彼女の問題

 宿場で水や物資の補給を行い、ロバは近くの農場に預ける。

 ピピン王国からの旅を支えてくれた仲間だが、さすがにワイバーンに運ばせるわけにはいかない。

「なるべく引き取りに来たいんで一年くらいは面倒見てほしい。けどまあ、ご時世がご時世だ。無理かもしれない」

「荷運びや農作業に使ってもいいっていうなら預からせてもらうよ。ロバならそう贅沢なエサもいらんし邪魔にはなんねえ」

 農場の主人である老人は請け合ってくれる。

「ごめんね。また今度ね」

 メイはロバ二頭の首を順に抱きしめて別れを惜しむ。

「一か月と一緒にいたわけでもないのに、メイ殿は情が深い」

「ピピンからこっち、苦しい時の確かな味方だったんだ。情も湧くさ」

「ホーク殿も惜しいか」

「メイほどってわけじゃねえがな。少なくともあいつらがいなきゃ、ずっとあのクソ重い死体を背負って何か国も横断しなきゃいけなかったんだ。感謝はしてる」

「ホーク殿もつくづく人がいい。家畜にそうまで感謝する悪党はなかなかおらん」

「取るだけ取ってそっぽ向きかねない人間よりゃ、エサ食わせて撫でてやりゃ確実に役に立ってくれる生き物の方がありがたいんだよ」

「そういう考え方もあるな」

 ロータスは苦笑する。


 ホークたちは翌日に宿場を発つことにした。

「空を飛べるとなりゃ早い。一日でどれだけ行けるかは知らないが、少なくとも山や森や国境警備に足止めされることはないってわけだ」

「ハイアレスに行くなら、ここからならベルマーダ上空を横切る方が早いな。魔王軍との交戦が始まっているかもしれんが、空を渡るなら止められようもない。巻き込まれることは心配しなくていいだろう」

 宿の一室で、ロータスと一緒に地図を広げてルートを確認する。

「ワイバーンは一日にどれだけ飛べるんだ、レミリス」

「乗せる量。私一人なら、一日、飛べる。いっぱい乗せると、わからない」

「ふむ。ワイバーンは巨大さゆえに人間など何人でも運べそうに見えるが、長時間飛ぶとなればやはり荷の差は大きい。我々全員にジェイナス殿とリュノ殿まで乗せれば単純に五人分、ざっと600か700ポンドは増えることになる。それゆえに途中で休まねばならんかもしれん、というわけだな」

「ん」

「……まあ、徒歩よりは早いだろう。休む時はできるだけ目立たないところを選ぼうか」

 ホークの提案は提案というより確認。レミリスは素直に頷く。

 そしてふと、ホークはレミリスの能力に興味を持つ。

「それにしても、ワイバーンってアスラゲイトでもそんなに多くは確保できないモンスターだろ。それをわざわざ任されてるってことは、もしかしてお前、結構有能?」

「ん」

 あっさり頷くレミリス。

 ……そのまま話が続かない。

「ん、じゃなくて。……ああそうか、そもそもこっちはアスラゲイトの尺度なんて知らないんだ。どこでなんて言われたらスゲェのかなんてわかんねえってか」

「ん」

「ホーク殿も随分説明的ではないか」

「どうして黙ってるのか確認しないとめんどくせえ早口が始まるからだよ!」

 客観の尺度を抜きにして自分の凄さを説明しろと言われても、なかなか表現は難しい。

 ホークとて、自分がどこの何を盗みに入り、成功した……という形で自分の有能さを証明することはできても、その盗みに入った先の難易度がわからない相手には、わかってもらえないだろう。まさか“盗賊の祝福”を見せびらかして自慢するわけにもいかないのだし。

「アスラゲイトの魔術機関にこの若さで登用されているというのは、その時点で相当だと思うが」

「すごいの、それ?」

 メイの合いの手にロータスは頷く。

「魔術機関というのは才能ある者を集めて最先端の魔術を実践、開発する集団。他の国ならば宮廷魔術師が同じ役目を担うだろうが、アスラゲイトにおけるそれは魔術機関という組織が担い、魔術のレベルも人員の層の厚さも桁違いだと聞く。他国は騎士団という単位で常備戦力を整えるが、アスラゲイトでは同じようなニッチに魔術機関があると言っていい」

「騎士団は騎士の集団だろ。魔術師なら魔術師団じゃないのか」

「それはどちらかというと『討伐隊』のように、臨時編成に対して使われる言葉のようだな。……一般に、騎士団というものは戦力であると同時に生活の場だ。人脈であり、独自の文化を培う場所でもあり、技術継承の場でもある。魔術機関もアスラゲイトでは同じように、才能ある者を育てる競争の場であり、派閥の母体であり、流儀の命脈を保つ場といえる」

「詳しい」

「これでも歳を重ねている。色々な国に潜り込みもした」

 レミリスが訂正しないということは、間違ってはいないのだろう。

「ワイバーン使役術以外には習ったのか? マナボルトとかその辺の魔法くらいは使えるんだろ」

「それ、昔、見せた。忘れた?」

「そうだっけか」

「今、ボルト系、だいたいできる。ファイア、アイス、サンダー、ベノム、ラピッド、ラブリー」

「ラブリーってなんだ」

「ラブリーボルト。かわいい。流行ってる」

 レミリスが小さく呪文を呟き、杖を使わずに掌で発動させる。ピンクのハート型の光がフワフワと宙に浮いた。

「これ」

「それは何の役に立つんだ」

「かわいい」

「かわいいだけかよ!」

「ん」

「そんな当然みたいな顔で頷くな! っていうか暇なのかアスラゲイト人は!」

「ホークも、アスラゲイト人」

「もう俺本人にはそのつもりはねえよ! っていうかそんなアホな隠し芸みんなでやってる連中と『お前も同類のくせに』みたいに言うなよ!」

「かわいいのに」

 少しガッカリした顔をするレミリス。

「まあまあ。とにかく重要なのは、戦闘要員としてレミリス殿が戦力になるかどうかであろう」

「人にボルト、撃ったこと、ない」

「……なるほど。急に戦えというのは酷か」

 アスラゲイト帝国はロムガルドと比べて戦争参加は少ない。国土も魔族の領地がそのまま活きているために治安が安定傾向にあり、特に研究開発の部門にいる若手も若手のレミリスが、わざわざ魔術で人と戦わなくてはいけない機会はそう多くないだろう。

「もしもの時の戦いは、俺たちがやる感じになるか」

「それくらいは我々で担おう。何も空中戦をするわけでもないなら、我々でいかようにもなる」

「あたしとホークさんなら大抵のやつに負けたりしないじゃん。真っ黒女はともかく」

「……メイ殿。私は何か貴殿の気に障ることでもしただろうか」

「ホークさんはあたしより強いかもしれないけど真っ黒女には負ける気しないしー」

「それはそうだが……そこそこには頼りにしてくれても」

 メイの中ではロータスの立場は微妙なままのようだ。

 ホークとしては、大っぴらな戦いも搦め手も器用に対応するロータスの存在は重要なのだが。

「ホーク。……強く、なった?」

「あ?」

「喧嘩、弱かった」

「……いや、強くはなかった……けど、言うほど弱かったわけでも」

「バケモノより、強い?」

 メイは、レミリスから見ると「チョロを殴って平伏させたバケモノ」である。

 そのメイが、ホークの方が強いかもしれない、と言っている。それほど強いのか、というのが純粋に気になったらしい。

 レミリスには“祝福”の存在はバレているのだが、考えてみればそれを戦闘に対して応用している姿は見せていない。子供の頃はもちろんこれを使って人殺しをしようとなどしなかったし、レミリスはホークが「盗みに適した能力」があるということくらいしか理解していないのだろう。

「……俺には一発芸がある。それが決まれば、メイ相手でも一発で勝てるかもしれねえ。それだけだ」

「一発芸」

「……忘れたのか?」

 不思議そうな顔をしていたので、ホークはレミリスが覚えていないのだろうか、と不安になる。

「ホーク、一瞬で、掠め取る。それだけだった」

「それを短剣で応用するんだよ。……うまくいきゃそれでみんな胴体と泣き別れだ」

 ぶっきらぼうに説明する。

 レミリスはじっとホークを見つめて。

「……あれ、やっぱり……本当、なんだ」

「あれ?」

「調べた。国中の記録。……同じ魔法も、似た魔法も、どこにもない。原理、わからない。……勘違いかもって、思った。みんなのぼせてた。止められなかった。私、後悔してた」

「みんな間違っちゃいねえ。俺はあれで盗んだし、今も盗んでる。金目のモノばっかりじゃなく、命までな」

 ホークは、自分に対して怒り、蔑み、恐れ、暴力を振るった大人たちの醜い顔を今でも思い出す。

 今にして思えば、彼らは過剰反応だったともいえるかもしれない。

 ホークが盗んだものは、子供一人を大の大人が寄ってたかって痛めつけるほど重大なものがあったわけではなく、彼らはホークが「得体の知れないチカラ」で盗みを働くという、その一点に恐怖を抱いたのだ。

 魔術が進んだアスラゲイトだからこそ、不思議なことを不思議の一言では片付けられない……魔法の悪用ならまだしも、ホークの力が「呪われた何か」のように思えてしまったのかもしれない。

 実際、未だにこれが何なのかわからない。

 本当に忌まわしい呪いかもしれない。

 どんどん成長し、ホークは瞬時に何人も殺せるようになっている。

 それはあってはならないチカラで、本当にあの時、ホークもろともこの世から消えるべきだったのかもしれない。

 しかし、ホークはそれに納得なんかしない。

 神が忌まわしい呪いを与えたのなら、生き残るだけのチカラとしたのも神だ。

 ならばせいぜい利用してやるだけだ。

「それが今やレヴァリアの勇者のお供で、奴らの復活の旅の責任者ってのが皮肉だがな」

「……ホーク」

 レミリスはホークを泣き出しそうな、嬉しそうな、悲しそうな目でしばらく見て、それから居住まいを正す。

「……これから、私、ホークのものになる」

「おい待て」

「チョロも」

「いいから待て。話が飛んでる。俺はお前にレヴァリア行きに協力してくれと言って、その後の保護の口利きも請け負っただけであって」

「些細」

「いや些細な違いじゃねえよ!?」

「黙って聞く」

 レミリスはホークを睨む。ホークは言葉を飲み込んだ。

「ひとつ、問題、ある。大きめ」

「……お、おう」

 ホークはロータスとメイを見る。二人はレミリスの雑で急な物言いに眉をひそめてはいたが、とりあえず話を最後までさせてから、という構えのようだ。

「私、第四特殊魔術機関、いた。アスラゲイトの魔術機関、皇族、結構いる」

「第四……やっぱあのドギュー……ドシュート、だっけ?」

「ドリューク。魔族に殺された。だから、元機関長」

「ああ、そうなのか」

 ガルケリウスはきっちり落とし前をつけたらしい。

「それじゃなくて。同じ機関に、第三皇子、いた。……同じワイバーン使役術士」

「……うん?」

「プロポーズされた。……正確には、俺の嫁宣言。強制」

「……おい」

「わりとすぐ、魔族来た。……私、探されてるかも」

「ちょっと待て。それ大問題じゃ」

「私とチョロ、守る。ホーク」

 レミリスは頼もしげにホークを見て親指を立てた。

「がんば」

「どうしろってんだ!」

「信じる」

 ああ、だから妙に積極的に「守れ」と迫ってきたのか。

 どちらかというと長年ホークを好いていたというより、突然の皇族の横暴から逃れるために。

 ……と、ホークは今更理解した。

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