盗賊の短剣
やがて空からレミリスとチョロも降りてきて、戦いの後処理が始まる。
「敵のワイバーンはどうするんだ。殺るのも一苦労だろうが」
魔術も魔剣も効きにくいワイバーンを屠殺しようとすると、手段を慎重に選ばねばならず、少し難易度が高い。
メイに頼めばいいのだが、現在起きているのはファルであり、メイを起こすにはひと手間いる。
もともと支配権のないワイバーンを、レミリスが使役術で強引に止めておけるのは、そう長い間ではない。
「逃がす」
「おいレミリス」
「殺すの、大変。それに、かわいそう」
「お前な。アスラゲイトの連中に都合がいいだけだぞ、それは」
「……でも」
殺すことには不服そうなレミリス。どうもワイバーンという生き物自体に対する思い入れが見受けられ、危うい。
ホークはあくまで屠殺を主張するが。
「まあ待てホーク殿。難儀なことには違いない。逃げてくれるなら逃がすのも選択肢だ」
「そうは言っても、敵のコマだぞ。これからナントカ皇子の求婚撥ねつけるんだろ」
「向こうの認識、たぶんもう、嫁。拒絶じゃなく、不貞」
「皇族の勝手な理屈なんかどうでもいい」
「ん。盗まれた」
満足そうなレミリスの顔で、そういえばさっきの魔術師に対して「こいつは俺が盗んだ」とかなんとか言ってしまったことを思い出す。
赤面する。あまりにもいけ好かない権威主義者なので勢いよく反発してしまったが、あれはもしかしなくてもレミリスを調子づかせてしまう言動だったのではないだろうか。
「いや、あのなレミリス。あれはその場の勢い的な……いやそうじゃなくて話の本題はだな」
「ホーク様は無意識に女をその気にさせるのですね。少々どうかと思います」
「ファルも混ぜっ返すな! そこじゃなくてだな!」
ホークがあっちとこっちに顔を向けてガーッと反論しているうちに、チョロの前に伸びていた敵ワイバーンがゴギギギッと鱗を軋ませて起き上がる。
「って、アイツをどうするかって話だろ!」
「死なすのは可哀想」
「お前はワイバーンに甘すぎるんだよ! どうせ逃がしても適当に野生化なんかしてくれないんだろ!? アスラゲイトに戻っちまうんだろあれ!?」
「ん。でも、しょうがない。アスラゲイト、滅ぼすわけじゃ、ない」
「あん?」
「レミリス殿は我々がアスラゲイトと完全に潰し合うというわけにもいくまいと言っているのだ。かの国はロムガルドにも伍する大国。正面から敵対はできない。まあ、とりなしはレヴァリア王家に任せることになろうが。……それに一面においては反魔王勢力同士。ともに魔王に対抗する味方だ。ならばワイバーンの一頭や二頭、帰らせたところで必ずしも我々の不利益ではない」
「そうは言っても、俺らは的に掛けられてばかりじゃねえか」
「かといってこのワイバーンが我々を殺すほどの情報を持っていくわけでもあるまい。手間を考えれば見逃すべきだ」
「……チッ」
ホークとしては敵はできるだけ後腐れなく潰しておきたいものだ。どんな時も、それが一番の得策だと思う。
しかし、この場では無理を言っているのはホークの方だ。
「……大人しく行くなら良し。使役術が解けたのをいいことに襲ってくるようなら……」
「大丈夫。それは、させない」
レミリスは起き上がってこちらを睨むワイバーンに、杖で使役術を使い、操る。
ワイバーンはこちらに興味を失ったようなしぐさをし、ゆっくりと背を向けて空へと離陸していく。
「……そのうち正気付く。でも、こっちに戻ってはこない、と思う。アルチュール、いい飼い主じゃ、なかった」
「あ、そうだ。あの野郎にブッ刺した短剣回収しないと」
ホークは夜の森をキョロキョロと見渡す。ワイバーンの背にはいなかったから、どこかに振り落とされていると思う。目立つ場所に落ちていてくれるといいのだが。
……と、それまで遠巻きに見守っていた犬人族たちが顔を見合わせる。
「死んだ人間族なら、こっちにいます」
「わかるのか」
「俺ら鼻利くし、ここらは元々庭みたいなものなんで」
「案内してくれ」
ホークは彼らに任せてついていく。
しばらく歩くと、アルチュールはローブを木の枝に引っ掛け、首吊りのような体勢で死んでいた。
思った通りに短剣は彼の心の臓に正確に命中している。
「……これ、空の上で……あのワイバーンに乗ってた奴にやったんですよね?」
「まあな」
「どんな腕してんだ……」
犬人族は震撼する。
ラトネトラも感心半分、警戒半分といった顔をする。
「弓で射たのならともかく、動いているワイバーン相手に短剣でこれをやったのか……やるな」
「弓の腕には自信がなくてな。空の上でとなると余計キツい」
「普通はどうあっても投剣の方がマシということにはならん」
魔術師から短剣を抜くと、まだ生暖かい血がドプッと流れ出し、ホークの腕を染める。
うつろに開かれたままの魔術師の目が、恨みがましくホークを映す。
薄気味悪いが、ホークはそんなものはもう気にしない。引き抜いた短剣を死体の上等なローブの端で乱暴に拭う。
「喧嘩を売る相手が悪かったな、クソ手品師」
ホークは最後に思い切り嘲って背を向ける。
短剣を鞘に納めようとすると、ラトネトラがスッと手を差し出してそれを止める。
「何だよ」
「こんな剣でさっきの芸当をやったのか」
「ボロ剣だって言いたいんだろ。言われ飽きてるが俺はこいつが慣れてるんだよ」
「ボロなんてものではない。もう何で使えているのか不思議な状態ではないか」
「……それも言われ飽きてるが」
ラトネトラが闇の中でホークの短剣を取り上げ、犬人族の仲間たちと一緒にしげしげと眺める。
「メチャクチャ酷使されてんな……俺らも物持ちいいが、さすがにこうなったら潰しちまうよ」
「ナマクラっしょ。わざと岩を斬る真似でもしてんでなきゃこうはならないっすよ」
「切っ先が折れて丸くなっているな。これを投げて刺す自信がある奴はいるか」
「無理だよそんなの」
「でもやってたぞ……それも一発で仕留めるってどういう腕だよ」
メチャクチャに酷評されていた。
「そこまで言われるのかよ……一応ピピンでロータスと一緒に研いだのに」
「あれからどれだけそのまま戦っていると思っているのだ」
「……まあ、うん」
言われてみればそれ以来全く研いでいない。
「で、でもそれがないと困るんだよ。それ以上に長いと俺じゃ持て余すし、それより小さいと咄嗟のやり合いで押し負けちまう。一番ちょうどいいんだ。返せ」
「こんなものでワイバーン使いとやりあうなど正気の沙汰ではない。ロータス、貴様がついていながらなんという無茶な真似をさせるのだ。こんな年若い人間に」
「そうそう良い武器が堂々と揃えられる旅ではなかったものでな」
「食事ナイフで巨人族と戦う方がまだしもマシだ。片や魔剣を何本も持ち歩き、片や鉄くず同然の剣か。見ておれん」
ラトネトラはホークに短剣を突き返し、しばらく考えてから、その腕を掴んでズンズンと歩き出す。
「……ついてこい」
「お、おい、なんだよ、俺たちは先を急ぐって……」
「黙れ」
そのまま引きずられていくホーク。他の三人と犬人族たちも慌てて追いかけてくる。
「ロータス、彼女は何なのですか!?」
「見ての通りの変わり者のダークエルフ。あの性癖ゆえに同族と群れることはできませんが、腕のいい戦士で世話好きな女です」
「黙れロータス。貴様にだけは変わり者などと言われる筋合いはない」
「私は同族相手でもそこそこ理解される性癖だ。貴殿とは違うぞ」
「絶対に歪んでいるのは貴様の方だ!」
「いいから放せよ!? 今俺どっか行かされるより早く休みてえんだけど!?」
騒がしい一団は森を抜け、山の洞窟に入っていく。
◇◇◇
洞窟の奥から、うっすらと赤い光が漏れている。
「誰じゃあ!!」
わけもわからず連れ込まれたホークは、光の方から突然響く濁声にビクッとした。
それに対して落ち着いた声で答えながら歩くラトネトラ。
「私だ。ラトネトラだ。力を借りたい」
「ラトネトラ……ああ、犬どもの嫁か」
いくつかの角を抜けて洞窟の奥に行くと、声のイメージ通りの人物がいた。
顔を覆い、ヘソ近くまで伸びたボリュームのある髭、粗野で鋭い目つき、そして低い背丈。
「ドワーフ族……か」
「私、初めて。アスラゲイト、ドワーフ、いない」
「何じゃ何じゃ。今日は犬だけでなく人間やエルフまで連れてきおったか」
鋼と大地の一族、ドワーフ族。
気難しげな顔にありありと不機嫌の色をにじませ、一人酒の最中だったらしい彼はラトネトラを睨んだ。
「面倒事はもうできんと言うたはずじゃがな」
「最後の仕事にはちょうどいい話を持ってきた。……この男の剣を見てほしい」
「あ?」
ホークの腰裏から短剣を抜き、ドワーフの足元に放るラトネトラ。
「なんじゃ。鉄クズじゃねえか」
「ああ、全くだ。……だが、この男はこれでさっきワイバーンと戦っていた」
「はァ!?」
「その上、これでまだレヴァリアまで戦い抜くつもりらしいぞ」
「……レヴァリアの奴らか。ケッ。好かんな」
「どうだ、ガイラム。貴様の最後の仕事に相応しいと思わないか」
「気に食わん」
ガイラムと呼ばれたドワーフは、そう言って酒壺から直接酒を呷る。
「おい、なんかいきなり断られてるぞ。もういいだろ、手を放せ」
ホークはそう言ってラトネトラから腕をもぎ離そうとする。
が、彼女は手を放さない。
ガイラムは酒壺をテーブルに投げ出し、ふはぁ……と深く息をする。
そしてホークとラトネトラを睨んだ。
「順番が合うことが何より気に食わん」
「……何言ってんだこのドワーフ」
「黙っておけ」
ラトネトラに冷たく言われてホークは口を閉じる。
ガイラムは転がった短剣を掴み、短く筋肉質な腕に見合わない華麗さで器用に振り、取り回し、ピタリと止めて眺める。
「鉄くずじゃな。どう見ても」
「……返せ。時間かける気はねえんだ。俺は……」
「生きるつもりがあるのか、若造」
「は……?」
「死ぬぞ。……剣が大事な時にヘシ折れるってのは間違いなく死ぬ流れじゃ」
「…………」
ジェイナスのことを思い出して言葉に詰まる。
「そ、それにしたってこっちは金なんかねえ。時間もねえ。馬鹿な冷やかしに付き合ってもいられねえ。用が済んだならもういいだろ」
「儂がこのまま帰したらお前は死ぬ。その短剣が折れた瞬間に命運が尽きる。……それでも、それ持っていくか、若造」
「……いいから言いたいことを言え」
「作ってやる。そう言っとるんじゃ。……クソ、何から何まで気に食わん。まるで誰かの絵図をなぞっておるようじゃ」
「さっきから何を言ってるんだジジイ」
ホークは薄気味が悪くなって問いただす。
「は、貴様の知ったことではねえ。……単なる感傷じゃ。ああ、そう……儂がこういう仕事をするのが、歴史の美しい流れじゃ、と誰かに囁かれている気がするだけでな」
「さっぱりわからねえよ」
「わからんでいい。……三日待て」
「三日!?」
ホークは素っ頓狂な声を上げるが、ラトネトラはそんなホークを引きずり、また洞窟から連れ出そうとする。
「おい、何なんだよ!? わかるように説明しろ!!」
「彼はベルマーダ王国最高の鍛冶屋で、ベルマーダ軍最強の将軍ガイラムだ」
「……は?」
「もっとも、軍務を退いて30年近くになるが。……二日前、魔王軍がついにこの国の領土を侵犯し始めたという。ガイラムに復職要請が来て、あとは出征するだけの状態だった」
「……え? 何……えっ?」
「おそらく奴の最後の仕事だ。……歴史に残る仕事をさせてやりたい」
ラトネトラはそう言ってホーク、そしてファルとロータス、レミリスを見る。
「ろくに魔剣使いもいないこの国は、ガイラムが出てもおそらく負ける。そして、その背後のレヴァリアにガイラムの最後の武器が残る。それがあまりにも流れとして綺麗過ぎる……と、奴は言いたいのだろう。それでも、見捨てられん男だ」
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