ファルネリアの闇

「あっ、あの……そんな、つもり……では」

 ファルネリアは震えながらホークに謝ろうとしたが、ホークが跳ね上げられた手をおずおずと下ろそうとすると、それだけでビクッと身を震わせて呼吸を止める。

 どうしたらいいのかわからず、ホークは周囲に視線で助けを求めるが、誰よりも早く動いたのはガイラムだった。

「下がれホーク」

 ガッと腰ベルトの背側を短剣ごと握って引っ張り、ホークを後ろに転げさせる。

「痛ぇっ」

「ボンヤリするな。どう見ても混乱しとるじゃろうが」

「な、なんだよ。どうなってるんだ」

「儂も魔法に詳しくはないがな。理屈を聞く限りでは、うまくカラダ……いや、魂か。それに残った恐怖を制御できておらんのじゃろ。貴様だけか、あるいは他の者相手でもそうなのか……とにかく、怖れが暴発したんじゃ。拷問に遭った兵がよくああなる」

「…………」

 ある程度は予想していた。しかし、あのファルネリアが……というのは、彼女の凛々しい姿を知っていると信じたくなかったのも事実だ。

「ち、違うんです、ホーク様っ……これは、慣れてなくて……なんだか、体が勝手に……な、なんで、なんでこんなっ……私、私なのに……確かに私、なのに……っ」

 ファルネリアは立ち上がってホークに近寄ろうとして、しかし見えない壁にでも阻まれるように脚を止め、後ずさり、身を抱いて震える。

「どうして……私、ホーク様を……叩く、なんて……っ!」

「お、おい……別にそんなに痛かったわけじゃないから……」

 実は結構痛かったが、それは隠しつつホークは立ち上がり、ファルネリアを宥めようとする。

「やめておけホーク殿。焦るな。……姫」

 ホークを抑えて前に進み出るロータス。そのロータス相手でも、ファルネリアはあからさまに身を固くする。

「私も恐ろしいか、姫」

「……ロ、ロータス……」

「ではメイ殿はどうか。……メイ殿、よろしく」

「んー……」

 メイも気が進まない様子で踏み出す。

 メイがある程度の距離まで近づくと、ファルネリアは彼女すら恐れたように下がり始める。

「なんかこれイジメっぽくない?」

「いや、必要だ。……ホーク殿ないし男性を特別に恐れているというものでもないようだ。この中では付き合いの長い私や、一心同体だったメイ殿すらも受け入れられぬか。少し難しい状況になったな」

「あ、あの、本当に……自分でもわからないんですっ。決してホーク様やメイさんが怖いとか、嫌いだとか、そんな気持ちがあるわけじゃなくてっ……!」

「わかっている。姫。少し落ち着かれよ。……今は急を要する情勢ではない。落ち着いて分析できるはずだ」

 ロータスに宥められ、座るファルネリア。

 パリエスは困った顔をする。

「せめて同性で関係の深いメイさんくらいは拒絶しないと思ったのですが……」

「関係が深いって言っても、同じ体を使ってただけだし。お喋りした時間の長さで言うとホークさんの方が長いんじゃないかなぁ」

「異性の場合はまた話も違ってきます。心を寄せているからこそ近づけない……そういう場合もありますから」

 ホークは何と言っていいものか、頭を掻きながら迷う。

 面倒臭ぇなあ、と口を突きそうになるが、それはファルネリアをさらに絶望させるだろう。彼女に慕われているのはさすがに理解している。

 しかし、かといって何か前向きな言葉を出そうにも、状態も理解できないし憶測すら立てようがない。

 迷った挙句。


「……そんなんじゃ嫁にもできねえだろよ」


 とりあえず、一番改善のモチベーションを持ってくれそうな台詞を選ぶ。

 と、それを聞いて案の定反応したのはメイとレミリス。

「!」

「ホーク」

「おい睨むなレミリス。これは仮定の話としてな」

「ってゆーかお姫様だよ!? 真っ黒女の口車に乗って本気で結婚する気なの!?」

「どうせ瀕死で放置されてたんだしパチっても誰も文句言えねえだろうからいいだろ! っていうかロムガルドもうアレだしいいだろ!」

「私も、ホークが娶らないと、死ぬ」

「死ぬの!?」

「追手、あの山羊。他、まだ来る」

「ああそうだったなそういう話だったな……いや、でもさあ」

「いい考え、ある。クラトス、盗る。領主、貴族。重婚」

「久々に翻訳が必要なこと言い出したぞ……」

 ホークが顔を強張らせていると、例によってロータスが翻訳してくれる。

「魔王戦役を片付けたなら、ナクタに取って返して宣言通りに領主になってしまえ、ということだろう。領主とあれば貴族。貴族が第二夫人や第三夫人を持つのは、今のところ咎める国はない」

「ん」

「そういう問題なのかよ」

 ホークは幼馴染のことがよくわからなくなった。いや、ここでファルネリアを見捨てろとは言えないのだろうが。

「私、先にホークに盗まれた。ファルネリアと同じ。寛大」

「……いやまあ確かにそうなんだけどさあ。寛大なのはいいことだけどさあ」

「嫉妬、欲しい?」

「いらねえ……」

 ホークは今更ながらに、色恋沙汰に関して先送りをしすぎたと自覚する。

 好かれて悪い気はしないし、彼女たちに期待させるような物言いも、どうせ悪党、言うだけは言ってしまえで無責任にやり過ぎた部分はある。

 いつの間にか横に来ていたイレーネが頬をつつく。

「言うまでもないが儂も先約じゃぞ。なかなか賑やかなしとねになりそうではないか」

「お前に関してはいつの間にそうなったのか覚えてないんだが」

「ロータスめがしっかり言っておったじゃろう。お前が儂の恋人じゃと。しかと聞いたし否定しとらんかったではないか」

「それは……おいロータス!」

 ロータスはちゃっかりとパリエスの向こうに逃げてしまった。

 そして、話題に取り残された感じで突っ立っているファルネリアに、ホークは改めて近寄る。

 怖れ、腕が勝手にホークを打とうとする。

 ホークは“盗賊の祝福”で両手を素早く縛り上げて抱き締めてしまう。

「ひぅっ!?」

「……はぁ、っと……ようやく手に入れたぞ、姫さん。……約束通り、もう俺の自由だ」

「……ほ、ホーク……様……私っ……」

「体が勝手に、ってんならいつでもこうして縛り上げてやる。奪ってやる。だから、もう大丈夫だ。……怖がるな」

「ホーク……様」

「もう俺は魔王の野郎に何も譲る気はねえ。死ぬとかいなくなるとか考えるな。そんなのは俺に負けを付ける話だ。……自分が役に立つとか立たないとか、勇者としての責務だとか、王族としてのどうのこうのとか、全部もう気にするな。お前は俺の戦利品になったんだよ」

「……っ……う、うぅっ……!」

 ファルネリアは、ただ抱き締めて優しくも野蛮な言葉で慰めるホークに、ようやく強張った体を預け……そして、こらえきれなかったように涙を流す。

「……こわい……こわかったんですっ……! 誰も、誰も助けてくれないって……私、それだけしか、わからなくなってっ……姉上に嘲られて、答えることも出来なくて、ただただずっと……目の前に死だけがある中で、敵も味方も、抜けていった自分自身さえも、何もかもが恐ろしくて、恨めしくて、辛くて、嫌でっ……そんな記憶が、抑えられないんですっ……!!」

「ああ。辛かったな。だけど、俺は助けた。魔王の手からお前を助けたぞ、ファルネリア。もう二度とそんな無茶は必要ない。お前の部下は戻ってこないかもしれないが、俺はもうお前を放っておきはしない」

「ホーク様っ……ホーク様ぁっ……!!」

 ぎゅっと。

 この世の者とは思われないほどの美少女が、ホークの胸に顔を押し付ける。

 美しくて、か弱くて、そして健気で。

 少女が背負うには過酷過ぎた運命を超え、彼女はようやくひとりの人間として、泣くことも逃げることも許された。

 そしてホークとしては……メイの視線がすごく気になる。

 ファルネリアに言ったことも決して出任せではないが、ホークの中では、メイもそれと同等以上に救わなければいけない相手だ。

 こうした行動を彼女の前でやるのはどうにも後ろめたい。

 そしてメイは案の定とてもつまらなそうに膨れている。

「……やっぱりホークさん、ああいう人がいいんだ……」

「メイ殿」

 ロータスは厳かに言う。

「貴殿がホーク殿の守備範囲にギリギリ入っていないというのは、むしろ今後最高のチャンスが来ると考えるべきだ。もう少し成長したらホーク殿も罪悪感が消えるということでもある。そして、男というのは女が成長とともに見せる魅力の変化にとても弱いものだ。可愛らしさから美しさへ、美しさから淫靡さへ。そこをアピールする段に誘い込んでしまえば勝ちも同然」

「うーん……でもホークさんって結構一途っていうか、一度相手を決めたら気にしそうだし……」

「無理だな。レミリス殿もイレーネ殿も突き離せぬのだぞ。あの童貞力とこじらせた悪党観が、既に彼を誠実な男でいさせぬ形に追い込んでいる。もはや壊れた堰よ。ああなれば残るは競争原理。引いた女が一方的に負け犬となるのみ」

「……な、なるほど」

 ものすごく反論したいしロータスに飛び蹴りでもかましたいが、ファルネリアが泣き続けているのにそうもいかず、ホークはただただ耐える。

 ……横で見ていたガイラムとパリエスが顔を見合わせている。

「英雄色を好むとは言うが……どうも様子が違うのう。なんとも哀れとしか言えん」

「修羅場……というわけでもないようですが。イレーネは本気ではなさそうですけど。というか、イレーネ、戻ったのですね」

 そういえば急に戻ったイレーネのことを紹介するのを忘れていた。ガイラムなど、本来の状態のイレーネを見るのは初めてではないだろうか。

 そのイレーネは自らパリエスたちに近づき。

「まだ多少、調子は悪いんじゃがの。記憶はあらかた戻っていると思うのじゃが、脳を食われたせいか体の動きが馴染まん。魔毒の生成速度も下がっておる」

「ウーンズリペアで治るものならレヴァリアの手で治っているでしょうし……私が手を施しても急にはよくなりそうにありませんね」

「ま、そこまでは望まん。きっとしばらくすれば戻るじゃろう。それより動きはないのか、儂らがおらんかった間に。できればラーガスとかいうあのネクロマンサーが見つかっておると嬉しいのじゃが」

 イレーネの問いに、パリエスとガイラムはまた頷き合い。

「国内はともかく、レヴァリア王国が……」

「まずいことになるかもしれん」

「……どういうことじゃ」

「魔導帝国の第三皇子が決起したらしいのです。非主流派の魔族の支持と、ドラゴンを得て」

「……ドラゴンじゃと?」

「使役術の開発に成功したという噂です。そして、レヴァリア国境が襲われたという報告が……」

「おい」

 ついにホークは耐えられなくなって、ファルネリアを抱き締めたまま話に首を突っ込んだ。

「それって……ジェイナスもレヴァリアもいねえのになんとかなるのかよ」

「わかりません」

 パリエスは首を振った。

「最悪、レヴァリア王国は食い取られるかもしれません。……レヴァリアは怒るでしょうね」

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