第二の創造体
創造体とはいうが、完全な怪物だったドバルに比べれば妖獣将マルザスの肉体は大人しい。
上背は7フィートあるかないか。人間族の平均に比べれば大きいが、いないほどではない。それに世の中には10フィートの巨人族もいるので、その体の獣の如き毛深さ、それとはまったく逆に痩せ衰えた貧相な老人としか思えない顔のギャップを見ないでいれば、それほど危険な怪物には見えない。
だが。
「先に言っておくが、僕はドバルとは違うよ。あれは魔王様が興味本位で作った、筋力だけの代物だ。失敗作とまでは言わないが、最適化されていない。牛に犬の仕事が上手にできると思うかい? まあオツムの足りないところが魔王様には逆に気に入られていたようだけどね。……僕はそれとは違う。最初から犬の仕事をする犬として作られたわけだ。まあ、並みの犬の十倍か、あるいは百倍は仕事ができる犬として、っていうのが、創造体としての存在意義であることは言うまでもないが」
「自分で自分を犬呼ばわりとは、よくできた犬だな」
ホークは嘲る。滲み出る危険性をひしひしと感じながら、それでも時間を少しでも稼ぐためだ。
まだ“祝福”の実感が戻ってこない。少しでも引き延ばさなければ使えない。
「おいおい。君ら人間にわかりやすく魔王様を主人に例えているんだろう? 魔王様から見れば他の生き物はみんな家畜と害獣だけさ。僕が犬だとしたら君たちはウサギ……いや、ネズミ、それとも虫かな。まあ、使い道のない生き物であることは保証できる」
「使い道を認められるのもそれはそれでおぞましい話だ」
「可哀想に。自分が無価値であることに疑問を持つことすらないんだね。……まあ、どうでもいいさ。僕のやることは同じだ。どうせ君らは死ぬだけだ」
老人の顔に柔和な笑みを浮かべると、マルザスは不似合いな敏捷性を発揮していきなりガイラムに迫る。
「!!」
ガイラムは腰を落とし、斧を当てようと素早く振りかざすが、まるでスピードが違う。ガイラムが予測で当てようとした場所にマルザスは飛び込まず、一瞬でガイラムの死角に入った。
そこから太い腕を伸ばし……いや。
「ハィアッッ!!」
「おっ」
メイが割り込み、その腹部に回し蹴りを打ち込んでいた。
マルザスは驚いた顔をして数歩よろめく。
「僕のスピードについてこれるのか。パワーもなかなか……」
「ゴチャゴチャよく喋る家畜だよね!」
メイは一回転しつつ手刀を振るい、下から打ち上げる拳を放ち、下段後ろ回し蹴りを打ち込む。
だが、マルザスは続けてバックステップをして間合いから逃れていた。
「っとと。鋭い鋭い。当たればなかなか痛そうだ」
「……ここまで避けたのはアンタが初めて」
「そうか。まあ最初で最後だ。僕は君より速い」
「そう? じゃあ、試すね」
メイは目の表情を変える。肉食獣の目だ。
そして、スピードが一段速くなる。
(勝てる……!)
ホークは確信した。
だが。
「ハイッ!! ハイッ!! ハィァッッ!!」
「やるやる。なかなかの筋だ」
マルザスは柔和な笑みを浮かべたまま、メイの振る必殺の拳打蹴撃をかわし、いなし、受け止める。
「嘘だろ……!?」
ドラゴンをも相手取ったメイのスピードとパワーに、完全に対応している。
一撃一撃が、並みのモンスターなら一撃で血煙になる威力のメイの技。
それが息つく間もなく放たれ続けているというのに、マルザスにはまるで当たる様子もない。
さすがにホークもそこまでは予想できなかった。メイよりも格闘巧者がいるなんて。
「さてと。……そろそろわかっただろう。僕の方が強い。頑張った甲斐もなく、君は死ぬ。……だけどいい知らせだ。僕は君の名前を魔王様に教えて差し上げたい。君は魔王様に一時でも気にしてもらえる栄誉を得たんだ」
メイの攻撃を捌きながら、マルザスは本当に祝うべきことのように言う。
「だから、死ぬ前に名乗ってくれないか」
ガシ、とメイの拳を掴み、マルザスはニッコリと微笑む。
「死ぬのはアンタ」
マルザスの手首をすかさずメイの手刀が狙う。だが、それもマルザスの手に阻まれた。
「っっ……!!」
「さあ、喋ってくれ。このまま握り潰してもいいが、君みたいな子は泣いてしまうだろう? 悪いが泣き止むまで待つほど僕も暇じゃない」
「メイ!」
ホークはたまらず短剣を振るってマルザスに突っ込んでしまう。
マルザスは面倒そうにホークを蹴って弾き飛ばす。
無理な体勢からの蹴りだったにも関わらず、ホークが悶絶する威力だった。アバラが折れたかもしれない。
「っが……!!」
「そうか、メイというのが君の名前か。そうなんだな?」
「……手を、放、せっ!!」
メイが振り上げた足でマルザスの腕を蹴るが、力が入らないのか、大したダメージを与えられていない。
「若造!」
「爺さん……逃げろ、アンタが狙われてんだぞ……」
「ならなおのこと逃げられるか!」
ガイラムは斧を握り直す。
時を同じくしてラトネトラも悲壮な顔で立ち上がり、長剣を構える。
そして、ロータスは……いない。
いや。
「貰った!」
いつの間にか、マルザスの死角に飛び込んで魔剣を抜いていた。
切っ先が伸びる。「エクステンド」だ。
ザシュッ、と一撃はマルザスの背を斜めに切り裂いた。
が。
「……何か、やったかい?」
マルザスは目だけを背後にやってロータスを見下ろす。
その背は、血を振り撒かずにみるみる傷口がくっついていく。
「……化け物め」
「だから言っただろ。僕は最適化されている。君たちじゃ僕には勝てないと」
「ならば、再生できなくなるまで斬るのみ!」
「そこまでは付き合えないな」
マルザスは手を掴んでいたメイを振り回し、ロータスに叩き付ける。
ロータスはそれをまともに食らって近くの家屋まで吹き飛んでいく。
「真っ黒女!」
「ぐ……っ、メイ、殿……!」
「……放せ、って、言ってんでしょうが!」
メイはなおも努力してマルザスから逃れようとする。
しかしマルザスは聞き分けのない子供を見るような苦笑で……いや、おそらくこの老人の顔は悪趣味にも、そういう柔らかい表情をいつもするように作られているのだろう。
メイの拳を握る手に力を籠める。
ゴキュリ、と少女の手が音を立てた。
「いぎっ……!!」
「おお、泣かなかったね。偉い偉い。じゃあこっちもだ」
もう片方の手も、グキョッ、と鈍い音を立てた。
「がぁっ……あ、ああっ……!!」
「よく頑張ったね。これで君はもう使い物にならない」
まるで医者が「もう大丈夫だ」と患者を安心させるような口調で言い、マルザスは無残に握り潰した少女の手を解放する。
ホークは地を這いながらそれを見て激高する。
だが、ホークは現実にマルザスをどうにかする力はない。
たとえ“祝福”が戻ってきたとしても、斬ったそばから再生する生き物に決め手などあるのか。
首を切断したって、それで倒せるのか?
そもそも創造体というのは、下半身を置いて逃げたドバルのように全く常識が通用しないのだ。マルザスに対しての攻撃は、どれをとっても決め手になり得ないのではないか?
いつも怒りの中でも冷静に状況を読む狡猾なホークの理性が、今回は気弱な結論を出しかけている。
勝てない。
この化け物は、今のホークたちでは、どうにもできない。
「若造。……生き延びたら、儂の家族を探せ。この地方に幾人かおる。……その短剣を見せれば力になってくれるはずじゃ」
「……爺さん……?」
ガイラムが、ホークを守るように構える。
そして、周囲にいた生き残りの犬人族も、手に手に武器を握ってマルザスに向かい、立つ。
「おいおい。君ら、まさか今のを見ていて僕に立ち向かうつもりか? いいけど少しは逃げるもんだろ? 僕は恐怖で逃げ惑う雑魚を蹴散らす方が好きなんだけどなあ」
「貴様を野放しにすれば、家族が死ぬ。それくらいはわかる」
「うん。まあ生産性の低い犬人族も泥臭いドワーフも別に魔王様は欲しがってないけどね。でも逃げれば一日くらいは長生きできるかもよ」
「どうせ魔王軍相手に最後に死に華咲かすつもりだったんじゃ。ちいと早くなるが、大差ではない」
ガイラムの言葉に呼応するように犬人族もそれぞれの武器を構え直す。
「ま、待て……皆、村に戻れ。ここで戦うのは私とガイラムだけで充分だ……!」
ラトネトラが前に進み出ようとするが、犬人たちは彼女を輪の外に突き飛ばす。
「お前が死んだら、うちのカァちゃんたちを守るのがいなくなっちまう」
「村を頼むよラト。……ボブの代わりは、また何年かしたらうちのジャリどもがいい感じになってくれるはずだ」
「やめろ、エディ、ケビン……! お前たちまでボブのように死ぬ気か!」
「時間ぐらいは稼ぐ。俺たちは数だけは多いんだ。ガイラムがいりゃ、できる」
「そうだそうだ、やるぞ!」
「おおっ!」
「アオオオオー!!」
犬人たちが気勢を上げる。
マルザスは呆れたように肩をすくめ、そして手近の犬人に手を伸ばして一瞬でその頭を握り潰して殺す。
「身の程を知らない雑魚は嫌だね。時間稼ぎだ? 僕はこの街全員潰すのに半刻だってかからないよ」
「ホオオオオーー!!」
「アオオーー!!」
もはや、マルザスの脅し文句など誰も聞いていない。
吠え声に身を任せ、テンションを上げた彼らは次々にマルザスに飛び掛かっていく。
「や、やめろ……やめろォッ!!」
悲痛な声を上げるラトネトラ。
ホークも彼らを止めようとする。無駄だ。この化け物には、無駄だ。
だが犬人族は逆にホークを蹴り、熱狂から弾き出す。
「とっとと消えろ、よそ者!」
「俺たちは戦うんだ! 俺たちの故郷のために!」
「やめろよ! こんなの、やめろよ!!」
ホークは這いながら叫ぶ。それしか叫べない。
時間稼ぎ。いいことだ。ホークたちはその間に逃げることが最善策だ。
だが、この小さくて気のいい友人たちが、自ら死に飛び込んでいく姿は……あまりにもやるせない。
こんなのは違う。
こんなのを無視するのが、ホークに与えられた役目だというのか。
メイはもう戦えず、ロータスも歯が立たない。イレーネはいない。
奇跡は、ない。
ホークはあまりの悔しさに泣きながら、殺されていく犬人族たちに手を伸ばす。
「ホーク」
空から声が聞こえた。
見上げると、ワイバーンの姿があった。
レミリスがようやく到着したのだ。
「レミ……リス……!」
だが、それは絶望的な瞬間でもあった。
それを見上げていたのは、ホークだけではないのだから。
「おや。ワイバーン……人が乗っているということはアスラゲイトか。……悪いが、ここから誰も逃がすわけにはいかないよ」
マルザスはそう言って、群がる犬人たちを振り払い、地を蹴る。
その跳躍は、ホークたちを拾おうとしていたチョロの高さに容易に届く。
「死ね……!」
「レミリス!!!」
「触るな」
レミリスの冷たい声が響き、マルザスはチョロの顔に拳を振るおうとした姿勢のまま、固まってしまう。
そのマルザスをチョロは頭突きで跳ね飛ばし、地に叩き落とす。
「……あ……?」
石畳を破壊して墜落したマルザスに、レミリスは空中からラピッドボルトを掃射する。
「!?」
連打される光弾に打ちのめされ、跳ねるマルザスの体。
「……気持ち悪い。それ、チョロに近づけないで」
「……れ、レミリス……?」
「ホーク。立って。……ホークなら、勝てる」
レミリスはホークにそう言い、チョロの背から滑り降りて隣に降り立った。
「……お前、何をしたんだ?」
「説明、長くなる。あとで」
「……端的に」
「無理」
レミリスの見据える先で、マルザスは砂埃だらけの体をゆっくりと起こしていた。
「……魔術師……か……!」
どうやら。
ホークが絶望するほど、無敵の存在ではないらしい。
同じタイミングで、膝をついていたメイもゆらりと立ち上がっていた。
「……やって、くれましたね……」
髪は、ゾワゾワと波打って金色に変わる。
そして、握り潰されて血まみれの手は……それでも、拳を握っている。
反撃が始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます