ワイバーンの晩餐

 再びベルマーダ王国に入るのに時間はかからない。

 ワイバーンの翼なら、今まで悩まされた国境や関所といった関門に時間を取られることはない。その便利さに、ホークは改めて感嘆する。

「逃げてくる最中は後ろばっか気にしてサッと来ちまったけど、やっぱ空を移動できるってのは反則だな……」

「うん。前に突然敵が立ちふさがってきたりしないのっていいよね……」

 メイとしみじみ今までの旅を思い返す。

 考えていなかった敵のいきなりの登場に困らされたことは数えきれない。


 ベルマーダに入ってしばらく飛んだ山の頂上。

 本来祠ほこらか何かかあったようだが、既に朽ち果てて残骸しか残っていない小さな広場で、チョロの翼を休める。

「まだ、本国の使役術士、出てくる危険、ちょっとある」

「それはあのインチキ幼女がなんとか交渉で解決してくれることを期待しよう」

「ん」

「王家の者に言い寄られておるのじゃったか。堂々と袖にしてやればよいではないか」

「アスラゲイト、帝室、絶対。拒否、考慮されてない」

「アスラゲイトは大陸で唯一皇帝を名乗っているだけあって、帝室の力は他国の王室の比ではないと聞く。他国の姫君となればまだともかく、帝室の者が自国の女如きに求婚を断られるなど、あってはならない恥と考えている節もあるな」

「権力の振るいどころがおかしいだろ、あの国の連中。内弁慶っつーかよ」

 呆れるホーク。

 魔法技術の高さのおかげか搾取は厳しくはなく、アスラゲイトの庶民の生活レベルは決して悪いものではなかったが、そういう唐突な理不尽はたびたび国民に襲い掛かっていた。

「多分、諦めない。無理に諦めさせるなら、代わりにお姫様、取るくらい、しそう」

「確かにレヴァリアはまだ嫁いでいない姫たちがいるな。狙われるかもしれん」

「一人や二人くれてやればよい。強国の王子に嫁ぐのじゃ、結構なことではないか。もともとそういう用途で王女は使われる定めじゃろうに」

「風来坊の魔族が考えるほどシンプルじゃねえだろうよ。そういう姫様って小さい頃から許婚とかいるんだろ」

「いっそあのロリババアが嫁に行けばよいのじゃ。あやつの腹黒さならアスラゲイトを実質支配するなどたやすいことじゃろ」

「なんかそれやだ。ある意味魔王じゃない?」

「元々一国を支配しておるのじゃ。程度の差じゃと思うがのう」

 下らない雑談をしつつ、野営の準備。

 水場が近くになければ野営はしづらいが、今は水袋の中身も潤沢だ。穴を掘れば人が悠々浸かれる量の水が、腰に下げられる大きさの袋に入ってしまうのだから便利なものである。

 と、大人しくしていたチョロがひと声鳴く。

「わっ、びっくりした」

「なんだ、何か言ってるのかあれ」

 レミリスを見ると、彼女はチョロを一瞥して。

「おなかすかせてる。レヴァリアに入ってから、食べてない」

「……あー」

「おやつの骨も、あげてない」

「……悪かった」

 ハイアレスの市で手に入れるという話をした骨は、結局その後の「キザ男」騒動でうやむやになってしまった。

 しかしチョロは、明日にもメロナ山の頂上までみんなを運ぶという大仕事をしなくてはならない。空腹で力が出ないのは困るのだ。

「動物、狩りにいく。ちょっと待ってて」

「アテはあるのか」

「山だし、たぶんいる」

「……骨買い忘れた詫びに俺がやるよ。場所だけチョロに探させてくれ。耳とかでいそうなとこ探せるだろ」

「ホークが?」

「チョロが生きた獲物追い回したらどうしたって大騒ぎになるだろ。それに、俺のアレの訓練にもなる」

 いうまでもなく“盗賊の祝福”のことである。

 ホークは、今やジェイナスたちのサポートメンバーではない。逃げるのを至上命題とした旅も終わっている。

 ここから先はホークが決め、ホークの力で皆を先導しなくてはいけない。

 となれば、ホークの唯一最大の切り札である“祝福”をもっと使いこなしていくことは急務と言える。座学や素振りができる代物ではないのだから、使ってもいいタイミングではどんどん使って、よりよい扱い方を探っていくしかない。

「それなら、少し待って。探せる魔法ある」

 レミリスはいそいそと地面にしゃがみ、懐から出した宝石を幾何学的に並べ始める。

「いきなり高そうなモンを出して何する気だ」

「高くない。全部水晶。昔、実験で作った」

「色がそれぞれ違うが」

「そういう実験。不純物の差」

 20個ほどの水晶を地面に並べ終わると、その中心にレミリスは杖を突き刺し、手をかざして呪文を唱え始める。

 すると、水晶が中心から渦を巻くように煌めいたかと思うと、そのうちいくつかがぼんやりと光を残す。

「あっちとあっちの方に、いる。……こっちの奴の光の強さは、だめ。多分、人の集落」

「生き物の位置を特定できるのか」

「ん」

「ほお、やるのう。この森の中で小動物などいくらでも引っかかりそうじゃが、精度をうまく調整したか」

 イレーネに褒められて、レミリスは心持ち得意そうにする。

 が。

「……私に任せてくれれば森の動物の気配などいくらでもわかるのだが」

 ロータスが寂しそうに呟いた。

 そういえばエルフにはそういう能力があったな、とホークは今更思い出したが、とりあえず聞かなかったことにした。


 既に夜。

 夜は人間と野生動物、どちらにとって有利かなど言うまでもない。

 だが、それは対等な条件の場合だ。

 ホークはエルフの合成弓を持って木に登り、獲物の位置を探る。

 先に見付けさえすれば、ホークの場合は既に勝ったようなものだ。

「どんな獲物なのかわからねえのが、欠点っちゃ欠点か。鹿なのか熊なのか、それともモンスターなのか……」

 イノシシ、あるいは大蛇という線もないわけではない。ホークの慣れた生態系と、ベルマーダの深山の生態系は必ずしも一致はしない。

 とにかく油断はできない。とりあえずの安全を確保するために木に登ってはいるが、いつでも足元からの追撃に反応できるように……と、腰の後ろに差した短剣を手で確認しつつ、ホークは近くにいるはずの大物の気配をひたすら探る。

 ……しばらくして、ホークは獲物が眠っている可能性を少し考える。

 少しも動かない野生動物を夜の森で探すのは至難だ。そうだとすると下手をすれば一晩中張らなくてはいけない可能性もある。

 安請け合いしてしまった、とやや後悔しそうになったが、その時ガササッという音がして気を引き締め直す。

 どこから鳴った音だ。集中が切れていた。すぐには特定できない。

 視野を広く持ち、動きだけを察知するように意識を調整。

 どこから動き出しても対応できるように、地上をジッと睥睨する。

 ……だが、次に鳴った音は予想外に近かった。隣の木だ。

「!?」

 その根元も見ていたのに、そこに動きは見当たらなかった。それなのに葉擦れの音がした。

 ということは、樹上。

 そういえば、ある種の肉食獣は木の上を移動すると聞いたことがある。失念していた。

 ホークは隣の木の枝を注視しようとして、今度は自分の木が揺れるのを感じる。

 もうそこまで来た。弓を引いていられる距離じゃない。咄嗟に弓を投げ捨て、ホークは短剣を抜く。

 再び木が揺れる。生い茂る夏葉の影で敵影が絞れない。

 まずい、と本能的に察し、ホークは木から飛び降りようとする。その瞬間にホークの腕を異様に巨大で力強い手が乱暴に掴もうとし、掠ってホークはきりもみ状態で地面に墜落する。

「って……!!」

 頭と腰を打ち、クラクラしたが、樹上で襲ってきた影は視認に成功する。巨人族にも近い太い腕を持つ巨大猿だ。

「そんなのアリなのかよ……ベルマーダは!」

 ホークはよろめきながら立ち上がろうとする。しかし、巨大猿はそんなホークに動く隙を与えずに樹上から飛び降り、両腕を叩き付けようとする。


「そういう……つもりで、来たんじゃねえっつの!」


 次の瞬間、ホークは短剣を振るって巨大猿の首を刎ね、その拳の落下範囲から逃れるようにバックステップを完了していた。

 ドズン、とその巨体が前のめりに倒れ、首から血が噴き出す。20フィートの距離を取っていたにもかかわらず、ホークにかかりそうになるほど激しく噴射される血に、ホークは慌ててさらに下がろうとして足をもつれさせる。

「ち、畜生……ただの狩りのつもりが、どうしてこう……予定外の奴が来るんだよ」

 ホークは毒づき、指笛を吹く。チョロとレミリスへの合図だ。


「猿、チョロ、食べたくないって言ってる」

「マジかよ!」

「まずそうって。……私もたべたくない」

「いやお前はそりゃこんなん食べたがってたら引くけどさ!」

 駆けつけたレミリスとチョロは巨大猿の引き取りを拒否。

「だいたいチョロって人間食べたがったりするんだろ。なんで猿は駄目なんだよ」

「まずそう」

「人間だってまずそうに見えるんじゃねえのか、その場合」

「そうでもない。よく親が子を食べたがるし」

「それは比喩表現だろ!?」

 いわゆる「食べちゃいたいくらい可愛い」というような表現はアスラゲイトにもレヴァリアにも存在する。

「でもほら、この猿も焼いたらうまそうに見えるんじゃないか。よし俺が焼肉にしてやるから食えチョロ」

 ホークはなんとかして仕留めた巨大猿を食わせようとするが、チョロは首をつーんとよそに向けて拒絶。

「そんな、食べさせたい?」

「だって結構痛い目見たし“祝福”まで使って仕留めたのに」

「でもまずそう」

「うぐぐ」

 ……ホークの苦労の賜物はあくまでレミリスとチョロには受け入れられず、ホークはトボトボと野営地に戻ってイレーネに治療をしてもらうことになった。


 一方で、ロータスはそれを聞いてからほんのわずかの時間に、猪を三頭仕留めてチョロとレミリスに喜ばれた。

「最初から真っ黒女に任せればよかったのに。あいつ余計なことはだいたい得意だし」

「……お、俺の“祝福”の練習には……なったと思うし」

「そう?」

 負け惜しみはメイに素直に疑問符を打たれてしまった。

「そもそも、練習なら普通にやったらいいじゃん。もう部外者っていうようなのも同行してないし、ホークさんのチカラってよくわかんないから、どこまでできるのか……あたしたちだって未だによくわかんないよ」

「商売の種だから……ってのも、もう往生際が悪いか」

 ホークは溜め息をつく。

 これからこのメンバーで、ベルマーダを救う……とまで決定的な働きはできそうにないものの、少なくともジェイナスが完全復帰するくらいまでは戦い抜かなくてはならない。

 そう考えると、特性をもっとつまびらかにしておくのも、必要といえば必要だ。

「最初にメイたちに教えてから、いくつか使える技も増えたし、二番底も出来たしな……」

「え、そうなの?」

「初耳じゃのう」

「増えたというのは一体」

「……教えて。私、子供の時しか知らない」

 本当に全然教えていなかったなあ、と今更気づく。

 彼女たちなら、平和になった後もホークの持ちネタを言い触らさないでくれるだろう、と信用しつつ、ホークは最初から使えた“吹雪”の他、今までに習得した“砂泡”“天光”“旋風”の特性について四人に説明する。


「……一緒にいたのに、あんまりそういうのわかんなかった……いつも割とぶっ倒れてるとは思ったけど」

「メイ殿は仕方がない。ナクタ以降はファル殿に半分の時間を取られていたわけだからな」

「伸び白のある能力と思うておったが、ますます面白いことになっておるのう」

「特に“旋風”。面白い」

「お前らそんな面白がるなよ。結局のところ『一度に使えるストックは二回』で『二回目の方が何故か長い』、あととにかく超疲れるってのだけ覚えてりゃいいんだ」

「“天光”はそれと関係なく使えるんだよね?」

「使えると思うが、実際のところ片腕を萎えさせるのは愚策だ。あれの後の腕の疲労は下手すると半日経ってもフォロー利かないほどだ。他の“祝福”が使えるようになっても、手が使えないんじゃ逃げるのがせいぜいになる。で、逃げるって言ってもメイみたいなのが本気で追っかけてきたら“祝福”一回のアドバンテージなんてないようなもんだ」

「本当に切り札中の切り札かー」

「必中特性、もっと利用すべき」

「体力を一気に補充する霊薬を飲ませたらどういう状態になるか、気になるのう」

 焚火を囲み、ロータスの獲った猪肉の一部を煮込みながら、“祝福”について話し合う。

 今更感もある上、手の内を完全にバラしてしまうのはなんとも居心地が悪かったが、どこかホッとしている自分にホークは驚いた。

 長いこと自分の中だけに抱えてきた秘密。

 このチカラがあるということは「ホークはいつ、何をするかわからない」ということでもあり、だからこそ相手を警戒させないため……と同時に、最後の保険として、決して明かしきることはできなかったモノ。

 それをしっかりと受け入れ、共有してくれると信じられる仲間ができたことが、ホークには現実のこととは思われないほどに嬉しかったのだ。

 子供の頃、村を叩き出されたあの日に失ったもの。

 それがいつの間にか戻ってきたようにも思い、ホークはわけもなく微笑んでしまっていた。

「ホークさん、なんで笑ってるの?」

「……ん? いや、肉が旨そうだと思ってな」

 咄嗟に誤魔化して、空を見上げる。

 山国の夏の夜空は、美しい。

 激戦が待っているとは、信じられないほどに。

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