規格外のドラゴン
遠くから見ても、その400フィートの威容は圧倒的だった。
「山だな、ありゃ……」
「うむ。騎馬突撃も鼻息で吹き飛ばされて終わりそうだ」
「ってゆーか馬さん、あんなのに走ってくれないんじゃない?」
その巨体は完全に腹ばいになっているが、それでも背の頂までの高さはそこらの建造物を全て見下ろし、翼は折り畳まれているものの最大まで延ばせば片側だけでこれまた数百フィートになるだろう。
前後の足の太さはただただ巨大であるとしか言いようがなく、これらの前ではあの大巨人ドバルさえ、ハエのように叩き潰されるだろうとしか思えない。
そしてその頭の大きさ。全く誇張でなくちょっとした家さえひと齧りで潰してしまう大きさ。どんなに鋭い剣を持っていたとしても、あの大きさに斬りかかるのは無意味としか思えない。
「あのサイズだと、ドラゴンブレスのひと吹きで街の半分は焼き尽くされるな」
「それで済めば重畳じゃろ。龍が大きくなれば生体魔法機関も効率化し、攻撃力が体格を超える規模で巨大化する。あんな大物は初めて見るが、下手をすれば一発で向こう2マイルまで届くぞ」
「もはや放射などと言う生易しい代物ではないですね……」
そんな怪物が、町の中央、もともと領主邸があったと思われるあたりに寝そべっている。
住民たちは生きた心地がしないだろう、というのが第一印象だった。
「距離で言うとここも危ない。いったん降りよう。ブレスの事を考えるとチョロに頼るのはマズ手だ」
ホークがゴンドラの上に向かって言うと、チョロの耳でそれを聞き取ったレミリスはそれ以上近づかず、近くの森に降下しようとする。
と、巨大ドラゴンがゆっくりと動き出した。
「気づかれた……!? それこそ2マイルあるぞ!?」
「レミリス殿、急げ! いっそ落ちても構わん、早く高度を落とせ!」
「来ます!」
ファルネリアがロータスのものと二刀流の「シールド・改」で無効化フィールドを展開する。
直後、喉の奥から蒼い炎をチラつかせた巨大ドラゴンは、それをそのまま光線の如き奔流にして発射。
「やべえ……!!」
回避が、間に合わない。
ファルネリアの魔剣による防御に蒼炎の奔流が直撃し、見る間に炎が近くなる。
無効化フィールドの能力を炎の圧倒的魔力が上回っているのだ。
ゴンドラやそれを繋ぐロープが焦げれば真っ逆さまだ。
ホークは決断する。
そして。
景色が、一瞬で動く。
「……えっ」
「あ、あれ……?」
一瞬で、チョロの位置が変わる。
火線上から一気に100ヤードも斜め下にズレて、ドラゴンの視線からは自分の炎が邪魔して見えない位置に退避する。
地面が一瞬で近くなり、木の枝に引っかかってゴンドラが跳ねる。
「きゃあっ!?」
「巨乳殿!」
「きょ、巨乳と呼ばないでくださいったら!」
一番無防備だったリュノがゴンドラから投げ出されそうになるも、ロータスが素早く捕まえて事なきを得る。
「ホーク様……!? 今のは、ホーク様、なのですか……?」
「ああ」
魔剣をクロスさせて構えたままのファルネリアの問いかけに、ホークは深いため息をつき、安堵する。
ぶっつけ本番。だが、思った通りにできた。
「どっか丘の裏にでも下ろしてくれ、レミリス……やっぱ疲れるな」
全身を襲う脱力感は、やはり“祝福”特有のもの。
「まだ上手くやれてねぇ、か……」
「ホーク様……まだ、って……」
「……こっちの話だ」
ホークには、見えている。
“盗賊の祝福”の、本来持っているポテンシャル。それは……もっと、高い。
あの時の……“旋風”を使った時の実感。
それが何かの間違いでないのなら、この程度の芸当はもっと楽にできるはずなのだ。
が、それは今は関係ない。やれたという事実で、とりあえず満足しておく。
「……今は、アレにどう近づくかだ」
地形の影に隠れ、チョロは静かに着陸した。
「チョロ、怯えてる。……あんなの見たことないから」
「誰も見たことねえよあんなん」
チョロは平静を保っていたように見えたものの、それはレミリスが使役術で強引に制御していたからこそのことで、本来は巨大ドラゴンに撃たれた時点でパニックを起こし、ゴンドラも何も構わずに無茶苦茶な飛び方をしてしまうところだったらしい。
いくら魔法防御が高いといっても程度問題だ。あの桁外れのブレスが直撃すれば、ワイバーンといえど死は免れなかっただろう。
「チョロをこれ以上危険に晒すわけにはいかねえ。一瞬で届くブレスがあるんじゃ飛んで近づくのは自殺行為だ。バレたまま近づいて取り付くなんて、賭けにしたって割に合わねえし、チョロだって大事な仲間だ」
「ん」
レミリスが少し嬉しそうにうなずく。チョロを人と対等の「仲間」として扱ってくれたのが嬉しかったのだろう。
「となると地上から歩いて近づくしかないが……遮蔽物を確保しながらとなると、ルートは限られるな」
ロータスが地面に地形図を書く。
「ルクラードは元々が北に対する要塞都市だ。周囲は田畑に囲まれているが、身を隠せるような森や谷はほとんどない」
「とはいえ、あのドラゴンも街の真ん中だ。地べた這って寄っていく奴には町の建造物が邪魔で、ブレスひと吹きってわけにもいかねえだろう」
「町が壊滅したところで、当の第三皇子にしてみれば大した問題ではなさそうだが」
「奴がこっちをどれだけ重大視して動くかだな。ただのハエを追い払った、こっちが消し飛んだと思ってくれれば、近づく隙はあるはずだ。あいつだって最終目標は帝位だろうし、のこのこ近づいてきた俺たちなんぞにそんなに大わらわにもなってられねえだろ」
「本当に帝位でしょうか……」
ぼそりとファルネリアが呟く。
「何?」
「今の時点で仮に第三皇子が帝位をさらえたとしても、根本的には魔王戦役に対峙しなければ大義名分が成立しないはずです。このままストレートに帝位を取りに行くものでしょうか。そして、そんな内向きの戦いぶりでアスラゲイト国内が治まるものでしょうか」
「じゃあ……なんだっていうんだよ」
「そんなに明快でクレバーな戦略家には思えないのです、ベルグレプス皇子の行動は」
ファルネリアが憂い顔をする。
「私が見るに、おそらく、もっと激情的な……前後を考えぬ全能感に支配された行動。ならば、彼の帝国皇子としての行動原理は論拠とするに当たらないかと」
「……つまり?」
「あんなブレスを放てる史上最大のドラゴンを手に入れて、ただ調子に乗っているだけの馬鹿だと思った方がいいということです。もちろん周囲にそそのかされて帝位を狙っている部分もあるのでしょうが、帝位継承のための損得で行動が左右されると考えない方がいいでしょう。ムキになってきますよ、おそらく」
「……お前もだいぶ第三皇子の評価低いな」
「よりにもよってこの時期に、身内に対してそんな力を振るう者が、まともであるはずがありません」
「そうなんだけどさ」
魔王の脅威は迫っている。隣国レイドラすら踏み躙られ、大国ロムガルドも蹴散らされた。
国を第一に考える大局観があれば、あえて味方を敵に回していられるはずがないのだ。そんなことをしている間に魔王軍は勢力を伸ばし、巨大ドラゴンという切り札があっても周囲から全て焦土にされてしまう。例え最終的に勝つには勝っても、治めるべき国が駄目になってしまったらなんの意味もあるまい。
「じゃあなんだ。つまり、奴はこっちを発見したら何も気にせず潰しに来る……野生のモンスターみたいなものと考えた方がいいのか」
「そうなります。憶測ですが、そう思っていた方が計算外はないかと」
「嫌な想像だが、辻褄は合うな」
唸るホーク。
ファルネリアも国が潰れてからだいぶ歯に衣着せなくなったなあ、と思いつつも、状況は深刻だ。
そして、青い顔をしたリュノはおずおずと発言する。
「あの……そもそも、どうやって倒すつもりなんです……? ジェイナスがいるならまだしも、あんなもの相手では……近づいても戦いにならないでしょう。近づく算段の話ばかりで、その後のことを誰も考えていないではないですか」
「ああ、それは……まあ、なんとかする」
「ホーク。ふざけるにも程がありますよ。具体策もなく無理押しで何ができるというんですか」
「心配しなくてもお前は数に数えてないから引っ込んでてくれ。このままハイアレスに歩いて帰ってもいいぞ」
「っっ……ホーク!!」
顔を近づけて怒るリュノ。
ホークは彼女の頭を雑に押しのけて睨む。
「改めて言うが、俺たちは別にお前と共同戦線張らなきゃいけない理由はねえんだよ。確かにお前は魔法使いとして優秀だ。それは認める。だが俺たちはお前無しでもだいぶヤバイ連中と戦い抜いた。今さらお前がいなきゃいけないトコはもうねえよ」
「そんな言い方っ……!」
「ジェイナスに連れて行ってもらえなかったからって、俺たちの戦いを仕切って自尊心の足しにするな」
ホークは指を突き付けて言い切る。
「同情はしてやる。だがお前はもう主役じゃねえし、俺たちは勇者パーティの代理じゃねえ、盗賊団とすら名乗っちまう連中なんだ。正義のご指導はいらねえよ」
リュノは絶句して震える。
それは「どうせ何も考えていないだろう」と侮られたホークの子供っぽい反発でもあったが、リュノの屈折を正確に言い当ててもいた。
ジェイナスに置いて行かれたことは彼女にとってもショックだった。
そして、ホーク一味を急いだジェイナスを補完するための第二集団と捉え、仕切っているホークをしぶしぶと認めた裏には……どうせジェイナスのための成り行きで集まった集団、ホークはジェイナスの威光を引き継いで便宜上担がれているだけで、本来はそんな器ではないはずだ、という頑迷なまでの侮りがあった。
だから、自分がジェイナスに代わって彼らを指導し、ゆくゆくはジェイナスに合流させることで、この魔王戦役における自分の存在意義を証明しよう……という、上から押し付けるような自分勝手な考えが生まれていたのも事実だった。
自分を敗者だと認めたくなかった。
この時代、この戦いにおいて、ジェイナスと並ぶほどの主役と持て囃された旅立ちのまま、今も最重要人物のままだと信じていたかった。
だが、死を経たことで彼女への期待は一度断ち切られ、皆は彼女を抜きにして流れを作り始めている。
ジェイナスと違って、まだ彼女はそれを認められるほど成熟できていなかったのだった。
「……すみ、ません」
「……お、おう」
自分が醜い考えに囚われていたと理解し、そのショックで急にしおらしくなったリュノに、ホークも勢いを失う。
今まで黙っていたメイが二人の間に割って入り、仕切り直すように手を叩いた。
「最後はあたしとホークさんがなんとかする。それでいいんだよね、みんな」
「理解している」
「私やロータスの魔剣では、ドラゴンに致命傷を与えるのは難しいでしょうし」
「儂もさすがにアレに引導を渡すのは難しいからのう」
「チョロ、行けない。私、離れられない」
全員が頷く。
そしてリュノは、改めてホークに。
「あなたは、あのドラゴンを倒す手段に心当たりがあるのですね」
「あるから来たんだよ。無かったらとっととメイの一族を避難させるかジェイナスをさらいに行くさ」
「……皆さんがそれを信じているなら、私もそれを信じることにしましょう。……どうせ一度死んだ身。祖国のための今一度のチャンスと思えば、何でもやれます」
リュノはそう宣言する。自分自身を納得させるための言葉のようだった。
そこに、遠くから近づいてくる足音。
最初に気づいたのはメイ。次いでレミリス、そしてホークが三番目。
「誰か来るよ」
「ん」
「ああ」
一番に気づきそうなのは感覚の鋭いチョロと繋がっているレミリスだが、巨大ドラゴンに対するチョロの怯えが反応を鈍くさせたのだろう。
そして、近づいてきたのは……蟻のような顔をした白いローブの男。
「ギチチチチ。おやおや、誰かと思えば魔毒の華」
「……魔族か!」
身長は5フィートにも満たない。
その奇怪な容貌と、まず最初にイレーネに反応したあたりで、さすがにいい加減察しはつく。
「ベルグレプス皇子の手の者か!」
ロータスが「ロアブレイド」を構えつつ鋭く問うと、蟻人間は肩を揺らして奇妙な笑い声を出す。
「ギチチチチ。手の者とは人聞きが悪い。まるで私が人間如きの手下であるように言われるのは心外ですぞ」
「どちらでもよかろう。ジオリード。儂らに何ぞ用か。これから奴を殺しに行くのじゃが」
「おやおや。人間と群れて権力者を狩るとは、魔毒の華も俗に染まったようで」
「儂は昔から気に食わん奴に貴賤などつけんかったつもりじゃがの。……例え魔族であっても」
「そうでした、そうでした。ギチチチチ。もちろんご随意に。私めは奴の小間使いではありませんのでね」
蟻人間は人間の声帯とは違う、どこか耳障りな声で言う。
「得心が行きませんか。……我々は同志のはずですよ、イレーネ。今一度、『破壊神』を見たい。そのために魔王戦役という『祭り』に群がる、熱心な観客であるはずです」
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