故郷の少女

 野盗の集団など、メイとロータスにかかれば物の数ではない。統制のとれた正規軍ならまだしも、飛び道具や長物すら数の揃っていない素人の群れでは、彼女らに狙いを定めることすら難しい。

 既に勝つか負けるかではなく、全て始末するのにどれだけ時間がかかるか、という話でしかなかった。

 それに対し、ホークの腕の中にいる魔術師の少女は予断を許さない。

 突き刺さったのはたった一本の矢ではあるが、下手に処置をしくじればそのまま目を覚まさないこともあり得る。

「治癒の魔術を使える奴がいねぇってのによ……!」

 傷を塞ぎ、失った器官をも修復する「ウーンズリペア」は、特別な魔術だ。パリエス教会の神官とならなければ扱うことを許されない。

 例え宮廷魔術師であっても、教会外にあって独力でそれを再現した者はいないのだ。

 当然、パーティ内で唯一の魔術の使い手であるロータスも扱えない。

 内臓に届くような深手は現状ウーンズリペアが唯一の手立てだが、こうなったら原始的手段で間に合わせるしかない。

 矢を抜き、縫い合わせて出血を止める。それだけだ。

「ヤバいところに傷がイッてたら、あっという間にくたばることになるかも知れねえが」

 ホークはその背に突き立った矢を、意を決して引き抜く。

「っ!」

 矢の軸だけが抜け、深々と刺さった矢じりが体内に残ってしまった。

 そのまま縫うのは危険だが、ロクな道具もなしに矢じりを引き抜くのは相当な苦痛が伴う。

 ホークは焦り、誰かに意見を求めたくなるが、今は二人とも野盗と戦っている。一刻を争うのに、誰もアドバイスなどくれない。

 改めて、今までは運が良かった、と実感する。

 メイもホークも、そしてロータスもロクに怪我もしなかった。いや、メイはしばしば傷ついていたが、怪我が常人の十倍で治ってしまう彼女にとっては、刀傷もささくれ逆剥けと大した違いはない。

 イレーネやマリンがいた時には傷の処置の心配自体が少なかった。

 苦労なんか今までしなかったのだ。矢の一本を受けるという、こんなどこでも有り得る簡単な状況すらなかった。

 とはいえ、黙ってそのまま待っているわけにはいかない。

「切り開いて矢じりを抜く……その後、縫って塞ぐ」

 小さく呟き、短剣をそっと引き抜く。

 ホークの膝の上で、レミリスは小さく唸った。

「……なんとか、なる?」

「医者じゃねぇんだ。それなり以上の期待はしてくれるな」

「……ホーク」

「俺はお前の知ってるそいつじゃねえ」

 レミリスが何か言おうとするたびに訂正するホーク。

 だが、それは逆に断定的に過ぎて、当人だと逆に主張しているようなものなのに気づいていない。

 ……ホークは、確かにレミリスを知っている。


       ◇◇◇


 アスラゲイトの辺境の村。際立って豊かだったわけではないが、貧しくて飢えるほどでもない、退屈な田舎村。

 そこでホークは、レミリスと一緒に育ち……幾度か、彼女の物も盗んでいた。

 盗むということがよくないことだと、わかっていなかった。

 自分と同じように、誰でも簡単に、気づかれずにやっている。取られて気づかない方が間抜けなのだ、と思っていた時代。

 レミリスはホークに、それでも親しい友達だった。

 レミリスが物を盗られても気にしなかったせいで、ホークはそれがいけないことだと思わなくなっていたのかもしれない。

 十になるかならないかの時、ホークの悪行は村中にバレて、ホークは大人たちに袋叩きにされて……それに耐えかねて、逃げた。

 それっきりの、仲だった。


       ◇◇◇


「……私が死んだら、お願い」

「……聞くだけは聞いてやる」

 ホークは彼女のローブを短剣で切り裂く。丁寧に脱がす手間は取りたくなかった。

 レミリスはそれに文句も言わず、言葉を続ける。

「チョロ、世話、して」

「無茶言うな」

 ホークは彼女の傷口に狙いを定めながら即答する。

 使役術もなくなったワイバーンの世話などできるか。

 ……だが、レミリスは白い背中と赤い傷を晒しながら、続ける。

「ワイバーンは三日にいっぺんくらい鹿か山羊一頭分の肉を食べるけど肉だけあげるんじゃなくてむしろ頭とか内臓とか骨髄が大好物で肉とそれ以外どっち取るって言われると肉を放置するくらいモツと骨が好きだからできるだけそっち食べさせてあげて。特に後ろ足の太ももの骨髄がないと本気で落ち込んで暴れることもあるからっていうか9割暴れるから注意して。残り一割はお腹壊してた時だからっていうかワイバーンって割とお腹壊すんだけど何度お腹壊しても懲りずに変な物食べるからそれも注意しないとだめ。あと肉しか食べないと思われがちだけど植物も食べるっていうかほっとくとその辺の木を幹ごと食べたりするんだけどこれも実は葉っぱ食べるのが本来の食性で枝とか幹食べるのは全然栄養にならないらしいけど何故かよく食べる。食べさせるならクワかサクラの木を食べさせると比較的お腹壊さない。それと鱗の隙間に虫とか雑菌とか溜まって痒くなるから定期的に熱湯かカンカンに熱くなった砂漠でゴロゴロしたがるのにも配慮してあげて。ドラゴンはブレスを自分にかけてそういうの焼き払うらしいんだけどワイバーンそういうのないから。人が入るには熱すぎる温泉とかそういうのチョロ大好き。心配しなくても沸騰する程度の温度だとワイバーンには影響ないから。ファイアボルトがワイバーンに効きづらいのも納得だけどさすがに本物のドラゴンのブレスだと焼けるから気を付けて。昔一回それやってワイバーン死なせちゃった使役術士いたんだって。その使役術士は他にもいろいろやらかし珍記録があって」

「お前意外と元気だな!? っていうか遺言で脱線してんじゃねえよ!」

「……チョロ、心配」

「あーあーあーそうだったよお前が本気で喋ると余計なことばっか言って邪魔臭いから要点以外喋んなっつったの俺だったよ!」

 つい認めるようなことを言ってしまったホークを、レミリスは黙って見上げる。

「…………」

「…………」

 ホークは目を逸らし、そして短剣を思い出したように持ち上げる。

「い、今からお前の背中を切って矢を取り出す。忘れんじゃねえ」

「……うん」

 レミリスは伏せる。

 ローブは切り裂かれ、ほぼ上半身裸で伏して、ホークの膝に身を預けている。

「いいよ」

「……やるぞ」

「…………」

 痛みのせいか、その傷口を短剣で切り広げられるというさらなる痛みへの恐怖か。

 少女の体が震えているのが、体重を掛けられているホークにはわかる。

 ホークは傷口を見つめ、どれだけ切り開けば矢じりが取れるのか、最低限にする手段はないか、と考える。

 別に苦しめたいわけではない。ただ矢じりを引き抜ければいいのだ。


(……待て、よ)


 ホークは考える。

“盗賊の祝福”を、使えないだろうか。

 一瞬。誰にも気づかれないうちに、あるいは宙に浮いた魔物さえも音もなく叩き付け、思った通りの正確さで、思いつく限り深い斬撃を叩き込むことのできるチカラ。

 それなら、彼女に痛みを与えることなく傷を広げ、奥に残った矢じりを引き抜けるのではないか。

 いや。

 むしろ、「思った通りの結果を出せる」なら。

 傷を広げることすらなく、矢じりを指で摘出する。それさえも、できるのではないか。

 なにしろ相手は膝の上。

 遠くまで何歩も足を出し、剣を振るのとは違い、物理的に行動がいくつも必要なわけではない。

 うまくいきさえすれば一度で済む。そして認識すらできない一瞬で終わるのだ。痛みなんて感じる暇もない。

(よし)

 ホークは一人で頷き、そして短剣を左手に持ち替え、利き手の右に意識を集中する。

 相手を出し抜く速さではない。相手を圧倒する手数ではない。

 欲しい奇跡は、「絶対成功」の正確さ。

 自分に問う。

 自分の中の“盗賊の祝福”に、それは可能なことなのか、と問いかける。

 答えなど、あるわけがない。

 だが、確かに実感が返ってくる。


(……「盗む」のは、俺の領域だ……!!)


 彼女の体の中から、異物を盗み取る。

 できないはずがない。ホークは盗むことにおいて最強だ。

 根拠の全くない自信が、それでもホークの広げた手に実体あるチカラとして漲る。


 緊急性重視の一つ目とも、効率重視の二つ目とも違う。

 空から降り注ぐ光にも似た、新しい形の“祝福”が、ホークの意識を呑んでいく。


「……レミリス」

「え」

「抜けたぞ」

「……切って、ない」

「……動くな。……縫うのは、これからだ」

 ホークは、手の中にある矢じりを投げ捨てる。

 難関は抜けた。だが、まだ安心できる状態ではない。

 極端に疲れて震える右手を諦め、リュノの遺した裁縫道具で、左手で傷を縫う準備をする。

 遠くでメイの気合の声が響き、野盗と思われる誰かの体が空高く吹き飛ぶのが見える。

 そちらは終わったようだった。

 ワイバーンは相変わらず動かない。


       ◇◇◇


「アスラゲイトの魔術師が何故こんなところにいる。ここはロムガルドだ」

「それ、今聞く?」

「……先ほどとは状況が違う」

 ロータスは苦い顔をした。一度はスルーしようとしたが、ここまで関わった以上はそれもできない。

 ちなみに今は宿場の宿。レミリスは役に立たなくなったローブの代わりに包帯を巻き、ベッドに半身を起こしている。

 ちなみに胸が見えていてもホークに対しては全く無反応だったが、宿場の村人に見られそうになると慌てて覆い隠していた。

 幼馴染ゆえのことなのか、単に大怪我という緊急事態で感覚が麻痺していたのが蘇ったのか、ホークには判断がつきかねた。

「……しばらく前、魔術機関、魔族、襲ってきた。逃げた。着いた。ここ」

「……貴殿は魔術機関に所属していたが、そこに魔族が襲い掛かってきて、ワイバーンに乗って必死に逃げたらレヴァリアとベルマーダを通り越してここまで来てしまったということか」

「よくわかるなロータス……」

「難しい話ではない。……しかし、魔族か。ガルケリウスだろうか」

「それ。黒山羊」

「……蘇ったか。ホーク殿も的にかけられねばいいが」

「だからお前よくそんなヒントでどんどこ見通すな!?」

 ホークには、レミリスとロータスが何か言葉以外の手段で通じているようにしか見えない。

 そして、メイはずっとむくれた顔でホークとレミリスを見比べていた。

「どういう関係なの」

「……さっきも言ったが、赤の他人だ」

「あらゆる経験した」

 ホークは改めて関係を否定し、レミリスは淡々とすごいことを言う。

「どっちなの」

「知らねえ!」

「広げたりした」

「お前黙れ!」

 幼児の頃に無垢な好奇心でそういうことをした覚えがなくもないが、必死に否定するホーク。

「どういうことホークさん。童貞じゃなかったの!?」

「そのキレ方本当におかしいからな!?」

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