ルクラード内部へ
白衣の蟻人間ジオリードはイレーネとひとしきり見つめ合ったあと、おもむろにレミリスを指差した。
「あなた、第四特殊魔術機関のレミリスさんでしょう。はっきり言うとあまり良くありませんよ、今」
「…………」
「はっきりとか前置きして要領を得ないことを言うな蟻野郎」
黙っているレミリスに代わって、ホークが片手に短剣を握りながら答える。
ジオリードはホークに首を傾け、また耳障りな声を出した。
「無礼な人間ですね」
「お互い様だ」
「私は礼を尽くさない人間には相応の対応をしますよ。イレーネと同じとは思わないことです」
「脅してるつもりか? じゃあ敵と思っていいんだな? イレーネの知り合いってことで控えてやってるんだが」
「殺ってしまってもよいぞ。どうせこやつもガルケリウスのように復活用の体を用意しているじゃろうが」
イレーネが突き放すと、蟻人間は少し慌てた。
「ちょっ……何を言うのですかイレーネ。……つまり、彼があなたの見込む者だとでも?」
「死んでから確かめればよいじゃろ。言っておくがその男に雑な魔術は効かんぞ。パリエス謹製の強力な魔術除けがあるからの」
「お待ちなさい。……わかりました、名乗らぬ非礼を詫びましょう」
ホークを恐れるように数歩下がってから、蟻人間は慇懃にアスラゲイト式の複雑に手を動かす礼を取る。
「アスラゲイト帝国の協力者である魔族の一人、ジオリードと申します。あまり復活の魔術も気持ちの良いものではないのでね。ご勘弁願えますか」
「随分あっさりと降参するもんだな。……俺はホーク。盗賊だ。ガルケリウスを一回殺ったことがある。……それと、ギなんとかって野郎もしばらく前に殺した」
「ギストザークのことじゃ」
ホークの言葉にイレーネが注釈し、ジオリードが横開きの口をカチカチしながら停まる。呆然としているのだろうか。
「……ギストザークが、人間に殺されたと?」
「間違いなくな。儂が見届けた」
「……なんということ。つまり、魔王戦役は……」
「終わらん。……いや、儂ら魔族の仕掛けた魔王戦役は、とっくに終わっておるのじゃがな」
「……なるほど、そういうことですか……なるほど、なるほど……」
勝手に納得するジオリード。
「おいイレーネ。こいつは何なんだ。名前だけ聞かされたって蟻野郎としかわからねえぞ」
「小賢しい蟻じゃ。レヴァリアめをより陰湿に卑屈にした感じの生き物じゃ」
「あのような邪悪な娘と一緒にしないでいただきたいですな」
ジオリードは嫌そうな声音で言う。顔が蟻なので、声以外で全く感情がわからない。
「アスラゲイト帝国の魔法技術発展を適正に支援する、一種の技術顧問のようなものとお考え頂きたい。私以外にも何人か似たような者はおりますがね」
「要は国を裏で操縦してたってわけか」
「見ようによりますな。現状のアスラゲイトへの誘導は、必ずしも下位種族にとって不利益な入れ知恵ではなかったと思いますが」
「こんな騒ぎを起こしておいてか。……いや、そんなこたいい。レミリスに何を言おうとした」
ホークが短剣を向けると、ジオリードは少し大袈裟な仕草で両手を上げる。
「物騒なのはナシにしましょう、ホークさん。私はガルケリウスの馬鹿と違って暴力はあまり得意ではないんですよ」
「いいから質問に答えろ」
そもそもにしてホークの些細な非礼に威圧で返したのはジオリードなので、非暴力を語る言葉に説得力はない。だがホークはそんなことより、レミリスを名指しした理由を聞きたかった。
「……まず、ワイバーン使役術はほぼアスラゲイトの独占技術。それも壊滅した第四特殊魔術機関が握っていた技術です。ガルケリウスの襲撃でその使い手の半数は失われ、残った者はベルグレプスがその皇族特権により全て自分の下に引き込んでいる。……つまり、管理下にないワイバーン使いはレミリスさんひとりなのですよ。動けばすぐにわかります」
「それがどうしたっていうんだ」
「ベルグレプスにとって、その権力で自由にならなかった汚点として、レミリスさんは目の敵にされている。わかりませんかね? その生まれと能力、容姿にプライドを肥大化させたあの坊ちゃんが、どれほどまでにレミリスさんに対して害意を抱くものか」
「俺はソイツのことはさっぱり知らねえよ。……だが、その口ぶりでだいたいは理解した」
ひとつの集落が無惨に殺し、犯し尽くされていたのを無視して、ガルケリウスと取引し、差し向けてきたという時点で異常なのだ。
親や兄弟まで含め、どんな相手も自分の命令ひとつでひとひねりだ、と理解した異常者が、ノコノコと寄ってきた憎い標的に対して冷静にドンと構えているものか。
「虎視眈々と飛ぶのを狙ってる……いや、こっちに向けて動き出してる、と考えるべきか」
「ロータス、斥候をなさい。至急、現状の把握を。レミリスさんは最悪、チョロさんと一緒に徒歩で遠方に向かってください。飛ぶのはあのブレスに対してあまりに不利ですから」
「ん。……でも、あまりいい地形じゃない」
「……そうですね」
丘の背後にはちょっとした林があるが、あの超強力ブレスで狙うならば大した障害にはなりそうにない。
あのままのっそりと巨大ドラゴンがこの丘まで登って来たら……あまり歩くのは向いていないワイバーンが必死に走ったところで、次の信頼できる遮蔽地形に辿り着く前に撃たれてしまいそうだった。
「ここまで来るならあたしが叩いて黙らせるよ。チョロに撃たせたりしない」
パシッと拳を手のひらに打ち付け、メイが闘志を漲らせる。
……すぐにロータスが帰ってきた。
「動いていない……撃墜できたものと勘違いでもしたか。戦果確認は急いでいないようだ。今の内がチャンスといえばチャンスだ」
「……ん」
「レミリス殿?」
「……やっぱり、チョロ、自分で守る。ここに眠らせて、私もあれ、倒しに行く」
レミリスがとんでもないことを言い出す。
「無茶です。魔術師の出る幕ではありません。援護が関の山です」
真っ先にそう言い切ったのは同じく魔術で戦うリュノ。
だが、レミリスは首を振る。
「使役術、繊細。……やり方、わかってる。邪魔も、できる」
「まさか……あのドラゴンに近づいて直接使役術の邪魔をするつもりなのですか」
「皇子、振り落とせば、ホークがやる」
「ホークは盗賊でしょう! 魔剣も使えないのにドラゴンに何をさせるというんですか!」
「勝つ」
レミリスは簡潔に言い切った。
リュノに困惑した顔で見られ、ホークは肩をすくめる。
「そういうやり口で来たんだよ。あのキグラスからな」
「リュノ様は下がってて。きっと戦後に忙しくなるよ」
ホークとメイは頷き合い、ルクラードに突入する決心をする。
敵が動き出すのを待つ謂れはない。
チョロを隠蔽するには低すぎるが、人間なら身を屈めればうまく隠れてルクラード外壁にまで辿り着けそうな果樹園もある。
先手を取る。巨大すぎる攻撃力の前で、それが彼らの唯一の勝機だ。
「……あなた方は本当に勝つと。そしてイレーネはそれを頭から信じているのですかね」
「無論じゃ」
蟻人間はしばらく考え込むように僅かに俯き、そして顔を上げぬまま耳障りな声を出す。
「ならば、つまらない前座は必要ない。本番だけ見せてもらいましょうか」
「ジオリード?」
「来なさい。……私たちはね、なんでもいいのですよ。ソレが見られるのならね。そうでしょう、イレーネ」
ジオリードは背を向ける。
彼について行くと、丘の中腹に小さな穴がある。
見覚えのある大きさだった。
「……ドワーフの坑道か」
「昔はこのあたりはクリー銀の特産地だったのですよ。もう二百年は前に全部掘ってしまいましたがね。……ドワーフたちの貪欲さは恐ろしいものです」
「何故協力する、蟻野郎」
「協力? 違いますよ。イレーネのお気に入りの坊や。……あなたが私たちにとって見たいものであるかもしれない。だから見せろという、ただそれだけなのです。あのドラゴンも、アスラゲイト自体も、そして魔族がこの時代まで永らえてきたことさえも……そのためだけにあったのですから」
「……見たいものかは知らねえぞ。それが“破壊神”の一端だっていうのかどうかまで、こっちは保証しねえ」
「違うのならばそれも一興ですよ。ただの人間が“破壊神”の力もなくビルゼフの育て上げた史上最大の魔法生物を狩れるというなら、それもまた私たちの見るべきものです」
「ビルゼフ?」
「あのドラゴンを400年かけて肥えさせた魔族ですよ。彼も含めて5人、この近くに来ています。……ベルグレプスとあのドラゴンは、私たちによる『疑似魔王』ですよ。魔王戦役に備えさせた多くの研究を、出し惜しむことなく、否応もなく使わせるために作り上げた、アスラゲイトのための『魔王』。私たちはその仕掛人……真の魔王に怖気づいた弱腰の皇帝側も、コレとは戦わない選択肢はない……そのはずだったのですがね」
「……やっぱお前は最終的に狩らないといけない気がしてきた」
「無駄ですよ。わかっているとは思いますがね」
彼の言う通り、復活する準備ができているなら殺しても大した意味はない。今は利用する方がいいだろう。
彼について地下道を進む。
半刻ほど地下をうねうねと進み、気付くと石壁に囲まれた通路に出ていた。
「下水道です。伝っていけば、町のどこかに出るでしょう。私はここから先は見物人とさせていただきますよ」
「……礼は言わねえぞ。魂胆聞いて言えるもんじゃねえ」
「不要です。イレーネの見込み違いでなかったことを祈るとしましょう。せいぜい頑張りなさい。例え喉元まで近づけても、あのドラゴンにはそう簡単には勝てませんよ」
そう言ってジオリードは地下通路の奥に消える。
リュノが魔法の光を閉じ込めた八面体の宝石をホークに手渡す。松明代わりだ。
「進みましょう。長引けばワイバーンが狙われますよ」
「……わかってる」
振り返れば、それぞれに覚悟を決めた仲間たちの顔。メイ、ファルネリア、ロータス、レミリス、そしてイレーネ。
「ベストメンバーじゃねえか」
本心からの言葉だった。
ジェイナスは例外として、このビッグハンティングをやるにあたり、これ以上に心強いメンバーなんて考えられない。
全員と頷き合い、ホークは地上への梯子と思われるもののひとつを自ら登って確かめる。
上がった先は石造りの小屋で、周囲には掃除用具と思われるものが散乱していた。
「おい、みんな。安全っぽいぞ」
ホークはそう言って後続を呼ぶ。
下から上がってきたメイに手を貸し、引き上げようとしたところで。
「動くな」
首元に冷たい感触。
そして、瞬間にホークの本能が反応し、視界を覆う白い吹雪。
“吹雪の祝福”が、確かに発動した。
「……!!」
「……動くなっつったろうが」
だが、背後に出た何者かのナイフを奪い、突き付け返したはずが、そのナイフがさらにその賊に奪われて鳩尾に当て返されている。
理解できないことが、起きていて。
「おじさんこそ動かないで。素手だけど人間の頭ぐらい一瞬で破裂させられるよ」
メイがその賊の後頭部を、掴んでいた。
「……くはっ……わかっ……た。降参だ降参」
賊はナイフを手放し、カラン、と石床に落とす。
ホークは息を飲みながら、その相手をまじまじと見る。
夕暮れの薄暗い光が、窓の狭い小屋にうっすらと入ってくるだけの視界の中。
ホークの胸ポケットに差し込んだリュノの発光宝石の光に照らされた顔は……。
「……バルト?」
「あ……? お前っ……ホーク……か?」
「誰?」
メイが彼の後頭部を掴んで訝しむ中、ホークと男は互いを指差し合う。
「なんでお前がここに……」
「それはこっちの台詞……ヤベェ痛ぇ痛ぇ痛ぇ」
「め、メイ、ちょっと手を離せ。こいつは知り合いだ」
「知り合い……えっ、こんなところで?」
後から仲間たちが続々と上がってくる。
中年の男は両手を上げたまま、無精ひげにまみれた顔で何とも言えない皮肉な笑みを浮かべた。
「最初に生意気そうなガキが生えたと思えば、後から後からカワイコちゃんがどんどんでてくるぜ」
「誰……なのだ、ホーク殿」
「ああ、こいつは……ええと、なんつーか……育ての親っていうと何か違うし」
「こんな可愛くねえガキ育てた覚えはねえな。野良ガキに何度かエサをやった覚えはあるが」
「……まあそんな奴だ」
ホークは面倒臭くなった。本当に説明に困る。
「全然わかりません」
リュノがきっぱりと言う。男は片眉を上げた。
「……すげぇ乳だ。見覚えがあるぞ。王都のパリエス教会の秘蔵っ子だな」
「何で胸でそんなの覚えるんですかっ!!」
「巨乳殿、静かに」
「巨乳、これだから、駄目」
「んぐぐぐぐ」
さらに叫ぼうとするリュノの口をロータスが押さえる。
「要はホーク様の恩人ということですか」
「……そうだ」
ファルネリアの言葉にホークは頷く。
「こいつはバルト。何年か前まで王都で活躍してた盗賊だ。……なんでこんなところにいやがる」
バルトは皮肉な笑みを崩さず。
「……ここには、譲れねえもんがあるんだよ。……できちまったんだよ」
どこか諦めたように、疲れたように、そう言った。
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