戦後処理
“祝福”の連射によってほとんど動けないホークはロータスが肩を貸し、廃人と化して虚ろなファルネリアはメイとイレーネが肩と足を担いで城から運び出す。
他に城には誰もいなかった。魔王ともあろうものが、とホークも思うが、その一方で何となく納得もする。
全てを懸けて魔王戦役を起こしたギストザークにとっては、ここを一人で守ることは最後のプライドだったのだろう。
魔王の立場であれば、ほとんど廃人となった“勇者姫”くらいしかいないナクタ城の守備は完全に無駄な備えであり、そこに兵を多く配置するのは避けるべきことだ。
そして、ここを任されたギストザークはもはや最高指揮官ではない。近衛を組織して守る必要も薄い。
ならば「魔王」であったものとして、戦略的観点から「この場に自分以外の守りはいらない」と突っ張ったのだろう。
実際は城以外の近所に食料集積拠点は存在し、そこで活動する輸送担当兵たちはいるのだろうが、この城に関してはギストザークだけで充分なはずだった。
ギストザークはそこにいるだけでナクタの民を畏怖させ、どんな反抗の気力も奪うに足る、そんな存在だ。
「……本当に勝ったのかな」
ホークは歩くことすらできず、ロータスに完全に任せて引きずられながら呟いた。
ロータスはしばらく答えなかったが、十数歩ほど歩いた後に呟き返す。
「信じ難いのも無理はない。だが、奴が死んだふりをする理由はなかろう」
「……わからねえよ。奴のことも……これのことも」
ホークは自分の腕を目で追う。少しも上げることができない。だが、その意味は確かにロータスに伝わった。
「“祝福”は……確かに珍奇だ。しかし、貴殿だけではない。少なくとも他に誰か一人はいた。それは元々、かの魔王を恐れさせるだけの物であった……」
「奴の見立て違いってのも有り得る」
「疑えばキリはないが。……納得には足るぞ。貴殿はその誰かより少しだけ上手くチカラを使いこなし、かの魔王の慢心を超えた。それが、この結果だろう」
「…………」
ホークは答えず、ただ彼女に引きずられる。
事実を強調する彼女の論が、不安を拭い去ったわけではない。ただ、わけもない居心地の悪さは、言葉にしても中身のない繰り言にしかなりそうになかった。
何よりその不安は、この戦いやギストザークに対してのものではないのかもしれなかった。
『僕たちは……君たちは、後戻りできるのかな』
いつか聞いたレヴァリアの言葉が、耳の奥にこびりつき、疼く。
ホークのチカラは、思っていた奇跡とは別の何かかもしれない。
それは、あるはずのなかった禁忌の道が、ずっとずっと自分の前に口を開け続けていたのかもしれない、という恐怖だ。
まだ、あの瞬間の気付きにどれだけの意味があるのか、ホーク自身にもわからない。
だが、向き合わなければいけなくなった、と思う。
ギストザークより強い敵がいて、ホークはそこに向かうべく宿命づけられた少女たちを、守らなければならないのだから。
城外に出ると、レミリスはホークの姿を見て目を見開く。
「……生きてる?」
「死んでねえよ」
四つもの“祝福”を短時間に全て使い切ったことはなかったので、ほぼ身動きが出来なくなって死体同然の様子になったホークの姿は珍しく映ったのかもしれない。
「俺より……姫さんだ。早くゴンドラに乗せてやれ……安全圏に退避してから、復活させてやろう」
ホークの言葉に、イレーネが周囲を見回して答える。
「安全圏と言えばここも安全圏のようじゃがの」
「どういうことだ……」
「近くに魔王軍はいそうにない。いたとしてもギストザークめを破ったお前に、手向かう愚か者もおるまい。あとはこの街の住人どもをどう扱うか、じゃが」
「……俺たちはファルネリアを奪いに来ただけだ。街の後始末は管轄じゃねえぞ」
レイドラの王都シングレイをパスした時も出た問題だが、占領者がいなくなったと思えば、住民たちは互いに争い合うことになる。
誰も民を守る者、施しをする者はいないのだ。自分で生きなければならないと気づいた時、ナクタの民は誰もが略奪者となり、その被害者ともなる。
「いずれなるようにしかならぬ。見て見ぬ振りをしても、堂々と解放を宣言しても同じことじゃ。……ならば口約束だけでもしておくのが民のためというものじゃろ」
「口約束……?」
「全てが収まれば相応しいものが統治に現れる。それまでは良い子でおれ、とな」
「……誰だよ相応しい者って」
周辺諸国──ピピンにレイドラ、ロムガルドはもはや機能していない。そこから貴人を呼び込むことは無理だろう。
レヴァリア王国は一国隔てた向こうであり、荒廃した他国を差配している余裕などあるものだろうか。
そしてアスラゲイトは内戦だという。
当てが全くない。
「知ったことではない。じゃが、いずれ安定の世になると言い含められれば無法はしにくいものじゃろ」
「その場しのぎではあるが……放って逃げるよりは多少マシか」
ロータスも頷く。
「って、どうするんだよ。人を集めて宣言でもするのか?」
「町の主要な者を探すくらいなら私がやろう。代表はイレーネ殿でいいのか」
「儂は今回きっぱり何もしとらん。それに魔族が言って良い内容ではなかろうて」
「私、喋るのへた」
「……あたしにそういうの期待しないで欲しいなーって」
ぐるりと回ってホークに視線が集まる。
「いや待て。俺は盗賊だ。しかも今全く動けねえ。適任から一番遠い」
「不審者の私よりマシだろう」
「魔族よりはマシじゃな」
「片言より、まし」
「子供よりはマシだよ、うん」
全員がホークに押し付ける構えだった。
「動くだけならしばらく休めば何とでもなろう。急を要する話ではない。今夜はここで野営しよう」
「腕が動かないの、確か、ウーンズリペアがいい。私、かける」
「儂がやっても良いぞ。うむ」
「イレーネ殿、いつになく親切だな。心境の変化でもあったか」
「ま、まあよいではないか。寝ぼけていた分は取り返してやろうという」
「……多分、記憶無くしてた時のこと、覚えてる。甘えてたの、うやむやにしたい」
「…………」
イレーネはレミリスに指摘され、なんとも言えない顔をする。
魔族も赤面するのだな、とホークは思ったが、それより。
「お前ら俺よりもファルネリアなんとかしろよな!?」
すぐそばに廃人がいるというのにホークの看護に全員かかりきりになるなど、おかしいではないか。
と思うのだが、当のメイがまた気まずい顔をする。
「あー……えーと……」
「なんだよ。ファル、まだぐずってるのか」
「……うん。それもある……あと、ファルネリアさん、服が……」
腹に穴が開いていたので仕方がないのだが、どう見ても人前に出られる姿ではない。しかし些細な問題ではある。
「着替えさせればいいだろ」
「お姫様だよ!? あたしよりサイズ大きいし、真っ黒女の真っ黒衣装とかレミリスさんのださい服とか着せられないよ!?」
「……ださい」
レミリスが真顔でぼそりと呟いた。もさもさのローブ系ばかり着ているのに自覚がなかったはずもないのだが。
「ファルネリア自身の問題だろ。どうせ夏だ、多少風通し良くても誰も気にしねえよ」
「そういう問題じゃないよう」
「廃人姿晒してる方がだいぶ問題じゃねーか」
「さっき融合してた時はずっと『やっぱり殺した方が綺麗に終わるし……』とかって頭の中でぶつぶつ言ってて怖かった。だからせめて戻った途端自殺しないようにちゃんと服着せてあげてよ」
「本当にあいつめんどくせえな!」
そういえば、戦闘が終わってしばらくしてからメイの髪は銀色に落ち着いていた。その融合状態はもう使うことはないだろうが、いつからそんなことができると理解していたのか少し聞いてみたくはある。
「儂の服でよければ貸してやっても良いのじゃが」
イレーネは提案するが、メイは拒否。
「サイズが逆に大きいしおっぱい放り出し過ぎ。どう見ても悪に目覚めた勇者姫だよ」
「放り出し……まあ乳の小さい者が着れば丸出しかもしれんが」
イレーネはエキゾチックな衣装のセクシーな着こなしを好むのだった。最近はそんなにだらしない着方をしていなかったのでそうは思っていなかったのだが、一人称が戻ったあたりでさりげなく前の着崩し方に戻っていて、胸の谷間がしっかりと自己主張している。
そんな恰好をファルネリアがしたら……まあ、ホークとしては嬉しいかも知れないがそれはそれとしてファルネリアは自殺しそうである。
「……しょうがねえ……体が動くようになったら城下からパチってくるか」
「お姫様に盗品着せるの?」
「本当に面倒くせえな亡国の姫のくせに!」
あと、メイが過保護すぎる気もする。いや、姫君というものに対する庶民の一般的反応かもしれないが。
◇◇◇
夜。
レミリスのウーンズリペアで腕が動くようになり、お礼に約束通り「可愛がって」やったり(ひたすら頭撫でるだけ)、城に何か残った財宝でもないかと探検したりしてから夕食を取る。
財宝はもちろんラーガス軍が根こそぎ略奪済みで、せいぜいギストザークの椅子の装飾ぐらいしか残っていなかった。些細な装飾さえ略奪された城は、ほんの一年も前には栄華を極めた現役の王城だったというのに、既に廃墟の風格充分だった。
もしかしたらと衣装庫を見ても、無事な服など一着もない。ファルネリアの服は諦めた方がよさそうだった。
そして堅パンとワイン、干し肉(メイはひたすら煎り豆)の食事を終えた後、ホークは城の壁から真っ黒な城下町を眺める。
まだ人はいる。気配はある。それなのにこんなに沈鬱な雰囲気の町など、ホークは見たことがなかった。
「放って逃げちまいたいな」
「そうもいくまい」
一人のつもりだったのに、隣にロータスが忽然と現れていた。おどろおどろしい城の中だけに、アンデッドか何かかと思ってホークはビクッと肩を震わせてしまう。
「そこまで驚かなくてもよかろう」
「もっと足音とか立てろよ。人のことは言えねえけど」
「既に性分だ。なかなかな」
そのまま、ロータスは隣でじっとホークと同じように街を眺める。
燃料がないのか、あるいはギストザークを恐れているのか、どこにも火は見当たらない。
夏の夜空だけが美しかった。
「……お前、なんか言いたいんだろ」
「何故そう思う」
「隠してるつもりなら人を追い回したり黙って見つめたりするな。気になるだろうが」
「……自分ではそんなつもりはなかったのだが」
一息。
そして、ホークの肩に耳を乗せるように寄り、呟くような声で言う。
「……ディオメルという名を、知っているか?」
「知らねえ。……なんかギストザークに言われてたな。意味わからねえことを」
「おそらくイレーネ殿は勘付いている。ガルケリウスは親しかったらしい。きっとパリエス殿やレヴァリア殿も、内心では分かっていたのだろうな」
「何の話だよ」
「私が厳密な意味ではエルフではないということだ」
「……何だお前、亜種かなんかだったのか」
「ディオメルというのは、勇者ロミオに討たれた第三魔王の名だ」
ロータスは、ホークの肩に恐る恐る、しかししっかりと頭を預けた。
「私は彼の作った創造体のひとつだ。どこまでもエルフに似せた、エルフでなき者だ」
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