ロータス
彼女には幼い頃の記憶はない。
幼い頃というもの自体、存在しなかったからだ。
最初の記憶は透明な卵の中にいて、魔族ディオメルにじっと見つめられているところから始まっている。
「お前はエルフになれるといいな、我が
常に意図の読めない笑みを浮かべた
彼の背後には数百の、自分と同じ透明の卵に入った、しかしすでに黒く朽ちた骨たちがあった。
◇◇◇
「創造体って……つまりお前、何かすごい能力でもあるのか」
「……創造体は力を求めてのみ作られるわけではない。いや、私もある意味では力を求める過程の産物と言えるかもしれんが」
「?」
「私自身はあくまで平均的なエルフ……まあ、戦闘の才能という意味での平均だ。そういうものを目指して作られた。結果的には見ての通りの器用貧乏だ」
「待て。なんでそんなもの作るんだ。そもそもエルフに似せるってのがわからねえ。レヴァリアがやったみたいに影武者量産計画ってんならわかるが……」
ホークは困惑する。
何かややこしい事情の予感がする。
「ああ、そうか。ホーク殿は……専門知識が乏しいか。……そうだな。今の……ジルヴェインかギストザークか、我々の前に現れた創造体は即物的な者ばかりだものな」
ロータスは軽く笑った。
「創造体とはつまり、生命の創作だ。自然の営みに拠らない、新しい生き物を作ることだ。その最終目標は、強く便利な使い魔をデザインすることではない。自分が……この世界の造物主と同じになることだ。ある程度、強い生物を生み出せることに確信を持てば、次はそこへの挑戦となる。人やエルフ、ドワーフ……真なる神が作った最高傑作の模造。本物だけが持つ無限の可能性への挑戦」
「……って、お前……」
「私はエルフたちから見ても分からない程度には、エルフそのものになれた。だが、きっと魔族から見れば一目瞭然の物はあるのだろう。……きっと、失敗作なのだろう」
ロータスは空を見上げて、一息。
「貴殿はおかしいとは思わなかったか。私が眠らないことを」
「……えっ」
唐突に、ホークはそれを思い出す。
いつも、宿でも野営の時も、ロータスはいなかった。
どうせどこか狭い場所に潜んで眠っているのだと思っていた。
「その様子では気付いていなかったか。私には睡眠が必要ない。その欲求は欠落している。……それと、普通ならロミオの時代の生まれとなれば、いくらエルフでも中年にはなる。……創造体としての強みと言えばそんな程度だ」
「でもお前、催眠魔法でやられてなかったか」
「あれは正確には気絶させる魔術だ。そういう強制的なものに勝るには、根本的に違う身体構造が必要になる。私はそこまで特殊には作られていない。元々の目的が正確な模倣なのだから当然だが」
「……便利なんだか不便なんだか」
ロータスはホークの反応にひとしきりクスクスと笑ってから、また彼の肩に頭を預ける。
「貴殿はあまり気にしないのだな。私が魔族の……いや、魔王の作品だということを」
「気にする……いや、いきなり言われてもどう反応したらいいのかわからねえんだけど。とりあえず、普通じゃないと思ってた奴が別方向で普通じゃなかったってだけで、何に突っ込めばいいのか」
「なるほど。まあ、わざとやっていた部分もある。奇矯な行動をしておれば、ある日急に私のことに誰かが感づいても、どこかで納得してもらえるのではないか、と。もはや性分にもなってしまったが」
その口調は軽く、しかし一面では泥のように重く。
「メイ殿が私のことを認めぬのも、ある意味では当然なのかもしれん。私は……身も心も、弱いのだ。認められたいと願いながら、思うようにはなれぬと諦め、しかし自分が無価値だとは開き直ることもできずに、魔王戦役に挑み続けている。奇行奇策で嘘を紛らわしながら、私には私の役目があるのだと、あるはずだと、何の根拠もなしに言い聞かせながら……」
自嘲が際限なく続きそうだと思ったので、ホークは質問でそれを切ってやる。
「なんで魔王に作られた奴が、魔王と戦うことを選ぶんだ? それも、その第三魔王の意図だったのか?」
デタラメだが、それなりに推測のタネはある。
魔族は人類を追い詰めれば「破壊神」の目覚めが促せると思っている節がある。
だからこそ人の世を荒らす魔王戦役を定期的に行っているのだろう。
そして、もしも第三魔王ディオメルが、ロータスの中に無限の可能性──「破壊神の因子」を再現できたか確認したかったのなら、自分の手駒にするよりも、あえて挑ませるよう命令したのかもしれない。
だが、ロータスは首を振った。
「そうではない。……いや、それですらない、と言うべきか。私は……生み出されて、何も教えられぬまま彼の手元に置かれ……そして、勇者ロミオに『救出』されたのだ。ディオメルに略取され、洗脳された、哀れな見目麗しきエルフの娘として」
「……なら、何で」
「私は知りたかった。ディオメルが何故そうしたのか。私をどうしたかったのか。だから自分の可能性を試すことにした。幸いにしてロミオは死ぬその時まで、私がどこぞのエルフの村から誘拐されて記憶を失っただけと憐れみ、疑うことはなかった。よしみで剣術も教えられ魔剣も預けられ、いくらかの魔法を修行する機会もあった。そして、次の魔王戦役には勇者として参戦もした。……結局、並でしかない自分を思い知らされたが」
ロータスの声は、暗いナクタの夜空に瞬く幻想的な星の光とあいまって、ホークにすら数百年の遠い時代の彼方に思いを馳せさせる。
「ディオメルは『普通のエルフ』を作ろうとしすぎたのだろう。私が長けるのは、普通の者にも努力すれば到達できる領域だ。今や誰より得意な、気配を消して敵を狩る暗殺の術も……必要なのは飛び抜けた才能ではない。周到な準備と注意力、人の習性への観察、そして蓄積だ。そこに限界の突破は必要ない」
「……それでも、自分を限界まで磨くことのできねえ短命の人間にゃ羨ましい話だがな」
蓄積を重ねた力を最大限に発揮するには、人間の寿命は短い。
十分な知識と鍛錬が達人の動作を生み出す前に、肉体は衰え始めてしまう。
それが当たり前の種族にとっては、自分の限界を極めたと言えるものをいくつも持ちながら若い肉体を維持するロータスは「並の才能」でも「怪物」だ。
が。
「それではこの時代には役には立たん。それが今までの結果だろう。ホーク殿がいなければ、メイ殿や我が姫、イレーネ殿がいなければ……私は何一つ成し遂げられてはいなかった」
「そんなに自分を卑下するなよ。……どいつもこいつも安定しねえ中で、お前がいなきゃどうなってたかわからねえ。お前の理想ほど、スパッと快刀乱麻ってわけじゃねえかもしれねぇけどさ」
「……ホーク殿は本当に女に甘い。
「そ、そりゃっ……つーかお前が急に弱ったようなこと言い出すからっ」
「……そうか。確かに……弱音かもしれん」
ごろごろと甘えるように、ホークの肩で軽く頭を転がすロータス。
「ギストザークにも言われたが、この前のガルケリウスにも指摘されたせいで……私も、弱気になっているのだろうな。貴殿くらいには事情を知っておいて欲しい……いや、誰も私の真実を知らぬまま死ぬのは嫌だと、思ってしまったのかもしれん」
「……レミリスもそうだが、お前も勝手に俺との関係を冥土の土産にすんなよな」
「なんと。レミリス殿が先に童貞を」
「違ぇよ! っていうかお前聞いてただろこの前の!」
「冗談だ」
笑い、それから小さく。
「……ありがとう。軽く受け止めてくれて」
「……なんだかわからねえが」
「貴殿が思う以上に怖いものだぞ。……自分がバケモノだというのは。それを人が受け入れてくれるか、考えるのは」
「あのなぁ……まあ、いいけど」
ロータスはどこまでわかっているのだろう。
ホーク自身もそれに怯えているということを。
“盗賊の祝福”は……もしかしたら、他の誰が思っているよりも何よりも危険で、後戻りのできないチカラかもしれない……という危惧を。
他の者にとってみれば、ただただそれは「必殺の切り札」でしかないのかもしれない。
だが、ホークは気付いてしまったのだ。
それは、人が持ってはいけないチカラなのかも知れない……と思うほどの可能性に。
しかし、それは飲み込む。
男の意地だ。ロータスもホークを信頼してくれているなら、あえて不安がらせることはない。
ただ、自分の可能性から逃げない覚悟だけを胸に秘め、ホークはロータスと星を見上げ続ける。
◇◇◇
翌日、ホークの疲れも癒えたところで、ロータスが街から探してきた数十名ほどの有力者が城の前に集まってくる。
ホークは一段高いところに立ち、彼らを見下ろした。
これがレヴァリアやロムガルドなら「若いチンピラ」とホークを見下す者がいるのが常だが、ロータスが言い含めたのか、あるいは悲惨過ぎる現状がそうさせないのか、ホークにそういった侮蔑の視線を送る者はない。
彼らをひとわたり見回し終わってから、ホークは息を吸い込み、声を張り上げる。
「俺はホーク! 俺たちは……正義の大盗賊一味だ! この城に陣取っていた魔王軍幹部ギストザークは故あって俺たちが倒した! ここで堂々とこんな話ができているのが何よりの証拠だ! つまり、この街は今日、今をもって魔王軍の支配から抜け出した!」
「な、なんと……」
「おお……」
「まさか……あの魔王軍を……」
ザワザワと感嘆の声を漏らす町人たち。
「が!」
ホークは音を立てて壇を蹴る。
「俺たちはここを代わりに治めるつもりもねえし、滞在もしねえ。ただ成り行きでブチ殺しちまった、それだけだ! 解放したといってもアンタらをまた魔王が来る前の暮らしまで導くつもりは毛頭ねえ!」
ホークの言葉に、町人たちは戸惑いを見せる。
何が言いたいのだろう、と思ったのだろう。目の前の恐怖が去ったことで気持ちがいっぱいになってしまっていた。
「元々の王族はもういない! このナクタをどうするか、手に入れた自由をどう守るか、誰も考えちゃくれねえ! たとえ次に野盗が来ようと、またぞろ魔王軍の残党が来ようと、アンタらは何もできないままになっちまう! 流石に寝覚めが悪いが、どうしようもねえもんはどうしようもねえ! 俺たちは忙しいんだ! テメェでなんとかしてくれ!」
「そ、それは……」
「お強いんでしょう。儂らも略奪されてなんもないが、いずれなんとかお礼はする。もう少しだけ守ってはもらえんじゃろうか」
「できねぇって言ってるんだ! こちとら盗賊一味だ、次の獲物を取りに行かなきゃなんねぇんだよ!」
ホークは威勢よく言い、睨み回す。
あらかじめ背後の少し離れた位置にチョロとレミリスを立たせてあった。ホークに足りない威厳は彼らで補えていると信じたい。
「俺たちはここを離れるが、魔王軍幹部ですら盗賊に殺されるご時世だ、いずれ魔王戦役は終わる! 無法なんて長くは続かねえ、いずれここを治めるために相応しい奴がやってくるだろう! それまでは勝手に自分たちで街を守っててくれ!」
「そんな」
「儂らはただでさえ奴らに虐げられて弱っているのに」
「その時はいつになるのですか」
「だからわかんねえっつってんだろ! 俺は預言者じゃねえんだ! だけどな!」
ホークは怒鳴り、そして町人たちを指差す。
「お前たちが混乱してこの街がいつまでもクソみてえな状態なら! 今度こそ、この街の玉座を盗みにきてやる! この正義の大盗賊様がな! ……正義だからな!」
「…………」
「…………」
町人たちはシンとなる。
ホークにどう反応したらいいのか、と迷っている雰囲気だった。
ギストザークの恐怖は思い知っているのだろう。それを倒したホークに対し、英雄として歓呼してやるべきか、それとも盗賊を自称し、馬鹿っぽい理屈をつけている若者に、野次や嘲笑を投げるべきか。
顔を見合わせて困惑している彼らに、ホークも赤面してそのまま逃げたくなる。事前にこういう理屈しかないと打ち合わせたとはいえ、なんと気まずい雰囲気か。
だが、メイが隣に立って胸を張る。
「王様がいないからって悪い事しようとしてる奴らは、あたしたちの獲物だからね! 覚えててよ!」
「盗まれて当然の者たちが我々のターゲットだ! 必ずや思い知らせよう!」
ロータスも加勢して、なんというか、そういう方向性になってしまった。
いいのだろうか。ロータスは隠密行動が基本の護衛官なのでまだともかく、メイはレヴァリアで今後も大事な戦力になるはずなのではないか。
ホークは思い切りまずい顔で二人を交互に見るが、どちらもドヤ顔で親指を立てる。
もうどうにでもなれ。
「ってわけで、いい子にしてろ! でなきゃ俺たちは必ず帰ってくるぞ!」
無理矢理まとめ、そしていそいそとゴンドラに乗り込んでチョロに離陸させる。
町人たちは慌ててこちらに手を振り、とりあえずという感じで「あ、ありがとう正義の大盗賊!」などと声を上げる。一応解放してもらったのでぼんやり口を開けて見送るというのもよくないと思ったのだろうか。
「なんか思ってたオチと違う気がする……」
ホークはゴンドラの中で頭を抱えるが、メイとロータスはなんともいい表情。
「いいところに落ち着いたよね!」
「正義の大盗賊団……いやホーク団がいいだろうか」
「グループ名?」
「うむ。次からまごつくのもよくないだろう」
「団長はホークさんとして……副団長あたし! 一番古株だし!」
「副団長は参謀役と相場が決まっている。つまり私のような」
ゆさゆさ、とゴンドラが揺すられ、チョロが吠える。レミリスが何か抗議したらしい。参謀ポジションを取られると自分の居場所がないだろうと言いたいのかもしれない。
「いやお前ら勝手に話進めるなよ!? もうホント正義の大盗賊使うのこれっきりにしようぜ!?」
「盗賊団は?」
「俺は大所帯で盗みをやる趣味はねえ!」
イレーネはニヤつき、隅っこでファルネリアは虚ろなまま。
チョロは大きく羽ばたいて、ナクタを後にする。
まずはゼルディアに戻り、人格転送術のネタ元であるパリエスに会ってからファルネリアの処置を決める。
ジェイナスの支援に向かうか、あるいは他へ向かうか。それはその後から考えようということになっている。
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