ドワーフの旅立ち
ずっと歩き続けてきたからか、ちょっとした散歩程度しかしないで1日を過ごすとかえって体に違和感がある。
ホークは日が沈む山並みを眺めながら、なんとも言えない据わりの悪さを体に感じていた。
「……最近、ちょっとした隙があればアレ使ってたからな……体が慣れちまったのかも」
“盗賊の祝福”の反動で全身が軋むほどの疲労に苛まれ、翌日に起きるのが辛くても、しばらく歩いていればそのうち調子が戻っていたのは若さゆえか。
そして、そんな無茶を続けるうちに、旅と“祝福”のローテーションに体が適応してしまっているようだった。
「ってことは……ちょっくら使っておくといいのかな」
ホークは思い付き、どういう風に“祝福”を使おうか、と目標物を探す。
旅で前に進むのなら、無駄遣いは避けなくてはいけない。先にどんな障害が待っているかわからないからだ。
しかし、このまま何日も止まっているのならそこまで慎重になる必要はない。
疲れることを除けば、どうせ四半刻でまた使えるようになる。それに“祝福”も複数種を使い分けることができると判明し、ひとつ使っても緊急時に手詰まりにはならない。練習で無駄遣いしてもいいだろう。
「よし」
ホークは久しぶりにまったく無意味な“祝福”の使い方をしようと思う。ただただまっすぐ、全力で移動するのだ。
どこまで走れるだろうか。“祝福”も、“吹雪”ではなく“砂泡”の方を先に使えないか、試してみよう。それならずいぶん遠くまで走れるはずだ。100ヤードを超えるかもしれない。
集中し過ぎないよう、リラックス。
自分の意識を見えない「球」のようにイメージし、どこまでも高めていくのではなく、ある程度の高さでキープするように、ゆっくりと浮かせる感じ。
“吹雪”の後ならそんなに気にしなくてもいい。疲れと痛みが雑念となって集中を妨げる。だが、まっさらの状態からその「妨げられた集中」を安定させられないのが、“砂泡”を使いこなせない原因だとホークは踏んでいた。
「すう……はぁっ……」
半目になり、じっくり、焦らずを心掛けて意識をコントロールする。
頃合いか、と思われたあたりで目の前の獣道に想像上の足跡をつけ始める。
自分の影が視界の中で駆け抜けていく。ひたすらにまっすぐ、行けるところまで。
いつもならせいぜい30ヤード弱。それを超えてもまだいける。まだ走れる。
夕暮れの影の中では足元をうまく確認できないほど遠くまで、心の中のホークは走り抜けていく。
いける。これは、成功する。
いや、これは……。
(まだ限界じゃねえ……そうか、体が疲れる前だからか? それとも「型」がまた違うのか……?)
ホークはそのままどこまでも走っていき……200ヤード以上、もうその先は視界の外に出てしまうという丘まで、足跡を刻む。
そして。
(……やって、みる!)
ホークの意識が飲み込まれる。
吹雪ではない。砂泡でも、天からの光でもない。
自分自身が旋風に変わり、渦を巻きながら世界に吹きわたっていく。そんな錯覚の中で、意識がスゥッと消えて。
「!!」
ホークは、遠く離れた丘の頂上まで移動していた。
「……マジかよ」
振り返る。300ヤード近く離れている。“吹雪”の約10倍だ。
そして、体の負担が驚くほど少ない。同じ距離を軽く走った程度の疲れしか感じない。
「これ……は、どういうことなんだ……? やれることは増えるのに反動はどんどん少なくなる……」
ホークはその意味について考えながら、元の位置に向かって歩き出す。
考えられるのは、別の部分に反動が来ているのか、あるいは今まで使っていた“吹雪”が無茶過ぎる使い方というだけなのか、だ。
この力の「本来」を、ホークは知らない。それが「普通」だと思っていた使い方こそが、一番の間違った使い方、というのも有り得なくはないのだ。
ということは、どんどん研ぎ澄ませば、まだいけるのだろうか。やれることはまだまだ増えるのだろうか。
とはいえ。
「……まだまだ研究の余地はあるんだろうが、現状では実用には堪えないかもな、これは」
ホークは使用の時の集中力コントロールの繊細さを考え、そう結論付ける。
消耗のない状態で、じっくりと焦らず、意識の強度を一定に保つことを心掛け「行動予約」にも時間を使う。
もしも焦って成し遂げなくてはいけないようなこと……たとえば敵を殺す、味方を救うといった行動をしなくてはいけない場合は、こんな精神制御は不可能だ。
なにせ、ホークがそれを焦れば、チカラの方もそれに合わせて勝手に発動してしまう。
欲を抑えられなければ暴発するのがこのチカラの厄介なところだ。
今回はただ「走る」という、やり遂げたところで何の益もない行動だったからこそ、限界まで挑戦できたのだろう。
もしもこれが、例えば「敵を殺す」という行動なら、最後までフラットに「予約」をすることは可能なのか。
ホークは無理だと思う。おそらく限界の低い“吹雪”か“砂泡”に化けるのだろう。
「なんかこう……そういうのに適した集中法とか、メイの獣人拳法とかにあったりしねえかな……あるいはクスリか何かで補ったら伸びるのか? とにかくもっと先があるのは間違いないんだが、これじゃ隠し芸にも……」
「おいっ!」
「?」
ホークが考え事をしながら歩いていると、正面からラトネトラが走ってきた。
「なんだよ」
「なんだとはこちらの台詞だ! ……い、今のは何だ! 突然消えたじゃないか!」
「……あー」
見られていたか。
ホークはなんと言い訳をしようか悩む。
隠したいが……いや、この犬人べったりのダークエルフに知られたところで何も不利益はないのではないか?
いや、それでもいちいちバラす意味もないだろう。だが伏せたまま納得のいく説明はできるのか?
いくつもの考えがぼんやりと浮かぶ。
「魔術の気配すらなく、一瞬でどこに……どういう芸当だ! 転送魔術はレヴァリアではそんなにも進化しているのか!?」
「じゃあそれで」
ホークは雑にラトネトラの想像に任せた。
「『じゃあそれで』ってなんだ! 貴様また私に意地悪か!」
「意地悪ってなんだよ。子供か。……別にいいだろ、何にしてもお前に秘密を明かす理由はねえ」
「むぎぎぎ……いいから教えろ! 夕食食わさんぞ!」
「ちょっ……そういうのは卑怯だろ?」
「感じ悪い奴に食わす飯はない」
「なんでお前にそんなの決められるんだよ!」
食べ盛りのホークにとっては飯抜きは看過できる話ではない。
しかし特に自分に関係ある話でもないだろうに、ここまで執着するラトネトラは何なのだ、とホークは苛立つ。
「だいたいお前が知ったところで意味ねーだろ! 俺たちはカゴと短剣が出来次第出てくんだから!」
「意味はないかもしれないが貴様は意地悪だから気に食わん!」
「何百年も生きてて意地悪とかなんとかめんどくせえババアだな!」
「ば、ババアだと!? 本格的に許さんぞ! 抜け!」
「抜く剣をドワーフに持ってかれてんだよ! お前のせいで!」
「ぬうう、それならば素手で勝負だ」
「やだよ! テメェ殴ったらそれこそ犬人族に総スカンだろうが!」
「無礼者のくせに腰抜けめ! 女に負けるのがそんなに怖いか」
「なんだと」
「私が勝ったら土下座した上で洗いざらい秘密を吐いてもらおう。貴様が勝ったら夕食を食わせてやる」
「……それ微妙に不平等じゃねえか? っつか俺、人妻ボコボコにした上でドヤ顔で夕食貰うの?」
だんだんわけがわからなくなってきた。
「そうだ。フフフ。どちらを選ぶかは貴様の勝手だがな」
「……わかったよめんどくせえ。話すよ。話せばいいんだろ」
「なんだ喧嘩はしないのか」
「しねえよ。よく考えたら、ロータスが腕のいい戦士っていうくらいだから、俺に勝ち目ねえし」
ため息をつく。
最近色々な凄まじい戦いをしているので忘れがちだが、“祝福”抜きの腕っ節では、ホークは町のチンピラよりはちょっとマシ、という程度でしかないのだった。
…………。
「……って感じの技だ。正直これ以上は説明しようがない。魔法じゃないのは確かだが、理屈は俺にもよくわかってねえ」
いつもの説明。
ラトネトラは難しい顔をした。
「……むぅ。これでもそれなりに色々な使い手を見てきたつもりだが……そんなチカラが実在するのか」
「信じなくてもいいぜ。俺はその方がありがたい」
「いや、信じるしかあるまい。そういったデタラメがなければ、先の魔術師を投剣一発で倒した手管、理解できん」
ラトネトラはそう言い、ホークの頭から爪先までをしげしげと見る。
「……それと、おそらくソレは、貴様の考えているのとは本質が違うぞ」
「は?」
「貴様の理解は『超高速で動くチカラ』だったか。……おそらくそれはただの結果だ。聞いた限りの事象は、超高速では説明がつかん」
「んなこたわかってる。ロータスもそう言ってた。他に付加価値があるチカラだ」
「違う。付加価値などではない。ロータスはそんなところも二流か」
「あ?」
「それはきっと……『世界を変えるチカラ』だ」
「なんだそりゃ。観念的だな」
「……いや、私も当て推量だな。口伝えの話を聞いて大層なことを言うのも滑稽か。本当のところは貴様自身にしかわからんのにな」
ラトネトラは首を振る。
「希望……願望か。そんなものがこの時代に生まれてほしいという」
「何を言ってんのかさっぱりわかんねえよ。なんだ、ベルマーダ人はわけわかんねえ語りがお国柄か?」
「まあそう思うならそれで構わん」
「……他人にやられると予想以上にイラッと来るな、雑なあしらいは」
「ククク」
ダークエルフは意地悪く笑って背を向ける。
◇◇◇
「できた!」
「出来たぞーお客人! これで人間の4、5人程度なら余裕で運べる! はず!」
犬人族たちが交代しながら作っていたゴンドラが出来上がり、ワイバーンのいる森の空き地に運び出された。
藤編みの代物で、前のものよりも丈夫そうに仕上がっている。
「せめてそこは5、6人って言ってほしかったな」
ホークはそう言いながらも各所をぐいぐい引いて確かめる。
荷物もあるし、二人は血の抜けた死体とはいえ全部で5人乗る。「4、5人」では少し足りない。
しかし、あまり贅沢は言えない。それに軽く仕上がっていた。
「落ちないように皆をロープで縛り合えば、万一底が抜けても惨事にはならんだろう」
「ロータスお前、自分の趣味で言ってない?」
「趣味ではない。むしろ趣味なら縛られるのは私一人でいいのだが」
「もうやだこの変態」
「フフフ。なんなら脱ぐぞ。着衣緊縛ではわからぬ芸術性を教えてやろう」
「脱ぐな馬鹿野郎。裸で空飛ぶ気か」
駄目エルフにツッコミを入れていると、山の方からドラ声が聞こえてきた。
『若造ー! 出来上がったぞー!』
…………。
「おい。山の洞窟まで半マイルくらいあったよな。どんだけ声でかいんだ、あのジジイ」
「すごい。チョロ、びっくりしてる」
「あたしも行っていい? 結局ドワーフあたし見てないんだけど」
レミリスとメイに頷き、ホークたちは山を登る。
洞窟前ではガイラムが正装をして立っていた。
「……遅かったな若造。ほれ」
「下の村の方からここまで来るのに、これより早くは来れねえよ。あんた用がなきゃ来んなって言ってただろうが」
「ありゃラトネトラだけじゃ。特にキャンキャンうるさいし下品な匂いが絶えんからの。全くどれだけ犬相手にサカッとるんじゃ、あの淫乱は」
「……ノーコメント」
実は村に泊まっている間、毎晩地底村落にはラトネトラの悩ましい声が響き、ファルあるいはメイと一緒に、気まずい思いを避けるためにわざわざ外で焚き火を焚いて野営をしたりしていたのだった。
いつもどこに潜んで寝ているかわからないロータスはいいとして、レミリスが無頓着なのは意外だったが。
「それにしても、そんな奴からの話によく応えたな、あんた」
「いくら下品でも馴染みは馴染みじゃからの。ここらで奴よりも上手く武具を扱える者はおらん。全く、儂より長く生きておるくせにあの若さは羨ましい限りじゃ」
差し出された短剣をホークは抜く。見たことのない金属でできた刀身だった。
「なんだこの……変な輝き方する短剣だな」
「ミスリル合金じゃ。ミスリルは軽いが、貴様の扱い方では軽すぎると悪い。重さを補うために金と混ぜてある」
「やたら高そうな代物にしやがったな」
「他の混ぜモンだと弱くなるんじゃ。いい値はつくだろうが売るなよ。貴様に合わせたんじゃからな」
「……普通に直しただけでもよかったのに」
「あのナマクラを研ぎ直しただけで出せっちゅうのか。ドワーフ馬鹿にしとるのか小僧。あんなもんドワーフなら子供でも作らんぞ」
「……金はねえぞ」
「いらんわい。どうせ使うアテもねえ」
老ドワーフはそう言い、大きな荷物袋と立派な斧を担いで歩き出す。
そのまま都に出発するようだった。
「死ぬなよ若造。……お前が誰かは知らんが、若いっちゅうのは、未来があるっちゅうのはそれだけで立派な価値じゃ。貴様は生きて残る価値がある」
そういえば、とホークはガイラムに名乗っていなかったのを思い出す。
「俺はホークだ」
唐突に名乗ったホークを見て、ガイラムはニヤリと笑った。
「……は、儂はガイラム。別れ際に名乗るとは礼儀を知らんな、若造」
「あんたも死ぬなよ。魔王は強ぇが、ジェイナスが戻って来たらやれる。それまでの辛抱だ」
「レヴァリアの勇者か。……期待はせんで待っておく。儂が粘るのは家族と、この故郷のためじゃ。最後の一瞬までな」
老ドワーフは笑って背を向けた。
だが、その背が遠くなる前にレミリスが鋭い声を出す。
「ホーク。……何か、来た!」
「何?」
「チョロ、聞こえてる……西から、何か、来てる!」
「は? ……まさか、ここはベルマーダの奥地だぞ? レイドラから反対側だ、魔王軍が来るには早過ぎる」
「うん。でも、来てる」
「……嘘だろ!?」
手近の木に登り、西の空を見る。
遠くに黒い煙が見えた。
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