速さの種類

 朝の市街地は、先ほどの魔剣による破壊行為でザワザワとしていたが、さすがに野次馬が路地を埋めるということはない。バフェットを追うロータス、それをさらに追うホークたちの足は止められることはなかった。

 その疾走のドサクサで、ホークはライリーの質問をとりあえず無視することにした。

「先にロータスに追いつけ! とにかくサシでやりあう状況にはさせるな! あいつはまだまだ手を隠してる、このままロータスを一人にしたら確実に罠にかけられるぞ!」

「そ、そうでしょうか?」

「ありゃそういう手合いだ、ただ追い散らして済むようなモンじゃねえ! こうやって逃げてるのだって孤立させて狩るための誘いだ!」

 勘、といえばそれまで。

 だが、裏社会を生きるホークには、バフェットの纏う空気は馴染みがある。それは決して油断ならないタイプの者に特有の空気だった。

 ああいう奴は、息の根を止めるまで決して気を緩めてはならない。常に場を逆転させる手を隠している。

 今わの際にだって馬鹿にならない反撃を仕込んでくるタイプだ。

「こっちにゃライリーもいる、お前はロータスと組め! 奴に各個撃破させるな!」

「わ……わかりました!」

 ファルはグンと速度を上げた。メイの肉体はホークなど及びもつかないポテンシャルを秘めている。全力で走ればロータスにもすぐ追いつくはずだった。

「君は僕と組むってことかい?」

「っていうか、いざとなったら盾にさせてもらうぜ。悪いがな」

「ま、騎士がそうじゃない人を守るのはお仕事だからいいけどさ。……君、彼女らに加勢するほどの特技でもあるの?」

「秘密だ。手を出さずに済めばそれが一番だが」

 ホークは路地を駆け、ロータスたちの進んでいるであろう方向を目指す。

 大通りはともかく、路地裏は石畳なんて洒落た舗装はされていない。足跡でおおよその見当はつく。

 そのホークの横を相変わらずトン、トン、と跳ねながらついてくるライリー。

「お前、その変なピョンピョン跳びはなんなんだよ」

「『ゴールドウイング』使ってるからね。足が強くなりすぎて、普段の感覚で走ろうとすると一蹴りで屋根より高く体が浮いちゃうんだ。いろいろ試したけど、この動き方が姿勢も崩れないし、他人の足にも合わせられるから一番やりやすい」

「気持ち悪いぞ」

「魔剣に言ってくれ。……っていうか僕もちょっとダサいとは思うよ。でも魔剣使わずに人をおっかけるなんて僕のヘナチョコ足じゃ無理だからなぁ」

 逆に言えば、ライリーの弱点は「ゴールドウイング」を使う限りにおいて完全にカバーされるということでもある。

 魔剣がもたらす身体能力と、「消える」動き、そして卓越した剣術センス。

 この魔剣に目立つほどの使用制限があるのかはわからないが、これをどうやって攻略するのか。敵に回すのは改めて遠慮したい男だ。

「……いた」

 ゴチャッとした貧民街に入る。廃屋もゴミも多く、そのせいで通れない道や狭い道が多く、不規則に入り組んでいる場所だ。

「どこだい」

「ロータスたちはもっと先だな。“魔剣狩人”は……」

 ホークはおもむろに投げ短刀を取り出し、視線とは違う方向に投げた。

 ガキン、と弾かれる音がする。

「……俺に気づくか。さすがにあの女が連れて歩くだけはある」

「お前がかくれんぼ下手糞なだけだ。……ロータスを撒いたと思って油断しやがって」

「いいや違う。獲物がちょうどよく目の前に来たので、よだれが止まらなかったのだ」

「よだれ、ねぇ。引っ付けんじゃねえぞ汚ぇな」

「何、どうせ食われる側が汚れなど気にする必要はない」

 バフェットは魔剣をスラリと引き抜く。

 さすがに数本捨てた程度では不自由にもならないようだ。

「僕もいるんだけど? さすがにもう逃がさないぞ」

「勘違いがあるようだな。俺は魔剣に用があるのだ。そっちの雑魚はついで。罠にかかったのは貴様だよ、ライリー」

「は?」

 怪訝そうな顔をするライリーに、周りで遠巻きに様子を観察していた貧民の子供の一人が駆け寄り……いきなりナイフを振るって手首を傷つけようとしてきた。

「!?」

「ガキを買収しやがったか!?」

 ライリーは黄金のオーラのおかげで傷も負わなかったものの、突然のことに驚いて棒立ちになる。その子供はホークが勢いよく蹴りつけて追い払った。

 が、その子供が近くのあばら家に壁を破って転げ込むと、今度はそのホークの背後から別の子供、さらには貧しい恰好の大人までが、必死な顔で鉄の火掻き棒やナイフを括った即席槍などの武器を振りかざして襲ってくる。

「なっ……君たち、どういう……この男がどういう奴なのかわかってるのか!」

「しっ……知らねえ! だけど、アンタらをヤッたら大金くれるってんだ、悪いが死んでくれ!」

「くそ、卑怯なことを!」

「やれ! みんなでやっちまえ! 旅人なんてみんなロクなモンじゃねえんだ、金になって死んじまえ!」

「魔剣なんかこわいもんか!」

 ロムガルドは大国といえど、明日をも知れない貧民はいる。

 そんな者たちをそそのかし、バフェットは味方にした。

 そして。

「ご苦労。それでいいぞ」

 バフェットは魔剣を振るう。

 狙いはライリー。ホークは一瞬早くライリーから離れ……ライリーは、周りの貧民ごと光の奔流に巻き込まれる。

「ライリー!」

 ホークは転がって素早く立ち直りながら、ライリーの名を呼ぶ。

 幾人もの貧民の死体が転がる中、ライリーは……消えている。

 やられたか。いや。

 上だ。

「それを待っていたぞ、黄金騎士!」

 遥か高く跳び上がって難を逃れたライリーに、バフェットはさらに魔剣を抜く。

 空中ではさすがに躱すのも受けるのも難しい。

 ホークは決断した。


「なんでもアリなら……こっちもだぜ!」


 バフェットの両腰、そして手に握る魔剣。

 それに狙いを定め、集中する。

 横殴りの吹雪が、来る。


 魔剣を発動しようとしたバフェットは、次の瞬間に完全な丸腰になっていた。

 そしてホークは、彼の持っていた魔剣と魔法の鞘を全て奪い、元の位置に戻っている。

「な……っ」

「へっ。男なら素手で勝負しろよ」

 ホークは四本の鞘を両手の指に挟み、バフェットの構えていた魔剣はすぐそばの地に突き立てて嘲笑った。

「貴様……何をしたっ!」

「見てわかんねぇか? 泥棒だよ」

「……返せ!」

「言われて返す泥棒がいるか馬鹿。欲しけりゃ盗りに来い。……そいつを何とかできたらな」

 ライリーがバフェットの眼前に着地。

 そして一切の笑みを消し、真横に伸ばした「ゴールドウイング」を、手首でくるりと返す。

「確かに僕は坊ちゃんだった。堂々と挑んでくる武芸者と同じ調子で君と向き合ってしまった。大失敗だ」

「く……」

「腐れ外道が。僕が何でも笑って済ますと思うなよ」

 ライリーは言うが早いか、電光のような速度でバフェットを一息に斬り捨てる。

 音はほとんど一発だったが、バフェットは少なくとも四回の斬撃を加えられ、一瞬でバラバラになっていた。

「……!!!」

「万が一にも、蘇るなよ。誰も君を生き返らせようとなんてしないだろうけど」

 ゴロンと転がった首を、冷酷な目をしたライリーは全力で蹴とばし、石壁に叩きつける。

 石壁に血飛沫が散る。凄まじい力を受け、粉砕されていた。


 そして、そんなホークとライリーに一瞬でも武器を向けていた貧民たちは、ホークが最後の虚勢でジロリと睨み回すと、蜘蛛の子を散らすように逃げ散っていく。

「助かったよ、ホーク君」

「……お前ならこんなこと、いつでもできたんじゃねえか」

「何故そう思うんだい?」

 ライリーは剣を鞘に収めつつ、ホークに問い返す。

 その表情は読めない。どういうつもりで見返しているのか。


「違いますよ、ホーク様」


 少し離れたところから声が聞こえた。

 見ると、ファルとロータスが魔剣の発動音に気づいてようやく戻ってきたようだった。

「その男はホーク様とは違います。……本当に純粋な、純粋な……センスだけの剣客」

「ファルネリア姫」

「……この身がファルネリアに見えると?」

「気配がそのままだもの。たった一年前に見た隣国の要人のそれを、僕が間違えると思うかい? 随分見た感じは変わったけれど、魔法か、それとも何かの呪いにでもかかったのか」

「……嫌になるほど、才能だけは溢れる人」

 ファルは本当に嫌そうな顔をした。

 どれだけ見た目が変わっても、ただ「気配」だけで個人を特定するライリーも恐ろしい。

「ロータス。お前はコイツに会ってなかったのか」

「私は他の任務が多かったと前に言っただろう。それに姫と共にあった時も大抵は人目につかぬようにしていた」

 ロータスは言い訳のように言う。

 ライリーは苦笑し、改めてファルを見る。

「“勇者姫”。まだ、魔王相手にいきり立っているのかい」

「私たちはそのためにいます。本当に進軍している今、何故急に興味を失うと思うのです?」

「相変わらず君は自分の生き方に疑問がなさそうだね。哀れというか、羨ましいというか」

「世界を邪悪な暴力で制圧させないために、私たちは戦う。それを嘲笑うあなたは、何を考えているのです」

「僕が呆れる顔を見たら、反発するばかりじゃなくて少し考えなよ。子供じゃないなら」

 ライリーは肩をすくめた。

「100年も200年も前の相手と、同じ呼び名の相手がいる。話したこともない、特に恨みつらみもない。まだ遠い国の話だ。それだけで何故疑問もなく人生を賭して戦うつもりになるのか、僕は理解できない。君は何でそんなに恨める? 怒れる? ……関係ない国の騎士である僕にまで、勇者なんてモノになって魔王と命を取り合うことを強要しようと思える?」

「関係はすぐにできる。魔王がセネスだけを避けるとでも?」

「予想だけで相手を殺しに行くのは蛮族と狂人だ。僕は守るための戦いにしか剣を振るわない。……それがそんなに恥ずべきことだと思うかい? ロムガルドもアスラゲイトも、それにレヴァリアも……君たちのやっていることはただのスポーツのような競争だ。魔王は殺さなくてはいけない、その価値観は君たちだけのもので、世界どこでも通じる話なんかじゃないってそろそろわかってくれ」

「いざ目の前で国民が殺されるまで、あなたは動かないということですか」

「意地の悪い言い方だが……それが本来、騎士が他国相手に抜くべき条件ってものだ」

 平行線。

 ……ファルの頑なな態度もわかる。普通に考えれば歪んでいるが、魔王はそれだけの相手なのだ。

 国を挙げ、歴史を賭け、大国が王女をそれだけのためのエキスパートに育て上げることも大げさではないほどの災厄。

 だが、ライリーの考えも、決して狂ってはいない。

 勇者ならぬ「騎士」であれば、脅威はそういう形で迎撃すべきでもある。騎士という「暴力」は、そうして統制されるべきでもある。

「……どっちの話も分かるさ。だからもう終わりにしようぜ」

「ホーク様……」

「ホーク君」

「それより、何で俺とこいつが『違う』ってわかったか、ってこった」

 ホークとしては、自分の能力の……“盗賊の祝福”の極みに、ライリーの動きがあると思っていたのだ。

 違うというのはどういう根拠なのか知りたい。

 ファルは自分を落ち着けるように小さく深呼吸して、ホークを見返す。

「この人の動きは、いわば手品。他人の注意の向きと、それが動くタイミングが予想できる。それを利用しているだけです。ホーク様のように本当の奇跡を操れるわけではありませんよ」

「……奇跡。君は……さっきのは、そんなものを」

「さあな。奇跡だとしたらどこの神やら」

 ホークは、隠し立てももう意味はないと思い、軽く手を広げておどける。

 ファルはライリーを睨み、言葉を続ける。

「おそらくホーク様には、彼は手も足も出ないでしょう」

「おい」

 挑発的なことを言うファルを睨む。

 ライリーはそれを聞いて眉を上げた。

「そんなにすごいものかい?」

「変なこと考えてねえだろうな」

「そう言われて引き下がるのはちょっとね。僕、結構負けず嫌いなんだよ」

「安売りするようなもんじゃねぇんだよ!」

「一回、一回だけでいいから」


       ◇◇◇


 熱意に押され、ホークは結局手合わせをすることになってしまう。

 走って疲れているというのを理由に、先ほどの発動から四半刻の時間を置き、それからライリーと木剣を持って向かい合う。

「俺は剣士でもなんでもねぇんだがな」

「ファルネリア姫がああ言うなら、一太刀くらいは当てられるだろう?」

「さて」

 ホークは剣をクルクルと回し、そして覚悟を決める。

 ライリーに挑戦する。ライリーのあの「動き」より、自分の“祝福”が強いということを証明する。

 口には出せないが、それに意味を感じないわけでもない。

 ファルとロータスは横で見守っている。彼女たちに少しだけ視線をやってから、ホークは構える。

「やってもいいんだな」

「ああ、いつでもいい」

「…………」

 そして、視界の中で自分の動きを「予約」する。

 一気に近づき、背後を取り、首に木剣をつきつける。それに彼は反応できないだろう。

 その動きを念じて、横殴りの吹雪を呼ぶ……その瞬間、視界の中でライリーが、消える。

「!?」


「惜しい。……確かに速過ぎて見えない。けど、タイミングが読めるよ」


 狙った通りの動きをして、ライリーの首筋に木剣を当てる……と見せたホークのさらに背後で、ライリーの声。

“祝福”を放つ一瞬を読み、的から外れてみせたのだ。

「はっ」

 ホークは笑う。そうか。そういうかわし方もあるか。

「さすが天才、だが」


 だが、ホークはさらに「砂のように細かい泡」を、呼ぶ。


「……降参」

 ホークはライリーの移動先を理解した瞬間、「二種類目」の“祝福”を発動させ、ライリーから木剣を奪い、彼を地面にねじ伏せ、マウントを取っていた。

 それが、あのゲイルたちと別れる朝に気付いた、一つの悟り。


“盗賊の祝福”は、ホークの中に二つ眠っている。

 呼吸を止めて駆け回るような、慣れ親しんだ「一種類目」と、そこから力みを押さえ、最低限の速度で入る「二種類目」。

 ホークが今まで「自分の中に存在する、使える実感」と感じていた“祝福”の存在感は前者だけで、後者は「余力が残っているのに使っていなかった」ということになる。

 いや、違う。

 その速度で、その「領域」に入れると今まで思っていなかったのだ。

 反射的に、あるいは極度の集中をして、力いっぱい突入していた「領域」は、実はその全力を使った後、ズンと重くなった体に残る六割程度の力でも、別の「ルート」から侵入できる。

 そのことにあの朝、初めて気づいたのだった。

「おお……」

「ホーク様!」

 ロータスとファルが駆け寄ってくる。

 ホークは、やってやったぜ、と笑おうとして、膝の力が足りなくて立ち上がれず、ズルリと転んだ。

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