森の隘路
「いたな」
「ああ。まあ、パリエス教会の情報力は確かということか。1000人規模の部隊がそうそう消えたり飛び出たりはせぬとも言えるが」
「この険しい地形だ。いくら奴らが野放図とはいっても、メシの予定も立てずには動けないってわけか」
「エリアノーラ殿が言っていた人馬兵の遊撃戦術も効いているのだろう。急な襲撃を警戒すれば、兵を無闇に散開はさせられない」
「ラーガスが小賢しいのがありがたいってトコか。……まあ、固まったところに真正面から俺たちが行くとは予想できねぇだろうが」
ホークとロータスは斥候に出ていた。
パリエスの言う通り、すぐ近くまで本当に敵部隊が来ているのか、というのを確かめるためだった。
結果、しっかりと大部隊は進軍していた。
「ホーク殿。敵の数を数えよう。私はこのまま敵後尾まで回ってから順に数える。ホーク殿はここに潜んで、通る敵の種類を把握してくれ」
「一人で大丈夫か」
「私を誰だと思っている。それにここは森。我が領域だ。一人ならまず見咎められはせん」
「……そうだな」
森の木々の加護を受けるエルフ族。そして、その木々にすら気配を隠し得る隠密の達人がロータスだ。
むしろ、ホークの方がよほど危なっかしいといえる。
「ホーク殿はアレがある。滅多なことはないだろうとは思うが、もしも見つかったなら極力戦わずに撒いてくれ。皆と合流してからでなくては多少の損害を与えられても焼け石に水だからな」
「言われるまでもねぇよ」
ホークはロータスの言う通り、大人しく息を潜めて敵を数えることにする。
魔王軍は主として亜人を軸にしている。多いのは獣人族、それも毛深く乱暴な熊人や虎人族だ。
彼らは人間族の国にいても馴染めないことが多く、キグラス亜人領やヴェルゾス大森林などの未開の地をテリトリーとしているものが多数で、普通の国では辺境にひっそり暮らしている者が多い。
次に多いのは人間族。これはクラトスやピピン、あるいはレイドラなどで裏切って魔王軍に加担し始めた兵が多い。
彼らは魔王の力を目の当たりにして、光の諸国の勝利に確信が持てなくなった者たちだ。また、一度割り切ってしまえば自国を略奪するのは簡単で、タガの外れた外道の行為はむしろ人間族の方が多い傾向にあるとも言われる。
元々キグラスに暮らしている人間族もいないわけではないが、彼らは異種族の混血であるがゆえに人間社会を追われたものだという。そういったものは魔王個人以外に帰属ができないため、眷属として特別に迎えられた者が多く、厄介という話も聞く。
そして割合は多くないが目立つのは巨人族。
10フィートに達する巨躯は、数字だと「そんなものか」と思うものの他者と比べれば圧倒的で、その丸太のような手足と表情筋の退化した顔貌はいやがうえにも恐怖を煽る。動きは重いものの頭が悪いかというとそうでもなく、これといったセオリーで対応できる相手でもない。普通に戦えば強敵だ。
鳥人族は……魔王軍としては珍しくないが、この列の中には混ざっていないようだ。
この軍を指揮するラーガスは智将として名を馳せている。魔王軍は大抵、功を焦る猪のような連中なので、その中での智将などといったところで、他国軍に比べてどんなものかはわかったものではないが、もし軍を整理して戦う程度の知恵があるのだとすれば、鳥人は別部隊として運用するために抽出した、というのも考えられる。
「考えてみりゃ、歩いてこいつらに合わせる理由ないもんな……」
斥候兵、あるいは強襲兵として、地形を無視できる鳥人族の使い道はこの国ではより大きいといえるだろう。
ラーガスに知恵があるのなら、この国に突入する前に集め、有効に使おうとするに違いない。
また、敵の中にはエルフやドワーフ、犬人などの姿もある。
ホークは彼らを見て複雑な気分になった。
味方になった者が属していたとはいえ、善良な者だけではあるはずもない。それはわかっているのだが、これからイレーネに蹂躙される中に彼らがいるというのはどうしても割り切れないものはある。
同族よりも異種族に対し、そういう感情を持つというのは理不尽だと自分でも思うのだが。
……そんなホークの葛藤が、油断として現れてしまったか。
「!」
ふと、ホークは視界の端でこちらを指差している兵士たちの姿を見つける。
ホークの姿を見咎めた者がいるらしい。
慌てて顔を引っ込めて隠れるが、しばらくしてザッザッザッと数人の足音が近づいてくる。
(落ち着け。大したことじゃない……っ)
ヘマをやってしまったという後悔と、それを帳消しにするために打って出てしまおうという焦りが、選択肢を「殺戮」へと駆り立てようとする。
だが、ホークはゆっくりと深呼吸。そうではない、と気分を落ち着ける。
やるべきことは、撃破ではない。時間も焦るべきところではない。一度や二度、“祝福”を使っても、取り返しは利く。
ここからギリギリの戦いを始めなくてもいい。
敵はどうせイレーネやパリエスがぶつかるのだ。それ以前に無用の警戒をさせるのではなく、ここは──。
「……動くな!!」
ホークが数瞬前までいた岩陰に、魔王軍兵たちはいっせいに槍を向けて追い詰めようとする。
が、そこにはホークは、いない。
「あ、あれっ……どうして」
「見間違えたんじゃねえのか。猿か何かと」
「猿なんかいるのかよ」
「いるって。ベルマーダの猿は有名だぞ。山賊より猿の方が怖いって言われるくらいだぜ」
「……それにしたって、何かいるはずだと思ったんだが……逃げるにしたって見えるはず、だよなぁ……?」
ホークはそこから20ヤードほどの場所で、地面のくぼみに伏せていた。
“吹雪の祝福”で一気に駆け出し、咄嗟に隠れられる場所にシンプルに隠れたのだった。
もしもこの場をさらに探されるようなら、“砂泡”で一気に距離を稼いでからよろよろと逃げるつもりだったが、とりあえず魔王軍兵は路の方に引き上げて行ったので、ホークは腹ばいのまま深く溜め息をつく。
「……しばらく休もう」
一気に疲労が来た。最近は高い緊張のもと、連続して“祝福”を使う形が多かったので忘れかけているが、“吹雪”だけでもホークの体は随分と疲れ果ててしまうのだ。
と。
「危ないところでしたね」
「う……ぅゎっ」
突然、ホークのすぐそばに猿が飛び降りてきた。
いや、エリアノーラだった。
「み、見てたのかよ」
「本当に危険だったら魔術でなんとかするつもりでしたし、それとあなたの言う“祝福”というのが本物かどうか、見たかったので」
「……で、斥候してる俺らを木の上からさらに見張ってたのか?」
「見張ってたなんて言わないでください。見物してたんです」
「いやそれ特に言い方的にマシになってない気がするぞ」
エリアノーラはホークに手を貸して立ち上がらせる。
「本当に一瞬で消えて、音もなく別のところで腹ばいになってるなんて、今見たばかりなのに信じられないです」
「信じなくていいんだけどな……俺の今後の盗みを見抜かれなくて済む」
「でも、その一芸こそが、あなたがあの面子の中で信頼されてる理由なわけですし」
「理由なんて納得する必要ねえだろ。単に俺がどいつもこいつもコナかけてるって思ってくれたっていい」
「ふッ」
嘲笑された。会って半日の女にまで「お前そんな度胸ないじゃん」みたいな扱いの嘲笑をされた。
ホークは手をプルプルさせて羞恥に耐える。
「と、とにかくパリエス様の作戦に支障が出ても困りますから、もっと確実な場所で見張りましょう」
「もっと、って」
「こっちの木の上です。葉が生い茂って、この昼間でも真っ暗ですからまず見咎められません」
「……クソ高くね?」
「暴れないでくださいね」
ホークの腰を片手でひょいと抱くと、エリアノーラは突然大ジャンプした。
「!!?」
「よいしょっ」
フワリと15フィート近く上の枝に飛び乗り、さらに枝から枝へとジャンプ。
それを数度繰り返して、目的の枝の上に飛び乗る。
「はい到着」
「……な、なんなんだお前。どういう怪力だ」
「これくらいできないとメロナ山には登れませんよ?」
「……あのトリたちが敬意を表するって言った意味、ようやくわかった」
まるでなんでもないことのように、人間一人抱えて二階家に飛び乗るようなジャンプ、しかも枝を大きく揺らすこともない繊細な足捌き。
ホークは一気にこの女神官への認識を改める。彼女は彼女で一種の天才、あるいは怪物だ。
「メイにもできるかわかんねえぞ、こんな芸当……」
「ふふふ。体力だけは自信あります」
「自信ないなんて言われたら俺、偉そうに援軍に来る国間違えたと後悔するところだ」
彼女くらいがゴロゴロいる国の戦争に、ホークの出る幕などない。
◇◇◇
「なるほど。予想より少し多い感じですね」
パリエスはホークとロータス、そしてエリアノーラの報告を聞いて頷く。
「偵察なら、チョロ、できた」
レミリスは不満そうだった。
しかし、ワイバーンはどうしても警戒されるし、空中移動しながらの偵察では正確な数を調べるには不向きだ。
「ファル、まだ眠くならないか」
「はい。戦う際はロータスとツーマンセルで行きますから、メイさんに切り替わるとしてもある程度は大丈夫でしょう」
「儂が主軸じゃ。お前らは零れた奴らを掃除する程度でよいぞ」
「いいのかイレーネ。何も代償なしで」
「パリエスの作った作戦じゃからのう。お前に吹っ掛けるのは筋が通らん」
イレーネはそう言いながらも、暴れるのが楽しみな様子で肩を揺らす。
それに対し、パリエスは手で軽く誘って作戦の開始を宣言する。
「イレーネ、行ってください。道なりに飛びながら魔毒を手当たり次第に投げ落として。森には極力汚染を広げないように。あとで私が浄化しますが、あなたくらいの魔毒は手間ですからね」
「望みなら炎でも氷でもやれるんじゃがな」
「不得意な仕事をさせるのは計算がしづらいですし、ケアも面倒ですから」
「やれやれ。……儂の後に続くなら瘴気に気を付けろ。魔毒は食らうと苦しいからの」
イレーネはそう言って、翼を広げて峠の向こうに飛び立っていく。
ファルとロータスは徒歩でそれを追い、ホークとレミリスはチョロで空から向かう。パリエスはエリアノーラを蛇身に背負い、意外なほどの高速でするすると地を這う。
そして。
「敵襲! 敵襲ーっ!!」
「隠れろ! スリング隊に打ち落とさせろ!」
「あれ魔族だろ!? なんで俺らに!!」
魔王軍が気の毒になる魔毒爆撃が始まっていた。
「これで少なくとも物資は使い物にならなくなります。敵の指揮系統も壊れているはずです。ファルネリア、そしてロータスさん、魔毒防護はこの陣に乗って五つ数えて。……行ってください!」
「承知」
「行きます」
ロータスとファルはその指示に従って、混乱した二列縦隊に魔剣を振りかざして襲い掛かる。
「前からも来たぞ!」
「こんなとこに伏兵がいるなんて……聞いてねえ! もう少しで街なのに!」
魔王軍の悲鳴が上がる。
1000対7。その数の不利を深刻に考えるのが馬鹿らしくなる蹂躙戦が始まってしまった。
「ホーク。私も、やる」
「お、おい、どうする気だ」
「掴んでて。下に魔法、撃つ」
レミリスがチョロの背の上から、翼の肩越しに魔法を放とうとしてぐーっと杖を伸ばす。
レミリスの背にしがみついたホークは慌ててそれを支え、レミリスがファイヤーボルトを気の抜ける体勢でポコポコと下に撃ち下ろすのを支える。
「そんなん効果あるのか!?」
「チョロ、直接は、危ないから」
「そりゃそうだけどさあ!」
直接チョロで急降下攻撃をするのは、普通の人間程度ならまだともかく、巨人族や魔術師が戦列に混ざっていることを考えると危険だ。
チョロの離陸能力は巨人族を一気に持ち上げるほど強くはないので、取り付かれたらそのまま足止めの危険があるし、魔術師や弓兵が直接レミリスやホークを狙えばやられてしまう危険もある。チョロ自身には生半可な攻撃魔術は効果がないといっても、背中の二人はそうではない。
が。
「もらった!」
「!?」
ホークが空を見上げると、チョロより高い位置に魔術師のローブが舞っていた。
「飛ぶ魔術なんてあるのかよ!?」
ホークが驚愕するも、空飛ぶ魔術師の放ったサンダーボルトは、顔を上げたレミリスが返し刃の杖から放ったファイヤーボルトで打ち消される。
「邪魔」
「ええいっ、まだまだ!」
「チョロ」
魔術師がさらに放つサンダーボルトを、チョロは激しく羽ばたいて翼で散らしてしまう。そして空飛ぶ魔術師はその風でバランスを崩し、ふらふらと地上に落ちかける。
「あんなの、大した空中戦能力、ない。慌てないで」
「でも飛んでたぞ」
「飛ぶの、結構、リソース大きい。ながら撃ちのボルト、弱い。風にも弱い。鳥人の魔術師の方が、まし」
「実はお前も頑張れば飛べたりする?」
「10ヤード浮くくらいなら、できた」
レミリスはなおも追いすがって来ようとする魔術師を、えいえいえい、と緊張感のない手さばきで振った杖から放つファイヤーボルトで追い払おうとする。
「レミリス、あれは俺に任せろ」
「いいの?」
「ここなら逃げる心配はいらないからな」
ホークは短刀を取り出し、エリアノーラとの見張りの間に復活した“吹雪の祝福”で放つ。
飛行魔術師は一撃で深々と額を貫かれ、墜落していった。
「……はっ、どうだ。大当たりだ」
「なんかずるい」
「い、いいだろ。それよりしばらくは流しで飛んでくれ。さすがに今の状態でお前が爆撃するの支えるのは腕がもたない」
「いいけど、暇」
「無理に働こうとすんな。俺もお前も本来真正面でやり合うタチじゃねえんだから」
地上では、ロータスとファルが道にできた魔毒の沼を踏み越えて魔剣を振るいまくり、その背後からしずしずとパリエスが進んで、せっせと魔毒の沼を浄化している。
圧倒的な戦いは、しかしそう長くは続かない。
調子よく魔毒を投げていたイレーネが、地上からの魔剣攻撃によってダメージを受け、着陸していた。
「ほう。雑兵ばかりと思うておったが、多少はデキるのもおるか」
「魔族の領地というわけではなかったはずだが、魔王様より賜った軍勢に問答無用で手傷を加えられて黙っているわけにもいかんのでな」
虎人族の魔剣使い。両の手には色の違う魔剣一本ずつ。
「我は魔王様の眷属が一人、ランパ。狼藉の代価は命で払ってもらう」
「狼藉中の魔王軍に狼藉の代価を求められるとはな。よかろう。取ってみるがいい」
イレーネは彼に相対し、混乱していた他の魔王軍も、まずはロータスとファルをやればいい、と陣形を組み直す。
「両脇の森の中から包囲攻撃するつもりだ。……さすがにこの数の差だからな」
「ここから、本番」
チョロは大きく旋回し、ホークたちは次の行動に移る。
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