勇者別離
ロムガルド王国はレイドラ王国から見て南、クラトス王国から見て南東にある。
地図の上ではクラトスと国境を接しているが、両国の間にはドラゴンの棲息が確認されている禁足地があり、よほどの命知らずでなければ直接両国を渡る者はいない。国じゅうの魔族を狩り尽くしたロムガルドでも当地でのドラゴン討伐は何度も失敗していた。
とはいえ、ロムガルドは広く、このあたりは主要都市からも離れた辺境でしかない。ドラゴンは放置しておいてもあまり国民生活には影響はない。
前回の魔王戦役から百年あまり、ロムガルド王国は魔族掃討に疲弊して魔王を討ち損ねた恥を雪ぐため、その次である今回に向けて国力を蓄積する戦略にシフトしており、それまでの強硬拡大路線を引っ込めて着実に準備を進めていた。
予想されていたよりも第七魔王の出現が遅れたため、いざとなったその時に、武器は揃っていても肝心の勇者が経験の少ない「張り子の虎」ばかりになっていたのは皮肉でしかない。
だが、依然として大国としての風格は失っておらず、勇者以外の通常兵力の数も大陸有数である。
◇◇◇
ホークは早朝から弓の稽古をしていた。
といっても、射法などといった真面目なやり方は全く知らないので、ひたすらに「素早く射る」ということに重点を置いた練習になっている。
今までこんな地道な努力はしていなかったが、ナクタでの魔王との遭遇で思う所があったのだ。
「あの時、三本射られれば……いや、もっともっと射る自信があれば今後も話が変わるんだ……!」
ホークの場合は“祝福”の副作用で、命中は確実。投げナイフなどでは届かない遠距離でも、弓ならばやれる。
それが一度に二人倒せるのか、三人、四人と倒せるのかでは話がどんどん違ってくる。
そのためには、実際に当てられるかどうかは度外視し、素早く射る動作を繰り返し、自分の身に染みつかせる必要がある。
発射ができれば当たるのであれば、とにかく“祝福”の中でそれを一回でも多くできるという確信を持たなくてはいけない。
的代わりにした小さな土盛りの周辺に何十本も矢の林を築きながら、ホークはふと“祝福”の進化形についても思いを馳せる。
「……あれ、また……できるのかな」
自分の中の“祝福”の所在を確かめ、やってみようかと少し好奇心が首をもたげる。
が、首を振って否定する。馬鹿なことを考えてはいけない。
“祝福”は奥の手だ。使えばそのまま強い全身疲労を一日引きずることになるのだ。
それは生死を分ける対応力の差につながる。
ロムガルドは建前上味方だが、断じて母国などではない。今日これから何が起きるかわからないのだ。
それに、ゲイルやマリンなどといった連中に、そうそう弱みを見せたくない。
一度知られてしまえば同じとは言うが、ゲイルは未だにまともには理解できていないようだし、マリンは“祝福”の存在すら認識していない。今はいいが、何度も弱みを見せていれば、いずれ全貌を把握されてしまう。
そうなればホークにとって不利なのは間違いない。
魔王戦役が終わってもホークのアウトロー人生は続くのだ。
ホークという異能力者をはっきりと認識しているのは、最低限の人数でなければならない。無理のある盗みを“祝福”で達成しても、それがホークの仕業だと決めつけられるようになったら、人生は追い詰められていくばかりだ。
「……とはいえ、あれ、多分……今までの奴とは違うんだよな……」
また、ホークはあの感触を思い出す。
10人以上もの相手を一息に屠った、異質の“祝福”。
何故あんなことになったのか。ホークの“祝福”は進化したのか。それともあの時だけの何かの間違い、特別な条件の発動だったのか。
それすらも、まだわからない。
考えてみればおかしな条件はいくつもあった。
それまでの“祝福”で、しゃがんだ状態から立つだけ、という極めて小規模の行動もしていたこと。
“祝福”を使えば疲れ果てるのはわかっているので、そんなほんの少しの動作をするために使ったことはあまりない。
そのせいで何か「残った」のではないか。
また、五度目まで“祝福”を酷使したのも随分久しぶりだ。
奥の手と位置づけ、メイにバラすまではごく親しい相手にも見せることはなく、ホークの異能力を知っているのはせいぜい他にはアスラゲイトの田舎にある故郷の村の人々くらいだろう。それくらい出し惜しんできた。
一気に来る疲労というデメリットをカバーしてくれる仲間など、路地裏の盗っ人生活ではいるはずもない。だから慎重に使わざるを得なかった。
そして一人で「実験」と称して酷使したのは五年かそれ以上前、子供と言って差し支えない頃の話になる。つまり、成長したことで体内の何かの具合が変わったのかもしれない。
「何か」なんて、自分のことながらぼんやりした考えだが、元々どういう理屈で使えているのか自分でもわからないチカラである。
また、あの時の一番特異な「差」。
それは発動時の意識の飛び方……ではなく。
「……その前の“祝福”からほとんど時間置いてなかったんだよなぁ……」
それなのに発動した。それが一番謎なのだ。
ほんの少し前に、ジェイナスたちを火の手から救うため、大量の水を撒き散らす目的で一回、発動している。
本当はそこから四半刻ほど時間をおかなくてはいけない。そうでなければ体の中に“祝福”の実感がなく、発動しないはずなのだ。
それなのに、ほとんど直後といってもいい斬り合いの中で、ホークはあの大立ち回りを成功させた。
(あれは本当に“祝福”の延長上のシロモノなのか? 何か別の……)
「横殴りの吹雪」ではない、「足元から細かな泡に包まれていく」という発動感覚のせいもあり、ホークは自分の得体の知れない新しい能力を断定しかねている。
疲労の末に能力が暴走を起こしたのか、あるいは進化したのか、非常に厳しい条件でのみ再現できる、元々あった「裏技」なのか。
他に誰も持っていない、少なくとも知り合いにないチカラというのは、こういう時に不便なものだ。
ホークは弓の練習をして、ほどよく疲れた自分の体を改めて見て、左右を見回して誰も見ていないことを確認する。
……やってみるしかない。朝食後に旅の再開だが、疲れ果てていても「弓の練習に熱が入った」と誤魔化そう、と決める。
(……やってみよう。……来い、あの「感覚」……!)
集中し、“盗賊の祝福”発動体勢を作る。
矢筒代わりの道具袋から次々矢を抜き、素早く矢を十本射るイメージを頭の中に作る。
……作っている最中に、限界が来た。三本目だった。
(まだ、まだいけるだろ……!?)
ホークは実感の枯渇に焦る。
容赦なく、「横殴りの吹雪」が、来る。
◇◇◇
「死体と同じ荷車にギュウ詰めってのは、目が覚めてるといい気分じゃねえな」
「辛抱されよ。……ロバたちにとってはこれが楽なのだ」
ホークは疲れた体を休めるため、ロバの荷車に便乗していた。
それを横着と咎める者はいない。昨日の活躍を知っているため、まだ疲れが残っているのだな、とロータスが気を使ってくれたし、文句を言いそうなゲイルはすっかりホークを格上の存在として認識しているようだった。
ファルはというと寝て起きたらメイになっていたので、それこそホークに厳しいことなんて言うはずもない。
「そろそろまた臭くなってきてんぞ。……なあ、神官さんよ。この死体たちにウーンズリペアかけてくんねぇか」
「死体にですか!?」
「それで腐敗対策になるんだよ。あのジルヴェインに殴り掛かった魔族が、来る途中でやってたんだ」
「あの魔族は……今さらですが、ホークさんやロータスさんのお仲間……なんですか?」
マリンが恐る恐る聞いてくる。ロータスと顔を見合わせて、ホークは唸った。
「……仲間、といえば仲間だが……まあ敵ではないからそう言って差し支えないのかなあ。うーん」
「ホーク殿を主な契約相手と定め、冒険の手助けをしては代償を要求する……傭兵? いや、何かのお伽噺の、人に取り憑く物の怪のようなものだろうか」
「ただのエロババアだよね」
最後のコメントはメイ。あれだけ色々と人外の所業を見せられてもそう言えるのは、イレーネはただのお邪魔虫、殴り合いなら決して負けない、という自負ゆえか。
「とにかくマリン、私からも頼む。腐るままにしておくと運ぶにも難儀するし、今後通る道々にも迷惑がかかる」
「……わかりましたけど、死体にかけるなんて初めてなので……あまり効果のほどは保証できませんよ」
荷車に上って処置を始めるマリン。
「ロムガルドの国境まではあとどれくらいだ」
「あの峠を越えれば見える。半刻もかからぬ」
「通行手形はあるんだよな、三人とも。……俺らに手形買えなんて言われないよな?」
「私が口利きをすれば問題なく通れるだろう。……アルフレッド王子が余計なことをしていなければ、だが」
「そんなにその王子ってのは根性曲がりなのか? 姫さんは公的にはまだナクタで死にかけてんだろう? ここにいるのは姫さん護衛隊なんかじゃねえ、敗残勇者二人と俺たちレヴァリア一行、その護衛のお前って体裁だろうに」
「そうなのだが、何しろ策略が好きなお方だからな……」
ロータスが困った顔をする。
マリンに目を向けると、術を使いながらマリンも苦笑した。
「第一王子ヘンドリック様が『魔剣の才能さえあれば最高の勇者になれた』と言われる豪傑なのに対し、アルフレッド様はずっと陰に隠れて目立たず、体も虚弱だったために本ばかりがお好きで……そのおかげで古今の軍略に通じ、将軍としての才能はあると評価されているのですが、強引で強い兄、社交的で野心家のアーマントルード様、そして“勇者姫”たるファルネリア様にそれぞれ劣等感を抱いておいでで……何かとヒステリックな方であり、国民人気は最低、と言われています」
「……それが唯一生き残ってんだからなかなか大変だな」
「国の行く末のことはまずは置いておこう。アルフレッド殿下の差し金でおかしなことになっても、我々は表立って歯向かうわけにはいかん。今や最後の後継者となったアルフレッド殿下の機嫌を損ね、ロムガルドに逆賊とされてしまえば今度こそ逃げ場がない。……よって、その目を引きつけるためにマリンとゲイル、貴殿らにはまっすぐ王都アルダールに戻ってもらう。注目されているのは『帰還途中のレヴァリアの勇者一行』ではなく『戻ってきた勇者隊』であって、それと一緒に行動しては藪蛇だろう」
「元々そのつもりだがヨ」
「いいのですか……? 私たちは、王子に問い詰められたらいつまでも口を閉じてはいられませんよ……?」
「姫の臣下である以前に、貴殿らはロムガルド軍人。それは承知している。だが、複雑な姫の事情は一息には説明できぬだろうし、アルフレッド殿下も把握はできないだろう。そこに私は期待している」
もしもアルフレッドに目をつけられて根掘り葉掘り聞かれても、適当な説明で適当に誤魔化せ。
ロータスはそう言っているのだ。
「その間に我々は最短距離であるベルマーダ王国に抜ける。レヴァリアに無事にたどり着き、ジェイナス殿さえ蘇れば、人類に反撃の目は残る。……本当に、ただそれだけのために何故こうも人目を掻い潜らねばならんのか、な」
ロータスは苦笑する。マリンもそれを受けて曖昧に笑う。
ホークは肩をすくめた。
「マトモな判断力ある奴がちゃんと治めてる国を通りたいだけなんだがな。なんで行く国行く国、そんなに危ういとこばっかりなんだか」
「皆、人類国家の世が滅ぶなんて思っていないのだ。過去六度の魔王戦役、ずっと大陸は激動しながらも最後には魔王に勝ってきた。世界が変わる、そういう瞬間に立ち会っていると思えば、危機感ばかりでなく欲得も出る」
「そうは言っても、自分が王様になれるのはほぼ確定なんだろ、その王子。人は立場に磨かれるって言うじゃねえか。おかしな予想は全部杞憂になることを祈りたいね」
「楽観的だな。……ああ、私も王子のことは幼少から知っている。そんな立派になった彼を見てみたくもあるが」
◇◇◇
国境で茶々は入らなかった。
ロータスも、ゲイルもマリンも、兵たちは顔を見ただけですぐに槍を上げ、粛々と通してくれる。
国境の先には小さな駐屯地があり、マリンとゲイルはそこで馬を貸し出されてアルダールを目指すことになった。
「それではみなさん、旅の無事を。パリエス神と国父ロミオの加護を」
「あばヨ。……簡単に死ぬなヨ。死ぬとも思えねェが」
マリンとゲイルは先導の騎士について遠ざかっていく。
口布を下げ、素顔を晒してそれを見届けて、ロータスは二人を振り返った。
「さて。セネス公国を目指すとしよう」
「え。セネス?」
「うむ」
ベルマーダ王国の東にある国。
ロムガルドから見ると、その北方面に並ぶ諸国として、西からクラトス、レイドラ、ベルマーダ、セネスという順に続く。ベルマーダとセネス、どちらかを経由すればその北の目的地レヴァリアに辿り着けるのだが。
「なんでそっち? 遠いだろ?」
「ベルマーダに向かうと見せかける。正直、私はあの二人も信用できてはおらん。二人とも気のいい若者だが、したたかではない」
「そんなに身内で騙しあいしなきゃいけねぇのかよ」
「大国の権力というのはな、それだけ恐ろしいのだ。……それにセネスの方がまだしも安全だ。ベルマーダは今やラーガス軍の眼前だぞ」
ロータスは厳しい顔で、緑あふれるロムガルドの国土を見た。
「魔王はロムガルドを奪うと言った。私はそれがハッタリとは思えん。魔王はいずれ必ずこの国を、アルダールを奪うだろう。……そして、ラーガスが黙ってそれを待っていると思うか? 次はアスラゲイトかレヴァリア、あるいはベルマーダ。魔王軍がそのまま動くならば、次はそのどこかが牙にかかるのだ。……セネスは遠い。それだけで、ベルマーダより先には落ちるまい」
「……みんな落ちる前提かよ」
「ジェイナス殿かそれ以上の勇者なくば、あのジルヴェインには勝てん。勝てんということは、落ちるのだ」
ロータスは口布を上げる。
「行くぞホーク殿、メイ殿。全てが落ちる前に」
昨夜、能天気にホークたちをからかった女と同一人物には思えない、悲壮な光がその目に宿っていた。
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