神の住む山

 ベルマーダ最高峰メロナ山は、そもそもにして山周辺にすら人間が容易に踏み入るのを拒む地形をしている。

 周囲を極端な高さの山と谷に囲まれ、近づくことさえ地を這う種族には難しい。

 さらにはメロナ山本体も、そのほとんど全周が崖と言っても過言ではない。

「それでも一応登る奴いるんだろ……登山家ってアホだろ」

「誰かが足を踏み入れることで道というものができるのだ。そうして人の版図は広がった。山でも森でもな」

「どう見たってそんな版図広げる必要なさそうなんだけどな……」

「しかし、実際にその先にパリエスがいるのだぞ」

「……パリエスもアホじゃねえのか」

 あまりにも険しい周辺地形と、その彼方にあるメロナ山の威容をチョロのゴンドラから眺めて、ホークは呟く。

 大自然を前にして、人は自分の小ささを知る……なんて使い古された言葉がよぎる。

 わかっていたつもりではあったが、町一つ分の大きさの岩や、落差1000フィート以上の谷、それらの大きさの証明のようにへばりついている僅かな木々や、数十羽もの鳥の群れを見ていると、改めて「山」という一言に表現される存在の巨大さを侮っていたと思わされる。

「こんな山にわざわざ住まなくても……魔族なら平地に住んでたっていいだろうに」

「パリエスは特殊な立場じゃからのう」

「……そろそろいいだろ。なんでパリエスは動けねえんだ? 動きたいはず、ってことは何か理由があるんだろ」

「まず、奴が儂やレヴァリアと違って人とかけ離れた姿をしている、というのがひとつじゃ。……神格視されているほどの者がバケモノの姿で練り歩いては、教会の者らも都合が悪いじゃろ」

「それ、パリエス自身の問題じゃねえだろ。そもそも魔族がそんなに遠慮深いのか?」

「そこも問題じゃな」

「……どう問題だってんだよ」

「そこから先は直接見た方が早い。とにかく奴は説明しづらい奴なのじゃ」

「イレーネ。そろそろ、チョロ、上昇する」

「うむ。……お前たち、全員固まれ。保護魔術をかける」

 イレーネはゴンドラの中で全員を集合させる。と言っても元々狭いので、お互い過剰に身を寄せ合う、というのが正しい。まだ照れの残っているホークは態度として少し渋るが、結局腕の中にメイとレミリスを抱き締めるような形に。

 そしてロータスはそのホークにびったり抱きつく形で四人ぎゅっと固まる。

「本当にこんなくっつき合わなきゃいけないんだろうな!?」

「同じ魔術の効力で守るなら、面積が小さい方が効率が良い。お前たちも掛け直しの合間に凍るのは嫌じゃろ」

「そこはもうちょっと融通利かねえのか。気合入れて効果時間伸ばすとか」

「無茶を言うでない。童貞丸出しで女を触るのが照れ臭いなどと言う馬鹿のためにそんな手間がかけられるか」

「なんだと」

「ほ、ホークさん。あたしは平気だから! むしろもっとガッときて大丈夫だから!」

「ホークの性的悪戯、慣れっこ」

「レミリスに会ってから慣れるほど時間経ってねえだろ!」

「子供の頃」

「ガキの頃のも今のお前と同列に数えるの!?」

「乳でねーなー、とか、今やられてもいける」

「いけるってなんだよ!」

「ねえホークさん。ほんとレミリスさんとの思い出詳しく聞きたい」

「イレーネ殿。今のうちに」

「うむ」

 ぶわ、とイレーネにかざされた手から何かが吹き付けられる感覚があったと同時、チョロが強く羽ばたいて加速を始める。

「一気に行く。手、放したら駄目」

「お、おうっ」

 ホークはレミリスの体にかけた手に力を込める。

 チョロはますます力強く羽ばたき、ゴンドラはその動きで揺れ、回る。

「うおおおっ……おい、レミリス、大丈夫なのかこれっ……」

「私、感覚、チョロ。飛ぶには、支障なし」

 視覚的にチョロと同化しているので、本体の方がまともに周りの状況を確認できなくても平気らしい。

 が、振り回されているホークたちにしてみるとムチャクチャだ。

「目が回るー……っ!」

「ロープを新しくゴンドラに張るっ……落ちたらコトだ!」

「ほれ、次の掛け直し行くぞ」

「お、お前だけちゃっかり外飛びやがってずりぃ!」

 イレーネは回転しながら揺れるゴンドラからいち早く飛び出し、チョロの足に掴まって難を逃れていた。

「ふっふっふっ。お前も飛び出せば良かろう」

「無茶言うな! 羽根もねえのに!」

「ちょっとだけ、我慢して。多分、吐く前に着く」

 レミリスの言葉を信じて、振り回されるゴンドラの中で待つことしばし。


「あ」

「……な、なんだ、どうした。さすがにもう着くんだろ……?」

「邪魔」

「!?」

「あ、ホークじゃなくて。……鳥人」

「……?」

 ホークは未だにゆるく回るゴンドラの外を目で追ってみる。

 チョロは力強く羽ばたき続けていたが、空気が薄いのか、その割にゆっくりと降下している。

 そして、そのチョロの前面を塞ぐように数人の鳥人族が飛行している。

「何だ貴様らは! ここは霊峰、我らの聖地! ただびとがみだりに立ち入っていい場所ではない!」

「ワイバーンを操っている……こいつら、アスラゲイトの連中だ!」

「ん。……強いて言えば、そう」

「いや待てレミリス。レヴァリアだろ」

「アスラゲイト生まれ、私とホークとチョロ。他、レヴァリア。ロムガルド。あとどこか」

 メイとロータスとイレーネを順番に指して数え上げるレミリス。

「多数決」

「俺はもうアスラゲイト人のつもりも戻る義理も金輪際ねえってんだよ!」

「……じゃあ、私とチョロ。それでも最大多数」

「っていうかチョロも数に入れるのやめない?」

「……なんで」

 口をとがらせるレミリス。

 相対する鳥人たちは怒鳴った。

「我々を無視してイチャイチャするな! よそでやれ!」

「……怒られた」

「イチャイチャじゃねえよ! 国籍とかめんどくせえこと言い出すから!」

「しかしホーク殿。何者と誰何しているのに国籍の問題を抜きにはできんだろうに」

「あとホークさんが思いっきりレミリスさん抱き締めてるのがイチャイチャに見えるんだと思うよ」

「それを言うならメイだって同じだろ!」

「えへへ」

 鳥人族は再び怒った。

「二度も言わせるな! イチャイチャをやめろ! 何しに来たんだ本当に!」

 そこで、それまで黙っていたイレーネがひょいっとチョロの足を手放し、身投げのように落ちたかと思うと白い龍翼を改めて広げる。

 それで魔族であることに気づいて、鳥人たちは狼狽した。

「我らはレヴァリアの誇る正義の大盗賊、ホーク一味よ」

「おいてめえ。いつ誰が誇った。そもそも誰から聞いたそれ」

 ホークの文句をイレーネはさらりと無視。

「我らの頭領ホークが、レヴァリアとこの儂イレーネの仲介によって、パリエスに会いに来た。取り次ぐが良い」

「イレーネ……? 魔族がわざわざ、ここまで……」

「レヴァリア……? あの王国がパリエス様とどういう繋がりが……」

「良いからパリエスに伝えよ。話は通じるはずじゃ。……それと、降りても良いな?」

 イレーネがそう言いながらも地に足をつける。それから鳥人が答えるのを待たずゴンドラも地面にぶつかって止まり、最後にチョロの足も地を噛んだ。

 ゴンドラはバランスを崩して転がり、ホークたち四人は団子になって地面に転げ出す。

「いたい」

「目が回ったあぁあ……」

「せ、背中に乗ってるのは何だロータスか……?」

「私ならここだ。貴殿の背に乗っているのは豆袋だ」

「おもい」

 何故か特にぐるぐるしたダメージが全くない様子のロータスを除き、残りの三人はグダグダの状態で地面に伸びる。

 ロータスは手際よく繋いだロープを外し、散らばった積み荷などを片付け始める。

 やっぱりコイツは常人じゃねえ、とホークは思いながら、大の字になって空を見上げる。黒い。いや青い。

 山が高すぎて、青空が真昼間なのに黒に近くなっていた。

 ふらふらと起き上がり、周囲を見渡す。

 山上の平地にはいくつかの古びた建物が立ち、そちらの方には鳥人族が十数人も出てきてこちらを警戒している。

 そして、下界側は雲の海。

 天頂に向けて黒に近い色までグラデーションを作る青空の下、どこまでも続く雲の下には、うっすらと地形が透けて見える。

 どれだけ高いんだ、とホークは呆れる。溜め息を吐こうとするも、息を吸っても吸っても吸えた気がしない。

「おかしい、な……息がうまくできない気がする」

「山は空気が薄いからのう。一気に登ってきたのじゃ。気圧保護が切れたら命に関わるぞ」

「もう切れかかってんじゃねえか……なんか変だぞ」

「落ち着いて暴れずにいろ。掛け直す」

 ホークの傍にしゃがみ、改めて魔術を掛け直すイレーネ。

「そもそも人間が来るべき場所ではないのだ」

 さっきホークたちのイチャイチャに激怒していた鳥人が近くに着陸する。

「本当に客人なのだと確認できたら、貴様らに下界人用のアミュレットを貸してやる。それをつけていれば魔術などなくとも息は楽になる」

「そりゃ便利そうだ」

「ワイバーンなどという野蛮な魔獣を使い、いきなり乗り込んでくるなど。普通なら問答無用でそこから蹴り落としているところだ」

「他に来る方法がなかったもんでな。……下では魔王戦役が始まってるのは知ってるだろう、鳥さんよ。ベルマーダはもう緊急事態だ」

「鳥などと呼ぶな。我々は鳥でも人でもなく鳥人。それもパリエス様を守護するお役目を帯びたメロナ族だ」

「……守護なんて魔族にいらねえんじゃねえの」

「パリエスはアレじゃからな。特殊じゃ」

「……結局どうアレなんだよ」

 ホークは服を払ってゴンドラに戻り、メイたちと合流する。

 メイたちもレミリスによって適応する魔術をかけられていた。

「チョロは平気なのか、こんなに高い山でも」

「ワイバーン、強い」

「……ああ、うん」

 なぜか自慢げなレミリスに曖昧に頷く。詳しいことはわからないが、まあ大丈夫なのだろう。

 しばらくして、ひときわ大きな建物から鳥人が駆け出してくる。

「お会いになるそうだ」

「なんと。パリエス様がそんな……準備もなく」

「大丈夫なのか……?」

 ひそひそと深刻そうに話す鳥人たちに、ホークは不安を掻き立てられる。

「本当に会えばそれでわかるんだろうな。ものすげえ気難しい奴だったりしないだろうな」

「……ある意味ではそうかもしれん」

「おい。いきなりわけのわからないことで激怒されて殺されるとか勘弁だぞ」

「そんなことになっても自分で自分くらい守れように」

 しれっと言うイレーネに恨みの篭もった視線を送る。

 黙って連れてきてどういうつもりだというのか。ホークは礼儀には疎いのだ。せいぜい人間同士ならともかく、魔族のようなまるっきりの異文化の住人を怒らせない手管など期待されても困る。

 しかし……気難しいのに、人間の手紙にまともに返信するほど協力的。どういう性格なのか。

「メイ、ファルに代われないか。ちょっとパリエスのことがわからねえ。ファルなら知ってるんだろ」

「ん、うーん……ちょっと待ってね」

 メイが少し目を閉じて深呼吸すると、ザワッと髪が金色に変わる。

 そして目をパチパチして。

「あ、えっ、メイさん? ちょっと、引継ぎはちゃんと説明を……」

「あー……ファル。聞きたいことがある」

「ホーク様……ええと、ここは?」

「メロナ山だ。もうそこの家にパリエスがいるらしい。でも奴の人物像が分からない」

「わ、私にもわかりませんよ……手紙越しには親切な方でしたけれど」

「……確かに手紙越しじゃ人が違う奴っているよな」

 参考にならないというのはわかった。

「ぶっつけ本番しかなかろうな」

 ロータスが重々しく頷く。

「大丈夫。ホーク、勝てる」

「勝ってどうすんだよ。俺はやっつけに来たんじゃねえよ」

「ウダウダ言っておらんで早く会って来い。儂は待っていてやる」

「来ないのかよ!」

「奴は苦手なんじゃ」

「ここまで来てそれ言う!?」

 揉めているホークたちに鳥人は呆れた感じの声で言う。

「急げ。パリエス様が会うと仰っているのだ。待たせることはならん。……わかっていると思うが、くれぐれも粗相はするなよ」

「……お、おう」

 緊張して鳥人の後に続く。


 家、とは言ったが、山の壮大さにスケール感が狂っていただけであって、パリエスの住居は充分に神殿と呼べるスケールの代物だった。

 その奥で、ステンドグラスの光を背負ってパリエスは待っていた。

「よく来ました。レヴァリアとイレーネによる紹介と聞き及びましたが」

 落ち着いた女性の声。

 だが、その声が発せられたのは巨大なヘビの下半身を持つ異形の上からだった。

 上半身はゆったりとした布を巻きつけるように纏った女性の姿。見た感じは20代後半くらいの姿と言えるだろうか。

 しかし、反り返った角と巨大な鳥の翼、そしてヘビの下半身が異様なシルエットを作る。

 どちらかといえば、魔王というイメージ寄りの姿だった。

「……俺はホーク。単刀直入に言う。魔王軍からベルマーダの連中を救いたい」

「その件ですか」

 パリエスは目を閉じる。尻尾の先がうねる。それはどういう感情ゆえか、とホークは少し警戒した。

「どうして座視する。お前にとってこの山の眷属以外は無価値なのか。ベルマーダ人にはパリエス教徒もたくさんいるだろう」

「それは……痛ましい事と思ってはいます。ですが、パリエス教会は私の実態とはもはや何の関係もない集団。私に責任があるように言われるのは少々……勘違いがあるかと。それに、実際に私が出向いても、魔王軍以上に恐れられてしまうでしょう」

 気難しいとは聞いたが、一応話は通じるらしい。ホークは安堵し、そして踏み込んだ。

「恐れられるのが嫌なのか。だから死ねってのか。まだ会ったこともない奴を。もしかしたら慕ってくれるかもしれない奴を」

「それ……は」

「助けたくねえってんならもういい。話はそれだけだ。魔族にも話の通じる奴がいるもんだとイレーネやレヴァリアで思ったが、あんたは話はできてもそれだけみたいだな。少し失望したが、想定内だ」

「っっ……」

 パリエスはホークの言葉に応えない。

 ホークは紹介されたから当たっただけで、パリエスがどれほどの戦力になり得るかもわからない。だから、せっかくメロナ山頂まで来てこれで終わりだとしても、それほど惜しくはない。

 時間を少し無駄にしたとは思ったが、さっさと王都ゼルディアに行ってガイラムを手伝おう、と背を向ける。

 が。

「……ひ、ひどい……いきなり来ていきなり決めつけて……」

 パリエスが泣きそうな声を出したのでびっくりして振り返る。

 パリエスは後光を背負ったまま、服の裾をぎゅっと握っていきなり半ベソをかいていた。

「なんなのよあなた……失礼過ぎる……っ」

「……え、おい」

「うえええ」

 そしてボロボロと泣き始めて、ホークは思わず仲間たちを見回したが、仲間たちも何が何だかよくわかっていないようだった。

「おい、ちょっ……なんだよ、やる気ねえのかと思うだろうがよ! 違うならそうと……おーい!」

「うええええええ」


       ◇◇◇


「奴は人間に協力的じゃし、知識もよく蓄えておるが、死ぬほど打たれ弱い。儂が何の脈絡もなくバカと言ったのを三年ぐるぐる悩むくらいじゃ。無論、人里におったらすぐに精神的に死ぬ。ゆえに周りがこんなところに隠れさせておる。パリエス教会の連中も、奴の性格と姿、取り扱いがどちらも面倒過ぎて二重に頭が痛いじゃろうな」

「いやそれ早く言えよ! 勘違いでしたって平伏ひれふして謝ってようやく泣き止んだんだぞ!」

「気難しいと聞いた相手にいきなり挑戦的な物言いをするお前が悪いじゃろ」

「だいたいあれ役に立つのかよ! 下に連れてっても戦えそうもないし後方支援も無理そうだぞ」

「仮にも1000年前の災厄を生き延びた魔族じゃ。覚悟が決まればまた違うんじゃがのう。とにかくどうにかして機嫌を取れ。儂は嫌じゃ」

「あのなぁ!」

「ホーク様、とりあえず落ち着いて……パリエス様が柱の陰からこっちを見ています。ホーク様は怖い人だと思われています」

「なんで魔族がそんなに気が小さいんだよ……一応人間とは桁違いに強いはずだろうに……」

 気難しさが予想外の方向過ぎる。

 先ほど鳥人たちが「大丈夫なのか」と心配していたのが、本当にパリエス自身の精神の問題だったと今更気づいても後の祭りである。

「あのインチキロリは俺に何をさせる気なんだ……」

 さて、何だろうね? と邪悪な表情をするレヴァリアの顔が浮かんできて、ホークは考えるのをやめた。

 とにかく、何もないよりは材料が増えたと思うしかない。

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