巨龍への挑戦

 突如、墜落死した魔術師のワイバーンは、困惑するように滞空していた。

 そこに、動くだけで不気味な音を立てる巨大ドラゴンの視線が向く。

 それから何が起きるかなんて、ワイバーンの方は全く予想できていなかっただろう。


 巨大ドラゴンが口を開き、喉の奥に蒼光が輝きだす。


「ファル! ロータス! ……全員建物の陰に入れ!」

 ホークは叫び、転げるように自分も駆けた。

 全員がホークの言葉に乗った緊迫感に急き立てられ、一斉に魔剣使い二人のもとに駆け寄って路地に滑り込む。

「姫は私より後ろへ! 万一の時は『エビルミラー』で出来る限り偏向させる……!」

「お願いします」

 そう言いながら、ファルネリアは二本の「シールド・改」を交差させ、大規模な魔法無効化フィールドを展開する。

 家屋二つ分は包む程度の大きさがあるが、魔法を受ける前からそれを把握できているのは独特の勘を持つロータスだけだ。

 そして、ワイバーンが慌てて上昇し、逃れようとするのを嘲笑うように、巨大ドラゴンの蒼い収束ブレスが夕空を突き抜くように閃いた。


 ゴバウッ!!


「っっっ!!」

「きゃああっ!」

「伏せて! あたしたちはお守りでちょっとマシなはずだから……!」

 強烈な熱と衝撃が街を駆け、家々の屋根を消失させ、蒼い熱線を軸に暴風が拡散する。

 祈るように魔剣を構えるファルネリアとロータス、しゃがみ込んで悲鳴を上げるリュノ、そしてリュノやレミリスを少しでも守ろうと立って防御姿勢を取るメイ。腕組みをしたまま風に髪を暴れさせ、灼かれるワイバーンを見上げるイレーネ。

 ホークは情けないが“祝福”使用直後のために体が重く、メイほど勇ましい行動はできなかった。壁に背を預け、ファルネリアの「シールド・改」の魔剣交差と地形による防御で足りることを祈るしかない。

 果たして、熱線が空を薙いだのは一呼吸、二呼吸もの時間だったろうか。

 随分長い時間にも思えたが、黒焦げになって石畳に落ちたワイバーンの音が存外近かったことを考えれば、一瞬のことだったのかもしれない。

「……凌げた……か」

 ロータスが呻くように言う。結局「エビルミラー」の出番はなく、それどころか熱線は空を飛ぶワイバーンを狙ったもので、ホークたちの周囲は軸からだいぶ外れていたのだが……それでも、恐ろしい時間だった。

「……かわいそうに」

 レミリスは熱線に狙撃されたワイバーンを見て悲しそうな顔をした。魔法に強いはずのワイバーンだったが、やはり直撃には耐えきれるものではなく、半身は炭化し、片方の足と翼は縮れて砕け散っていた。息はあるが、助かるまい。

「町もメチャクチャだ。一応はあのクソ皇子も配慮して撃ってたらしい」

 ホークは一拍遅れて火事になり始めた街並みを見て舌打ちする。

 その皇子の体は熱線の衝撃の直下にあり、もはや建物の瓦礫に埋もれて見えない。

 生きていようが死んでいようが既に価値はない。ホークはもう頭からベルグレプスの事を追い出した。

「ドラゴンブレスってのはどれだけ連射が効くんだ、イレーネ」

「普通は続けてそう何射もは撃てん。例えは悪いが、小便のように体内に自然に溜まるマナを絞り出す形じゃからの。単純なおかげで、龍が魔法を学ばずとも魔法現象を扱える」

「ってことは、しばらくは近づく隙になると考えていいのか?」

「普通ならばな。……じゃが、あの大きさの龍は前例がない。前にも言ったように図体の巨大化によって生体魔法機関は効率化する傾向がある。どれだけで再発射が可能かは断言できんぞ」

「賭ける価値はあるさ」

 ホークは微笑み、膝を殴って立ち上がる。

“祝福”の変則使用によって、体にどれだけの負担があるのか自分でもわからなくなってきている。

 それでなくても今日はチョロごと熱線を避けた一度目、そしてバルトと交錯した二度目に続き、すでに三度目だ。それぞれにインターバルを置いているとはいえ、蓄積したものと現在進行形で増えたもの、負担がどれだけあって、今からどれだけできるのかは未知数になる。

 だが、敵が偶然でも囮になってくれたなら千載一遇。無理をしてでも突撃する意味はある。

「メイ。……ファル、レミリス。行くぞ」

「うん」

「お供します」

「ん」

 年若い娘たちを連れてホークが駆け出すのを見て、リュノが悲鳴のような声を上げる。

「しょ、正気ですか、ホーク……!」

「正気じゃねえかもしれねえな」

 リュノにそれ以上構うつもりはなかった。

 後詰はロータスに任せる。……イレーネを頼るには大物過ぎる。代償なしでは気が引ける。

 しくじるかもしれないが、その時はその時だ。死んだ後のことまでは図面を引くつもりはない。どうせチンピラの自分より頭のいい誰かが何とかするだろう。

 ホークは路地を駆け、巨大ドラゴンに向かう。


       ◇◇◇


 400フィートの巨体は、巨大な筋肉が鳴動し、分厚く鈍い鱗が引きずり合う重低音を奏で続けている。

 街を支配する阿鼻叫喚と、今まで使役術に縛られていた自我が解放されたことによる形のない憤怒が、巨龍の感覚からホークたちを紛らわせてくれているはず。そう信じて進むしかない。

 ホークたちのいた場所からドラゴンのいる中心地まで1マイル弱。隙を突く、というには長すぎる距離だが、それでも行くしかない。

 安全な時間など、最初からないも同然なのだ。ブレスによって生まれた次の一撃へのインターバルにすがり、「多分」ドラゴンはまだ自分たちを狙わない「気がする」という頼りない可能性に賭けるしかなかった。

「ドラゴンを倒すのは、メイさんとホーク様、二人がかりでなくては無理なのですか」

「わからねえ。一人でもやれるつもりではいるが」

「あたしも」

 ファルネリアの問いに、ホークとメイは真面目にそう言う。

 リュノではないが、正気とは思えない言い草だな、とホークは自分で笑いたくなる。

 メイの拳は強力には違いないが、いくらなんでもあのドラゴンを殺すのは難しいだろう。山を一つ、拳だけで崩すというような話だ。メイはどんな勝算があるというのだろう。

 だが、メイもおそらくホークに同じことを思っているはずだ。高速移動で一体何をしたらドラゴンを殺せるつもりなのか、と。

 だから、ホークは自分を信じる代わり、メイも疑わない。

 馬鹿なことを言う同士だ。そして、馬鹿なことを実現する同士だ。

「ふたりが叩く間、使役術、試す。動き、少し止まるかも」

「少しでも阻害できれば万々歳だな」

 レミリスの「少し」という頼りない力添えも、今のホークたちの乏しい可能性の積み重ねの中では重要だ。この街の大多数である「無力」よりはよほどいい。

「……なるほど。わかりました。……私は別れてもいけそうですね」

「ファル?」

「おでなさい。気づいていますよ。……ジオリードの同類でしょう」

 ファルネリアが立ち止まり、背後に身を翻して鋭い声を投げる。

 ややあって、背後の物陰から爬虫類のような顔をした魔族が姿を現した。

「ほほお。……ロムガルドの勇者姫。そなたが最初に私に気づくとはな」

「魔族の気配の嗅ぎ分け方に慣れてきたのですよ。……邪魔立てするつもりですか」

「あまり好ましくない展開なのでな。あれでもだいぶ手がかかったのだ。見栄えの悪い最期を遂げさせるのは忍びない」

「なるほど、あなたがビルゼフという者ですか」

「ジオリードめ、口の軽い事だ」

 爬虫類顔の魔族ビルゼフは、そう言って袂からズルリと剣を抜く。明らかに入らない長さであり、魔法の道具袋の技術を応用したようだった。

「用件が分かってもらえたからには、少し相手をしてもらうとしようか。噂の勇者姫、どれほどの使い手なのか見てやろう」

「……ホーク様、メイさん……レミリスさん、行ってください」

「ファル!」

「お姫様!」

「時間がありません。ドラゴンには通用しないかもしれませんが、魔族なら私でも時間を稼ぐくらいはできます」

 ファルネリアは腰の鞘から魔剣「ムーンライト」を引き抜く。似た用途の「ロアブレイド」を持つロータスには使い出がないため、借り受けたものだった。

「……ホーク」

 レミリスがホークの背中を押す。

 ホークは魔族を“祝福”で始末するかと悩み、それをやればたとえドラゴンに辿り着いても何もできないと考えて決断する。

 ファルネリアを信じる。

「任せる。もたせてくれ」

「ええ。任されましょう」

 メイはいち早くファルネリアに背を向けて走り出している。信頼しているということなのだろう。

 ホークもその後を追う。後ろ髪を引かれる思いは、しかし、ファルネリアが負ける不安ではなかった。


 ビルゼフに視線を向けた横顔。

 その凛とした美しさに惹かれ、彼女が何をするのか、それを見ていたくなったのだ。

 ここしばらくの彼女がホークと二人きりの時に見せていた、年頃の少女らしく不安にさいなまれ、戸惑い、頼る姿ではない。

 ジェイナスと同じ、絶望を屈服させる光の気配。

 彼女もまた、いつか誰もが自然に「勇者」と呼ぶであろうと確信させる、聖性にも似た、英雄の片鱗。

 ……それも彼女の「本当の姿」なのだと、ホークは改めて理解する。

 14歳の少女としての姿と同じく、人類の最後の希望として鍛えられ続けた勇者としての姿は、彼女にとってはもはや切り離せない本性の一面。

 ただただ欲しい未来に向けて駆けるだけのホークには、決して背負いえない「大義」を力にする姿。

 眩しいそれを目の当たりにできないことが、悔しかった。


       ◇◇◇


 至近距離まで辿り着けば、巨龍の姿は悪夢のようだった。

 見上げても視界に入りきらない巨体。

 どんな巨木でも巨柱でも、これの前では折れ砕けるしかないと確信させる巨大なあし

 それが重低音を上げて力を溜め、動き、自分の周囲にあるもの全てに対して害意を振り撒いて破壊を行おうとする姿は、おそらく勝利したとしても、いつまでも実際に悪夢の種になるだろう。

 圧倒的過ぎる、人知を超えた暴力に、頭上を制圧されている。

 それは人の本能を委縮させ、逆らう気力を萎えさせる。

 ただただゆっくりと巨体が旋回しようと四肢を動かしているだけだというのに、ホークは気持ちが折れそうになり、歯を食い縛る。

「……やるぞ……メイ、レミリス! あの子供たちを……死なすわけにいくかよ!」

「うん!」

「……やる」

 先ほどまで一緒だった、バルトの小さな子供たち。それを気持ちの支えにして、ホークは短剣を抜き、走る。

 レミリスは杖を掲げて使役術を試み、メイは両の手を指先までピンと伸ばして奇妙な構えを取り、目の色を変える。

 否。

 メイは、その一瞬に。髪をザワリと膨らませ……銀の髪を白金に変色させる。

「お、おい……メイ、それは」

「ホークさん。……これは、お姫様があたしに残したおみやげ。……もしかしたら、忘れ物かもしれないけど」

 メイは牙を見せて微笑む。

「一緒に戦って……一緒に叫んで、命を懸けて。気が付いたんだ。あたしは、あたしの全てをまだ扱えてない。……お姫様がいたその場所は、あたしには関係ないと思ってた、まだ使える力のありかだったんだって。だから……」

 拳を握る。両腕を大きく広げ、そして弓を引くように構える。

「あたしはそれを使うよ。……そして、ついていくよ。ホークさんや勇者様のいるところへ。どこまでだって、ついて行ってみせるから」

 だから、と、それ以上は言わず。


「は、あああああああああああああああああっっ!!」


 メイはその小さな拳に、魔法でも魔剣でもない無限の可能性を握りしめて、空を覆う悪夢に突き放つ。


 大きすぎるドラゴンの巨体にとっては、まるで数分の1インチの虫針のようなストロークしかないはずのメイの拳。そんなものがどこに刺さったところで痛手では有り得ない。

 そんな常識を全て置き去りにして、メイの拳はドラゴンの巨体を、打ち上げる。

 400フィートの巨体がのけ反る。

 その顔面の横に白金の軌跡を描いて跳んだメイは、ドラゴンの巨大なの顔面に回し蹴りを放つ。

 ドラゴンが巨体をねじり、そして倒れる。地震が起きる。

「ホークさんっ!」

「おっ……おう!」

 ホークは、自分自身の可能性に怯えるのをやめることにした。

 メイも、ファルネリアも、自分に向き合った。だからホークも存分に向き合おう。

「……見てろ、バルト。確かに俺は一流じゃねえが……ああ言ってくれる仲間を持てたんだぜ……!」

 ガイラムのくれた短剣を、逆手のまま目の高さに構え、己の中の“祝福”と向き合う。

 今までの自分を嘲笑い、本当のチカラに目を向ける。

 そう。

 今までの“祝福”は、間違っていたのだ。

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