炎の襲撃
宿の部屋は豪華ではないが清潔で、ホークはゆっくりと羽を伸ばす。
ずっと急いで旅をしていたため、一人で夜を過ごすのはしばらくぶりだ。誰も見ていなければ、あまり人前では広げにくい道具の確認や手入れも気兼ねなくできる。
盗賊七つ道具などは例え味方でもあまり人目に晒したくはない。
魔王討伐を一歩離れれば、盗賊とそれ以外は相容れないのだ。商売道具は手札の中でも大事な一枚、そうそう詳細に観察されても困る。
それに、靴をそろそろジェイナスのものに交換しようかと悩む。
一応助けている最中とはいえ盗品みたいなものだ。見とがめられるとなかなか気まずい。
「あいつ足からヤバイ匂いとかする体質じゃねぇよな……?」
ホークはジェイナスのブーツを取り出して中の匂いを恐る恐る確かめる。とりあえず革と泥の微かな匂いしかしなかった。さすがに剥いでから時間が経っているおかげか。
自分の靴は今までの旅路での酷使でだいぶボロボロで、穴も開いている。
これをできるだけ履き、あわよくば高級なジェイナスのブーツは大きめの街で売り払ってしまおうとも思っていたのだが、大きい街には一向に入れる気配もなく、ホークの靴の耐久度もだいぶ心もとない。そろそろ覚悟を決めるべきか。
「多少使っても、また替えが確保できてから綺麗にして売ればいいんだよな……」
そっと呟いて足を通してみる。
ジェイナスと足のサイズはそんなに変わらないはずだ。両足の紐を編み上げて、室内を歩いてみる。
履き心地は悪くないが底が厚すぎる気がする。ちょっと重いし、コツコツ足音がするのが気になる。
「盗賊用じゃねえんだよな……当たり前たけど」
この靴で蹴りを出せばなかなか痛いことになるだろうし、多少のトゲなどを踏んでも平気だろう。だが盗賊らしい敏捷さや隠密行動、長距離の徒歩に向いているかというと少々ミスマッチと言わざるを得ない。
それでも、と今の自分の靴を見る。こうして履いて見比べるとどうしようもなくオンボロだ。
「……最近、あんま盗賊らしいこともしないしな。こっちを履き慣らすか」
わざわざボロに戻したくない。そのために少し言い訳がましく呟く。
と、その時、ゾクッと違和感を覚える。
空気の変化。気配の察知。いや、そんなにはっきりしたものではない。ただなんとなくの危機感。
ホークはドアの方を振り向いて短剣を抜き、身構える。
どこから何が出るか、今の時点で予測はつかない。だが振り向いた拍子に少し大きく足音がしてしまい、早くも履き替えたことを少し後悔した。
自分が警戒している、というのを相手に教えるようなものだ。
(なんだ……? 誰かが忍び寄っているとしたら、そんなことをする意味があるのは誰だ?)
ホークは靴のデメリットに少し焦りながら、頭を回転させる。
魔王軍?
まさか、こんな街に魔王軍が伏せている理由が思いつかない。レイドラ軍が敗走した今、何のために戦力空白の宿場町に伏せる理由があるのだ。
ならばレイドラ軍?
ホークたちの正体を察したとしても、レイドラ軍もわざわざ襲ってくる理由はない。魔王という単語から自分たちを勇者隊と察することができたとしても、それをバラバラになったレイドラ軍がどうしようというのか。ロムガルドの通常軍自体はまだ健在だ。戦争になってしまうだけだ。
あるいは町民たちの総意という線も考えられるだろうか。厄介事を持ち込んできたかもしれないホークたち一行を、先手を打って捕まえ、魔王軍に突き出そうというのかもしれない。
果たして、敵は扉を乱暴に蹴り開けてホークの部屋に押し入ってきた。
「うおっと……ノックもねぇのかよ!」
「大人しく死ね!」
「ちょっとそうもいかなくてな」
最初の一人が振るってきた斧をからくも飛びのいてかわし、近くにあったテーブルをひっくり返して障害物にする。
さらにもう一人、もう一人と合計三人が部屋に飛び込んできたので、ホークは慌てて“祝福”を使わなくてよかった、と内心ホッとする。
敵が出揃わないうちに使うと、あっという間に詰みだ。
三人の闖入者はそれぞれ短剣や斧など、室内戦を想定した武器を持つ、外見的にはそこらにいくらでもいそうな農民や鉱夫といった風情の小汚い男たちだった。
身のこなしもそれらの域を出ない。一対一ならホークでも問題なく白兵戦で倒せそうだった。
しかし、三人いるとなると正面からの戦いは厳しい。
「どういうつもりで俺を狙ってるのか……なんて、質問しても答えそうにねえな」
「死ぬ奴には関係のない話だ」
「なるほど」
ホークは短剣を降参するように下ろし。
「全くその通りだ」
“盗賊の祝福”を発動し、全員の喉首を掻き切る。
「っ……!?」
「かっ……」
「けぽっ」
三人はほぼ同時にドサッと倒れる。
ホークは短剣をそっと腰に収めつつ膝をつく。今日で3度目の“祝福”だ。重なるほどに体の深部でダメージが蓄積していく。
(……あと2回、だな)
一日に使える“祝福”は、5回が実用上のボーダーラインだろう。
かつて6度目に使った時は使用後しばらくはしゃがみこんだきり全く動けなかったし、7度目は本当にそのまま翌日まで一歩たりとも動けなかった。
そこまでの状態になると実質的には自殺のようなものだろう。
「……俺のところに来たってことは、メイたちの方にも……来てんだろうな」
ホークは疲労した体に鞭打って立ち上がり、メイたちの部屋に向かう。
辿り着いたところで加勢できる状態でもないのだが、少なくとも自分が無事だと教えることは無駄ではないだろう。
メイとマリンが宿泊する部屋……の前に、闖入者は四人倒れていた。
部屋に入ることもできなかったようだった。
「ロータスか」
「いかにも」
小さくドアが開いて、ロータスが油断なくこちらを確認し、ドアを改めて大きく開く。
「こういった輩を相手にするのが私の本業なのでな」
「俺の部屋も守ってほしかったんだが」
「優先順位というものがある。それにホーク殿はそう簡単にはやられぬだろう」
「ありがたい評価なこって」
メイたちの部屋に滑り込む。
「きゃっ」
マリンが寝間着を鎧下に着替えている最中だった。
「悪いな。非常時だ」
「わ、わかっています」
メイの方は普段から就寝時に楽な服に着替えるという習慣がないのでいつも通り。
「あのバカはどうした?」
「ゲイルも自分の身は守れるものと思いたいが……」
ロータスが言うと、マリンが鎧下を必死で早着替えしながら切羽詰まった声を上げる。
「だ、駄目ですっ! ホークさん、ロータスさん、早く彼のところに!」
「え?」
なんで、と言う前に、ドォンと爆発音。
「……ゲイルは『フレイムスロウ』しか使いませんから、こんな室内でもおそらく……」
「ああ……うん」
放っておけば火事だ。
多分敵は倒せただろうが、火が付くこと自体は手遅れだろう。
「ロータス、なんか火を消す魔法とかそういうのはないのか」
「あるかもしれんが私は習得していない。どちらかといえば消すより火を点ける方が長かった」
「……やっぱり暗殺者じゃねえか」
メイをまだ鎧を着ようと頑張っているマリンの護衛に残して、ゲイルの様子をロータスと二人で見に行く。
ゲイルは燃える部屋の中で大やけどの男の胸倉を掴んでいた。
「オラッ! 吐けや! テメェらのボスはなんだ! 俺らが誰だか分かって襲いやがったのかヨ!?」
「ぐ……ふぅっ……」
「チェッ、言えねえってか。胸糞悪ィゼ」
ゲイルは虫の息の闖入者を蹴り捨てる。慈悲は一切ないようだった。それはホークやロータスもそうだが、この男も正義の勇者を標榜する割にはだいぶ過激なようだ。
「ゲイル。どうするつもりだ、この惨事は」
「あァ? こいつらが悪ィんだろうがヨ。黙って殺されろってか?」
「勇者ならこの程度の輩、魔剣効果を使わずにヒラで倒せ。高くつくぞ」
「奇襲してきた連中にそんな細かいこと遠慮してられっかヨ!」
とりあえず室内で爆発を起こしたことに関しては特に反省はないらしい。
ロータスは深々と息をつき、説教は諦めることにしたようだった。
「尋問対象に関しては私の方で確保してある。そちらをじっくり絞るとしよう。貴殿は荷物をまとめてマリンたちの部屋に来い」
「女の部屋かァ」
「どうせ今夜はもう寝ていられん。相手が分かり次第、出立だ」
ロータスがそう言う間に、ホークは窓を開けて周囲を警戒する。
そして、油らしきものを撒く人影の姿に気づく。
「おい……やべえぞ。集まるどころじゃねえ」
「あァ?」
「どうした、ホーク殿」
「この宿ごとやる気だ。なんだこいつら」
「どういう……」
「……く、我々を完全に始末するつもりか! どういう連中だ!」
いちはやく首を出したロータスは、魔法の鞘から「フラッシャー」を抜き、光らせて飛び降りる。
油を撒いていたのは風体も他の闖入者と大差ない、そこらの農民のような男。
それに蛇のようなステップで近づき、ロータスは「フラッシャー」で相手を斬る。
「出るぞバカ」
「いちいちバカ言うんじゃねェ!」
ホークたちも駆け出す。
メイとマリンに声を掛けに行くと、二人も事態を察して飛び出してきたところだった。
が、一足遅く、宿の周囲から一気に火が回り始める。
「ロータスの奴、みすみすっ!」
「多分、外から火を点けるのも単独犯ではなかったのではないでしょうか」
「冷静に言ってる場合じゃないでしょ!?」
マリンのコメントにメイが突っ込む。
どうもこのマリン、頭がいいのはともかく、感情や反応がワンテンポずれているというか……若干どんくさいところがある。神官らしい呑気さといえばそうなのだが。
「玄関は……って」
宿の受付では主人や従業員らが惨殺されていた。昼間の給仕の娘も死んでいた。
「うげ」
「ひどい……」
「……弔いの句を詠む暇もないこと、どうかお許しください」
「おい、玄関も酒場もメチャクチャだゾ! 出られやしねェ!」
閉じ込められた。
……いや。
「そっちから出るんじゃ駄目だ。どうせ外で張ってるだろう。……メイ」
「うん」
メイとホークは頷き合い、適当な場所の壁を選ぶ。
メイはその壁に手を当て。
「……ハィッ!!」
ドン、と突き押す。
石造りの壁が、彼女の両手で吹き飛び、穴をあけた。
「うお……」
「す、すごっ……」
ゲイルとマリンは呆気に取られている。メイが拳法家なのは知っていても、それだけの破壊力を持っているなんて思っていなかったのだろう。
「出るぞ」
「ホークさん、あれ!」
「……お、おい、ちょっと待てコラッ!!」
メイの指差した先で、馬に乗せられて見覚えのある布包みが運ばれて行ってしまう。
ジェイナスとリュノの死体。
「メイ、追ってくれ!」
「う、うん!」
「駄目です! メイさんが……姫様が釣り出されてどうするんですか!」
「俺たちにとっては何よりあっちが大事なんだよ!」
「私たちにとっては姫様の方が大事なんです!」
「いいからどけヨ! 早く出ようゼ!」
押し問答しつつ外に転げだす。
外ではロータスが十数人のゴロツキを相手に大立ち回りを演じていた。
「ロータス!」
「ホーク殿! メイ殿!」
「なんなのよこいつら! あたしたちをどうするつもりなんだか……」
「わからぬ……が!」
ロータスは「エクステンド」を閃かせ、三人を一瞬で斬り捨てる。
「この数を出して負けるとは思っておるまい。目に物見せてやろう」
「おっけー」
「っしゃ、やるぞマリン!」
「我々はロムガルド勇者隊! 弓引くつもりなら容赦はしませんよ!」
炎上する宿屋を背に、勇者たちが見得を切る。
が。
「……知っているさ。無様だなぁ、勇者隊。あの威容が今ではこんなガキ数名で威張るだけか」
どこからともなく、声がした。
ゴロツキたちの誰が発した声でもない。まるで空から降ってきたような声。
当然、空には誰もいない。
「魔法の幻聴か」
「出てきやがれェ!」
「気を散らしている場合ではありません! ゲイル、敵に集中して!」
ゴロツキが一斉に襲い掛かってくる。
ホークは勇者たちやロータスを盾にしつつ、必死に応戦する。
もう死体を奪っていった馬は、見えなかった。
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