それぞれの神域
城塞都市の夕空はオレンジ色の光に包まれ、やがて藍色の闇が静かに訪れるだろう。
その幽玄な光と闇の中、ファルネリアは蛇にもトカゲにも似た顔を持つ魔族ビルゼフと対峙する。
「……ふむ」
ビルゼフはその目を細めてファルネリアの姿を上から下まで眺め回す。
着ている服は
だが、この14歳の少女から漂う風格はどうしたことだ、とビルゼフは静かに感心している。
存在感が、違う。
闇と光が交じり合うこの時間。ビルゼフが不気味で底知れない闇を連れた存在とするなら、背筋を伸ばして涼やかに剣を斜め下に向けるファルネリアは、色づいた光を背に従えた光の申し子のようではないか。
錯覚かもしれない。しかし、1000年の時経た魔族は確かに少女に威圧されていた。
「……超えたか、“勇者姫”。人が人たる境界線を」
魔族の言葉に、しかし少女は笑みを浮かべて答えず。
「……私は、ずっと自分のいない未来ばかりを夢想していました」
魔剣「ムーンライト」に両の手を添え、柄から持ち上げてくるりと返しながら、想いを口にする。
「豊かな祖国が、魔王のない明日を生きる光景。荒れ果てた村々に笑いが戻り、人々がこの戦いを昔話として語り、いつかその物語の片隅に名を遺す。そんな未来しか、思い描けなかった。しかし」
黄昏の光の中。
黄金の少女は、その身に銀の光を纏う。
それはただの魔剣使いが纏うものではない。
メイと同様、ファルネリアは……その魂に、二人で生き、願い、戦った瞬間の産物を持ち帰っていた。
それはメイの才能ということではなく、ファルネリア本人に隠されていたもうひとつの領域。
ファルネリアの中に眠っていた「戦うための才能」をひとつの人格と見立て、認め、共鳴して引き出す。
それが実現可能なモノであると理解するのに何日かを要したが、ファルネリアは死の淵を見て自己の変容に柔軟になったおかげか、そんな自分の在り方を今や完全に把握し、支配することに成功している。
「私は、なりたい自分を夢見てしまったのです。その世界で、墓碑銘以外に私のいるべき場所を見つけてしまった。そこに至ろうと、願ってしまった。……だから、そこに至るためならば、何にだってなりましょう。魔族のあなたが立ちはだかるなら、魔族を超えるモノにすら、なってみせましょう」
光が「ムーンライト」に、行き渡る。
瞬間、「ムーンライト」は、暴風を発した。
「なっ……!?」
虚を突かれ、ビルゼフは思わず顔を守る。
「ムーンライト」を知るビルゼフにとっては驚愕すべきこと。
それは剣の軌跡に合わせ、三日月型の斬撃を飛ばす剣のはずだった。
だが、ファルネリアは「ムーンライト」から風を放って推進力とし、ビルゼフの背後の壁まで一気に跳躍していた。
そして、振りかぶって一閃。
「くおっ……!」
またも不可解なことが起きる。
「ムーンライト」の切っ先が、伸びた。
予想外の速度で飛んできた一撃を、ビルゼフは人外の敏捷性を以てギリギリでかわす。
ローブの背は削ぐように切り裂かれた。
「なんだ……その……うおおっ!?」
今度は「ムーンライト」が、分裂して飛んでくる。
次々にビルゼフを追って石畳に突き刺さる魔剣は、刺さった傍から爆発四散、回避困難な鋭い小片を撒き散らしてビルゼフを傷つける。
「馬鹿な……それは、違う魔剣の……!」
「そうですね」
スタン、とビルゼフの前に降り立つ“勇者姫”。
「魔剣たちが教えてくれるのです。……魔剣の力は、世界の法則を超えた特別なものではない。その流れ方をこの身が覚えられるのなら、例え木の枝でも応用できる。声なき魔術は、もう私と共にある、と」
「……詠唱も陣もなく、ただ身体記憶と感性だけで魔剣固有の魔術式を再現するというのか……!?」
「できると理解すれば、何ら難しいことではありません」
ファルネリアもまた、自らの枷を外した。
その先にあるものを恐れながら、それでも。
「ホーク様も、メイさんも……そしてこの町に生きる小さな命も。私の思い描いた未来に必要です。ならば、なってみせましょう。魔剣の修羅に」
銀の光が、魔剣を覆う。
それは彼女に蓄積された魔術式であり、彼女の尽きせぬ闘志であり……運命の彼方まで生き抜こうという、野望めいた本能から湧き出す無限のチカラ。
「さあ、ビルゼフ。試し斬らせてもらいますよ。……三重四重、五重の『交差』。手は二本しかないので、今まで考えもしませんでしたが……今の私なら容易い」
「……チィッ。とんでもないものに手を出してしまったな」
爬虫類の顔には表情は浮かばないが、ビルゼフは焦りと共に歓喜を隠せない声を上げた。
「こんな湿気た路地裏で見るのは勿体ないではないか……!」
◇◇◇
ホークは思い描く。
自らの周囲、300ヤードにもわたる「空間」。そこにあるもの全てに手が届くという「仮定」。
それは、正しいのか。
実感が応える。是と。
「……ドラゴン。テメェには同情するぜ。馬鹿に付き合ってこんなところに来させられて……ケチな戦いで終わるためにそんなにデカくなったわけでもないだろうにな」
夕空の下、また巨大な筋肉が重低音を響かせて鳴動し、一度横倒しになったドラゴンが首をもたげてこちらを見ようとする。
暗くなり始めたからこそわかる。その喉奥には次の青い熱線が溜め込まれ始めている。
既に安全な時間は過ぎた。ドラゴンは、撃てる。
そのドラゴンの動きが、軋むように止まった。
そして、まるで糸で操られるように空に不自然に首が向き。
「……レミリスさん!?」
メイの視線の先で、レミリスが膝を突きながら杖にひときわ力を籠めると同時、ドラゴンは空中に蒼の閃光を発射する。
雲が吹き飛び、風が衝撃波めいて四方に広がる。
「……無駄撃ち」
レミリスがしてやったりと呟く。
ワイバーン専門、それも決してトップクラスといえないレベルの使役術士であるレミリスだが、ベルグレプスに与えられたドラゴン用の術式を知らぬまま、独力でワイバーンから高位存在向けに術を発展させ、それを通用させてみせた。
大国アスラゲイトの第四特殊魔術機関が総力を挙げて成し得なかったそれが、奇跡的なまでの偉業であることを理解できるものは、残念ながらこの場にいない。
だが、それで成したことは、ホークとメイには万金に値する好機を与えた。
「……行くぜ、デカブツ……恨むなよ!」
“盗賊の祝福”を、発動する。
本来、このチカラは力む必要などない。
その集中の仕方は、一番効率が悪かった。
「一瞬で行動し、望んだ結果を実現する」という見かけのメリットに騙されていたが、一瞬で終わるのは「結果」であって、「目的」ではなかった。
仮想的な「超高速の世界」に飛び込もうとするあまりに、無駄な疲労が体に襲い掛かっていたのだ。
そこから、正しい認識へと「条件の引き算」をする。
「行動の結果を強引に実現する」。これもまた、近いが違った。
行動をする必要はなかった。いちいち足跡を付けた通りに体を移動させ、そのたびにチカラを無駄遣いしていた。
だが、それが全くの無駄だったわけではない。
自分自身が移動するというイメージは、現実的なチカラの消費量を小刻みに体に問い合わせる効果があった。
「それが実現可能な範囲である」という体の反応と、それを超えてしまうという反応。
その境目を見極め、その時可能な限りの限界行動を実現するためには、一歩ずつ先へと進んでいくイメージも役に立った。
だが結局のところ、本来は必要ない。
自分が動く必要はない。他人にも手が届く必要はない。
「チカラが届く範囲内に移動・操作可能なものがある場合、チカラの足りる範囲で自由に移動・操作できる」。それが正解に最も近い認識になる。
それは手順を必要とせず、即座に実現される。見えている物が正しいのなら、失敗だってあり得ない。
一瞬であることはただの副次効果なのだ。
一瞬でやってみせようと考えることをやめれば、消費は最低限にできる。
だから、ドラゴンにブレスを撃たれるという切迫感を除けたことは、ホークの消耗を抑えるために大いに役に立った。
現在のチカラの量は、ベルグレプスとワイバーン使いの魔術師を空中に放りだした時の消費を引いて約半分。
かつて“吹雪”“砂泡”で使い分けていた時は、このちょうど半分のチカラを均等に使っているのに効果が違うことに疑問を抱いたが、それもそのはずだ。それだけ乱暴な使い方で、無駄が多かったのだ。
ホークはゆっくりと自らに問い合わせながら、ドラゴンの首を半ばで輪切りにすることをイメージする。
ガイラムの短剣なら可能だ。なんだって斬れる。あの巨大なドラゴンの首でさえ、斬れないわけはない。
ホークの信仰にも近い信頼が、実際にドラゴンの首を輪切りにし……いや。
「……メイ、トドメ……頼むっ!」
ドラゴンまでの距離が遠すぎた。遠くで発動し過ぎた。
完全に首を切り離す前、1/4ほど残ったところでチカラが切れてしまった。
ドラゴンの首は血を噴き出したが、その常識を超えた強大な再生力ならば、死んでしまわずに癒着し、治癒してしまう可能性が高い。
情けないが、ホークは最後の一撃をメイに任せることにした。
一瞬の出来事を理解したメイは、親指を立てて頷き、石畳を割るほどの速度で駆ける。
そして。
「終っ……わっ……れぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
首の真下からのサマーソルトキックが、ドラゴンの首を斬り飛ばし、巨大な頭は空中に吹き飛んで……街の外壁に真上から食らいつくように落ちて。
巨大ドラゴンはその体と頭、両方で地響きを立てた。
太陽が地平線に落ちる。
ルクラードの町を襲った未曽有の災いは、太陽の消えるその瞬間に滅びた。
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