暗転

「終わったようじゃな」

 夕闇の中、空を駆けた青の光条と衝撃波に続き、冗談のように飛んでいく巨大なドラゴンの首を見送ったリュノは、ぽつりと呟いたイレーネの声で我に返った。

「何が起きたか……わかるのですか」

「あの龍に立ち向かったのはホークたちじゃ。そして龍は死んだ。何を疑い、訝ることがあるか」

「……人間にこんなことができるはずがありせん。ジェイナスだって……」

「ならば人間ではなくなったのじゃろ」

「……では、何になったと」

「さて。何と名付ければよいか」

 イレーネは答えに困っているようなことを口にしながら、その実、結論は欲していない。ただただ微笑みながら空を見上げる。

「神などという大仰な名が嫌なら、超越者とでも呼ぶか。あるいはそれこそ、勇者と呼ぶのが古よりの習わしかもしれぬ。それはどれも、本質的には似たようなものではないのか」

「そんな……勇者は……人間は」

「狭い見識で遥かの果てを語るな。愚かな女よ。……いや。人というのは、そういうものじゃろうがな」

 リュノの困惑と畏怖は、リュノ自身の価値観の狭さの結果でもあるが、その感性は常人ならば当たり前でもある。

 想像などできるはずがない。

 ほんの数人の、誰一人として二十歳にも達していない子供たちが、山と見まがう巨大生物をロクな助けもなく殺してみせるなど。

 そんなことが、人としてどこまでになればやり遂げられるというのか。

 ……その可能性は、人の中にあってはならないのだ。

 我が子が、街を簡単に滅ぼす化け物よりも恐ろしいモノになるかもしれないと想像をしながら、親は無防備に乳を与えられるだろうか。

 善人とも悪人ともわからない隣人が、その気になればあっという間に何百人を殺し尽くせる力があるかもしれない、と怯えながら、笑顔で生活できるだろうか。

 人という存在が、寄り添い合って暮らさねば生きていけないモノなら、その中に決してあってはならないモノ。

 それが、想像を超えるほどの力というものなのだ。

「ならば、いずれ奴らは……いや」

 イレーネは首を振る。

「その心配より先にやらねばならぬことがある、か」

 そして、油断なく警戒を続けるロータスに声をかける。

「ロータス。巨乳は任せる」

「何をなされる」

「龍は死んだ。じゃが、それだけじゃ」

 イレーネは目を鋭く細める。

「それで何もかも丸く収まるには足らぬ」


       ◇◇◇


 ホークは激しく揺れる石畳に足を取られ、尻餅をついた。

 首なしのドラゴンの巨体が地に伏す衝撃は、それだけで近くのいくつかの家が倒壊するほどだった。

「……や、殺れた……よな?」

 ホークは未だに体から重低音が鳴るドラゴンを見上げつつ呟く。

 それは大きすぎる質量に巨大な骨や鱗が軋み、あるいは壊れていく音であったが、ホークにとっては未だ動こうとする気配にも思える。

「……もう、反応……ない。生きてない」

 傍らでレミリスが言う。同じく地面に足を取られ、四つん這いになっていた。

「……メイは……大丈夫か」

 メイを探そうとしたが、血煙と土煙の向こうからドロドロの姿で駆けてきて、安心すると同時にゲンナリしてしまう。

「やったね、ホークさんっ!」

「お前はあそこの水汲み場でちょっと水被れ。全身真っ赤だぞ」

「うん、ちょっとこれはきつい……けどそこは『やったな』とかそういうのが先でしょー?」

「はいはい。祝勝会は盛大にやろうぜ。結局ベルマーダ行く前にインチキロリから渡された資金、あのまま手つかずだからな」

「それは楽しみにしとくけどさぁ」

 ブツブツ言いながらメイは言われた通りに水汲み場に向かう。

 ドラゴン転倒の激震のせいで石造りの貯水池の水も漏れ始めており、それの修理も大変だろうと思うが、それは住民たちがやることであってホークが手を出すことではない。

「……やっちまったな」

 小さく、三番星くらいまで輝き始めた空を見上げながらつぶやく。

 色々な気持ちが籠もっている。

 あまりの巨大な相手に勝った安堵。

 それ成し得るという自分の確信が「当たってしまった」という一種の困惑、恐怖。

 そしてまた、行きがかりとはいえ英雄と称えられ得る仕事をまたやってしまった、という「悪党」観への葛藤。

 ドラゴンが動き出した時点で住人たちは引き篭もり、あるいはドラゴンから少しでも離れようと逃げ惑っていたので、ホークたちの討伐風景を見ていた者は極めて少ないだろう。この街の住人にはこれからわざわざ説明しないことにはバレないだろうが、しかしリュノはどう納得させたものか。

 リュノは“祝福”すらもまともには理解していないはずだ。メイのパワーアップも、レミリスの能力も含めて、どうやって納得させたものかな、と途方に暮れる。

「……って、まずい、ファルを置きっぱなしだ……! メイ、適当に流してこっち来い! ファルを助けに行くぞ!」

「ちょ、ちょっと待って着替えてからっ」

「馬鹿! こんなとこで景気良く脱ぐな! 人いないからって!」

 血まみれの服を水辺に投げ捨てて、メイはごそごそと着替えを道具袋から出そうとしている。急かしたいホークは近づいたものか後ろを向いたものか悩んでしまう。

 が、そこにスタスタとファルネリアが歩いてきた。

「やりましたね」

「あ……あ、ああ。いや、えっ? お前……勝ったの?」

 普通に話しかけてきたファルネリアに反応が遅れ、不審な動きで二度見してしまうホーク。

「このドラゴンに比べれば大した相手ではありません」

「……え、そうだった……か?」

 そうだったのかもしれない、と少し思うホーク。

 魔族の力は上と下でだいぶ開きがあるのはベルマーダでの戦いでもわかった通りだ。先ほどの爬虫類も思ったほどは強くなかったのかもしれない。

「最大火力もあまり要りませんでしたからね」

「……え、ええと……殺してきた?」

「いけませんでしたか?」

「……いいけど」

 自分で数々の敵を殺しておいて今更だが、メイもファルネリアも本当に敵には容赦ないな、と少し怖くなる。

「お待たせ……って、勝っちゃったのお姫様?」

「私が勝つとやはり不思議でしょうか」

「……ごめん、ちょっと不思議かも。だってナクタでみんなと一緒にやられたシーンしか見てないから」

「少しは成長したんですよ。メイさんの中で一緒に経験も積みましたからね」

 微笑むファルネリア。

 ホークはそっと離れてファルネリアがいた方の路地裏を覗き込みに行ってみる。まさかとは思うが、死んだふりをして魔族がついてきていたりしないか、と思ったのだった。

 ……しばらく行って、戻る。


「おいファル」

「はい?」

「……あれ、お前か?」

「……すみません」

「やりすぎだ」


 ドラゴン転倒の振動に紛れて気付かなかったが、さっきまで路地だった場所は、半円形の破壊痕で跡形もなくなっていた。

 チロチロと火も燃えていて、どれだけ大暴れをしたのか、と背筋が寒くなる光景だった。


       ◇◇◇


 ファルネリアとメイはまだまだ元気だったが、ホークとレミリスはそれぞれ相当消耗してしまっていたので、それぞれに肩を借りつつロータスたちのところへ戻ろうとする。

「どっちから来たか覚えてるか?」

「なんとなくこっちだったような……」

「土地勘のない場所で急いで飛び出してしまいましたからね」

「……迷った?」

「……正直、どの道通ったかはちと自信がない」

 出る時は体高の高いドラゴンを目印にしていたので、場所の間違いようはなかった。しかしそこから元いた場所を探すのは少し難しい。

 見つかりにくいように路地裏を通ってしまったので、余計に正しい道順が分かりづらい。

「こういう時、盗賊ってなんか目印つけたりしながら行くものだったりしないの?」

「盗賊をなんだと思ってるんだよ。あなたの街の探検家じゃねえよ。迷わないコツなんて先によく調べる以外あるか」

「魔術だと、ある。魔術師だけわかる、もやっとしたマーキング」

「……で、お前はそれやったのか、レミリス」

「やってない」

「何の解決にもならねえ」

 あっちこっちに顔を突っ込みながら苦労して元の場所を探していく。

 そんな時、不意にホークは気付く。

「……待て」

「はい?」

 きょとんとするファルネリア。組んだ肩を解き、ホークは路地のずっと先に立つ人影に目を細める。

 もう暗い。だが、目のいいホークはなんとかそのシルエットを判別できた。

「おい。……バルト!」

 ホークは声をかけ……そして、訝しむ。

 視線の先のバルトは、約30ヤードほど先で、こちらを見て微動だにせず立っている。

 しかし、何故……微動だにしていない?

 こちらを見る反応としてはおかしい。

 ホークたちに近寄ってくるか、あるいは考えたくはないが、ドラゴンを結局殺してしまった力を恐れて避けるか。

 それが普通に考えられる反応だ。

 なぜ、止まってこちらを見ている?

 まるで立ちはだかるように。

 ……嫌な予感がした。

「バルト……」

「……ホーク」

 バルトはポケットに手を入れ、うっすらとした逆光で口を開く。


「……無防備にあんな話、するもんじゃねえよな。俺もヤキが回った」


「どういう……」

「なあホーク。……こうするしかねえんだ。わかれとは言わねえが」

 ポケットから手を抜いたバルトは、いつの間にかナイフを手にしていた。

「俺も最低限にしてえんだ。できれば暴れるなよ」

「……っ」

 ザワッ、とホークの第六感が警告を発する。

 一瞬で加速した思考が、バルトの言葉から状況を組み立てようとする。

 あんな話? どれのことだ?

 無防備で困るのは“祝福”……彼に言わせると“烙印”。その話だろう。

 だが、余人には何の話なのかなんてわかりはしないはずだ。

 わかるとすれば……ホークの力を疑っているもの。

 そんなものは、この街に……。

(いる、な……!)

 ジオリードか。

 ホークの力をイレーネ伝いに聞き、警戒し、そして「見物人」を気取った魔族。

 ホークとバルトが何の話をしていたか理解し、そして……バルトが「ヤキが回った」と言わざるを得ないような真似ができる者は、あれだけだ。

 そして、ホークのその力を引き出し、見物し、そのついでに自分たちの計画を頓挫に追い込んだホークたちに復讐……制裁を加えたいと考えたとしたら。

 バルトの今一番の弱点である子供たちあたりをエサにして、バルトをそうせざるを得ない状況に追い込んだとしたら。

 話が、繋がる。

(しかし……どうする、“祝福”は……!)

 ない。今は使い切った後。バルトに先制する力なんて残っていない。

 バルトに先手を取らせれば、ホークは死ぬ。

 どうする。

 どうする、どうする、どうする──!!


「すまねえ」


 いつの間にか。

 音もなくバルトは眼前に現れ、指差すように手を伸ばした先……ホークの胸に、彼のナイフが刺さっている。

 そうか。“祝福”で殺られるというのはこういう感覚なのか、と、ホークは場違いな冷静さで考えてしまう。


 結局、抵抗なんてできなかった。

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