勇者姫の覚醒
ゼルディアからナクタに向かうのは一日で済んだが、ゼルディアに戻るには三日かかった。
今の季節の風の流れがベルマーダの山地から西の平野に降りているためで、ついでに荷が一人分増えたことによる重量増加も少し影響している。
「そろそろチョロ、一日お休み、あげたい」
「確かにちょっと働かせすぎてるかもしれないな……」
ゼルディア前の平原に舞い降りると、すぐに人馬兵が近くの地割れ造成現場から駆けてきた。
「お戻りですか、ホーク殿」
「軍人に敬語使われるのはなんかムズムズするな」
ホークはそんな立場になったことがないので変な顔をしてしまう。
逆に戸惑った人馬兵に対し、ロータスが代わりに応対する。
「パリエス殿に用がある。至急取り次いでもらいたいのだが」
「わかりました。使いを出しますので、その間に迎賓館の方へ」
迎賓館と言えば国家使節クラスをもてなすための館だ。
ベルマーダも小国とはいえ、勇者の紋所を掲げているわけでもないホークたちにはいくらなんでも過ぎている。
「パリエスの方から了解が取れたら出向くし、それまではここで待ってもいいんだけど……」
「緊急でないと思われれば、他の兵たちが寄ってきてしまいますから。今や英雄のあなた方にはぜひとも改めて会っておきたいという者が多いのです」
「ジェイナスはともかく俺たちは……」
「ご謙遜を。強力な鳥人戦士を瞬殺したレミリス殿も、あの山羊頭の魔族を長時間にわたり足止めしたロータス殿も、兵たちは目撃しています。そして、ホーク殿の手で一刀両断にされたという怪物の死体も、先日我々が引きずり出して葬ったところでして」
そんなに色々見られてたのか、とホークは今更ながらに思う。
あくまで外様として動いていたつもりで、ゼルディア防衛戦においては員数外の遊撃で働いた挙句、最終的にはジェイナスの超火力でいいところは全て持っていかれてしまった。だからガイラムやパリエスたち以外にはあくまでパリエスのおまけ程度の認識ではなかっただろうか、と思っていた。
しかし、考えてみれば今やガイラムは押しも押されぬ大将軍。その腹心の部下であるドルカスたちがホークの戦いを目撃していたのだから、その戦果が喧伝されてもおかしくないということか。
「とにかく迎賓館にご案内します。今は国もこんな状態、他国の使節などがいるはずもありません。ご安心を」
「……わかった。そこ、ワイバーンが降りられる庭はあるか」
「はい。余裕でしょう」
「じゃあレミリスはそっちに先に行ってくれ。場所はわかるか」
「官庁街の青屋根ですよ!」
人馬兵が少し声を張る。
レミリスはチョロの上で頷くと、メイやロータス、イレーネが降りたゴンドラを引いて再び離陸していく。
「じゃあ、行こう」
本当はみんなでそのままチョロに乗っていってもよかったのだが、人馬兵に歩いてついて行く方がカドが立たない。
それにゼルディアの街がどんな雰囲気かも見ておきたかったし、何よりユラユラするゴンドラの乗り心地に疲れ、少々地面が恋しくなっていた。
「エルスマン将軍は西部地域の奪還作戦に駆け回っています。占領された町々では、侵攻からのわずかな間に犠牲になった民も多く、アンデッド退治に聖女エリアノーラを始めとする神官団も大車輪だそうで……」
「いつの間にか聖女になってたのかあいつ……」
「俗称と言われればそれまでですが」
人馬兵はホークたちを先導しながら、その口調は明るい。人馬族みんながエルスマンのような気位の高い難物というわけでもないのか。
「ところで背中乗りますか? 一人か二人くらいなら乗せられますよ」
「人馬を乗り物扱いは嫌がるもんだって聞いたが」
「場合によりますよ。昔の戦争時代は奴隷にされて、鉄のベルトで鞍をつけられて働かされた同胞もいましたからね。ですが、もう時代も時代。我々にも疲れやすい二つ足の女性を労わる程度の配慮はありますとも」
「そうか。……じゃあメイ、イレーネ、乗せてもらえ」
「わーい」
「悪いのう」
「……ホーク殿、一瞬も迷われなかったが何故私を除外した」
「お前が疲れてるところを見たことがないからな」
実際にはメイとイレーネもそんなのは見たことなどないのだが、メイは乗ってみたそうな顔をしていたし、イレーネはまだ本調子か怪しいところがある。それに人馬兵もどうせ乗せるなら、全身真っ黒の不審者よりはセクシー美人の方が嬉しいだろう。
「背中にしっかり掴まって下さいね。坂を上るんで、体を支えないとずり落ちますよ」
「はーい」
「普通の馬よりもがっしりしているかもしれんのう」
「馬にも大きいの小さいの、速いの遅いの、色々いますからね。それに私も兵隊をやるようになって随分鍛えました」
和やかに会話しながらパカパカと歩く人馬兵と馬上の二人。
そんな彼らがゼルディアの門を潜ると、先に飛んだレミリスとチョロの姿で来訪を察知していたゼルディアの町民や兵士たちがワァッと歓声を上げ、ホークたちはビクッと驚いてしまう。
「救国の英雄だ! 救国の英雄が戻ってきたぞ!」
「ホーク! ホーク! ホーク!」
「メイ! メイ!」
「英雄万歳! 万歳!」
呆然と立ち尽くし、ロータスに押されて慌てて歩き出すホーク。
「な、何なんだよ……」
「称えられるだけの大手柄を貴殿は上げた。それに、ガイラム殿や国王陛下にしても、今は『味方は自分たちだけではない』と喧伝したい時期だろう。戦いで生まれた英雄の存在を隠す意味はないということだ」
「…………」
「手でも振ったらどうだ。皆、感謝しているのだぞ」
ロータスはそう言って自分は澄まして歩く。
ホークは人馬兵の隣に慌てて近寄り、まるで隠れるように張り付いて歩く。
「どうしたの、ホークさん?」
「わ、訳が分からねえ。こういうのは俺の領分じゃねえ」
「みんな応援してくれてるんだから普通にありがとーってしたらいいだけじゃん」
「できるか! こちとら盗賊だぞ!」
「ホークさんって本当依怙地だよねえ。勇者様がいつもやってたのに」
「悪党ならむしろ喜んで称えさせる面の皮を持たんか」
「むしろ全面的に胸を張ってよいのに……ホーク殿ときたらどれだけ褒められ慣れていないのだ」
女たちに呆れられても、ホークは断固として沿道を向かず、従者のように人馬のそばをちょこちょこ歩く。
確かにジェイナスたちは行く村行く村でこんな風に歓待されていた気がするが、いざ自分が当事者になるとこんなに居心地が悪いのか、とホークはむしろ絶望的な気分になる。
ため息をついて、イレーネがホークに指を向けた。
「『笑顔で、手を振り返せ。目的地に着くまでじゃ』」
「!?」
久しぶりの不快感。呪印に内部からかき混ぜられる感覚。
「お前はちと好意に対して小心が過ぎる。少し慣れねばやっていけんぞ」
イレーネは呆れ交じりに言ってホークを促す。
迎賓館までそれなりの距離だが、せいぜい四半刻。最初三日間だったうちのどれだけの時間が残っているのかはわからないが、ホークに不本意なことをさせるためにまた呪印契約を使われてしまったらしい。
「……くっ」
内心では歯を噛みしめながら、ホークは仕方なく沿道にぎこちない愛想を振りまき始める。
◇◇◇
「なんじゃ。そんなに人に注目されるのが苦手か」
ホークたちが迎賓館に着いてからそう待たないうちに、ガイラムとパリエスも到着する。
そしてホークの抗議を受けて、メイたちと全く同じような呆れ顔をした。
「俺は! 盗賊だって! 言ってんだろ!?」
「正義の大盗賊じゃろうが。もうその題目で貴様のカメオを作って商売始めとる職人もおるぞ」
「誰が買うんだよそんなもん!?」
「知らんが注文はだいぶ入ったと聞いとる」
ホークは頭を抱えた。
それに対して共感を示すのはパリエスその人。
「辛いですよね……不必要な注目されてなんだかわからない声援されるのって」
「なんで貴様が共感するんじゃ」
「例え魔族でも苦手なものは苦手なんです。せめて一人ずつ話すならともかく、なんで人間はワーッとよくわからない騒ぎ方するんですか! 熱狂的に名前叫ばれたって嫌な汗しか出ませんよ!」
「人はそうやって気持ちを一つにするものなんじゃ! 千年生きとってなんでそれがわからんか!」
「その話はもう終わりにしてよぅ」
ガイラムとパリエスが睨み合うのをメイが仲裁する。
「それより、お姫様! ファルネリアさんを出来る限り綺麗に戻す方法、パリエスさんなら知ってるんでしょ?」
「それはまあ……記憶を封印調整して人格転送をスムーズにすることはできますが」
「よかったよかった。それやってほしくて連れてきたんだ」
メイはゴンドラから引っ張り出してきた廃人ファルネリアを長椅子から抱き起こし、パリエスの前まで運んでくる。
「でも、記憶操作はいいんですけど……完全というわけにはいかないので、そこは先に理解しておいてくださいね」
「え?」
「記憶を短時間で何度も操作すれば、綻びる確率は決して低くないです。人間の脳はそんなに何度も書き換えに順応することはできません。今のファルネリアは……死にかけていた期間の絶望と苦痛で心を閉ざしてしまっているのですよね? 一応、
「フラッシュ……バック……?」
「急に記憶が蘇る現象です。場合によっては変なタイミングで錯乱してしまうかも」
「……ファルネリアさん、そこをめちゃくちゃ気にしてて……殺しましょうってずっと言ってたんだけど」
「それもいい手とは言えませんけどね。一度進行した魂の変質を死という形で強引に切断すれば、マジックアイテムに保存した人格転送術の方との連続性も変質してしまうので……記憶と魂の乖離が進めば最悪、感情の希薄化や思考の分裂症状が」
「何言ってんのかわからねえが、つまり殺すのはナシってことだろ」
「……ええまあ」
ホークやメイには小難しい理屈はわからない。
とにかくパリエスが頼みであり、そのお墨付きの上での最善策をやってほしいだけだ。
「じゃあ頼む。ファルネリアに処置をして……メイから分離してやってくれ」
「わかりました。……ガイラム将軍、ホークさん、少し出ていてください。ファルネリアをいったん脱がしますから」
「おう。出るぞホーク」
「ああ」
ガイラムと二人、廊下に出る。
「……しかし、ロムガルドの“勇者姫”か。全く、できすぎな筋書きじゃ」
「爺さん」
「第一王子はくたばり、姉姫は裏切り、頼りない第二王子が国内の最後の星。そこに最後のピースとして、イレギュラーの貴様によって“勇者姫”がもたらされる。後世、講談にでもしたら、さぞや映えるじゃろうな」
「…………」
「魔族どもはデザインなどしておらんというが、自然の流れにしてはわざとらしい話じゃ。気に食わんことこの上ない」
「…………」
ガイラムの邪推にホークは笑うこともできず、反論することもできず。
……少しだけ考え込んで。
「そんなに綺麗には終わりやしねえよ」
「む」
「多分な」
ジルヴェインという超絶の力、「破壊神の継承者」との戦いは、きっとそういう王家の奇縁程度を問題にしない戦いになるだろう、という推測。
そして、ファルネリアを……今までの人生が「なかった」とすら言い切る少女を、元の場所にただで返しなどしない、という個人的な決意。
それらを織り交ぜて、ホークは予言という形で口にする。
そんなホークをガイラムはじっと見つめ、何か気の利いたことでも言おうとしたのか、口を開きかけたところで。
「もういいですよ」
ドアの隙間からパリエスの声がして、二人は頷き合って部屋に戻る。
そして。
「…………」
まるで人形のように、ファルネリアは端然と椅子に腰かけていた。
破れていた衣服は着替えさせられ、その表情には生気が戻っている。
ただ、生き生きとしていた「ファル」がそこにいるのかというと確信が持てない。
……ホークのなんとなくの感覚でしかないが、「静か」すぎた。
「……戻れた……のか?」
「そのはずです」
パリエスが言う。断言してくれよ、と思ったが、確かめれば済むことか。
虚ろだった時には何をされてもほとんど無反応だったが、今はホークが近づけばその顔を見つめ、視線が動く。
少なくとも、先ほどまでとは状態が違う、というのだけはわかった。
「ええと……」
ホークは頭を掻き、久しぶりというべきか、そうでもないと思うべきか決めかねながら、金髪の美少女にそっと手を差し出す。
握手を求めようとしたのか、それとも手を取って立ち上がらせようとしたのか、自分でもよくわからず。
そのどちらであるか、手の形が定まる前に。
「……っっ!!」
パシンッ、とその手が叩かれ、勢いよく跳ね上がってしまった。
「……え」
何が起こったのかわからない。
そう。
「何が起こったのかわからない」という呆然とした顔を、ホークの手を弾いたファルネリア本人もしていたのだった。
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