再出発

 出発する前に城下町で必要物資を揃える。

 食料、水、そして旅用品の数々。

 徒歩の旅がほとんどであるこの時代、それらに関係する品々の店は王都となればいくらでもある。

 ワイバーンを使うおかげで日程は大幅に短縮できるとはいえ、ベルマーダでの活動を考えれば、物資はあればあるだけ使い出がある。

「ロープは200……いや500フィートは補充しよう。なんにでも使えるからな」

「道具袋の管理はしっかりせねばな。あとで全部出して用途別に振り分けよう」

「待ちなさいロータス。それでは万一どれかを落とした場合支障が大きいです。せっかく容量があるのですから均等に分けるべきでは」

「ですがファル殿。その場合残数の把握が難しくなります。互いにまだ残っていると思っていた……などという思い違いは、時に大きな失敗を引き起こすもの。管理が容易に越したことはない」

「ホーク。これ、チョロのおやつ」

「そんなでかい骨どうすんだよ。道具袋に入れると食い物は劣化するだろ」

「今日、たべさせる。持ってくの、手伝って」

「そういう買い物は後にしろよな!?」

「金はたんまりとあのロリババアに貰ったじゃろ。城まで届けさせれば良い。うむ、美味い」

「お前も屋台料理とか楽しんでんじゃねーよイレーネ」

 旅の物資調達などという作業に慣れているのはホークとロータスしかいない。

 元々上げ膳据え膳のファルや引き篭もり研究職のレミリスはあまり役に立たず、イレーネに至っては真面目に手伝う気が全くない。

「どうせなら靴や七つ道具も新調したいが、時間かけられねえんだよな……」

「靴は立派な品ではないか。何が気に入らないのだ」

 ロータスが首をかしげる。

「これは本来ジェイナスが履いてた奴なんだよ。オドシだかなんだかわからねえが、やたらコツコツ言うんだ。元々ナクタ戦のあたりまで履いてた奴は、宿で履き替えたとたんに火事で燃えちまった」

「ああ……あの時か」

「荒事オンリーならコレでもいいのかもしれねぇが、俺はそうもいかねえからな」

 ホークは石畳をコツコツ蹴る。

 隠密行動から一瞬で決めるのが、“盗賊の祝福”でやれる必勝戦術。相手を目の前にしてから使うのは本来、失策の類だ。

 そういう使い方をすれば必ず仲間の手厚いフォローが必要になり、それは作戦としては無用のリスクを負うことに他ならない。

「できれば盗賊向きのを靴屋であつらえてもらいたいもんだが……金は足りても時間がねえんだよな」

「メイ殿のようなサンダルでやったらどうだ」

「サンダルかあ……悪くはないけど恰好がな」

「スタイルなど気にしている場合か」

「うーん……」

 盗賊向きの、音を抑える造りの靴は、要は地面を確実に捉えつつ反発を抑える柔らかい素材の底がキモだ。

 それはサンダルの特性とよく合致する。

 とはいえブーツ慣れをしていると、サンダルで旅をするというのは少々気後れもする。

「どうせもう夏なのだ。暑苦しい恰好よりそちらの方がいいだろう」

「全力で暑苦しい全身黒尽くめのお前に言われると複雑だ……」

「趣味と実益を兼ねているからな、私の恰好は。まあどうしてもというなら口布を残して裸で勇躍する姿を披露してもいいが。一部では有名な暗殺スタイルと聞いたことがある」

「一体どこの世界のトンチキだそれは。あと俺そんな変態と一緒にされるの嫌だから絶対やるなよ」

 実際、街中でもロータスの服装の異常な黒さは目立つ。黒っぽく染めた服を着たとしても、たいてい何度か洗う段階で色抜けし、グレーになるのが常の時代だ。どうやら魔術まで使ってその透明感すらある純粋な黒さを維持しているようだった。

「仕方ねえ。サンダル履きも考慮するか。足を怪我してもイレーネがいるしな」

「妙な代償を取られねばいいが」

「……そういや、それもあるか」

 ふと気になって、屋台料理を次々につまんでいるイレーネに問いただす。

「そういや昨日の命令どうなったんだ。あれまだ続いてるのか」

「命令の時点で『やりたかったこと』が一番強く作用したからのう。仲間の奪回に真実の探求に、その内容が満たされつつも状況がいくつも変わったおかげで欲求が相殺し合って紛れてしまったのではないか。今はほとんど身に異常が感じられんようじゃな。ではそろそろ次の命令いくかの」

「いや待て。今は待て。これからすぐにでも旅立とうってんだからさ」

「『思い切りキザったらしく儂をもてなせ』」

「……待てっつっただろ……うううっ!!」

 街中でなんということをさせようとするのか。

 キザったらしい、というのはホークの想像力の限りにそういう言動をしなければならないということか。

 ホークはどこにでも忍び込み、金持ちも貧民も多く見てきた。当然女の肩を抱いて歯が浮くようなセリフを言う、いけ好かない貴族の姿も。

 その真似をしろ、と呪印がホークに強制する。

「う……美しいレディ。どうかこの私めを……あなたの素敵な一日の彩りとして、お供させてくださいますか」

「……ホーク殿」

 いきなり跪いて変なことを言い出したホークを、ロータスが呆れた目で見る。

 似合わないというのは百も承知だ。言ったイレーネが悪いのだ。

「そこは壁に押し付けて唇を奪ってから『忘れられない熱い思い出をやるぜ』ではないのか」

 違った。単なるキザイケメン観の違いだった。

 そこに何故かファルも乗る。

「は、入りのキスは確かに重要だと思います。でももう少し爽やかに……それではホーク様らしくないじゃないですか」

 レミリスはそれを聞いて淡々と。

「肩抱いて、語尾に必ず『愛してる』連呼。ホークだとそれが限界。それ以上は、演技っぽい」

「それです。さすがはレミリスさん、幼馴染ですね」

「ん」

「それはキザの概念と少々食い違うのではないかのう」

「情熱的とは思うがそれはそれでホーク殿らしくない。基本的にホーク殿はシャイではないか。そういう溢れ出て止まらない感じは少しホーク殿としては大事なものを捨て過ぎな気がするぞ」

「お前らほんとやめて今俺悶絶しそうなんだけど色んな意味で」

 呪印の苦しみのせいでとにかくキザ男アクションを続けなくてはならず、とりあえずイレーネの手の甲にキスをしつつ立ち上がって肩を抱くようにエスコートしながら、ホークは他三人に抗議する。

「なんじゃ。ああ言われているのに強引にキスをして囁いたりはせんのか」

「それは私めの考えるキザったらしさと合致しませんので」

 ホークはイレーネの不満そうな声にもキザったらしい言葉でなんとか返答する。他の女たちはイレーネの指定範囲に入っていないので普通に喋れるが、イレーネにはキザで通さなくては呪印が反応する。

 とはいえ、女たちの求めるキザ男ではなく、ホークの考えるキザ男アクションなので多少助かる。というか、彼女たちはどういう恋愛観をしているのか。

「儂は構わんぞ。一言言うたびにキスでも」

「それはキザというより周りの見えない若夫婦でございます」

「そちらに命令変更するかのう」

「断固拒否させてくださいますか」

「ククク、お前に拒否権などあると思うのか」

「ご勘弁を。本当にご勘弁を。旅も控えておりますゆえ」

 ホークは片目を閉じて髪をかき上げたり、ことあるごとに胸に手を当てて優雅な笑みを浮かべたり、台詞に合わせて唇に指を立てたりして精一杯キザ感を演出する。

 そういう小賢しい工夫によって呪印の苦しみは弱まるものの、自分自身のプライドによってホークは自壊しそうになる。

「いっそ殺していただけませんかマドモワゼル」

「本気の目をしておる」

「ベルマーダに辿り着くまで頑張るのではないのか、ホーク殿」

「眠りの魔術、使う?」

「いかんぞ。面白いのに」

 ちなみに急にキザ男の振る舞いを始めたホークは、町中の人々の視線も集めていた。

 ヒソヒソと何事かを囁き合う町人たちの声を感じ、余計にホークの心は死にそうになる。


       ◇◇◇


「ホーク。機嫌、直して」

「……あいつは悪魔だ」

「魔族じゃが」

 ホークは城に戻ってからチョロのゴンドラの中で膝を抱えていた。

 しばらく遊んで満足したところでイレーネは「もうよい」と命令を解除したのだが、その間に町中にホークの変なキザ男演技は知れ渡り、その後の物資購入の間じゅう、周りから指を差されたり対面の店主からニヤニヤ笑われたりと、ホークの17歳男子のナイーブな心を嬲り尽されたのだった。

「ほ、ほら、ホークさん機嫌直して。ホークさんがどういう感じのアプローチしててもあたし大丈夫だから! あとサンダル作ったから!」

「……メイ」

 ただ一人、当事者でなかったメイだけが心の支えである。

 メイが作ってくれたサンダルに足を入れ、掛け紐を縛る。

 勇者仕立てのブーツから手作りサンダルへの落差は大きく、まるで裸になったような不安を覚えたが、それでもメイに結び目を整えてもらってから城の中庭の石畳で少しステップしてみて、その静音性とグリップ力に満足する。

 これは……靴底の硬さに任せるような蹴りには向いていないものの、静かに行動するだけなら満点だ。

「なかなかいいな、これ」

「でしょ。切れちゃったりしても直しやすいし、半刻あれば新しいのも作れるし、足裏の感覚が鈍らないし、あたしは靴より断然こっち」

「なるほどな。確かに……これなら盗賊用ブーツまったり作るよりは全然いい」

 やっぱりメイは一番の味方だ。

 ホークはほんの少し癒される。

「……それでイレーネ。パリエスってのはどこにいるんだ。場所は動いてないって確証はあるのか」

「動こうにも動けまい。奴が動けばパリエス教会も動く。争いが起きる。ゆえに、険しい山の中に隠棲し、動かぬのじゃ」

「こんな情勢でもか」

「奴は第四魔王の頃から動いておらんぞ。おそらく、ベルマーダが征服されても今のままなら動かんじゃろう」

「……本当に味方してくれるんだろうな」

「駄目なら駄目、自力で戦うだけじゃろう?」

「一番嫌なのが、パリエス教会ごと敵に回るって展開だ」

「さてな。それはお前次第じゃ」

「おい。俺次第って何だよ」

「結局、お前が助力を乞うのじゃろう。お前でなく儂の味方にするならば、単に代償で動く魔族が増えるだけじゃぞ」

「……世の中で人から信用を得るのに、盗賊より向いてない奴なんているのかよ」

「それが勇者パーティから独立して戦力を持つに至った男の言うことか」

 イレーネはニヤニヤと笑い。

「奴がいるのはメロナ山。ベルマーダ最高峰じゃ」

「……おい、ロータス。それって」

「ラトネトラたちのいた場所からも見えた山だ。徒歩で登るのは非常に難しく、ゆえに聖峰とされている。……確かに魔族が隠棲するにはうってつけだが」

「チョロでそんな高さまで飛べるのか?」

 レミリスに話を振る。

「ん。……山は、必ず登る風がある。飛ぶだけなら、できる」

「……そうか。でも飛ぶだけなら、って含みがある言い方だな」

「高山、さむい」

「……そりゃ寒いだろうが」

「凍る。夏でも。たぶん、死ぬ」

「……えっ、誰が」

「私とホーク」

 真顔で言うレミリス。

「あたしも寒いと死ぬけど……」

「何故か私も除外されているのが気になるが」

 抗議するメイとロータスに、レミリスは視線を投げて。

「私とホーク、人間」

「なんか色んな意味で差別発言された気がする!」

「確かに私とメイ殿は厳密には亜人だが!」

 しかしホークも、メイとロータスはなんとなく寒い程度では死にそうにないなーと思っていた。根拠は全くないが、そういうのでホークやレミリスと同程度の貧弱さには絶対に見えない。

「そんなもの防護魔法でなんとでもなろうに」

 イレーネが面倒臭そうに言うと、レミリスは首を振る。

「風、強いと、温度保護も気圧保護もすぐ切れる。常にかけ直し、必要。私、使役術で、手が離せない」

「それくらい儂が……うむ、そういえば手間が変わるのう」

「なんだよ。どういう話なんだ結局」

「全員で押しくらまんじゅう、じゃ。まとめて魔法を掛けねばならん」


 かくして、ホークたちは昼を過ぎる頃になってハイアレス城を飛び立つ。

 レミリスとイレーネも含めて全員がゴンドラに乗り、食料も積んだ狭いゴンドラはぎゅうぎゅう詰めになった。

「なんでこんな状態に……」

「山に近づいてから乗り換えるのも手間じゃろ。今のうちに集まっておくんじゃ。山に近づいたらできるだけ小さくまとまるんじゃぞ。儂が魔法で守るが、掛けたそばから保護膜が風で減衰するからの」

「だいたいメロナ山なんてまだ遠いだろうが! 急いでも二日かかるだろ!」

「あっ」

「今あって言ったなレミリス。つまり別に今こんな狭い思いしなくていいんだな」

「……でも、飛んでる時、結構暇だし」

「お前本当はこっちに乗りたかっただけじゃねえだろうな」

「まあまあホーク殿。なんなら私の体にもっと寄りかかっていいぞ。こう見えて鍛えているのだ。男の一人や二人乗せたくらいでは苦しくなどない」

「真っ黒女ずるい」

「足の踏み場もないのう」

「もうお前飛べよイレーネ! 自前で飛べるだろ!」


 よく晴れた空をワイバーンは飛ぶ。

 山国ベルマーダは、激戦の渦中にある。

 それなのにこんなに緊張感がなくて大丈夫なのか、とホークは思った。

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