悪魔姫の正体

 アルフレッド王子軍はロムガルド北東部モルバに逃れ、そこで臨時政府を名乗って急ピッチで反攻準備を整えていた。

 とはいえ、元々クラトスにおける討伐作戦に国内全体の勇者の七割を差し向けていたため、戦力になりそうなものを手当たり次第にかき集めても大したものではない。

 量産魔剣の数は生き残った勇者全員に5本ずつ回してもまだ余る数となり、それで戦力が充実したといえるのかというと全くそんなことはない。量産魔剣の能力が古の魔剣に大きく劣るのは周知の通りであり、また勇者たちはそもそもにして自分の得意魔剣以外はほとんど扱えない。

 ほとんど何でも使いこなすファルネリアやロータスが特殊なのであって、大抵の勇者は不得意な魔剣をわざわざ練習できる機会すらなかったのだった。

 単独の魔剣使いに多くのことをやらせるのではなく、集団の魔剣攻撃によって一気に勝負を決める戦術構想がロムガルドの勇者運用の基本。量産魔剣が耐久力にも劣るため、そうして使う魔剣を定めることによって消費状況を予測し、生産ペースを調整しやすくなるのも大きなメリットといえた。そうした状況においてマルチタレントはあまり求められてはいなかったのだ。

 しかし、今となっては絶対的に使い手の数が足りていない。

 相手はファルネリアだ。アルフレッド王子にとってはあまりに過ぎた妹。

 屈強にして可憐、清廉にして誠実。あまりに非の打ちどころがなさ過ぎて、そして王子にとっては接点もなさ過ぎて……疎ましくて仕方がなかった、才能とカリスマの塊。

 それが何の魔術の結果か魔王に心酔し、ただでさえロクな者の残っていない勇者を虐殺したのだ。

「もはや誰でも構わん! モルバの者たちに魔剣を握らせよ! 子供や老人、飯炊き女でも、いかなる亜人獣人だとしても魔剣さえ振れれば構わん! 勇者として即座に叙任し、金貨百枚の支度金を渡し、いずれアルダールの勇者の碑に名を刻むことを確約する! もはやこれは国家の問題などではない! 世界の存亡のかかった問題だ! 贅沢など言っていられるものか!」

 アルフレッド王子は腕を振り回して部下に喚く。言うこと自体はもっともだとしても、そのヒステリックな姿は周辺の者たちを先行きの暗い気持ちにさせた。

 隣国レイドラやベルマーダも魔王軍に落とされ、最強の勇者ジェイナスも死に、勇者四天王も王族も死に絶え……もはや世界が助かるとしたら、比較的傷の浅いアスラゲイト帝国が何かの隠し玉を出してくるという妄想のような期待しかない状況。

 ロクな希望もないこんな時だからこそ、最後の王族であるアルフレッド王子には王者の風格を見せて欲しい。

 たとえ戦力が貧相だとしても、アルフレッドが正統なる君主であるという確信があるだけで、部下もまた自分の決死の状況に納得も行くというものだ。

 それが半ば狂乱し、声を裏返らせて罵るように指示出しをしている状況では……。

「失礼」

「誰だ!」

「セネスの者です。王子、この度は国王陛下のご不幸、まこと残念でございました」

「貴公は……黄金騎士! 黄金騎士ライリー! あの七龍殺しのジェイナスにも勝るというセネスの大英雄か!」

「私めには過ぎたお言葉でありますが」

 慇懃に胸に手を当てるライリーは、家伝の黄金鎧を着ている。それでセネスの出身を名乗って間違えるものなどおるまい。

 そして、アルフレッドが哀れなほどに喜ぶのを見て、ライリーもまた「この戦いは酷いものになるな」と直感する。

「我らセネス公国軍、王子の軍勢に加勢いたします。ロムガルドが滅亡となれば我が国も早晩滅ぶは必定。しかし王子あらば、貴国の未来は明るいものと」

「……戦場にするなら他国というわけか。贅沢は言えんとはいえ、複雑なものだ」

「滅相もない。御身の安寧をこそ、我々は願っておりますれば」

 あくまで慇懃に、真面目な無表情を崩さずに俯くライリー。

 本当は堅苦しいことなど嫌いで、こんなことをしたくはないが……もはやここを逃しては後がないのがセネスだ。

 魔剣使いが足りないのはセネスとて同じで、騎士階級以上だけが魔剣を授けられる体裁上、国中合わせても両手に満たない。

 そしてライリーのような若い魔剣使いとなるとさらに少なく、実戦に堪えると目されるのはライリー含めて5人。その全員を、今回の援軍に投入することを公国首脳部は決定した。

 大軍団相手の決戦となれば、味方が少なくなるまで待つのは愚の骨頂。その場限りの同盟としても、とにかく味方の数が揃ううちに出さなければ……押し包まれるばかりの段階になれば、皆、無駄死にになる。

 その理屈はライリーにもよくわかるが、こんな男の下で命を張りたくはなかったな、と、同じ年頃の神経質な青年を見て腹の底で愚痴る。

「我が軍門の下には、もはやロクな勇者が残っていない。早速で悪いがライリー、貴公には先陣を任せたい。勝手と思われるだろうが、戦慣れをしていない我が勇者たちは魔剣を振るうにも猶予が必要だ」

「……仰せのままに」

「敵の中には祖国を裏切り、魔王の軍門に下った不届きな勇者も少なくない。また、魔王はそこらの凡夫を正気と引き換えに魔剣使いにする邪術を使うらしい。厳しい戦いになるが、頼む」

「……は」

 ライリーは内心で溜め息をつく。生きて帰れる戦いではないと覚悟はしていたが……。

(……もう一度、じっくりと絵を描きたかったな。戦いなんて何もかも忘れて、ただ絵の具とキャンバスだけを相手にして、時間も気にしないで……)

 魔王の暴威によって閉ざされつつある世界で、これは贅沢過ぎる夢だろうか、と自問した。


       ◇◇◇


 ホークたちはロドによる操縦で、高速移動陣によってパルマン付近から一気に移動していた。

 12個のジェムで囲われた中に整列し、全員が手などを互いに接触させることで効果範囲を確定。その全員が先頭の術者の舵取りによって、地面から6フィート程度の高さに浮かんで高速移動する。

 時折野生動物や歩行者の頭上をかすめることもあり、ロドがギリギリ抜けられると判定したのか、背の高い藪の上で枝に足が引っかかり、兵士の一人が脱落しそうになったりもする。

 まるで矢のような速度だ、とホークは思う。チョロより本当に速いのではないか、と思ったが、見上げるとチョロは悠々とついて来ていた。地面が近すぎるから体感できる速度が違うだけなのか。

「おい、ロド! どこに向かったらいいのかわかってるのか!?」

「地理の情報は把握している。都市モルバから都市アルダールの間の最短経路に乗り、アルダールに向けて遡って行けば簡単だろう」

「合流地点を追い越してたのに気づかないで終わりってこたないだろうな!?」

「……途中で経路変更されていれば、可能性は否定できない」

「おい!?」

 ホークが焦ると、空でチョロが鳴いた。

「レミリス殿が『任せろ』と言っているようだぞ」

「お前レミリス語がわかるのは知ってたけどチョロ語までわかるのか!?」

「勘だ」

 ロータスの無責任な台詞に思わず手を離して一発はたきたくなるが、そんなことをすれば振り落とされて酷い目に遭うので我慢する。

「実際のところ、事態がどう動いていると見るのが正しいかは確かめるまでわからない。僕らも馬に無理をさせてようやく掴んだ情報だからね。もし君らが見つかる前に両軍が衝突していたら、それでも仕方ないと思っていた」

「そういや、お前らはどうしてパルマンにいたんだ、レヴァリア」

「まさに君らが追い付いて来ていないかと思ったんだよ。いくらジェイナスでも一人で先走るのは上手くない。せっかく君やメイという頼もしい戦力がアテにできるんだ。僕たちは当座のベルマーダ防衛、それが心配ないとなったら君らと合流した後に備えて情報収集、という段取りでやっていた」

「……運よく会えてよかった」

「君らだって僕たち抜きでジルヴェインとやる気ではなかっただろ?」

「まあ……な」

 そのあたり、この魔族は何かと冷静かつしたたかで助かる。

 ジェイナス一人なら特に何も考えずに単身で決戦に向かっていたような気がする。よくも悪くも、ジェイナスに小賢しさは似合わない。

「もうすぐモルバとアルダールを繋ぐ尼僧街道につきます」

「尼僧街道?」

「昔、パリエスの女神官が辿った悲劇の伝説がありまして……それの話はいずれ。とにかくそういう名前の街道なんです」

 さすがに王女だけあって、国内の地理に詳しいファルネリア。

 ゲイルも「尼僧?」と呟いていたのでマイナーな呼び名なのではないか、と少し疑ったが、よく考えればゲイルは頭が悪いのだった。

「そこを北上してる可能性が高いんだな」

「ええ」

「ロド、その街道で止めてくれ。足跡を調べれば大軍が通る前か後かくらいはわかるだろ」

「了解した」


 果たして、尼僧街道は既に足跡が刻まれていた。

「思ったよりモルバ……アルフレッド王子側が先走ってるな」

 足跡からすると、通って行ったのは王子側。つまり、衝突するならばもっと南……アルダールに近い場所だ。それを追うことになる。

「追いつけるかなあ」

「最悪の事態は覚悟しておいた方がいいかもしれぬ。……あのアルフレッド王子が玉砕などせぬと思いたいが」

「急げば間に合うかもね。ま、ロムガルドが弱り過ぎると色々とマズい。ここが国家の体裁をなくして無法地帯になると、大陸全体ではアスラゲイトの一強になってしまうからね。隣国のウチは面倒になる」

 レヴァリアの言葉に少し青い顔をするファルネリア。彼女なりに祖国を賛美することもあったので、体制はともかくとして国土が荒れるのは避けたい事態なのだろう。

「ならば急ごう」

 ロドは首を360度回して再び陣を起動する態勢に入る。


 そして、それからさらに四半刻。

 高速移動陣の前に、広大な平原で両翼を広げ、睨み合うふたつの大軍の姿が見えてきた。

「ロド、もういい。下ろしてくれ。兵士たちはここまでだ」

「了解した」

 ロドが減速し、陣を解く。兵士たちは高速移動が思いのほか疲れたようで、降りると同時に尻餅をついたり膝をついたりして軽い悲鳴を上げた。

 そして、ホークは手を振ってレミリスを呼ぶ。

「レミリス! 敵陣の真ん中までだ!」

 ワイバーンが一声鳴く。

 王子側の軍勢がこちらに気づいてパニックしかける。ワイバーンは一般兵にとっては相当な脅威だ。

 が、それに構っている暇はない。降りてきたチョロにゴンドラをつける手間を考えてそれを却下し、浮遊箱にとりあえず敵陣に飛び込める四人を選んで乗らせる。

 すなわち、メイ、ファルネリア、ロータス、ジェイナス。

 リュノは……敵の真ん中でできることは少ないだろう。

 そしてホーク自身はチョロの背中にいるレミリスの背中にしがみつき、離陸。

「ロドとイレーネ、ゲイルはそこを守れ! レヴァリアは王子にでも接触してくれ!」

「面倒なことをさせるねぇ」

 レヴァリアの愚痴を聞き流す。

 チョロはホークという荷が増えたほかは羽のように軽い浮遊箱を引くだけなので軽快に飛び立ち、すぐに両陣の間まで到達する。

 そして、王子側の最前衛にひときわ目立つ金色の鎧の騎士の姿を認め、あいつは、と呟きつつホークは“祝福”で地面に一息に降りる。

「……君は!」

「しばらくだな、黄金騎士」

 ホークは背を向けて立ち上がりながらライリーに声をかける。

「悪いが、ちょっと邪魔させてもらうぜ」

「何を……」

「ここからは……真打ち登場だ」


 ホークの前に、浮遊箱に取り付いていたメイ、ロータス、ファルネリアが飛び降りてくる。

 そして、最後にふわりとマントを広げながら飛び降りてきた男の姿を見て、兜の中でライリーが呻くような声を上げる。

「……まさか」


「そこまでだ、魔王軍。……この先には俺たちを倒してから行ってもらおう」

 魔剣を鞘から抜き放ち、肩に担ぎながら、勇者は言い放つ。


「…………」

 敵の前衛には、イレーネに勝るとも劣らないほど肌を露出した、それでいて禍々しい意匠の黒い鎧を身に付けた、輝く金髪の美少女が立つ。

 それを目にして、ファルネリアは唇を湿らせ……そして叫ぶ。

「……あなたなのですね。姉上!」

「…………」

 ファルネリアに瓜二つの少女は、同じ顔に酷薄な笑みを浮かべ、片手に握った魔剣から桜色の光を漂わせる。

「今さら亡霊が這い出てきたのかしら。かつて人を惑わせた“勇者姫”の亡霊が」

「っ……私のスペアボディを乗っ取って、私になれたつもりですか!」

 ファルネリアの叫びに、ホークはようやくパズルの余りピースが嵌った音を聞いた心持ちになる。

 どうなったのだろう、と思いながらも忘れていた。ファルネリアが蘇るために作ったもうひとつの魂なき肉体、スペアボディ。

「あなたは偽物。本当のファルネリアは私」

 禍々しい黒のファルネリアは、そう言って魔剣「ブロッサム」の光を増光させる。

「それを証明するのは、強さよ。……強い者が残る、それが世界の摂理。魔王様にさらなる才能を目覚めさせてもらった私に、あなた如きが勝てると思っていて!?」

 光はまばゆい限りに輝き、そして黒のファルネリアが救い上げるように剣を振るえば、集まった桜色の光は莫大な飛沫となって怒涛のようにジェイナスたちを襲う。

 が。


「……いいでしょう」


 ファルネリアは、その光を巨大な蒼い光刃で薙ぎ、叩き伏せるように打ち消した。

 黒いファルネリア……否、アーマントルードが目を見開く。

 ファルネリアはリディックの遺品「オーシャンフューリー」を両手で構え、静かに歩み出す。


「ならば、否定しましょう。あなたの存在を。私を気取るならば、私自身に否定されて果てなさい」


 銀の光に身を包み、少女が魔剣を高々と大上段に掲げる。

 アーマントルードは信じられないものを見る目つきでそれを見て、慌てて左右に向けて指揮杖のように魔剣を振るう。

「あなたたち、行きなさい! 遠慮などすることはない、逆賊の軍ごと、あの偽物を……」

「だからさ……」

 少しうんざりしたようにジェイナスがそれを遮り、剣をおもむろに空に掲げる。

 急激に彼のマントが暴れ出す。


「俺を倒してから、行けって」


 それを、両軍の隙間となる真横に振り下ろす。

 猛烈な「空間の渦」が細い不可視の破壊現象となって、剣に指された先の地面がドドドドドド……と重低音を立てて荒らされ、断ち割られ、炸裂していく。

 そして、彼方にある丘のひとつが跡形もなく吹き飛ぶに至り、敵軍に動揺が走った。

「警告する。俺は『魔王軍』に容赦はしない。……お前たちがそうなのか、そうじゃないか、今答えろ。……この魔剣で手加減はできないからな」

「い、行きなさい! あのようなもの、あのような……!」

 悲鳴のような声を上げるアーマントルードの催促に、何人かの兵士たちはヤケクソのように前に飛び出す。

 それを、まるで瞬間移動のように踏み込んだメイが瞬時に全員殴り飛ばし、敵陣に叩き返す。

 まるで投石機に投げつけられたように自陣の何十人もを巻き込んで吹き飛ぶ兵士たち。

「無駄だよ。……今のあたしたちには、何千人来ようとね」

「っ……」

「ファルネリアさん」

「感謝します。メイさん」

 ファルネリアは「オーシャンフューリー」を掲げ、アーマントルードに斬りかかる。

 動揺しながらもそれを受けるアーマントルード。

「ぎっ……! ば、化け物どもめっ……!」

「ええ。魔王という化け物と戦う勇者は、即ち化け物ですよ。ご存じありませんでしたか姉上。そして……」

 鍔迫り合いから跳ね飛ばし、ファルネリアは低い声で言う。

「その化け物を気取り、心まで化け物になり果てたあなたは、もはや狩られるのみです」

「ほ……ほざけ!!」


「なんだ……あれは」

 呆然と呟く黄金騎士。

 それに対し、ホークは背を向けたまま答える。

「……魔王戦役の向こう側だよ」

「向こう側……?」

「お前が来ちゃいけないところさ。……多分な」

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