渦動の魔剣

 ジェイナスの生家はレヴァリア王国の騎士の名門の一つで、魔剣使いを多く輩出する四大家門のひとつとされている。

 そういった家は幼少の頃から魔剣使いの腕を鍛える環境が整っていて、元服の頃には既に熟達していることも珍しくはない。

 ゆえにその活躍は少年時代から抜群のものであり、ジェイナスも24歳の若さにして、本来国家総動員の大事業である「龍殺し」を七度もこなしている。

 そんな彼が幼い頃から最も多く触れてきた魔剣こそが「試しの魔剣」という名で家に伝わっていた「ボルテクス」だった。

 庭の隅にある池の中央に突き立ったその魔剣は、魔剣使いの才能がある者が柄を握れば、ゆっくりと池全体の水が回転を始める。

 その光景が親としての悲願といえる。名門ではあっても子に才能があるとは限らないのは、魔術の才能と同じなのだった。

 そしてこの「試しの魔剣」で才能を証明した子供は、以降は騎士団で本格的な剣の扱いを教えられ、騎士としての輝かしい道を歩み始めるのだった。


 しかし本来、国家的にも貴重であるはずの魔剣が、何故騎士とはいえ一個人の屋敷の庭に放置されているのか。

 答えは簡単、実用に耐えないほど実戦性の低い魔剣効果だからだ。

 ただ、渦を巻き起こす。それだけ。

 池全体を動かせるとは言うが、その池は小さく、せいぜい差し渡しで5ヤードほど。鯉をいくらか飼うのがせいいっぱいの池だ。その速度もさざ波が立つ程度で、それほど荒々しくは回せない。

 大気に差し伸ばせばつむじ風を起こすこともできるが、それも大した風力ではない。落ち葉の積もったところならば大道芸にちょうどいい、という具合で、この剣を使って悪党やモンスターと戦うくらいならロムガルドの量産魔剣の方がまだしもマシ、というのがもっぱらの評価だった。

 ……ジェイナス以外の騎士にとっては。


 ジェイナスは、まだ騎士団の寄宿生活も認められない頃から「試しの魔剣」に毎日触れ、将来「立派な勇者になる」という目標のために池を回し続けていた。

 そして、魔剣への理解が深まり、研ぎ澄まされ、この魔剣の「渦」という特性が、ただ水や空気を緩慢に動かすだけではないと悟る。

 剣を引き抜いた幼いジェイナスは、それを使っての鍛錬を父に願い出て、渦の力を刀身に集中することで剣戟を一方的にいなし、5歳にして大人の父に勝利するという快挙を成し遂げる。

 以来、「ボルテクス」と名を改めた「試しの魔剣」を帯び続け、18歳で伝説の最上位魔剣「デイブレイカー」を王家より貸与されるまでは、その力を存分に振るって戦っていたのだった。


       ◇◇◇


「やっぱ俺の手にはこいつが一番合うな。負ける気がしない」

 ジェイナスは襲い掛かる魔王軍のあらゆる攻撃を「渦」で巻き上げ、弾き飛ばしながら、懐かしい「相棒」の感触に微笑みを浮かべていた。

 長いこと触れていなかったが、その間に魔剣使いとして成長したおかげか、本来ありえないほどの大規模な魔剣効果を自在に発現できる。

 大気は元より、周辺の空間自体を「渦巻かせる」という大技が可能になっている。

 竜巻めいた風が起こってはいるが、風自体が矢や魔術を弾いているのではない。もっと根本的に世界そのものが渦を作り、ジェイナスへのあらゆる力の直行を阻んでいる。

 見た目には緩い旋風を纏っているだけにしか見えないが、ジェイナスは例え岩や爆炎を叩き付けられても、「ボルテクス」の渦が直撃を防ぎ、いなしてくれると確信していた。

 こんな強烈な効果はなかったと思う。だが、理屈ではなく「できるのだ」という直感がある。

 剣先まで手指と同じように神経が通っている感覚は熟練の剣士なら誰もが持つが、ジェイナスはそれを魔剣の持つポテンシャル自体にまで、深く深く感じている。

 そして、力の本質を理解すれば、それがどれだけのことを可能にするかもまた同じようにすんなりと実感になる。

 今の自分には、通じない。何千の敵意も、何万の暴力も。

 隣にリュノもホークも置けはしないが、この「ボルテクス」を握る限り、ジェイナスにとって常人の軍勢は、何の障害でもありえない。

「今思えば、『デイブレイカー』の手応えの心細さは折れかけてたせいだったのかもなぁ」

 ジェイナスの身の内の力を力強く受け入れ、全てを吹き飛ばす大渦へと変換し続ける「ボルテクス」の頼もしい手応えに、ジェイナスはどこか呑気に呟く。

 その間にも半マイルの遠くからいくつもの光弾が飛んでくる。直撃すればちょっとした屋敷が跡形もなく吹き飛ぶような大魔術と思しき特大の光球だったが、そのことごとくはジェイナスに到達する前に歪んで四散するか、水面を跳ねる水切りの石のようにジェイナスの頭上の空間をバウンドして、背後の山に着弾する。

 突撃してきては空高く吹き飛び、遠くに叩き付けられて絶命する兵士は後を絶たず、彼らは何が起こっているのか理解できずに困惑し、それでも上官や周囲の鼓舞に応えないわけにもいかずに散発的に同じことを繰り返す。

「『デイブレイカー』なら、やられる実感がわかりやすかったから、無茶はそこそこでやめて散ってくれたもんだが。そういうところはこっちは不便かもしれないな」

 ホークは剣を掲げる手を軽く返し、そして敵軍が大挙している山の斜面を視線で睨み据える。

「悪いな。……魔王軍。こっちはこういう仕事でな」

 世界をねじ切る渦が、細く収束する。回転数を上げる。

「時間は、かけられないんだ……よっ!!」

 ジェイナスは、剣に沿ってどこまでも伸びる渦を前方に倒し、時間をかけて薙ぎ払う。

 ゴゴゴゴゴ……、と大破壊が始まる。

 大地が抉れ、青々と葉を付けた大木が木の葉のように舞う。それがマイル単位の地面に沿って、何もかもを磨り潰し、吹き飛ばし、吹き散らす。

 不可避の掃滅に晒された魔王軍は、この期に及んで何もかも投げ捨てて逃げ出そうとしたが、時すでに遅し。ボルテクスの巻き起こした「渦」の横倒しによる薙ぎ払いは、そのひと薙ぎで跡に何一つ残さずに数千の兵を残らずねじ切り、あるいは上空1000フィート以上に投げ飛ばし、メチャクチャに回転させながら地に叩き付けて絶命させる。

「……っと。いい気分じゃないな」

 ジェイナスは剣を元のように天に向けて防御姿勢をとりつつ、自分が起こした破壊の跡に少し顔をしかめる。

 威力と射程は申し分ない。だが、相手の選別をするのは難しく、これで薙いだ山は森ごと掘り起こされて泥土の露出した無惨な姿になってしまう。

 魔剣の特性とはいえ、こうも加減が難しいのは困る。

「パーティ組めないな、この戦い方じゃ。贅沢は言えないが」

 そして、別の方向の一群にも目を向ける。

「まあ、反省は後だ。仕事はまだまだ終わってないからな」

 その一群はジェイナスの魔剣に対する恐怖が隠せず、統制が乱れたのが分かる。

 魔王軍の大部分は力に屈した烏合の衆だ。略奪というエサに釣られて調子に乗っているうちはいいが、優位の戦いができないなら脆い。

 それは、いくつもの魔王軍の部隊を壊滅させてきたジェイナスにはよくわかる特性だった。

 だが、自分を先頭にした討伐道中ならいざ知らず、今はベルマーダを守る戦争だ。

 深入りはキリがないので敢えて追わない、という、ホークたちとの旅の間の不文律を適用していられる状況ではない。

「今日の俺は甘くないぞ。残念ながらな」

 ジェイナスは再び「ボルテクス」に力を集中し、破滅の「渦」をゆっくりと敵陣に振り下ろしていく。


       ◇◇◇


「……あんな魔剣があったのなら、本当に最初から持たせればよかったのに」

「あれは……そういうモノではない、はずだ」

「ロータス?」

「かつて、噂で聞いたことがある。ジェイナス殿が『デイブレイカー』を手にする前の武勇伝だ。……最上位には程遠い、量産魔剣にも劣る三流の魔剣で龍を殺したと」

「……三流? あれがそうだっていうのかよ」

「ジェイナス殿は『ボルテクス』と言っていた。……おそらくは『試しの魔剣』として知られる、かろうじて魔剣使いとしての才能を試すことができる程度の魔剣があれだ。実戦では使えないとすら言われた剣のはずだ」

「どういう……」

「私はかつて倍以上などと見積もったが、とんでもない。……量産魔剣以下のものであんなことができるなら、桁が違う」

「…………」

 ホークはロータスと一緒に、遠ざかっていくジェイナスの戦いを固唾を飲んで見下ろす。


 しばらく飛んだチョロは、ベルマーダ軍の本陣に着陸する。

「戻ったか、ホーク」

「爺さん。……ジェイナスとインチキロリババアに助けられちまった」

「なんじゃあの小娘は。マスクドなんちゃらと言い張ったかと思えば、パリエスもレミリスもあっちゅう間に治しちまいおったが」

「……インチキロリババアだ」

 詳しく説明しようとするとだいぶ時間がかかってしまうので、ホークは流した。

「ファルとラトネトラとパリエスはラーガスを追った。が、逃げられちまったみたいだ」

「その報告は受けた。じゃが敵の創造体とやらも品切れじゃろう。こっちも貴様が生きておれば、仕切り直しはいくらでも利く。よく生きて戻った」

 老ドワーフはホークの太ももを力強く叩いて労う。

「ってて……こっちも一発芸なんだけどな」

「そう簡単に無意味になる芸でもないじゃろ。焦るな。貴様ひとりで戦争をしておるのではない」

 そして、負傷兵の後送は賑やかだが、思ったよりは陣の体裁を守っている風景をホークは見渡す。

 まだベルマーダ軍は戦える。ガルケリウスや高速鳥人などの急襲を受けたにしては、だいぶマシな光景だ。

 ホークが意外に思っているのを察したか、ガイラムは片手を広げた。

「あのジェイナスという若いのが飛び込んで行ってから本当に敵の攻勢が止まっとる。おかげでこっちも立て直せておるが、援護はいらんと言われてこっちも困っとるんじゃ。あれは勇者らしいが、この間貴様が運んどった死体じゃろ。本当に大丈夫なのか」

「……わけがわからねえよ。……俺が見た魔王と同等以上の真似を、よりによって三流品の魔剣でやってやがった。あんな化け物なのか、あいつは」

「貴様がそんな態度でどうする。儂はなんと言えばいいんじゃ」

 ガイラムも困惑した顔をする。

 そこに、リトル越しにレヴァリアの声が割り込んだ。

「盗賊君。……魔王を倒そうっていうんだよ? 魔王より弱くてどうするんだ、勇者が」

「レヴァリア。……蛇借りたのか」

「まあね。悪い、ラーガスはまだ逃げ回ってるみたいだ。パリエスがアンデッドを浄化して、坑道の中を逃げ回ってる奴をドワーフと犬人たちが追い回したんだが……捕まえてみたらイレーネと同じだったよ。例の寄生体で味方兵をデコイにしていた。それも3体もね」

「野郎。どれだけ身代わり好きなんだ」

「それに一度ドワーフたちが追い出されているうちに出口を把握されちゃったようでね。こっちもあまりバラけて動けなかったおかげで、張ってなかった出口から逃げられたみたいだ。今はまた地上で犬人たちとファル君が追っているよ」

「すぐ戻る」

「いや、やめておけ。今は休んだ方がいい。もし捉えられても君の出番はもうないと思う」

「…………」

「過ぎた責任感は身を滅ぼすよ。そんな不満そうな顔をするな。楽ができるならよかったって喜びなよ」

「なんで俺の顔が見えてるんだよ!」

「ははは、ただの勘だよ。……それと、ジェイナスだが」

 お気楽な口調だったレヴァリアが不意に声を低くする。

「……明らかに魔剣の出力が異常なの、見たかい? ……あんな魔剣で、以前の彼より強くなっている。……少し、まずいかもしれないね」

「何がだよ。弱くなったならともかく……」

「僕らが何を恐れていたか、教えたよね」


「破壊神……」

「……さてね。僕たちは……君たちは、後戻りできるのかな。あるいは、必要ないのかもしれないけれど」


 それっきり、リトルは黙った。

 ガイラムが怪訝な顔をする。

「何の話じゃ」

「……いや」

 ガイラムも先日、パリエスから魔族と魔王戦役についてのあらましは聞いている。

 だが、ジェイナスが「それ」になりかけているかもしれない、というのを、ホークが口にするのは憚られた。

 そして、もしも「そう」だった場合、何が起きるのか。何が始まるのか。

 ホークには想像も出来なくて、ただただ漠然とした不安しかなくて。


「ホーク殿! イレーネ殿が……」

「あ、えっ?」

 ホークがガイラムと話している間に、せっせとイレーネをレミリスから解いて地上に下ろそうとしていたロータスがホークを呼ぶ。

 慌てて駆け寄っていくと、未だ裸のままのイレーネは、肩にベルマーダ軍の誰かのサーコートを羽織ったまま座り込んで、不思議そうにホークを見上げていた。

「イレーネ!」

「……?」

「わかるか、俺だ! ……お前、何してたか覚えてるか!?」

「…………」

 イレーネの反応がおかしいので、ホークは不安になる。

 脳を半分食われ、それをウーンズリペアで再生したのだ。性格もそうだが記憶も壊れているかもしれない。

 脳が腐って流れ出てしまった頭蓋骨でも生き返りの秘法で蘇ることはできるので、あまり深くは考えないようにしていたが……何もかもが都合よく済んでいるとは限らない。

 相手は邪なるネクロマンシーの使い手だ。たとえ普通ならそれで済んでも、ラーガスの術が残した影響は取り返しがつかない可能性だってあるのだ。

「……ホー……ク」

「覚えてたか」

「……覚えて……ない」

 困った顔をしたイレーネは、サーコートの襟を抱き寄せるように握って首を振り。

「わからない……何が……何を……わたし、は、……」

「ホーク殿の名前はわかる……もしや、記憶が飛び飛びで繋がっていないのか」

「……うん」

 ロータスの言葉に不安そうに頷くイレーネ。

 あれほど尊大で自信満々だった女魔族は、まるで迷子の子供のように弱々しくなってしまった。

「…………っ」

「生きてただけ、マシ」

「レミリス!」

「死んでた方が良かった?」

「そういうっ……!」

「落ち着け、ホーク殿。レミリス殿に悪気がないのは貴殿が一番知っているはずだ」

「…………」

 そうだ。レミリスは淡々としているが、これでも励まそうとしているのだろう。そういう娘だ。

 それにレミリスとて、つい先ほど死にかけたはずだ。それをまともに相手もしていないホークが、ただ目の前で弱々しい姿になって見せたイレーネだけを哀れむのは思うところもあるだろう。

「……悪い」

「ん」

 レミリスは淡々と頷いた。

 兎にも角にも、仲間は全員生きて激戦を切り抜けたのだ。

 もう会えないかもしれなかったイレーネも戻った。それでひとまず喜んでおくのが筋だろう。

 しかし、下を向いて震えるイレーネを囲んで、そんな白々しいことはできそうもない。

 重苦しい空気になりかけた時、ロータスが腕組みをしていきなり一言。


「見ての通り、薄々は推察できると思うが貴殿とホーク殿は恋人同士だったのだ」


「え?」

 きょとんとするイレーネ。

 ギョッとして固まるホーク。無表情で同じく固まるレミリス。

「ホーク殿の名前だけを覚えていたあたり、大事な記憶なのは貴殿自身納得できよう。それにこのホーク殿の心配ぶり。……そう、ただならぬ仲だったのだ。ご安心召されよ。ホーク殿が貴殿を守ってくれる。貴殿の記憶を奪った邪悪な魔術師は我々で片付けよう」

「……う、うん」

 イレーネは戸惑いながら頷く。

 そしてイレーネに見えない部分でロータスは親指を立てた。

(どういうつもりだ)

(記憶のない彼女を前にそんな顔をして、いきなり不安がらせるのはあんまりだ。せめてレヴァリア殿やパリエス殿が戻ってくるまでは貴殿が慰めてやっても良かろう)

(そういうのはよく話し合ってから決める筋書きだろ!?)

(勝手に空気を重くしたのは貴殿だ。責任を取ってもらう)

「……口に出してないのに、何言ってるか、わかる」

「にんげんってすごいですね」

 無表情のレミリスと、何故かレミリスの肩にいつの間にか移動していたリトルが呟き合った。

 イレーネはそっとホークに近づき、確かめるようにそっと手を伸ばし、ゆっくりとホークに抱きついた。

 サーコートが落ちた。

 周囲を走り回っている兵士たちの視線が、白く晒されたイレーネの裸身(特に尻)に集中したのが分かる。

「気持ちはわかるが続きは駄目だぞホーク殿。ここは野外だ」

「勝手に気持ちをわかるな変態」

 ホークは抱き締め返すことも突き放すこともできずに中途半端に手を浮かせて呻いた。

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