闇の森の包囲網
しばらく倒れたまま動けなかったホークだが、夜の森でいつまでも突っ伏しているわけにもいかない。
軋む筋肉と関節に耐えながら、なんとか身を起こそうとして……自分の体の重さに情けない悲鳴が出そうになる。
肩肘の筋肉も腹筋も背筋も腰も
“祝福”の後はたいてい凄まじく疲れるものだが、今回はそこに飛行という極限状況も重なったせいで負担が限界に近かった。
「やばい……起き上がれ……ない……」
「ホーク様……その、私が運びましょうか? メイさんの体なので力はありますし……」
「……頼む。元の場所まで……」
ファルがホークの腋の下に潜り込むようにして、ホークの体を持ち上げる。
ひょいっという具合でホークは軽く持ち上げられ、そのままズルズルと爪先を引きずるようにして運ばれていく。
小さな体には不似合いのパワーだが、逆にこの力があるのでなければ、空中でホークを運ぶことも任せられなかった。
「……ホーク様は、すごいですね。やはり、レヴァリアの勇者隊の一員なだけはあります」
「なんだよいきなり」
「メイさんの身体能力と山ほどの魔剣を持つ私も、このワイバーンの魔術師を止める手立ては思いつかなかったのに……ホーク様はいともたやすくやってのける。ロータスとメイさんが信頼するだけはある、と思ったのです。……そして、ちゃんとこうして生き残った。私ならきっと、先ほどの墜落は諦めていたな、と思いまして」
「俺も一人なら観念してたかもな」
「いいえ。きっと生き残るでしょう。……あなたは大義のために死ぬなんてことに、満足する人ではないのでしょうから」
「そりゃあ……確かに満足して死ぬわけじゃないだろうけどさ」
ホークの肩には、ジェイナスやリュノの復活がかかっている。
そしてその責任よりなお重く、メイを死なせること、一人で放り出してしまうことへの忌避がある。
飄々と明るいメイは、強い少女だ。だが、やはりまだ13歳。それも拳を磨くことしか知らない13歳だ。
ここで死なせてはいけないし、路頭に迷わせてもいけない。それが、ホークの土壇場での踏ん張りと挑戦を生んでいる。
「私は大義のために生きていました。だから、大義のために努力して、大義のために死ぬことを決して疑問には思わない。……いえ、それは歪んでいるというのはわかっているのです。でも、きっと死を前にした時、心の底では自分の人生に納得してしまうでしょう。我ながらつまらない人生しか歩めない性分です。でも、あなたはそうじゃない」
「……俺が特別なんじゃなくて、そりゃお前が調教され過ぎてるんだよ。勇者っていう概念に」
「そうかもしれません。……だからこそ、メイさんがあなたの生き方を羨み、好む気持ちが、ようやく理解できてきました」
「こないだなんかいきなり女房面しといて、今更かよ」
「は、恥ずかしいことを言わないでください。……私たちは、例えるならば顔も知らない先祖のために人生を捧げていたようなものです。それは正しいことで、やらなければならないことには変わりない。でもきっと、成し遂げた後には重荷を下ろした解放感以外には何にもないのでしょう。……でも、貴方を見ていると、世界はきっともっと魅力的なのだと思えてくる。明日を見るために、見せるために生きようとするあなたの背を信じたくなる」
生きて辿り着く先に、もっといい未来がある。
報酬がある。安楽があり、快楽がある。それはホークにとっては当たり前のこと。
……だが、魔王と戦うことを目指して生み出され、努力してきたファルネリアやメイにとっては、決して当たり前ではないこと。
「自分が生きていくことが、重荷をただ運んで行くだけの路ではないのだと、あなたの隣にいれば信じられる。だからメイさんは……こんなにもあなたを守ろうとしているのでしょう」
「……難儀だな。本当に、お前らの生き方は」
ホークは引きずられながらため息をつく。
国は違えど、身分は違えど、メイとファルネリアは同じように「きたるべき魔王の脅威」のためだけに短い人生を捧げていた二人だ。
必要には違いない。それほどの準備をする意味がある強大な相手だ。
だが、それを「越えた先」のことを考えることさえできないほどに空疎な人生は、あまりにも不健康だ。
「確かに俺はお前らより世の中知ってると思う。汚いこと醜いこと、つまらないこと、色々とな。……知った上で、こんなバカなとこで死ぬより生きたいと思う程度には、やっぱり生きるってことは幸せだと思う」
「はい」
「何より、そんなことすら当然と思えないお前たちが信じられねえ。どれだけのモンを取り上げられ続けてたんだお前ら。盗賊よりも人生に絶望してるなんて」
「……絶望、なのでしょうか」
理解さえしていないのだ。
それが絶望だということすら。
「やっぱ放って死ぬわけにいかねえな、お前らは……」
ホークは頼もしくも哀れな彼女……いや、「彼女たち」を、決してこの戦いで終わらせはすまい、と決意を新たにする。
さしあたって魔王に勝った後、メイやファルネリアに何を見せよう。何を与えよう。
きっとホークが与えなければ、魔王討伐者として彼女たちに与えられるのは、安泰の地位と一生分の生活保障くらいだろう。それ以上に望むことさえ彼女たちはおそらく知らない。
「お前たちがこのクソみたいな死体運びの旅を、一生の宝物みたいな思い出と呼ばないようにしなきゃな」
「それは無理じゃないでしょうか」
「なんでだよ」
「ホーク様に出会って、自分の地位を脱して、こうして冒険の旅をしていることが……私の中でつまらない記憶になる未来なんてありえません」
「想像力欠如過ぎる」
「今、私は幸せですよ。あなたと話していることも、あなたに守ってもらえることも。たとえメイさんのついでだとしても」
「……ほんとさあ。大国の姫君ともあろうお前がなんだってそんな」
ホークは嬉しさ半分、呆れ半分でファルを諫めようとする。
が、疲れて鈍った感覚に、それでも警鐘が鳴る。
「……ファル。なんか魔剣抜け」
「えっ」
「囲まれてる……クソッ」
ホークは痛み、力の入らない全身を無理矢理動かしてファルから少し身を離す。
武器は……ロータスにもらった手投げ用の短刀くらいしかない。弓は道具袋の中で弦を張っていないので論外。
それでも、短刀を両手に一本ずつ、伸ばした指に沿うように持って周囲を警戒する。
「一体誰が……アスラゲイトの者?」
「さあな。俺は殺気で他人を判別するような天才さんじゃねえ」
たとえ判別できたとしても、見も知らぬ他人の殺気に出身地のタグがついているわけもなし、というのは置いておく。
静寂。
遠くでワイバーンの羽音と、ロータスがホークたちを呼ばわって探す声が聞こえる。
それに答えるべきか、無視すべきかホークは少し悩む。答えればロータス、あるいはレミリスonチョロが包囲網を突き崩してくれるだろうか。
いや、相手の攻撃開始を自分の声で紛らわしてしまっては対処が後手に回る。叫ぶにしても襲われてからだ。
「……少なくとも7~8人はいそうだ。連発の利く魔剣にしとけよ」
「わかりました」
ファルは一旦抜いた「キラービー」をしまい、「エクステンド」に持ち替える。
もう片方は「シールド」だ。アスラゲイトの手の者を相手にすると考えれば、魔術対策は外せない。
(しかし、レミリスを探しにきたのがあの野郎だとしたなら、地上に仲間が展開してるっておかしくねえか……?)
ホークは油断なく周囲に目を走らせながら考える。
いくらアスラゲイトでも、ワイバーンに追いつける地上部隊がそうあるとは思えない。
先ほどの魔術師には手間取ったが、援軍が呼べるほどではない。それに狙うにしても先にレミリスの方だろう。
だとすると、この周囲の殺気は誰だ。
「誰だか知らねえが、こっちは手加減利かねえタチでな。突っかかってきたらだいぶ死ぬぜ。ツラ見せた方がいい」
「ホーク様」
「それとも試しに2、3人殺ってみせねえと信用しねえか?」
ホークは、アスラゲイト帝国「以外」という可能性に賭けることにする。
この夜の闇の中、ホークたちも先ほどの魔術師も、この場所からすれば招かれざる来訪者だ。
だとすればベルマーダの民がホークたちを警戒して近づいてきた可能性が高い。
ベルマーダの住人は人間族の他、ドワーフ族や獣人族も相当多い。彼らはメイ同様に暗視視界を持ち、この闇の中でもたいまつ無しでホークたちを囲める。
その特性を考えるに、ただの付近住民である可能性が高いと踏んだのだ。
果たして。
「虚勢だとしても聞き捨てはならないな」
闇に溶けていたものが形を取る。
いや、ホークにはそう感じられただけで、近くの物陰にでもいたのだろう。
闇に親和する褐色の肌を持つ女が、目の前に現れていた。
ダークエルフだ。エルフ族の亜種である少数民族。地底を好む闇の住人。
「では問うとしよう。貴様らは何者だ。この森で何をしている」
「ただの旅行者だ。一晩ほどウチのでかい馬を休ませたくてな」
「でかい馬とは、先ほどから暴れまわっているワイバーンのことか」
「あれで大人しい奴なんだぜ。……飼い主が面倒見てさえいれば」
ホークは女を観察する。
肌も褐色、髪も艶やかな黒。目だけが浮かび上がって見えるほどに全身が暗色だ。
「服が黒いのは趣味か? もうちょっと明るい色の方が映えるぜ」
「曲者を喜ばせるために着飾るものか」
「趣味じゃないのか。安心した」
「何故安心するのだ。わけのわからぬ男だ」
「黒服大好きの変態が仲間にいてな」
「いきなり変態呼ばわりとは無礼極まる男だな」
「お互い礼儀を尽くす相手って雰囲気じゃねえだろ。それでウチの馬が一晩休むのを黙認するのか? それとも……やるか?」
下手に出てはいけない。不法侵入は厳密にいえば犯罪だ。
それを認めて相手に服従すると、さらなる厄介事に巻き込まれることになる。
ベルマーダに長居をするつもりはない。ゴリ押しで押し通るしかない。
ホークは女に挑発的な笑みを見せる。
女はホークを睨み、そしてファルの両手の魔剣を見て溜め息。
「……貴様はともかく、そちらの娘は魔剣使いか。確かに無事で済ますのは少し苦しいな」
「だろ? こいつは殺生が嫌いでな。邪魔さえしなきゃ剣は収めるぜ」
「気に食わん男だ。魂胆は読めているぞ。不法入国を咎められるのが怖いのだろう」
「……さてな」
ホークは答えに窮する。ハッタリの張り合いは相手の方が一枚上手か。
そのまましばらく無言で睨み合い、そして。
「久しいではないかラトネトラ。ご主人は元気か」
「!?」
急にダークエルフの背後にロータスが現れていた。こちらは卓越した隠密技だ。
「き、貴様、“漆黒の黒き暗黒”のロータス!?」
「おいロータス。その仇名ほんと何なんだ」
「ホーク殿。そう突っ張らずともよい。知己だ」
「そのような気安いものではない!!」
「つれないことを言うなラトネトラ。かつては共に」
「寄るな! この緊縛マニア!」
「はっはっはっ。いいのかラトネトラ。性癖で貴殿が私を見下せるのか」
「っ……!?」
硬直するダークエルフ。
「この女、もふもふマニアでな。知る限りで犬人族の夫を47人もとっかえひっかえしているクソビッチだぞ」
「ちゃっ、ちゃんと死別するまで夫婦として真っ当に過ごしている! 誰がクソビッチだ!」
「貞淑を気取るならせめて操を立てろ。死んだら次の日には別の夫を迎えておるのだろう」
「そ、それは……犬人族の男は情熱的で!」
焦り出すラトネトラ。
周りの囲む気配も困惑しながら殺気を緩め、ぞろぞろと顔を出す。ほとんどは子供のような背丈の犬人族だった。これで成人である。
「あの……それで実際どちらさんです?」
「……どちらさんと言われても一言では言い辛いが。レヴァリアに帰る途中だ。俺はホーク」
「ボブです。ラトネトラの今の亭主です」
「お前が」
「似合いませんかね」
「正直な」
「あと俺で98人目だそうです」
「……その数字、複雑な気分にならない?」
「多少」
犬人族はまさに犬のような顔に器用に困惑の色を浮かべた。
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