七度目の勇者

「さて盗賊君。君にこれをあげよう」

 レヴァリアは治療が終わったイレーネを指差し、ホークに言った。

「これ、ってお前」

「治療は済んだ。脳味噌も心臓もちゃんと再生したし動いている。でも僕は持って歩く余裕はなくてね。ゆっくり休みたいのはやまやまだけど、流れ的にあのラーガスという小僧を生きたまま挽肉にしないといけないし」

「……俺に任せるって普通に言えよ。っていうか俺、今両手動かねえんだけど。ゾンビの一匹も来たら普通に負けるぞ」

「あぁ。そういえばそういうペナルティがあるんだっけ。しょうがないなぁ。ほら、しゃがめよ」

「何する気だ」

「治療魔術だよ。筋肉の疲労や腱へのダメージで動かなくなっているならウーンズリペアで理論上修復できるはずだ」

「……思った以上に応用範囲広いな、ウーンズリペア」

「狭くちゃ普及しないよ。強引な使い方をすれば、病気もだいたいこれで治る。ほとんどの病気って要は内臓の損傷劣化と感染症だからねぇ」

「何を言ってるのかわからねえがお前が割と凄いというのはわかった」

 ホークの言葉に少しだけ真顔になったレヴァリアは、少し間をおいて呵々大笑。

「あっはっはっ。いいね、僕にそういう反応をする奴は珍しい。いよいよ気に入ったぞ。やっぱりイレーネはやめて僕の愛人にならないか」

「そもそもこいつの愛人になった覚えもねえよ!」

「じゃあフリーってことかい。ちょうどいい。貴族に準じる待遇を約束しよう」

「だからお前は射程外っつってんだろうが! いやそうじゃねえ、話はそこじゃねえ……あれ」

 ホークはひょいと上がった腕に驚く。しゃがんだホークの両肩を小さな手で揉むようにしたレヴァリアは、特に詠唱する様子もなくホークを癒してしまった。

「……いつ詠唱した」

「いや、イレーネの穴を塞いだ術の余りだ。だいぶ簡単に消えたみたいだねえ」

「そんな風に余るもんなのかウーンズリペアって」

「いや、普通に使うと無理だね。発動位置が相手の肉体に固定されるから。でも色んな重症度の患者を何人も連続で癒す時なんか、いちいち唱えるの煩わしいだろ。一定時間、自分の手を押し付ければ治る形にしたんだよ。ちょっと余った時に自分の肩こりとかにも使えるし」

「最後のはさすが1000歳って感じだが、そんな簡単に改良できるような術なのか」

「大元の術は1000年前にはあったからね。さすがにそんなに暇なら改良する時間くらいあるさ」

 そういえば「パリエスが作った術ではない」という話をイレーネがしていたこともあったか。

 旧文明が魔術によるものなのだとしたら、こんな重要な魔術がそれ以前になかったはずもない。当たり前と言えば当たり前だが、ホークは妙なところで歴史の深みを感じてしまった。

「さて、腕が動くならイレーネは任せていいね? じゃあ僕はラーガスに内臓ひとつずつすり下ろす痛みを味わってもらいに行くから」

「さっきと刑罰が変わってねえか」

「ああごめん。本気で僕を怒らせた奴は久々なんでね。いろんな妄想からどれをやろうか迷ってるんだよ。昔は残虐刑による恐怖政治を試したりもしてねぇ。焼いたり削ったり刻んだり、酷いのをいろいろやってみたものさ」

「……やっぱ愛人の件は聞かなかったことにするわ。いや元々聞くつもりなかったけど」

 本気で怒っていると言いながらもニコニコしているレヴァリアが恐ろしい。

 近くに置いておくと、警戒していても大事をやらかす瞬間まで手の打ちようがないタイプだ。


 レヴァリアがラーガスを追って行ってしまうと、その場に残されているのはいよいよ全裸で眠るイレーネと自分だけになってしまう。

 先ほどまで殺し合っていたとはいえ、その原因を取り除いてしまえばイレーネはただのおっぱい美女だ。いつもホークの隣であれこれと歯止めをかけるメイやファル、あるいは茶化すロータスもいないので、ホークは落ち着くことができなくなる。

 泥土の上に寝かせておくのもどうかと思って、体の下に敷けるような布を持ってきていなかったか道具袋を漁る。

 そして大きさは少々不足ながら、一応何かの包み布だったらしいものが見つかったので、それをイレーネの体の下に敷こうと体の下に手を差し込んで、その脱力した体の暖かさ、柔らかさにビクッと手が硬直してしまう。

 魔王軍と乾坤一擲けんこんいってきの戦いをしている最中だというのに何をしているのか。ホークは首を振りつつも、無防備に寝息を立てるイレーネの完璧なプロポーション、特に上下する胸の先端から目が離せない。黙ってさえいれば、こんなに男の情欲を誘うカラダというのもないのではないか。

「はずしましょうか」

「っ!?」

 リトルがじっとホークの顔を見ていた。蛇なので表情はまったくわからないが気を使っているらしい。

「い、いや、いい。いなくなられたら困る」

「ですがぼくはこどもですので、こういうばめんはきょういくにわるいのです」

「女の裸が蛇の教育に何の関係があるんだよ!」

「はだかはどうというわけではないですが、こうびはちょっと」

「しねえよ! どんだけ非常時だと思ってんだよ!」

「しないのですか」

「なんでガッカリしたような声なんだよ」

「きのせいです」

 とにかくリトルがいると思えば、おかしな状況でドギマギすることもない。いや、するにしてもおかしな気は起こさない。

 俺は何をやっているんだ、と思いつつ、イレーネの体の下に布を入れて一息。

 よく考えたら下に敷くより上に掛けるべきではなかったか。

「…………」

 他に大きい布は持ってきていない。手拭いは一枚あるが、それで胸を隠すべきか股間を隠すべきか。

 むしろ上着を脱いで掛けるべきか、と思いついて服を脱ごうとしたら、チョロに「あの……」と言われて思い留まる。

 今ここで突然脱ぐなど、性懲りもなく交尾しようとしているように見えてしまうではないか。

「う、上に掛けるものをな」

「いえ、ラーガスが……にげたようです」

「何やってんだあのポンコツども」

「それで、てきのこうせいがはじまるかもしれない、と、あっちこっちに」

 チョロがそこで言葉を切り、ロータスの声に変わる。

「ホーク殿! 聞こえるか! 今からチョロ殿で降りる! イレーネ殿を回収する!」

「ロータス!」

 空を見上げると、曇天に小さくチョロの形が見える。

「そこは敵陣の中央だ、早くゼルディア側に……っ」

 急にロータスが黙り込む。

「おい、どうした」

「……い、いや、なんでもない……全員背に乗るのは無理だ、ホーク殿はチョロ殿の脚に掴まって脱出だが、やれるか」

「贅沢は言えねえ。しかしファルたちはどうする」

「彼女らは戦える。だがホーク殿の役目は終わっているし、イレーネ殿は当分使い物にならぬのだろう。前面にいるべきではない」

「…………」

 彼女の言う通りだ。とにかくイレーネは後送しなくてはならない。

 それにホークは兵の集まってくる普通の戦場では逃げ回るのが関の山だ。“祝福”で10人やそこらを切り裂いたとしても、そこで打ち止めでは死ぬだけだ。あくまで大物がホークの相手である。


 しばらく待っていると、チョロの背にレミリスとロータスが二人乗りして舞い降りてくる。

「レミリス! 重傷って聞いたが」

「レヴァリア」

「……あ、ああ、レヴァリアが治したってことか」

「ん」

 高位神官が三日掛けの治療が必要でも、レヴァリアの最強のウーンズリペアにかかれば、すぐに動けるようになってしまうようだ。

「ロータスも、よく無事だった」

「……正直、遊ばれていた。だが、彼の前ではガルケリウスもただの一太刀だったよ。やはり……モノが違うな」

「彼……」

 ここまでくれば、ホークも薄々は気づいていた。

「モタモタせずにとにかくイレーネ殿を乗せよう。レミリス殿、帯でイレーネ殿を貴殿の背に固定する」

「……重そう」

「ホーク殿よりはだいぶ軽い」

「ホークなら、我慢できるけど」

「変なとこでゴネるな」

 ロータスと二人がかりでイレーネの裸身をレミリスの背に括り付ける。

 そしてホーク自身とロータスは、チョロの両脚に掴まり、念のためにチョロの背中越しに互いに命綱をかけて固定。

「行ってくれ!」

「ん」

 チョロが敵陣の山中から離陸する。


 そして、空に舞い上がって、改めて敵の多さにゾッとし……そして、ホークたちがいた場所から一山離れたところで起こっている戦いに驚愕する。

「なん……だ、ありゃ……?」


 三方から攻め寄せる敵を、たったひとつの「点」が、空高く巻き上げ、吹き飛ばしている。

 矢も魔法も「点」に集中しているが、まるで届かず、全て彼に近づく前に見えない「渦」に絡めとられ、あらぬ方に飛ばされる。

 それはもはや戦いではないとすら言えた。

 彼らは勝とうとしているのではない。ただただ抗っているのだ。近づいてくる災厄に。

 その「渦」は、悠然と魔王軍を削り取り、引き裂き、反撃を弾き飛ばす。


 魔王軍という災いを襲う災い。

 絶望を絶望させる、理不尽な希望。

 たったひとつの「点」が巻き起こす「渦」は、まさに彼という存在を象徴するような光景だった。

「……ジェイナス……なのか?」

「ああ。あれが本当の勇者……基準や定義など問題にしない、人の希望を背負う……勇者なのだな」

 空から見下ろすホークの目に、光輝を背負った青年は確かに目を合わせ、笑う。


「間に合ったみたいだな。よく頑張った、ホーク」


 七度目の伝説を背負う男は、自分を囲む敵たちに高々と剣を掲げ、威圧する。

 巻き起こり続ける大気の渦は空を穿ち、曇天の中で彼だけに光が差す。

 それは、まさにお伽噺の中の光景だった。

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