第四部 神話領域

己の価値

 ここしばらくチョロはフル回転だったので、長時間の連続飛行は負担が大きすぎるというのがレミリスの判断だった。

 そのため、闇に紛れるように離陸したホークたち一行はそのままナクタには直行せず、夜明け、レイドラ王国に入ってしばらくの場所で着陸し、半日ほど休憩することになった。

「わりとピンピンしてるように見えるんだがな」

「感覚、共有してる。疲れ、ある」

「……あー、うん」

 何を言っているのかしばらく考え込んでしまったが、レミリスは視覚や聴覚をチョロから借りることができる。その延長で、外からはわからないチョロの体調変化もダイレクトに感じ取ることができる、ということだろう。

 平地の真ん中だが、今の時点でレイドラ方面の魔王軍は完全に敗走中。見咎めて襲ってくる確率は低い。

 昼を過ぎたらまた飛び立ち、夕刻には今度こそナクタに突入する、というのが現在の絵図だ。


「ラーガスはまさか戻ってはいないだろうが、他の魔王の眷属が守っている可能性は十二分にあるな」

「だよな。……一応、今の魔王軍の食糧倉庫としてナクタは手放せないはずだし」

 ロータスと一緒に堅パンを齧りながら、突入の戦術について話し合う。

 クラトス王国は現状の魔王軍版図においては、抜群の食料生産力を有している。

 ラーガス軍がレイドラ王都シングレイ電撃攻略などの無茶な速攻ができたのも、クラトスを完全制圧して多少の深入りなら賄える程度の食料の余裕ができたからに他ならない。

 ラーガス軍が返り討ちになった今は、魔王軍としてはその余剰生産能力は使う当てを失っているが、ラーガス敗走の報が届くべくもない数日の内なら、ナクタの重要度は動いていないはず。

 となれば、ピピンを制圧していたような中小規模の魔王軍将、あるいは創造体などがナクタを守備していると考えるのが当然だった。

 しかし、ラーガス軍という最大の部隊を失ったことが伝わるまで待つのは得策ではない。ほぼ同時に魔王軍別動隊、おそらくジルヴェインがロムガルド王都アルダールも攻略成功してしまっているのだ。

 悪い知らせだけなら動揺を待つこともできるが、良い知らせで敵がどう動くか。ひいては封印されたファルネリアをどう扱うことになるか。そこは読めない。

 不測の事態を傍観して、ファルネリアが手の届かない場所にくらまされるのが一番厄介だ。多少の戦力はロータスとメイ、ファルの力押し、そしてホークの“祝福”による必殺攻撃でなんとかできると信じ、出来る限りの速攻で挑むしかない、というのが二人の出した結論だった。

 となると、どこまでホークの力を温存するかがカギになる。言い方を変えれば、ホークが“祝福”を使わざるを得ない状況を、どう避けていくかが作戦の要ともいえる。

「イレーネ殿は敵兵から自らの身を守れる程度には記憶が回復……してはおらんな」

 ホークの傍らで仲の良い恋人のように肩を寄せている(恋人という体裁になっているので当たり前だが)イレーネを見て、ロータスは嘆息する。状況は二日前から全く変わっていないようだった。

「翼くらい出せないか?」

「翼……」

 ホークに言われて、イレーネは悩んだ顔をする。

「私、そういうの出せたの?」

「パリエスみたいなでかい翼出して堂々と飛んでたぞ。白いドラゴン系の翼だ」

「んー……んー……っ」

 自らの額を指で突きながらイレーネが気張る。……翼が出る気配はない。

「目覚めるほんの少し前まではそれで飛んでたんだけどな……どうやったのかはわからないがレヴァリアがしまわせちゃったんだよな」

「飛べれば雑兵にやられる可能性は減ったのだが。こうなればイレーネ殿はレミリス殿とともにチョロ殿の背に待たせるしかないな」

「いや」

 イレーネはホークにぎゅっと抱きつく。甘ったれの姉か妹でもいたらこんな感じなのかな、とホークは思うが、和んでばかりもいられない。

「少しは聞き分けてくれイレーネ。お前だって大事だけど、仲間の命がかかってるんだ」

 イレーネの頭を撫でながらホークは諭す。むくれながらもイレーネは腕の力を緩める。

「ホークがやらないといけないの……?」

「多分な」

「ホーク、強くないんでしょ? ホーク、騎士とかじゃなくて泥棒なんでしょ? 強いロータスやメイがやればいいじゃない」

「……ま、まあな」

 ここに来るまでに各人のことも端的に紹介していたのだが、改めて言われると確かにホークが混ざるのは場違いに思える。

 ホークにあるのは、そう何度もは使えない一発芸だけ。まともな兵士一人にも戦闘力は劣るのに、芸を使う一瞬のために殺気立つ兵隊の真ん中に飛び込むのは、いかにも割に合わなく思える。

「みんな、ホークに無理をさせようとしないで。死んじゃったらどうするの」

「…………」

「…………」

 ロータスも、周囲で一応聞いていたメイやレミリスも、なんとも言えない顔をする。

 ホークは死なない、というのは、確かに願望の多分に入った見解なのだ。

 今までがうまくいっていた。だが今後もそうであるとは限らない。メイやロータスを殺すのはまともな人間では不可能だが、ホークならやりようによってはそこらの農民にだって殺せる。

 ホークが超人たちの戦場にいることは、当たり前のこととして捉えるにはあまりにも危うい。

 家族との縁を切ったホークには、そんな風に当たり前に心配してくれる存在なんて今までいなかった。メイもレミリスもホークを慕っているが、それでもホークの無茶を咎められるような状況ではなかった。

 何も知らない状態になったイレーネだけが、本来ホークにもかけられるべきだった心配をしている。そのことは皮肉とも言えた。

「死なねえよ」

 ホークは心の底で嬉しく感じながらも、抱きついたイレーネの手を優しく解く。

「盗むのが俺の本業だ。俺はこれから、ひでぇ奴らから仲間の命を盗み取りに行くんだ。ロータスもメイも悪人をやっつけるのは得意だが、盗みは下手糞だ。だから、最高の盗賊である俺の盗みの手伝いをさせるんだ」

「……詭弁だよ」

「いや、詭弁じゃねえよ。……壊すのが得意な奴らじゃ、できないことはある」

 いつか、ジェイナスが言っていたこと。

 戦って敵を倒すのは自分もメイも得意だが、ホークの仕事はきっと違う。

 その通りだ。彼らがいれば殺し合いには勝てる。だが、敵を倒すだけでは勝利と言えない状況がある。

 戦いの場にホークがいる意味は、そういうことなのではないか。

 改めて、ジェイナスは本質を見ていたのかもしれないな、と思う。

「……でも、心配」

「…………」

 鬱陶しいな、という気持ちもある。

 だが、こんなにも、ただホークがいることを望んでくれた相手は、いたことがあっただろうか。

 そう思えば、イレーネが無垢な少女のようになってしまっていることを邪険にはできない。

 誰かが心配してくれるという事実は、暖かい気持ちを与えてくれるものだ。

「死なねえさ。……俺は、何もかも手に入れる。大事なものは捨てねえ。自分の命も、気に入った相手の人生も」

 誓う。

 欲しいものには利己的に、貪欲に。

 そして、誇り高く。時には損があるとしても、自分に正直に。

 たった一度の人生を、納得がいくように力いっぱい生きる。

 それが、いつからか憧れた「骨のある悪党」なのだから。


       ◇◇◇


 魔王軍の支配下であっても、夏の日差しは眩しく、平原は青草で輝く。

 チョロの作る日陰にイレーネやレミリス、ロータスは休み、メイとホークは「大事な話」のために、彼らから少し離れた木陰にいた。

「……じゃあ、代わるよ、ホークさん」

「ああ」

 メイが深呼吸をして、目を閉じる。

 ザワザワと髪が暴れ、金髪に染まっていく。

 しばらくして、目を開けた時にはメイはファルになっていた。

「……ホーク様」

「ファル。話があるから出てきてもらった」

「……はい」

 ファルはどこか諦めたように、そして親に叱られる子供のように、しゅんとした雰囲気で目を伏せる。

「単刀直入に言う。なんで自分を殺せなんて言うんだ。お前自身の体、お前自身の命……自分だけの人生を取り戻すチャンスなんだぞ」

「……はい」

「お前のスペアの肉体は、もう敵の手に落ちてるかもしれない。そうなったらお前の魂が戻る先はないってことだろ」

「ええ。……そうです。私は、本当に死ぬのでしょう」

「なのにどうしてだ。そんなにメイのカラダの居心地がいいってのか。メイだって自分の人生があるんだぞ」

「…………」

「それに、俺は……いつまでもお前とメイを裏表でしか見られないのは嫌だ。そういう面倒臭いのに好かれると、どうしていいのかわからねえだろ」

「……かもしれませんね」

 ファルは視線を合わせないまま、遠くから優しく吹く夏風に髪を遊ばれるまま。

 不覚にも、ホークはその儚い佇まいに、美しさを感じてしまう。

 だからこそ。

 彼女が自らの死を選ぶようなことは、止めなければならない、と心がざわつく。

「どうしてだ」

「……メイさんから聞いたと思います。私はあれからずっと、瀕死のままでリディックの剣に貫かれ、悶えているでしょう。その痛みにジルヴェインはおそらく配慮なんてしない。あるいは死にかけたまま、嬲り者にしているかもしれません。……私は人から『しっかりしている』なんて言われることもありますが、ただ魔剣を振るのが得意なだけの小娘です。魔族でも宗教者でもない。死に至るほどの痛みの中で何週間も……絶望の中で生かされ続けて、精神がもつはずがない。とうに発狂しているでしょう」

「だが、そのために記憶と人格をメイに持ち出させたんだろ」

「本体に最低限残した記憶と人格が、苦しめられている間のことを記憶しています。今の私──メイさんに宿ったファルとしての記憶は、そこに混ぜ合わされることになります。たとえ割合が少なく、薄まるとしても……深い絶望と恐怖、そして狂気は、心の中で暴れ続けるでしょう。正気付くことができたとしても、私が元のファルネリアと同じように戦えるとは限りません。魔王軍を前にして錯乱し、味方を傷つけることになってしまうかもしれない」

 ファルは目を上げる。そして笑う。

「それなら……たとえ既にスペアの体が敵に奪われている危険を考えても、殺した方がいい。スペアの肉体がもしまだあるのなら、ファルネリアは全てを悪夢として片付け、健康な肉体と精神を持って蘇れる。失敗しても死ぬだけです。役立たずのお荷物は、ここから先の戦いに抱えたくはないでしょう」

「それでお前はどうなる、ファル。帰る体を無くしたお前は」

「私はただの情報ですよ、ホーク様。魂は変わらずファルネリアだけが持っています。……捨てれば消えるだけ。もとより生き返るための当てとしてメイさんにお願いしているのです。完全に死んだ後まで、メイさんにご迷惑はかけません」

「ファル」

「……どうして、そんなに気にするんですか。魔剣使いは私以外にもいるでしょう。ジェイナス様が蘇った今、私が果たすべき役割はもうない。それに……いえ」

「お前……」

 ホークはファルの目をじっと見る。

「ロムガルドが……アルダールがやられたから、ヤケになってるのか?」

「ヤケなどというものでは……」

 目が、揺れた。

 ホークにとっては思い付きだったが、その反応から察する。そして、想像する。

「……メイの不得意な部分を魔剣で補うっていうのを、ジェイナスの登場でお株を奪われて……ロムガルド王族としての便宜っていうもうひとつの存在意義も、王都陥落で奪われて。お前、自分がいる意味ないって思い始めてないか」

「…………」

「狂って無様な姿になってるだろう自分に、もう無理して治すほどの価値なんかないって、勝手に決めてないか」

「……だって、そうじゃないですか。……ホーク様も、少しはそう思うから……そう、言っているのでしょう?」

 ファルは再び目を逸らした。

 声が、震えた。

「……ファル。勘違いするな。俺は」


「私に、今までの人生なんてなかったっ!」


 絞り出すように、ファルは叫んだ。

 ホークは慰めの言葉を思わず途切れさせる。

「私は今まで、ロムガルドの姫として、王家ただひとりの『勇者』として……“勇者姫”としてしか生きてなかった! メイさんみたいに明るくて眩しい性格でもないし、魔剣の扱い以外何も知らない! 蘇れたとしても、あなたにもメイさんにも、益になる人間じゃない! 部下もみんな死んでしまって、ただひとつ自慢できた生まれの良さだって、国があんなことになってはもう何の価値もないじゃないですか! 生き返って、魔王に万一勝ったって、私にその先の未来なんて誰も求めてない! 何もない、本当にもう何もない……ファルネリアは、そんな女なんです! せめて魔王に立ち向かって死んだ、勇敢で哀れな姫として、葬って下さいよ!」

「お、おい」

「そしてっ……!」

 ファルは泣いていた。大粒の涙をこぼしながら、叫んでいた。

「……ほんの少しの間でも、楽しかった。初めて誰かを心から頼りにして、強い敵にもみんなで勝って、そして人を好きになって……この数週間だけでも、“人”として生きられた思い出だけで、充分だから。未来なんて、もういらないから」


「だから、私を殺してください」


“勇者姫”の奥に、溜まりに溜まっていたコンプレックスと絶望。

 それが、ホークの前に悲壮な言葉として形を得る。

 ホークは。


 夏風を浴びながら。


「うるせえ。勝手に充分とか決めるな馬鹿。……俺はお前を盗みに行く。手に入れた先のことは、俺の自由だ」


 ファルを、抱き締めた。

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