旅の報酬

 ホークたちの前に姿を現したのは、ジルヴェインと対決において別れたっきりの魔族イレーネだった。

「……お前、なんでここに……」

「なんでも何も、他のどこで待てというんじゃ。儂はお前らの匂いを追う犬ではないぞ」

「……い、いや、それはそうだが……それにしたって城かよ。なんでぬけぬけと」

「盗賊よりは儂の方が城は似合うと思うがのう?」

 女魔族は飄々と笑う。

 随分久しぶりのような気がするが、実際は行動を共にしていた期間も離れていた期間も、そう長くはない。

「誰」

 レミリスが怪訝そうな顔をする。

 ホークは説明しようとして迷う。言っていいものか。城の真ん中でバラしたら、ここまできて大混乱を起こしてしまわないだろうか。

 ……が、イレーネは妖艶に目を細め、ドレスの大きく開いた背中から白い龍の翼を勢いよく開いてみせる。

「見ての通りの魔族じゃが」

 ドヤ顔。

 ……特に城の兵士もルドルフも驚いた気配がないことを見ると、少なくとも人間と偽ってこの場にいるというわけではないらしい。ホークは意外に思った。

 が。

「……ホーク。説明」

 レミリスはその翼にも特に興味を示さず、ホークに説明を求める。

 魔族であることよりも、ホークとどういう関係か、ということの方が気になるようだった。

「……ピピンの山の中にいた奴だ。ロータスの奴のダチのいた里に居座ってて……レイドラへの国境越えから、ナクタでのジルヴェイン戦まで、しばらく面倒見てた」

「……何故儂が面倒見られていたことになっておる」

「訂正したいならテメェでしろ」

「……まあよい」

 不服そうだが、イレーネは特に細かく説明し直す気はないようだった。

 そしてレミリスは首を振り。

「不足」

「他に説明することなんかないぞ」

「親しい。ただの知り合いじゃ、ない」

「いや、ただの知り合いだ」

「白昼堂々、往来で全裸に剥かれて揉みしだかれたことはあるがの」

「テメェで脱いだし揉まなきゃならねえ呪いかけてやがっただろうが!」

「そうじゃったか。まあやったこと自体に差はなかろう」

 ニヤニヤしているイレーネ。

 兵士の何人かは「マジかよ……」「あのカラダ拝んで揉んだのか……」とひそひそ言っている。ホークは殴って訂正したい衝動に耐える。

「……とにかくだいたいそういう性格の奴だ」

「ん」

 ホークが真っ赤になりながら総括すると、レミリスは無表情に頷いた。察してはくれたようだが、それに対して何を考えているのかはわからない。

「そ、それより、なんでそんな堂々と城にいるんだ。いや、もっと他にも根本的に聞きたいことが」

「盗賊ホーク」

 遮ったのはルドルフだった。

「旅の間に色々あったのは察する。だが、まずは落ち着け。……そして、旅の汚れを落とし、褒美を受け取るがいい」

「ほ、褒……美?」

 ホークはきょとんとした。

 ルドルフはホークの肩を叩いて頷く。

「貴様はジェイナスやリュノ、メイとは違う。魔王討伐の大義にて満足する者ではなかったはず。……ここまでの仕事、見事であった。その身に余るほどの働きは、相応の褒美が必要であろう」

「…………」

「まさか、有事に備えるのが貴様の役目……という我々の期待に気付かず、この脱出行をジェイナスたちへの単なる連帯感でやり遂げたわけではあるまい」

「そりゃあ……まあ」

 面食らったままホークは頷く。いきなり褒美なんて貰うタイミングとは思っていなかったのだ。

 そして、困惑したままロータスやメイ、レミリスにも顔を向けるが、三人はホークの困惑の意味そのものがよくわかっていなさそうだった。

「とにかく、その薄汚れた身なりで国王陛下の前に出ることはならぬ。湯浴ゆあみをせよ。新しい服も手配しよう。午後には謁見の準備を整えておく。……ご婦人方も、そうなされよ」

 ルドルフがそう言って手を軽く振ると、女官たちが進み出てホークたちを誘導していく。

「……イレーネ! あとで話は……」

 ホークは女官に取り囲まれたまま、半ば強制連行されつつイレーネに叫ぶ。

 だが、イレーネがどう反応したのかは見えなかった。


       ◇◇◇


 湯浴み、というのはレヴァリアの王侯貴族にとっては「召使いに全身を洗わせる」というのを意味するらしい。

 ホークは石造りの明るい浴場で、五人ほどの女官たちにあれよあれよという間にひん剥かれ、全身の垢を泡石鹸で何度も洗い流された。

 庶民のホークとしては見も知らぬ異性に全裸を晒すのは気恥ずかしかったのだが、妙齢の女官たちは淡々としたもので、手際よくホークの体から垢を落とし、磨き、香油を塗って仕上げる。

 そして新しく下ろしたばかりと思われる上等な衣服をまた総がかりで着つけられ、今まで着ていた服も洗った上で香を焚き染められて返される。

(……また着るとしたら、よく匂いを落とさないとな)

 ホークはいい香りの漂う服を嗅いで顔をしかめる。

 こんな異質な匂いはどこにいても目立つ。盗賊としてはまだ垢臭い方がマシだ。

 そして、通された客間で焼きたての白パンと出汁の利いたスープ、新鮮な肉や野菜、果物を使った上等な食事を与えられ、人心地ついたところで、再びルドルフが現れた。

「うむ。だいぶマシな加減になった。今回は旅立ちの前とは違う、正式な謁見だ。そう長々とはやらせんとはいえ、人前での謁見となる。貴様にも簡単な礼儀は守ってもらわねばならん」

「なあ近衛長さんよ。……こんなことしてる場合じゃないかもしれないぜ。さっきも言った通り、レミリスはアスラゲイトの人間だ。しかも、事故で魔術機関とかいうのが向こうの魔族に蹴散らされて逃げざるを得なかったとはいえ、帝室の第三皇子が嫁として手配してるらしい。その追手を一人、俺たちはブチ殺してる。ことによっちゃアヤつけられるぜ」

「……ふむ。なるほど。詳しい話はまた、彼女やメイからも聞こう。だがジェイナスたちを連れ帰る力となってくれたのだ。悪いようにはしないし、例えアスラゲイトの……第三皇子というとベルグレプス殿下か。彼といえども、そう簡単に手は出させはせん」

 ルドルフは宮仕えの武人らしく尊大な口調ではあったが、ホークの言葉に真摯に答える。

「メイやロータスにもよく話は聞いといてくれ。ロムガルドとも火種がある。とんでもなく面倒臭いことになってるが、イレーネを交えればわかりやすく注釈つけてくれるはずだ」

 続けて問題を訴えるホークにも、ルドルフは頷き。

「……正直、私は貴様を信用してはいなかった。腕が立つとはいえ盗っ人だ。そして若すぎる。放り出して逃げたとしても無理はない……宰相殿にもそう言っていた。だが、こうして勤めをしっかり果たした。多くの問題を連れてきたとしても、ジェイナスに再びチャンスを与えられるならば差し引いて余りある。全て、できる限りに取り計らおう」

「……ま、アンタの見込みは正しい。俺も逃げるチャンスは窺ってたさ」

 ホークは肩をすくめる。

 最初はメイですら見捨てようとしていたのだ。ルドルフの懸念は当然と言える。

 そこからここまで、結局うまく渡り切れたのは、大きな偶然が幾度も起きた結果だ。

 ファルネリアとの出会い。ロータスという助け。「ロアブレイド」奪取。イレーネとの邂逅。“盗賊の祝福”の、思わぬ可能性。そしてレミリスとの再会。

 どれも、取りこぼしていれば大変なことになっていたはずだ。

「だが、その苦労も今日までだ。国王陛下の前で恥を晒して苦難の旅にケチをつけることはない」

「……え?」

 ホークは僅かな違和感に目を険しくする。

 ルドルフはそれに気づかず、ホークに講釈を始める。

「立て。身のこなしだけは覚えてもらう。……儀礼の全てを理解しろとは言わん。それらしい受け答えの作法など、一刻で覚えろというのも酷だ。私や宰相殿がそれとなく場を繋ぐので、貴様はただ『はい』と返事をする他は黙っていればよい。だが、歩み方や跪き方、顔の上げ下げにはどうしても気を付けなくてはならん。それだけはここで覚えてもらう。……まず、公の場では右足から動かさねばならん。ひざまずく時も立てるのは右膝、突くのは左膝だ。これは兵となれば最初に習うことだが、盗賊の貴様には馴染みのない習慣だろう。だが違えれば失笑を受けるぞ」

「…………」

「さあ、やってみせろ」

 ホークはしぶしぶルドルフに従い、歩き方、跪き方の講義を受ける。


 そして、講義が終わったところで他の三人と合流し、話す間もなく謁見の間に連れていかれる。

「勇者ジェイナス一行、メイならびにホーク! 陛下の前へ!」

 ルドルフが玉座の隣に立ち、声を張り上げる。

 謁見の間にはルドルフと宰相バーナードの他、十数名の要職にある貴族が集まり、また近衛の精鋭たちがハルバードを捧げ持って左右に並んでいる。

 その間を、ホークとメイは思いがけず真新しい服に包まれてフワフワした足取りで、言われるままに進み出た。

「よくぞ戻った、我が国の希望、いや世界の希望たちよ。年若き身で重責に耐え、魔王領からの撤退、大儀であった」

 そして、国王ランディウス。

 歳の頃は五十ほどか。この時代においてはもう老齢ではあるが、六十を超えて腰も曲がった宰相バーナードよりはいくぶん若い。

 王は威厳ある声で二人をねぎらい、そして彼らの背後に控えたロータスとレミリスにも目をやる。

「名だたる二大国からの客人の件も聞くにつけ、バーナードの見る目は確かであったと見える。のう、ホーク」

「は……」

 ホークは言われた通り、余計なことは言わずにフォローを待つ。

 宰相バーナードは、すぐにそこを継いだ。

「世慣れた彼なればこそ、違う文化との友誼にも長けましょう。清濁併せ呑む者もあってこその撤退成功と言えます」

「うむ。言い伝えの通り、盗賊なる同行者を選んで正解であった。メイのみではもちろん、ホークの代わりに品行方正なる騎士を当てたとて、この結果はもたらされることはなかったであろう。ホークよ。改めてその献身、王国を代表して感謝する」

「……はい」

 違和感。

 なんだ。

 何故、今、こんなおめでたい寸劇をやる必要がある?

 事態は何もよくなってはいない。敗北がひとつ、取り返せるだけだ。

 魔王軍は侵攻を進めて、たった今も隣国ベルマーダが蚕食さんしょくされている。いくらジェイナスが生き返れるからといって、何をそんなに喜んでいる暇がある?

 ホークはそんなことばかり考えながら、この無意味な時間が過ぎていくのを待つ。

「では、褒美をこれへ。……いつか約した額の金貨を与えよう」

「えっ……」

「額に不満なら後でバーナードかルドルフに申し立てるがいい。儂としては、これでは足りぬほどの功績と考えておる」

 ガシャッ、と。

 非常に重そうな音を立てて、金貨満載と思われる箱が兵士二人がかりの手で運ばれ、ホークの前に置かれる。

 ホークは思わず目を見開き、王を凝視する。それは非礼にあたったが、ホークが礼儀と縁のない庶民であること、そしてその一般庶民には一生縁遠い額の財宝を前にしたことによる狼狽の表れであると見られて、貴族や兵士たちは咎めることなく、見えない方から苦笑が聞こえてくる程度で済んだ。

 が、ホークはそういう意味で驚いたのではない。

 今、約束の額を、全額?

 どういうつもりなのだ。まだ、何も……。


「ホーク。その方に課した役割は十分以上に果たされた。これ以上を求めるのは酷というもの」

「ちょっ……」

「その働きの報酬、堂々と受け取り、城を出るがいい。あとは我々が全て良きに取り計らおう。ご苦労であった」


       ◇◇◇


 ホークは、大金を運ぶ馬車に私物全てと洗った衣服をつけて、城門から一人、追い出された。

「ちょっと待てよ! おい、まだ何も終わって……」

「終わったのだ」

 兵数名を連れて見送りに来たルドルフは、駄々をこねる子供に諭すように言った。

「貴様の果たすべきことは果たした。ここから先に、貴様の出番はない。もう一度『もしも』が起こるようなら、ジェイナスは通用せぬということだ。……これ以上、我が王国の深奥に踏み込むことは許さん。それは貴様のような者の知るべきことではない。ただびとに抱えきれるはずのないものだ」

「……ここまでやらせといて、それはねえだろうが!」

「聞き分けろ。今だけは、貴様は盗賊ではなく英雄だ。英雄として送り出すことができる。……ジェイナスの恩人を我々に斬らせるな」

 ルドルフはそう言ってホークをはねつける。兵士たちは槍を傾け、馬は驚いて歩きだしてしまう。

 ホークは歯が軋むほど噛みしめ、彼らを睨んだ。

 腰の後ろにあるミスリル合金の短剣に手を伸ばすことも考える。

 だが、できない。メイやロータス、レミリスをも追われる者にしてはならない。


 城は、遠ざかっていく。

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