ロムガルド転移

 光と共に長距離を転移する体験は、ホークにとっては実質初めてのものだった。

 それは、微睡まどろみに囚われてすぐに覚醒するのにも似た不連続性を持つ感覚で、ホークは転移した先で、自分の身に起きたことが現実かどうか疑ってしまう。

「さ、寒い……!」

 そして、一番に声を上げたのはリュノだった。

「……こりゃあ……驚くな」

 ホークは周囲を見渡す。転移先は広場だったが、地面は差し渡し100ヤード近い硬質の地面で、継ぎ目がない。金属光沢があるわけではないが、かといって石と言い切れるわけでもない。

 粘土にしても粒が感じられず、不思議な素材の地面だった。

 その周囲には森、そして遠い白い連峰。森の木々も寒々しい針葉樹ばかりで、何より真夏だというのに気温はかなりの冷たさだった。

 そして空を見上げれば、まだ朝だったはずなのに随分と日が高い。

「ここがアスラゲイトだってのはわかるが、『跳ぶ』と時間が経つもんなのか?」

「いや、場所が東なだけだ」

 ロータスが首を振る。

「東の方が先に日が昇る。西に行くほど日が落ちるのは遅くなる」

「そういうもんなのか」

「徒歩で動く限りはそう気にする差でもない。時間の経過を正確に計る道具もないからな。だが、そういうものなのだ」

「……改めて、お前が長生きなことを思い知らされるな」

「ホーク殿が興味を持っていなかっただけの知識だ。エルフの知識層や、人間でも魔術師レベルなら知っていて当然の話だ」

「……そうなのかレミリス」

「ん」

 レミリスは淡々と頷いた。

 ホークはなんとも取り残された気分になる。

「リュノ、知ってたか、そういうの」

「し、知っていますが……寒くありませんか」

「確かに涼しいが、そりゃアスラゲイトだからなぁ。国の北の方には一年中地面が凍ってて畑も作れない地方がある、ってのは有名だ」

 それにしてもリュノは寒がり過ぎだと思う。厚着か薄着か、という話ならホークやメイ、そしてイレーネの方が薄着だ。過剰な肌の露出を嫌う神官は、夏でも決して足を出さないのだから。

 ホークは脛や肘から先は出しているし、メイは動きの邪魔にならないように、肩や股関節より先を覆うものはない貫頭衣だ。イレーネなどは夜会服に近いが、胸元露わで腿も大胆に見せている。現在のレヴァリア文化ではこの恰好で表を歩くのは痴女に近いが、誰も指摘できはしない。

「冷え性なのでしょう。幸いにして私は違いますが、姉上が悩んでいるというのは聞いたことがあります」

 そしてファルネリアは、パリエスに復活させて貰った際にとりあえず与えられたままの、ベルマーダの庶民様式。

 ベルマーダは高地なので、どちらかというと寒さに適応していて露出は少なく、酷暑には厳しそうだが……ファルネリアの身分を考えれば、はしたないのはご法度だろう。そういう意味ではちょうどいい。

「姉貴か……そういやどうなったんだろうな、アレ」

 ホークは狂気の姉姫、アーマントルードを思い出す。

 ジルヴェインに最後っ屁で矢を放った際、もののついでで攻撃し、殺したはずだが……ジルヴェインが魔族並みの知識と魔力を有していた場合、復活させるのは容易だろう。

「この先、出てこないとは限りませんね。折しもロムガルドが決戦の地です。父上亡き今、姉上が現れれば従う者も多いでしょう」

「次男坊の兄貴は……あんまり人望ないんだっけか」

「そうは言いませんが……いえ、包み隠しても仕方ありませんね。四兄弟では一番、求心力には欠けると評されていたのも事実です」

 次男アルフレッドは現在、国内に残った唯一の正統な王族だ。

 彼を失えば旗印を傍系にでも求めるしかなくなる。

 もしも殺されたり逃げ出したりしていなければ、アルフレッドが魔王軍に対して構えているはずだった。

「さてさて。さすがにジェイナスはもう着いていると思うが……一人舞台になってないことを祈りたいな。さすがに決戦にそれは気の毒だ」

「次の転移に移ります」

 紋様肌の女魔族ラボアが、再転移の準備を終えたらしく声をかけてくる。

「私はお送りしたところで失礼させていただきます。以降の御用はロドに」

「ついてこないのか」

 ルクラードに残ってしまった長頭の魔族デフォードのことも少し気になった。

 ラボアは首を振る。

「私ではお邪魔になりましょう。それに、私が貴方がたに手を貸す理由も、デフォードと同じではない。ご理解をいただくには、また長い弁解が必要になります」

「……言うつもりはないってか」

「興味がおありならば、全てが済んだ後にでも。幸い、我々には時間は有り余っておりますから」

 イレーネに視線を向けると、イレーネは肩をすくめただけだった。

 改めて、魔族はそれぞれが違う理由で生き、動いているのだ、と実感する。

「それでは、転移します」

 ラボアが魔術式を起動する。

 再び、光がホークの意識を飲み込んでいく。


       ◇◇◇


 次に目覚めたところは完全な暗所だった。

「……メイ、見えるか」

「いちおー。……なんか、洞窟の中? みたい」

 種族的に暗視の利くメイにはしっかり見えているようだが、ホークにはまだ完全に真っ暗にしか見えない。

「ドームを開けます。……転移陣は我々の重要施設ゆえ、ご出発の後に閉めさせていただきます。ご武運を」

「ドーム……?」

 ラボアの声に首をかしげると、すぐに地鳴りのような音がして闇が割れ、光が差し込み始め……そして土砂が降ってくる。

「ホークさん、そこ駄目! こっち!」

「ど、どっちだよ!?」

 メイに手を引っ張られ、ホークは差し込み始めた光と反対側に避難させられる。

 天頂を起点に、闇が扇状に割れていく。それとともに土砂が降り注いでくる。

「きゃああ」

「巨乳殿!」

「どんくさいのう巨乳は」

「……ありがと、チョロ」

 降ってきた土砂をモロにかぶって泥まみれになったリュノ、いちはやく状況を察して逃げていたロータス、そして最初から知っていたように土のかからない場所にいたイレーネ。レミリスは土砂をチョロの翼で受け流していた。

 ファルネリアは幸運にも最初から土砂ゾーンから遠い。

 やがて、空の光が全周の1/4まで広がったところで「ドーム」の開口は終わる。

 どうも小さな山の一部になっていたようで、開いた先にはのどかな田園風景が広がっていた。

「また西に戻ったようだ」

 ロータスが空の日の高さを確かめて言う。

「場所はわかるか」

「セネス国境の近くと言っていたな。少し周囲の地形を調べれば当たりはつけられるはずだ」

「頼む。チョロに飛ばせるにしても方向がわからないとな」

「承知した」

 ロータスが飛び出していき、ホークたちはゾロゾロと「ドーム」から出る。

 それを確認すると、ラボアは言った通りに「ドーム」をすぐに閉め始める。

 振り返ってそれを見送ると、闇の中で彼女の肌の紋様だけがぼんやり光りながら消えていく。

 閉じ切った後には、土砂崩れを起こした単なる斜面にしか見えない土肌だけが残る。

「……そっけねえ奴だな」

「信用せぬのじゃろう。ならば、このくらいの距離感でよかろう」

「まあ、そうなんだけどな」

 イレーネになんともいえない表情を見せてしまうホーク。

 なんだかんだで「王」などとおだて上げられたからには、もうちょっと何かあってもいいんじゃないか、と甘えた気分になっていたのも事実だった。

 周囲の風景を改めて見る。

 どこまでも続く緑の眺め。

 畑や果樹と思われる整った部分もあるが、手つかずと思われるこんもりした緑の塊……森林や低山が多い。

 道はあるが、街道と呼ぶには心もとない広さで、人家らしきものは見えない。

「ド田舎だな」

「真っ正直にレヴァリアから来るよりは早いじゃろう」

「そうだろうが……まずは情報収集したいから大きい街を目指すか。それともジェイナスと合流するためにベルマーダ側に寄るのを優先するか」

 ホークが腕組みをすると、ファルネリアが横から顔を近づけて提案する。

「セネスに近い街ならモルバの街がいいと思います。バーリッツ辺境伯は王国内でも特に文武に優れた方。ロムガルド残党軍が反攻作戦を企てるとするならば、彼の膝元であるモルバは有力な拠点となっているでしょう」

「残党軍か……いや、間違ってないんだろうけど一気に勝ち目薄そうな印象になるな、その呼び方」

 ホークは視線を泳がせながらなんとか冷静に答える。

 ファルネリアの顔の近さが若干プレッシャーだ。あのベルマーダの夜から、ファルネリアは時々こうしてホークにさりげなくアピールしてくる。

 あからさまに避けるとそれはそれで傷つけてしまいそうで下手な反射的行動も出来ず、ホークは敢えて動じていないフリをするしかない。

 そしてメイはそれを見て膨れ、しかしさりげなさとは無縁の直接的アピールしかできず、ホークに無言でくっついてくる。話の流れに対して有効な発言を持っていないので、そうするしかないのだった。

「…………」

「…………」

 ホークを挟んでファルネリアとメイ、どんな視線を交わしているのか。ホークは敢えて確かめることもできない。

 また合体でもしてくれないかなあ、と思う。

 合体したら話が早くなるのかというと全然そんなことはないのだが、板挟みというのは居心地が悪いことこの上ない。

 と。

「ホーク」

 第三の刺客、レミリスが声をかけてきた。

 どう対応しよう、と途方に暮れるが、レミリスはそういう薄ピンクの空気は特に読まない女だった。

「近くに人の集団、いる」

「何?」

「多分、兵隊。……気づいてない」

 チョロの感覚を借りた聴音索敵の結果のようだった。人間よりもはるかに視覚聴覚の鋭いワイバーンの知覚は、先手を打って相手を察知することに優れている。

「……どこの連中だろう。いや、関係ないか。今は」

 例えそれがロムガルド軍だろうと、セネス軍だろうと、魔王軍とやり合うための部隊に間違いはないだろう。

 それならば渡りをつけない手はない。もしも魔王軍ならば……蹴散らしてしまえばいいだけのことだ。

「ホーク殿!」

 折よくロータスも戻ってきた。

「ほぼ確定だ。このあたりはおそらくベルマーダからも近い。パルマンまで一日かからぬといったところだな」

「チョロ情報だ。近くになんか兵隊がいるらしい。接触するぞ」

「わかった。……姫と私で行くのが上策だな。他の者は隠れていてくれ」

 ロータスがファルネリアと頷き合い、レミリスが指した方に駆け出す。

「メイ、俺たちも行こう」

「あの二人なら、普通の兵隊さんなら何百人いても勝てそうだけど……」

「そう言うな。万一ってこともある」

 魔王軍の創造体がいないとも限らない。

「私は着替えてからでいいですか……」

 リュノは泥だらけの服をつまんで情けない顔をしていたので、居残りは彼女とレミリス、イレーネに任せることにする。

 どちらにしろチョロだけは突然出すわけにもいかない。


       ◇◇◇


 ファルネリアとロータスの後を追う。

 そして、ある程度近づいたところでメイと手振りで打ち合わせ、少し高い場所から見守ることにする。

 万一があっても敵を俯瞰できればメイは一足飛びに飛び込めるし、ホークもナイフ投げで援護できる。ガイラムの部下たちからプレゼントされたナイフを確かめ、ホークは兵隊の様子を眺めた。

 兵士の数は40~50名といったところか。兜や武装、旗などはロムガルド軍のものだが、今やそのロムガルドの中央がジルヴェインに掌握され、魔王軍にならざるを得ない者もいるのだから、それが魔王軍か、はたまた反抗するアルフレッド王子側なのか、接触してみなければ判断はできない。

「残党って感じではあるね」

「まあ……今は魔王軍も王子側も、どっちも残党は残党だ」

 それぞれの服装は決して綺麗とは言えない。

 そして誰も彼も疲れた顔をしていた。

 しかし今までの魔王軍は、レイドラ軍の寝返り組を含めて「略奪すること」がモチベーションに繋がっていたが、今のジルヴェインやアーマントルードに従えられている者たちは、そんな楽しみに積極的でなくとも、かつての仲間や臣民に剣を向けざるを得まい。そういう意味ではどちらでも哀れな有様が納得できる。

 そんな彼らの前にまずロータスが顔を見せ、声を張り上げた。

「問う! 貴殿らは魔王軍に与する者か、それとも抗う者か!」

「なっ……」

「なんだあ!?」

 急に現れた真っ黒の不審な女に兵士たちはどよめき、慌てて武器を握る。

 ホークはやっぱりロータスは適任ではなかった気がしてきていた。

「俺が行った方が良かったかもな……いかにも只者じゃねえ不審者よりは、まだチンピラの方が、あいつらも話がしやすそうだ」

「もう言ってもしょうがないじゃん……」

 メイも困った顔で囁く。

 兵士たちは緊張感をみなぎらせてロータスに注目し、次に何を言うのかと身構える。

「…………」

 ロータスは彼らの警戒ぶりを見て、自分が不審者だということを今更思い出したらしい。

 少し困った顔をして、それから「そうだ、最初からこうすればよかったのだ」とはっきりわかる顔をして脇に避ける。

「武器を下ろし控えよ! ロムガルドが第二王女、ファルネリア殿下が戻ったぞ!」

 そして、ファルネリアがロータスの招きに応じて彼らの前に歩み出す。

 それを見て。


「……う、うわあああああ!!」

「逃げろぉぉっ!!」

「“勇者姫”が……“悪魔姫”が、なんでこんなところにいるんだーっ!!」


 兵士たちが武器を投げ出して背を向け、一目散に逃げだした。

「えっ」

 ファルネリアは固まった。

 ロータスも愕然として反応できない。

 ホークとメイもきょとんとして……慌てて高所から駆け下りてメイと二人がかりで兵士を追い、ひとり捕まえる。

「おい! どういうことだ、悪魔姫ってなんだ!」

「だ、誰だお前はぁっ!」

「正義の大盗賊ホーク様だよ!」

「あっ、お前があの」

「知ってんのかよ畜生!!」

「ホークさんホークさん、そこでキレない」

 理不尽な感じに兵士を締め上げたホークをメイが宥め、改めて兵士にメイが質問する。

「あなたたち魔王軍? そうじゃないよね。悪魔姫って何?」

 その異名が、ここにいるファルネリアの復活以降、本人に対してつけられた仇名とも思えない。

 ならば、ファルネリアの名を汚す何かがあったのだ。メイはそう直感していた。

 そして、兵士は頷く。

「ファルネリア姫って……ファルネリア姫っていや、あの魔王の片腕になって勇者を殺しまくって……今や魔王軍の大将軍だろ!?」

「……え、えええ……」

「なんだそりゃあ……」

 ホークとメイは顔を見合わせる。

 その背後にファルネリアとロータスが近づいてきて、兵士はついに失禁してしまった。

「……そういうことか」

「ええ……」

「おい、どういうことだよ」

 ホークは顔を向けて二人に問うと、ロータスとファルネリアは表情を曇らせた。

「どうもこうも、そういうことだ」

「私の偽物……どういう仕組みかはわかりませんが、私の名誉を汚すべくして、“悪魔姫”ファルネリアが作られたということでしょう。おそらく……姉上の手で」

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