはできない。君は既に裸同然なんだ」

 机の上に手をつき、身を乗り出して、その不自然に大きな瞳で冷たくアルフレッド王子を追い詰めるレヴァリア。

「こういう時に自分の立場を目の前の現実の中に作る努力ができないならば、君に一国の指導者たる資質はない。さあ言ってみろ。目の前の魔族に対し、次に取るべき行動は何だ?」

「く……っ」

 アルフレッド王子は机と同じく豪奢な椅子の上で身をのけ反らせ、しばらく唇を噛み。

「……無知蒙昧ゆえに無礼を言った。許していただきたい」

「…………」

「もしも貴女が敵でないのならば、魔族の叡智をお聞かせ願おう。本当にかの勇者や妹に勝算はあるのか。信じて下がれなどと言われても、それこそ私は一国の命運を預かる立場。横からの知恵に騙されて国を取り戻す戦場を明け渡したとあれば、二度と玉座に上がる資格など誰も認めまい」

「安心しろ。ジェイナスもファルネリアも、盗賊君も負けたなら……もう誰もあの魔王を止められはしないよ。仮にリド大陸の魔族が束になったってね。王子という君の肩書も、その時点で意味を失う」

「……そんな」

「だが勝てたなら、君だけがこの時代を立て直せる。ファルネリアはあの魔王に挑むだけの力を持つが、それゆえにもう魔王と同じようにしか、人々の前に立てないだろう。……人外の力の恐怖から人々が幸福と秩序を取り戻すのは、あくまで人の域にいられる者の導きがなくてはならない。人の域で混迷を収拾するには、結局、君の血がものを言うんだ」

「……な、なるほど……」

「僕が人前に魔族として出ないのもそういうことだ。……君がもし玉座に座ることができれば、その時は改めてよろしくやろうじゃないか。我が国はアスラゲイトへの前衛として、いい関係を結んであげるよ。僕を魔族だと触れ回って糾弾するつもりなら、魔族なりの手段に出るけどね」

「……肝に銘じるとしよう」


       ◇◇◇


 一方、陣幕の外。

 両軍衝突で出た被害者の治療に、マリンとリュノが駆け回っていた。

「派手にやってくれたな、特にチビがヨ」

 ゲイルが被害の有様を見てなんとも言えない顔をした。

 ジェイナスもファルネリアもその神域の力を見せつけたものの、直接は兵に向けなかったため、数百名に上る死傷者はもっぱら突入したメイの拳とロータスの「ロアブレイド」によるものだった。

「ジェイナスを脅しじゃなく戦わせてたら、今頃あっち側は全部くたばってるぜ。号して10万のラーガス軍は半分以上ジェイナスがあの『ボルテクス』で片付けたようなもんだ」

「……マジかヨ」

「それに……戦争だ。敵味方だ。……あっちが武器を向けなきゃならねえのなら、こっちだってやらねえわけにゃいかねえ。そういうもんだろ」

「そうだけどヨ。……なんか不毛な気がするゼ」

 ホークの隣でゲイルは溜め息をつく。

 なんだかんだとマリンについて回ろうとしたのだが、邪魔がられてしまったのだった。

「メイが思い切りよくやってくれたから、みんなビビって逃げてくれたんだ。むしろうまくいったもんだと思うぜ」

「もうちょっとうまくやれなかったのかヨ」

「やれたかもしれねえがそんな義理はねえ。敵は潰す。それだけだ、俺たちは」

「……おっかねえ話だナ」

 パリエスによる魔術無効化アミュレットの力も手に入れ、もはや本人の言う通り、何千人でも止められそうにない領域に到達しつつあるメイ。その力は誰が見ても、人間が到達できる能力を遠く離れ、神域と言わざるを得ない。

 凄さのわかりづらいホークでは脅しにならないので、メイが戦いとなれば驚くほど苛烈な性格になれるのはありがたい。


 そして、それに輪をかけて目覚ましいのがファルネリアだ。

「ライリー。少し『ゴールドウイング』を触らせてもらえませんか」

「えっ……どうしてだい」

「これからの戦いに必要になるかもしれません」

「……触るのはいいが、貸し出すわけにはいかないよ。僕なんかが持っているからあれだけど、国宝だからね」

「触るだけで充分です」

「……?」

 ライリーの「ゴールドウイング」を手に取り、銀のオーラを這わせていくファルネリア。

 それを遡るように「ゴールドウイング」からも金のオーラが伝わり、ファルネリアの身を包んでいく。

 しばらくその神秘的なオーラ交換をしていたファルネリアは、一息ついてその剣をライリーに返し、自分の鞘から「エクステンド・改」を取り出して、模倣する。

 銀の光が剣を覆い、金の光が逆にファルネリアを覆う。

「身体性能喚起の光……メイさんの本気の時のあれは、『ゴールドウイング』の魔術式と同様のものが肉体内部で生成されているのかもしれませんね」

「な、何を言ってるんだい、ファルネリア姫……えっ、あれ……剣はこっちなのに、どうして……?」

「少々複雑な術式ですが……扱えないほどではありません。ありがとうございます、ライリー」

 何が起きているのかさっぱりわからないライリーは、助けを求めるようにジェイナスを見る。

 ジェイナスは軽く肩をすくめた。

「俺もよくは知らない。ファルネリア姫とは今日会ったばかりだ。……事実をそのまま見るなら、ファルネリア姫は魔剣の力を自分自身に写し取る能力を持ってるように見えるが」

「そんなことができるものなのか……? 僕の知ってるファルネリア姫は、もっと、普通の……」

「普通ではいられない体験をしたのですよ」

 ファルネリアは「ゴールドウイング」の魔剣効果で増幅した肉体性能を試すように、軽く膝を曲げ、垂直飛び。

 一気に小さくなる。軽く200フィート以上は跳んでいるだろうか。

 そしてそのまま空中で「エアブラスト・改」の魔剣交差に切り替え、空中を自在に飛び回ってみせる。

「……メチャクチャじゃないか」

「全くな」

「メチャクチャといえば、君もだ。ジェイナス。……あんな恐ろしい威力の魔剣があるなんて聞いたことがないぞ」

「ウチに昔からある奴だがなぁ。……俺以外には不評なんだ。扱い辛いってな」

 ファルネリアが空からフワッと舞い降り、ジェイナスにも手を出す。

「ジェイナス様。あなたの魔剣も触らせてくださいな」

「いいけどな」

 ひょいと「ボルテクス」を渡すジェイナス。

 ファルネリアはそれにも銀のオーラを行き渡らせ……顔をしかめる。

「この魔術式で、あれだけの……さすがジェイナス様」

「触ってわかるものなのかい」

「少し使ってみたんです。……使ったのに気づかれないほど効果が低いなんて」

「コツがあるんだよ。漫然と力を注いだだけじゃ駄目なんだ、こいつは」

 ジェイナスは魔剣を掲げ、グッと力を籠める。途端に周囲に風が渦巻き、真上の雲が吹き飛ぶ。

「さすが……」

「……どっちも理解できないよ、僕には……」

 首を振るライリー。


「……それで、テメェはどうなんだヨ。クソチンピラ」

「あん?」

「みんな強くなってんじゃねえか。俺だって……テメェにビビらない程度には鍛え直した。いや、修羅場を見たつもりだ。……テメェは、ああいう化け物についていけてるのかヨ」

「……ある意味な」

「含みを持たせるんじゃねえヨ。何もわからねえじゃねえかヨ」

「ついてってるよ。……いや。俺の方がもしかしたらヤバイかもしれねぇ」

「……そうか」

「なんだ。見せろとか言わねえのか」

「今さら俺に見栄張ってどうすんだヨ。……誰もテメェに下がれって言わねえんだから、流石に少しは察してるヨ」

 ゲイルは横目でホークを見る。

「そこまで行っても、ジルヴェインは怖いか、クソチンピラ」

「……何言ってんだよ」

「そういうツラだ。……そういうのが本物の……“勇者”の次元、ってことなんだナ」

「何わかったようなこと言ってんだバカ。……俺だってあのナクタ以来会ってねえよ。わからねえんだよ」

 ホークは地面にしゃがみ、そこらの細い草を千切って口に加えて、魔剣使いたちの技術交換を眺める。

 わからない。

 だが、あのギストザークですら「自分ではもう及ばない」とはっきり言い切るほどの力がジルヴェインにはある。

 そして、その力は……おそらく自分たちと根本的に同じ、天井知らずのチカラ。


「……俺たちはひと夏でここまで強くなった。奴も同じだけの時間を過ごしてる。それが気になるだけだ」


 そう。

「破壊神の因子」は、すなわち無限の可能性。

 自分たちは恵まれた。覚醒し、どんどん強くなり始めた。

 だが、その前からギストザークによってお墨付きを与えられるほどのものになっていたジルヴェイン。

 彼の成長が既に終わっているなんて何故言えるだろう。

 真に無限であるならば。いや、言葉遊びの「無限」なんて定義を抜きにしても、魔族たちが震えあがるほどの可能性が人に眠っていて、ジルヴェインがそれをまだまだ追求できるなら。

 目覚め始めたばかりともいえる自分たちで、通用するのだろうか。

「……だけど、勝たなきゃいけねえんだ。あれは、いちゃいけねえ。この最強のロムガルドを簡単に弄ぶような奴は、この大陸には」

「……じゃあヨ」

「あ?」

「テメェらは……どうなるんだ?」

「…………」

 ゲイルの言葉に、しゃがんだまま目も上げずに草の茎を唇で弄ぶ。

 夏空。その彼方にある、秋という近い未来。

「……さあな」


 そこにいるはずの自分たちの姿が、霞んでいく。

 神域を超越した先の生活なんて、この大陸の誰も知らない。

 好きにやるだけだと言い放ちたかったが、もうハイアレスでの盗賊生活も、あるいはアスラゲイトでの帝位簒奪も……女たちとの他愛ない幸せな暮らしも、イメージできはしなかった。

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