迷える刃
「気持ち悪ぅぅぅぅい……チカラだよなぁぁぁあ……? 魔法にも……見えないがぁぁぁ……」
いつものホークなら「テメェに言われるこっちゃねえ」と、ネクロマンサーに言い返していたことだろう。
だが、今はそんな余裕などない。
目の前にいるのはイレーネだ。ホークたちを守って姿を消した彼女が、美しくも無残な姿を晒しているのだ。
「ふざけんな、何やってやがるんだ……そんなチャチなコブなんかに、いいように操られてんじゃねえよ、イレーネ!」
叫ぶ。
頭のどこかではわかっている。既にそれは敵だ。呼びかけたところで目覚めてくれるような生易しい真似は、この残酷なネクロマンサーがするはずもない。
案の定、ラーガスは彼女の鳩尾近くの瘤から嘲笑を響かせる。
「ヒャヒャ……ヒャヒャヒャヒャ! いっくら……呼んでもぉぉぉ……届きゃしませんよぉぉぉぉぉ……もう吾輩のぉぉぉ……カラダみたいな……ものさぁぁ……」
「……ラーガス……! ただで死ねると思うなよ……!!」
「怨嗟なんてぇぇぇ……聞き飽きてるさぁぁぁぁ……でもねぇぇぇぇ」
無表情のまま、イレーネは頭を指差す。
「運動機能はぁぁ……吾輩が握っているが……一応人格はぁぁぁ……残ってるんだよぉぉぉぉ? もしかしたらぁぁぁぁ……まだ助かるかもねぇぇぇぇえ?」
「っ!!」
「ホーク様、惑わされないで! 人質としての価値を強調しているだけです!」
蹴り飛ばされて離れていたファルが跳び戻ってくる。
「ああして助けられるかもしれないと思わせることで、殺させずに時間稼ぎをしようとしているんです。そうしている間に、こっそりとどこかへ逃げ出そうとしているんです」
「ファル……でも」
「復活の儀式に必要な頭をやられているのであれば、最初から彼女が助かる道は一つしかありません。……私のように、スペアの肉体で復活する手立てを講じている場合だけ。ここまでされてしまった肉体は、迅速に殺すしかありません」
「そ、そうは言うが……」
「ヒャヒャヒャヒャ、そぉぉぉんな術式ぃぃぃぃ……あるんだねぇぇぇぇ……賭けてみるかぁぁぁぁい……?」
乳房の間で瘤がいやらしく笑う。そう言っている間にもイレーネは再び魔毒を腕に生成し、ファルに叩き込もうとしてくる。
改良された「シールド」の無効化領域のおかげでファル本人に届く前に魔毒は消えてしまうものの、イレーネ自身の身体能力の高さのせいで安全ではない。剣を握る手を手刀で打ち、「シールド・改」を手放させようとする。
ファルももう片方で抜いた「エクステンド・改」との二刀流でイレーネを切り払おうとするものの、「シールド・改」の無効化作用が強いために「エクステンド・改」の魔剣効果は鈍っており、数度ほど不自然な間合いでの空振りをしてしまったファルは、諦めて単なる剣として両剣を振るう。
だが、メイ本人ならいざ知らず、ファルの身のこなしは一流ではあっても「超一流」ではない。
イレーネはそれが必要な相手だ。
数度ほど切り傷を与え、出血させはするものの、致命傷には程遠かった。
「ヒャヒャヒャヒャ……容赦ないねぇ……恋敵、って奴だからかい……? 女ってのは醜いねぇええ……?」
「っ……何を!」
「助かるかもしれない……助かっちゃ困る……そういう魂胆だろぉおお……? あの男にぃぃぃ……執着してるのはぁぁぁ……丸わかりだよぉぉぉ?」
「黙りなさい!」
「なあぁああお前ぇぇ……この小娘ぇぇ……信用してぇぇぇいいのかぁぁぁい……? こいつはぁぁぁ……この魔族ぅぅ……殺したいみたいだよぉぉぉ……?」
ホークは惑わされまい、と唇を噛みつつ、ファルがイレーネと入れ違いで仲間に「入った」というのを思い出す。
確かに、ファルはイレーネに対して思い入れはない。旅の前半で世話になったことも、あのジルヴェインとの戦いでホークたちが逃れるための時間稼ぎをしてくれたことも、ファルにとっては他人事のようなものだろう。
そして、ファルはホークに対して若干おかしな執着を持っているのも知っている。
殺すしかない、というドライな判断は、その私情が入っての言かもしれない……という疑念は、持ってしまう。
「違います、ホーク様! 私は……」
ホークの視線に混じったそれを、ファルは敏感に感じ取った。
それが、隙になった。
「隙ありぃぃぃ……ヒャヒャヒャヒャ!!」
イレーネの裏拳打ちがファルの「シールド・改」を弾く。
空高く舞う防壁の魔剣。
すかさず魔毒を生成し、それをファルに叩き付けようとしたイレーネだったが……その腕に矢が突き刺さり、魔毒は見当違いの場所に飛ぶ。
矢を放ったのはラトネトラだった。
「戦いに集中しろ、二人とも!」
「ラトネトラ!」
「恩に着ます!」
ファルは敏捷に距離を取りつつ「エクステンド・改」を両手で構え、ホークは覚悟を決める。
ファルを信じる。いや、生き残る道なんて、そう、一つしかない。
元々贅沢が言えるほどホークは強くない。生き残り方を選べるほどの余裕は、ありはしないのだ。
「……恨んでいいぜ、イレーネ」
呟き、構える。
最後の一瞬に向けて、意識が加速しだす。
イレーネの首を取る。寄生された心臓を突き刺す。その想像を、“祝福”の手形で裏付ける。
できるはずだ。ホークにその力はある。できるはずだった。
しかし、心が拒絶する。
自分の一撃がイレーネの首を刎ねることを、イレーネの肉体を深々と短剣で貫くことを、ホークは想像しようとした。
しかし、できない。
心の中の自分が動いていかない。一歩たりとも、そちらに向かって想像が進んでくれない。
(……やりたいと思えば、暴発しちまうっていうなら……やりたいと思えなければ、不発ってのも有り得るわけかよ……!)
焦りながらも、ホークはどこかで冷静に自分の無様さを認識し、分析し、諦めている。
やれるわけがないのだ。たとえもう助からないだろうと思ってみたところで、イレーネを殺すことなんて。
メイだって、ロータスだって、レミリスだって……ホークが心の底から死を望んでしまえるわけがない。
想像するだけで気持ちが混乱し、吐き気がするようなことを、ホークに与えられた“盗賊の祝福”が……「欲しいものを奪い取る奇跡」が、肯定できるわけがないのだ。
となれば。
ホークはただのチンピラでしかない。
分不相応なミスリル合金の短剣と、その身に余る使命感に押し潰されそうになっているだけの、大した実力もない、大人になりかけた子供でしかない。
ホークは力なく短剣の柄頭から手を離し、腕をだらりと落とす。
つまり、ホークはただただ、強大過ぎる敵に殺されるのを待つだけの……。
「愚かだね。……調子に乗り過ぎだよ、ネクロマンサー」
空から幼くも冷たい声がした。
「あ……?」
ホークは天を仰ぐ。
翼持つ蛇身の女神の背に乗った、幼くも異質な瞳を持つ姫君が、曇天の鈍い光の中で見下ろしていた。
「パリエス様……それに、レヴァリア……様」
呆然とファルが呟く。
レヴァリアは操られた裸身のイレーネを見下ろし、片手を差し出す。
その瞬間、イレーネの体が痙攣してのけ反り、倒れる。
瘤の支配が混乱しているようだった。
「ヒャゥア!? あ、アぁアァァあ……!?」
「僕はそこの子供たちほど甘くはない。それとね。……君がどこにいるか、丸見えだよ。死体操りに専念していればいいものを、慣れない寄生体を使おうとして魔力を集中しちゃってさ。盗賊君やメイ相手ならそれでもバレなかったんだろうが、僕には通用しない」
「あ……が、な、何ダ……おマ、ェ……」
「ほら、逃げなくていいのか。まさかゾンビに紛れていれば大丈夫なんて思ってないだろうね。悪いがこのパリエスは浄化の専門家だ。低級アンデッドなんか何千体いても薄絹ほどの盾にもならないぞ」
パリエスの背から飛び降りて、レヴァリアはすたすたとイレーネに近づく。
「全く。イレーネ、こうなったのは自業自得だ。僕は君の、そういうとことん無計画なところが気に入らない」
「お、おい、レヴァリア……」
「盗賊君。君だけ残れ。あとの者はラーガスの捕縛に走れ。あっちの坑道にゾンビに紛れて隠れているよ。ゾンビは全部パリエスにやらせてしまえば、あっという間に土に還る。心配はいらない」
レヴァリアに早口で指示され、しばらくおたおたしていたファルとラトネトラ、犬人とドワーフたちは、ややあってパリエスと頷き合ってラーガスのいる坑道へ駆け出す。
「……パリエス、無事だったのか」
「危なかったけどね。僕が間に合ってよかった。実はこう見えて、パリエス本人よりも治癒魔術は上手いんだよ、僕」
「……なんでお前ここにいるんだ」
「ま、すぐにわかるよ。……それより、盗賊君。イレーネだ」
レヴァリアは、おかしな恰好で倒れて痙攣しているイレーネを見下ろし、そしてホークに言う。
「寄生体だけを抉り抜いてくれ。そういうの、できるんだろう?」
「……心臓と脳味噌をその寄生体ってのに喰われて、肩代わりされてるらしい。取ったら死ぬらしいぞ」
「ああ。うん。まあ人間なら死ぬけどイレーネだからすぐには死なないよ。いいからやってくれ」
「……イレーネだから、って」
「でかい羽根出したりひっこめたり自由自在のインチキ女に、人間と同等の脆弱さを求めないでくれ。こいつは化け物だよ。まあ、抉り取って半刻放置したら死ぬかもしれないけど、しばらくはマナボディが魂を維持してくれるはずだ」
「……よくわからねえが……大丈夫、ってことか?」
「100%じゃない。ラーガスがさらに余計なことをしていたら死ぬかもしれないが、まあこのままほっとくよりはだいぶいい確率で助けられると思うよ。だからまずは、ラーガスのつけたゴミを取って捨てよう」
レヴァリアの言うがままに、ホークは横たわってビクンビクン震えるイレーネの横にしゃがむ。
両の腕に意識を集中。手のひらに、手の届くその場に。
成功率100%の、奪取を。
天からの光が、ホークの意識を緩やかに飲み込んでいき。
「ほらよ」
「いや、それは捨ててくれ。いらない。気持ち悪い。っていうか近づけるな、くさい」
気持ち悪く蠢く茶色の瘤、そして脳深くに入り込んでいた方も、ホークは根こそぎもぎ取って両手に持っていた。
そして、イレーネの胸と額に開いた真っ赤な穴に、レヴァリアは強力なウーンズリペアを掛け始める。
「脳味噌も随分やられたみたいだね……こりゃ、性格も変わってるかもなあ、あははは」
「笑って済むかよ」
「済まないよ? 済むわけないじゃないか」
レヴァリアのノリが分からず、ホークは茶色の瘤を持ったまま首をかしげる。
その時、瘤が喋った。
「お前ぇぇ……まさ、か、レヴァリアの……魔族……どうして、魔王様にぃぃぃ……」
「僕、歴史上ずっと魔王には喧嘩売ってきたつもりだけど。君は長命種じゃなさそうだね。……まあどうでもいいさ。こいつは気まぐれで強引で淫乱でデタラメだが、長い付き合いの茶飲み友達なんだ。……楽に死ねると思うなよ?」
ホークが言ったのと同じ台詞を言い、冷たい目をするレヴァリア。
その目に秘めた危険さは、メイと同種のもの。
リュノにも通じる凄まじいまでのウーンズリペアの技巧といい、彼女はやはり、レヴァリア王国の祖なんだな、と脈絡なくホークは思う。
「ひ、ヒヒヒ……まあ、魔族の一人二人……まだ、狩りようはある……忘れていないよねェええ……君たちぃぃ……ここを切り抜けられてもぉぉぉお……魔王軍は……しこたま残ってるんだよぉぉお……?」
「8万と言っていたっけ? そうか8万か。さすがに一日じゃ片付かないかもしれないな」
「ア……?」
「雑兵なら千でも万でも連れて来たらいい。あいつはきっと、平らげるよ。……盗賊君。もうほんとくさいからそれ捨てて。潰して。いらないから」
「あ、ああ」
ホークはまだ喋ろうとする瘤を地面に捨てて(石でも使って潰したかったが手がもう上がらないので)サンダルの足で勢いよく踏む。
あっけなく瘤は潰れて動かなくなった。
◇◇◇
「もうこの辺でいい。少し高度下げてくれ。飛び降りる」
「……ん」
「本当に一人で行かれるのか」
「悪いね。『デイブレイカー』なら味方がいても細かい加減がしやすかったんだが、『ボルテクス』はそうもいかない。一人の方がいいんだ」
「……うむ。では、ご武運を」
「ありがとう。そっちもな」
ラーガスからゾンビを通じて出た攻撃命令に従い、進軍する魔王軍の前に、唐突に一人の騎士が落ちてきた。
驚く兵士たちに対し、彼は堂々と立ち上がり、剣を抜く。
「なっ……」
「何者だ!? ベルマーダ軍か!?」
「強いて言うならな」
不敵に笑い、騎士はたった一人で宣戦布告する。
「とりあえず、この国を返してもらおう。異論のある奴からかかってきてくれ」
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