老将ガイラム

 洞窟の奥からは槌音が響いてくる。


「こんな洞窟ん中で火を焚いたら煤煙どうすんだ……? ドワーフはそういうの平気なのか? いや、百歩譲っても空気が淀んじゃ火は弱っちまうもんじゃねえか」

「ドワーフの工房が見た目通りの掘っ建て造りなわけがないだろう。入り組んだ洞窟を使っているのは外の光を入れないためだ。中の設備はしっかり手を入れている」

 ホークの疑問に小馬鹿にしたような視線を送るラトネトラ。

 ホークはムッとしたが、口論を仕掛けても意味がない。ラトネトラとの会話はそこで投げ捨て、代わりにロータスに話を振る。

「ガイラムって将軍はここらでは有名なのか?」

「無論、ロムガルドでは語り草の男だな。何せ、やりあったのは他でもないロムガルドだ」

「……気まずいな」

「ガイラム将軍は伏兵や狭路誘導といったドワーフの得意とする戦術を極限まで突き詰め、各戦闘における流れの重要性を一兵に至るまで共有し、単なる作戦指示に留まらない柔軟な戦域誘導をする将軍として一目置かれていた。……本人の豪壮さとは裏腹の、細部まで意志の行き届いた繊細な兵術は、弱兵の力を精鋭以上に引き出す。彼がロムガルドにいたら……と、よく我が国の騎士たちも嘆いたものだ」

「最大級の賛辞って感じだな。そんな奴が鍛冶でも一流ってか」

「ドワーフはまるで人が料理を嗜む程度の気軽さで鍛冶の道を修めるという。そちらにも元々適性はあったのだろうが……天は二物を与えたということなのだろうな」

 羨ましいことだ、とロータスは言う。

 ロータスも上からは二流呼ばわりとはいえ、その各技能は充分に常人離れしているのだが。……上には上がいるな、とホークは苦笑いする。

「そんなお人がなんだってこんななんもない田舎でクダ巻いてたんだ」

 ラトネトラはムッとした。

「人から見れば地上に立派な家がなければ『何もない』ということになるのだろうが、私たち犬人やドワーフにとっては必ずしもそうではない。このあたりの地下道は犬人族なら万は余裕で暮らせるほどのスペースがあるし、地上は恵み豊かな森。こんなに暮らし良い場所もない」

「お前はいつから犬人になったのだラトネトラ」

「……わ、私一人しかいないダークエルフの目線で話をしても価値はないだろう」

 ラトネトラ以外はこのあたりはいないらしい。もちろん、犬人と異種愛生活なんて奇妙な趣味を貫くダークエルフがそんなに多くても困るが。

「元々ダークエルフってどの辺に住んでるもんなんだ、ロータス」

「ホーク殿はあまり見覚えはないか」

「ダークエルフの盗賊ってのはレヴァリアにもたまにいたが、まあ盗賊だけあって出自までは語り合うもんじゃないし」

「本来はロムガルド以南……ヴェルゾス大森林の東、バラトン王国という地底国家がダークエルフという種族の本拠地と言われている。ここらのドワーフの坑道とはスケールが違う、まさに地底の町がある国だ。本来はラトネトラもそこから来た」

「なんで地底なんだ?」

「さあな。一度滅びかけた時代、ダークエルフを庇護した魔族の趣味が地底都市づくりだったとも、元々地底に合わせてエルフが変化した個体群とも言われているが定かではない。ただ彼らの目や耳、魔力の傾向が、より地底生活に特化しているのは事実だ」

「へえ……」

 ホークはあまりよく知らなかった知識に感心する。

 と、そんなホークとロータスの会話を実に不満げにラトネトラは睨んでいた。

「おい。私を無視してそちらだけで聞こえよがしにお喋りをするのは何だ。嫌がらせか」

「ホーク殿は貴殿より私と喋る方が楽しいのだ。引っ込んでいろ」

「ダークエルフの話なら私に聞けばいいだろう! 聞こえるように陰口を叩くな! これだから下手に知恵のある種族は嫌なんだ!」

「陰口ってほどでもねえだろう……っていうかお前、俺がなんか言うたびに鼻で笑ってから喋るからムカつくんだよ」

「無知な者が笑われるのは当然だ」

「うんお前やっぱ黙ってて。……それでロータス、お前何でこいつと」

 ホークが再びロータスとのお喋りに戻ろうとすると、ラトネトラはまた割って入る。

「笑われたくらいで人を仲間外れにするな! 嫌味か!」

「面倒臭ぇ女だな!」

「相変わらず滑稽な性格で安心する」

 どうもラトネトラは険のある言動をしながらも、相手にされないのは嫌い……という非常に邪魔臭い性格のようだった。

「やかましい! キャンキャンと人の工房の前で騒ぐんでねえ!」

 洞窟の中からガイラムがドスドスと飛び出してきた。

「全く。特にダークエルフ、貴様は女臭い上にエルフ臭い、そして犬臭くてかなわん。必要の時以外は工房に近づくなと前にも言ったじゃろうが。犬人と交尾した女は三日経ってもワシらには臭うんじゃぞ」

「ぬ……げ、下品な」

「貴様の存在自体が下品なんじゃ。……それとそっちの若造。手を見せろ。右じゃ」

「え、えぇ?」

「グリップが妙な形にすり減っとった。クセのある手をしとりそうじゃ……ふむ。やっぱりな。小指を昔潰したことがあるな?」

「え、なんで……いや、確かに駆け出しの頃に一回しくじってブッ潰されたことあるけどさ」

 扉を使ったトラップを仕込んでいる最中に失敗し、第二関節から先が完全にグチャッと潰されたことがある。

 死ぬほど痛かった。

 が、ウーンズリペアがあれば、たとえ切断されていても治る時代だ。パリエス神官にほどなくして治してもらったので、現在は痕跡もない。

「一度ヤると縮こまる癖がつく。皮膚の固まり方でわかる……ちと剣の使い方にクセができとるぞ。まあ、チャンバラを本腰でやるタチでもなさそうじゃが……これならバランスはもう少し弄った方が取り回しやすいかもしれんな」

「……そんなのまでわかるのかよ」

「いつもはそこまで気にせんがな。最後の仕事と思えば気合も入る。ほれ、指をめいっぱい広げてみろ。もっとじゃ」

「……最後って。死ぬつもりで戦うのかよ」

「冷静に言って、魔王軍はこの国の戦力で勝てる相手ではない。粘るは粘るがな」

「いっそ逃げろよ。優秀な鍛冶屋で将軍なんだろ、アンタ。きっとここより必要としてくれる所もあるぜ」

「馬鹿言うんじゃねえ。逃げる先なぞあるものか。儂とて木の股で生まれたわけじゃねえ。家族もある。仲間もある。……そこのダークエルフも、あのへんの犬人たちも、大事な地元の同胞じゃ。儂に戦う力があるなら、最初に死なんでどうするか」

「……わからねえ」

 ホークにしてみれば、ここで踏ん張って戦うというのは無駄に思える。

 戦いは勝つ見込みがあるからするものだ。ジェイナスが生き返れば自分たちが勝つと思えるからこそ、ホークは必死で最善手を探しながらここまで旅をしてきたのだ。

 負ける目しかないのならさっさと引き、もっと強い奴と結んで戦うべきだろう。魔王戦役を終結させるという観点からすれば、時間稼ぎの耐久負けを乏しい戦力でやるくらいなら、反攻のために生き残る方がずっといい。

 が。

「若造。……貴様は戦士ではねえんじゃろうな。少なくとも、他人より強いことに責任を感じたことなんかないじゃろう」

「……まあ、そうだな」

「戦いをする力なんてのは人の力のごく一部じゃ。それは戦う時にしか役には立たん……何当たり前のことを言ってんだというツラじゃな。そう、当たり前の話じゃ。人の価値はたくさんある。何かを作る力も、誰かを喜ばす力も、あるいはただ未来まで生きるというだけの『若さ』さえも、全く同じように価値がある」

 濃密な白い眉の下から、ギョロリと光る眼がホークを見据える。

「戦う力はその一つで、戦うべき時しか役に立たん。今を凌げれば、一刻でも長く戦えば、儂一人よりたくさんの価値が残る。その時に力を惜しまぬことが、戦士が世の中に果たすべき責任じゃ。少なくとも儂はそう思う」

「だけど、それじゃ勝てねえ。魔王と敵対する奴らで手を組めば……」

「フワフワした理想の展開じゃな。具体的に誰と誰が何をして、儂がどこにおれば勝てるというのが言えるか?」

「……それは」

「そのために家族と故郷を魔王軍の前に放り出せっちゅうなら、具体的な話でなければできん相談じゃ。……だいたいな、儂は勇者とかいうフワフワした連中とは違う。儂個人のために戦ったことはないし、人類のために戦ったこともない。ただ、故郷と仲間を守るための戦いが全て。そこから逃げたら、たとえ最後に魔王を殺せたとしても儂は敗北者じゃ」

 老ドワーフの言葉は、揺るぎない。

 だからこそ、ホークはなんともいえない違和感も覚える。

「……それなら、俺の短剣なんか作る義理はないだろう。俺はアンタの敵じゃないが、守るべき味方でもない」

「ああ。そうじゃな。……じゃから腹が立つ」

「……?」

「軍人としては、儂は国と民を守るのが全て。じゃが、鍛冶屋としては……貴様のような奴に腐れた武器を持たせ、見過ごすのを許容できん。その結果、そういう筋書きが生まれるのが腹立たしい。おそらくは意図しておらんだけに、ちょうど喜ばれそうな偶然じゃ。……『老将軍が最後に打った武器が、若者の命を繋ぐ』などとな」

「意味がわからねえんだよ。なんなんだ。何に対して怒ってる?」

 ホークの問いかけに、ドワーフはしばし沈黙。

 そしてギョロリと目だけでホークを見上げる。

「貴様は、魔族を知っておるか。会って話をしたことはあるか」

「……一応、二人くらいは知ってる」

「そうか。……レヴァリアの者なら、そうなのじゃろう」

「レヴァリアには関係ない奴らだけどな。ピピンに住んでた変な女魔族と、アスラゲイトの黒山羊野郎だ」

 イレーネと、ガルケリウス。……そして、魔王ジルヴェイン。

 魔王に関しては迂闊に話せばややこしくなる。伏せることにする。

「ふん。……貴様はどう思った。奴らは何なのじゃと思う」

「何って……」

「案外、俗な連中と思ったか? それともその力に恐れ慄き、平伏してやり過ごしたか。……どちらかは知らん。じゃが今後も関わっていくなら、いずれ気づく」

 老人は左右のロータスやラトネトラにも目を配り、迷い、そして聞くなら聞けと決意し。


「奴らは遊んでおる。弄んでおる。……魔王という存在と相対した儂らをな。そして、あれだけの力を用いて、安っぽい『伝説』を作らせようとしておる。全ては奴らの腹の中で配役し、殺し、生かしながら」


「……な、に?」

「儂はこう見えて二百年生きとる。じゃからこれで都合三つ、その手管を見ていることになる。……もしもレヴァリアの魔族に未だ出会うていないのなら気を付けろ。……死に役として、奴らに飲まれるな」

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