飛龍乱心

 宿場に戻ると、ワイバーンの前でレミリスが倒れていた。

「おい……どうなってんだ」

「事件か」

「ワイバーンが人里に鎮座してること自体事件っちゃ事件だけどよ」

 ホークたちはレミリスに近づこうとするが、ワイバーンが立ち上がり、翼を広げて口を開けて唸り、威嚇した。

「……おいおい」

「レミリス殿! レミリス殿、生きておるか!」

 ロータスの呼びかけに、レミリスはピクンと腕を震わせ、低い声でそのまま呟く。

「……痛い。立てない……」

「いかがした!?」

「沈静術、かける……背中、痛くて、無理」

「術を掛けようとして自分で出てきたはいいが、痛みで術を使い損ねた上に一度倒れたら動けなくなったのだな!?」

「…………ん」

 コク、と首が動くのが見えた。

「アホかあいつは」

「ワイバーンは使役術が切れると暴れ出すものだという。放っておくわけにはいかなかったのだろう」

「せめて誰かに付き添ってもらえよ!」

「誰が使役術の切れそうなワイバーンの眼前に行きたがるものか」

「……それもそうだな」

 ホークだって知らない奴にそんなことを頼まれたら断るだろう。

「近づくとワイバーンが襲ってきそうな気配なんだが、一歩も動けないのか!?」

「無理……」

「諦めずに這え! こっちじゃ手のつけようがねえ!」

「無理……」

 レミリスはうつ伏せに倒れたまま、テンションの低い声で「無理」と繰り返す。

 ワイバーンはホークとロータス、そしてファルに今にも襲い掛かろうとしている。

「ロータス、なんか眠りの魔術とかあっただろ。使えないか」

「それほど期待はできんな。下級種とはいえドラゴンに連なるものに通用するほどの魔術など……専業の魔術師でも容易ではない」

「できるだけワイバーンに傷はつけたくないもんだ」

「同感だ。これから世話になるのだからな。とはいえ……」

「放置もできないよな……」

 こちらを威嚇するということは、使役術は既に切れているのだろう。

 いつ暴れ出すかわからない。一刻も早くレミリスは回収し、十全に使役術を使える状態にしなくてはならない。

「ホーク殿。『アレ』でレミリス殿を回収するというのはどうか」

「やってできなくはないが、それで解決になるのかってところに疑問がある」

「……うむ」

“盗賊の祝福”を使えば、レミリスをワイバーンの足元から連れ出すこと自体はできる。

 が、それに気づいたワイバーンがぼんやり突っ立っていてくれればいいのだが、レミリスを奪ったホークたちを追って暴れ出すことになってしまうかもしれない。それでは事態の前進にはならないだろう。

 ワイバーンから見えない場所まで連れ出す、というのもひとつの手だが、ホークがさしあたって使える“吹雪”では人一人をそんなに遠くまで運ぶ余力はない。“砂泡”まで繋いでしまえば近くの民家に飛び込むことはできるだろうが、息もつかせず二連続発動は相当に苦しい思いをすることになるし、その結果が無差別に暴れまわるのを誘発するだけなら、それこそ無駄骨だろう。

「とりあえずレミリスを襲う気はないようだし、レミリスがあそこにいる間は……俺たちがあいつに近づけない代わり、ワイバーンも離れることもないんじゃねえかなって気がする」

「根拠は」

「犬とか熊とか、そういうもんだろう。自分のオモチャやエサを盗られないためにあんな感じで周囲を威嚇する。独占欲の主張だ」

「レミリス殿はエサかオモチャだと?」

「あるいは子供かも知れねえが、なんにしろ少しでも離れれば他人に掠め取られると思ってるから威嚇するんだろ」

「ふむ。それなりに説得力はある。が、結局レミリス殿を治療できなくては話にならない。どうするのだ」

「霊薬……ウーンズリペアの代用っていうからには使えばすぐに効果が出るもんなんだろ?」

「む?」

「材料揃えてきたやつだよ。レミリスにあそこで寝ててもらう隙にお前が村で作って来い。ここで調合やれっつっても難しいだろうし」

「……そうか、その霊薬を……」

「持ってくれば俺が一瞬でレミリスに使ってやる」

 人を運んで走るのに比べれば、薬をかけてくるのはそんなに難しい話ではない。

「わかった。ひめ……ファル殿、一緒に行こう」

「私は残ります」

「ファル殿!?」

「ホーク様の意見は尊重しますが、根拠がありません。何の隙に暴れ出すかわからない以上、戦う力のある私が、いざとなったら抑えなければ」

 ファルは魔剣狩人バフェットの遺品の鞘から、何本かの魔剣を取り出して確認する。

「私なら時間稼ぎはできます。魔剣もいろいろな特性のものが揃っていますから」

「しかし」

「放置してはロバたちや死体をエサと思って襲い掛かるかもしれませんし、レミリスさんが新たにケガをせぬとも限らないのです。見張らぬわけにはいかないでしょう」

 レミリスが倒れているのはちょうど村の入り口あたりで、周囲は歩くには不向きな不整地。人一人ならワイバーンとの距離を保ったまま、道なき道を掻き分け飛び越えていけるだろうが、ロバや荷車を村に入れようとすると、近くの農場内を通ってだいぶ遠回りしなくてはいけない。

 確かにロバたちとジェイナスの死体の安全も考えれば、ホークでは不足と言えた。いつかのドラゴンのように目玉でも抉り出せば行動不能にはできるかもしれないが、そんなことをすれば飛ばせられなくなる。

「ロータス、早く。急げば暴れる前に事が済むかもしれません」

「は。……では、この場はよろしく」

 ロータスは材料の入った大袋(生ものも多いので魔法の道具袋では変質してしまう)を掴み、藪の中に入っていく。

 ホークはレミリスに近づこうとするそぶりを見せ、ワイバーンを警戒させてロータスから注意を反らす。

「さっさとあのバカ治して終わりだと思ってたんだがな」

「そうは言っても、今までのピンチに比べれば大した問題ではないでしょう」

「ワイバーンに睨まれてるのをそんな風に言えるお前がスゲェわ」

「ジルヴェインとまみえた後ならば、たいていの魔物は格落ちです。……とはいえ、私が彼に勝ったわけでもないのにそんなに気を大きくしていてはいけないのでしょうが」

「確かに、絶対勝てない相手と組み合うような状況よりは随分マシだがよ」

 難しい状況だが、最悪の場合でも切り抜けることはできる。

 そんな理由で楽に感じてしまうというのは、確かに麻痺しているといえる。

「……誰……?」

 レミリスは顔だけこちらに向けて、ファルをいぶかしげに見る。

 少し遠いのと、髪色が違い、喋り方もガラッと変わっているのでメイだとは思わなかったらしい。

 いや、見抜くライリーが異常だったのだが。

「初めましてレミリスさん。ファルと申します。ええと……色々と説明は難しいのですが、とりあえずメイさんの裏人格と思っていただければ」

「その説明が一番不適切だと思うぞ」

 裏人格というのも雑な説明として間違っていないのだが、一つの体に二人分の人格が同居するという現象を全く理解していない相手には、別人だと言い張る方がまだしも理解しやすいだろう。

「……あ」

 怪訝そうな顔をしていたレミリスだが、何かに気づいたように小さく声を上げる。

「なんだ」

「まずい。チョロ、また、解けた」

「何がだ。って、ロータスいねえんだから暗号みたいな喋り方じゃわかんねえ」

「ん」

 レミリスは少し考え込み、這ったまま口を開く。

「ワイバーン使役魔術には本能の働きの強さに応じて13の制御術が組み込んであって効果が強い順に時間も短くて、それの一番強い奴が大体半刻前に切れてるんで今チョロは私の命令と空腹のプライオリティが半々ぐらいのはずなんだけど、その次の制御術が切れるとまた行動パターンが変わって私の話ほとんど無視するようになる。別に言葉がわかんなくなるわけじゃなくてっていうか実はワイバーンって人間で言うと七歳児くらいの理解力あるらしくて根気強く調教すれば人間の質問にはいといいえとわかりませんで三つの鳴き声を使い分けで答えられるようになるっていう記録もあってチョロと同じ原産地のワイバーンだったからチョロもそれくらいのポテンシャルあるはずなんだけどあんまり言うことは聞いてくれなくてそこが可愛いんだけど悪口言うとすぐ怒るんだよね。それで今の状態がまさにそれでもう口で言っても聞いてくれないはずの状態になってて」

「注意点でまとめろ!」

「暴れそう」

「そんなこったろうと思ってた!」

 レミリスのそばから動かなかったワイバーンが、うっそりと動き出す。

 視線はファル。いや、彼女の背後にあるロバと荷車。

「ロバ食う気だな」

「させません」

 ファルは魔剣の鞘を二本腰帯に差し、踏み出す。

「ホークさん、目をつぶって、できれば手で押さえて」

「わかった」

 ホークは察する。「フラッシャー」を使う気だ。

 ファルは果たして、魔剣を引き抜きざまに激しく輝かせ、目潰しをして走り出す。

 ゴアアア、とワイバーンは吠えてよろめく。

 ファルは別の手で抜いた「エアブラスト」を振るい、ワイバーンの眼前で空高く舞う。

 さらに魔剣を持ち替え、顔に「フレイムスロウ」の炎を振り当てる。

「ファル! 無茶はやめろよ!?」

「ワイバーンに炎はあまり効かないはずです! ……でも、これで!」

 ファルは、ワイバーンの注意を引いた。

 ワイバーンはロバと荷車からファルへと狙いを変えている。

「今のうちにロバたちとジェイナス様を村へ! ホーク様、お願いします!」

「お、おう!」

 ファルは「エアブラスト」で、まるで舞い遊ぶ蝶のように飛び回りながらワイバーンを村の外の方に誘導する。

 ホークは急いでロバを叩き、走らせる。そして途中でレミリスを拾い、肩を貸すというより捕まえて引きずりながら村に飛び込む。

「痛い……痛い、痛い」

「我慢しろ馬鹿! くそ、ロータスまだか!?」

「今しばらくだ!」

 宿の中からロータスの声がする。遠巻きにしていた村人たちはそんなホークたちの様子にオロオロするばかりだ。

「くそ……ファルにばっか無茶はさせられねえ」

「こらえろホーク殿! 姫は強い、信じて待て! ワイバーン相手ではホーク殿のアレは使えぬ!」

「オトリくらいはやれる」

「それが無茶だというんだ!」

 ホークがワイバーンの注意を惹き、一瞬で消えて見せれば、少しは時間が稼げるだろう。それが二回はできるのだ。

 ファルと連携すれば、もう少しくらいは稼げる時間はあるはずだ。

「今ファルを……メイをやられるわけにはいかねえ。ソレ、できたらすぐレミリスに使え! レミリスはここに置いとくからな!」

「ホーク殿!」

 ホークはレミリスを宿の前に放り出し、駆け戻る。


 そして。

「あ、ホークさん。ごめん。ちょっと乱暴しちゃった」

 銀髪の少女の前で、ワイバーンはひれ伏していた。

「……なんだそれ」

「ええと……お姫様が魔剣振り過ぎたせいだかで気絶しちゃって。あたしになったんで、とりあえず二、三発叩いてあげたら降参した感じ?」

「……どんだけのパンチ叩き込んだんだ」

「か、軽くだよ? 頭蓋骨とか割っちゃわないように一応加減して叩いたよ?」

 メイがわたわたしながら言い訳を始めると、ワイバーンはホークならやれると見たか、スッと首を持ち上げる。

 メイはすぐに振り向いた。ホークはメイの顔がワイバーンに向く瞬間、瞳孔が細まって表情が消えるのを見た。

 ワイバーンはまた慌てて平伏し、上目遣いに小さなメイを見上げる。

「……強い奴には逆らわないってのもまあ本能か」

 忘れていた。本物の、それも充分に成長したドラゴンでさえもメイは素手で渡り合ったのだ。

 それよりだいぶ小さく、ブレスも吐けないワイバーンでは勝てるはずもない。


       ◇◇◇


「……チョロ、震えてる。怯えてる」

「あ、えっと……ちょっと怒ってあげただけ! ちょっとだから!」

「魔族、襲われて、以来……こんなチョロ」

 霊薬でやっと本調子になり、ワイバーンを迎えに来たレミリスは、まるで犬に吠えられた小猫のような態度を取るワイバーンを撫でながらメイをじーっと見た。

「化け物?」

「違うよ! あたしただの拳法ガールだよ!」

「……魔王軍のでかい化け物は単独で殺れるレベルだけどな」

「ホークさん、どっちの味方!?」

「お前の味方だけどただの拳法ガールの一言で終わるのはおかしいと思うぞ」

 メイはぷんぷん怒る。自分で自分をバケモノと言っていたこともあるのに。

 繊細な女心である。

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