暴走ファルネリア

「このあたりの街は本来ラーガス軍がナクタからレイドラ王都シングレイを目指す際の進路上だが、ラーガスはシングレイを攻め落とすほどの戦力を、どうやったものか素通りさせていったらしい。ここらの人間は今、クラトスの魔王軍とラーガス軍に挟まれているが、シングレイの向こうにいるレイドラ残存軍を頼っていくか、あるいはロムガルドなどの他国に亡命を求めていくかで意見が統一できていない状況のようだ。直接ラーガス軍に会わなかったせいで戦争の実感が乏しいものも多い」

「頼っていくとは言っても、民の生活は土地ありきです。もはや支配力を失ったレイドラ軍に生活の援助を求めるのも難しく、かといって他国が難民に寛容とも限らない……この街の民も今の生活ができるなら、どちらも選ばずに魔王軍に降伏するのも一手と思うでしょうね」

 ロータスの情報収集の成果に対し、金髪のメイ……ファルネリアは、頷いて見解を示す。

 重い鎧を脱いで軽い服装に着替えたマリンとゲイルは、それを聞いてそれぞれ困惑した表情をした。

「魔王軍の暴力支配に自ら膝を屈するなんて、愚行としか」

「軍が引いてるッたってヨ、レイドラ全土にそれなりの戦力いただろォ? ラーガス軍が街を素通りしたってのは意味わかんねェけど、北に引いてった残党軍とは別に、もっと近いとこにもレイドラ軍がいくらかいるはずじゃねェのかヨ?」

「たとえどんな劣悪な支配者だろうと、民草は支配されずに生きることはできない。軍隊も支配を失い、統率力を欠けば賊と変わらん。……どうしたところで軍人は生産者ではなく戦闘者だ。食い物が足りぬとなれば他人に頼るしかなく、頼るよすがを失えば、後に残るのは暴力という手段のみになる。わかるな」

「国家の頭を切り落とされれば、後に残るのはそういう混乱のみなのです。おそらく北の残党軍は有力な貴族がその財力と権威でもってどうにか形を保っているのでしょうが、それ以外の場所は早晩、魔王軍の下で『最悪よりはマシ』の秩序を享受することになる……。一手でもってレイドラの息の根を止めたラーガス軍の鮮やかさには感服するほかないでしょう」

「クソッ。やっぱり俺たちをピピンになんか回さずに、最初から……あの魔王ヤロウが出てくる前に全隊でナクタに集中してればよかったんだヨ。最速で総がかりになってれば、その小賢しいラーガスって奴は倒せただろヨ」

「後から言ってもしょうがあるまい……それとゲイル。魔王というのは言うでない」

「ア?」

「ここらの者はみな、ラーガス軍のことは理解していても、今ナクタにいるモノの事は察していない。察していたら悠長に店など開けてはいられん。……下手に伝わればパニックが起きるぞ」

「なんだヨ。何ビビってやがんだヨ」

 四人が喋っている間、ホークは酒場の隅の少し離れた席に陣取り、周囲を観察している。

 先ほどのキス騒ぎの後、一旦は戻ったのだが、ファルネリアがものすごく気まずい顔をしていたので、ロータスのとりなしでいったん距離を置くことにしたのだった。

 そこにゲイルとマリンが合流して今に至るのである。

 ホークの見たところ、ロータスたちの姿はやはり少々浮いている。

 女連れの食事客は他にもいないわけではないが、ロータスたちのテーブルのように女が三人、男が一人というのはない。男の比率が少ないと不意のトラブルから守れないので、一般的には酒場にそんな比率で入ることはないのだ。

 ロータスたちは全員、多少のチンピラなら自力でひねれる実力がある。だからそんな感じにしていられるのだが、それが注目を集める種になるのは致し方ないことだった。

(あと、やっぱりロータスが怪しすぎる……)

 エルフというだけでもあまり見ないのに、その黒尽くめの服装と口元を隠す黒布は、どこから見てもぶっちぎりの不審者オーラを醸し出している。

 他三人は若さもあり、見た目の庶民性も十分。しっかり一般市民に擬態できていると言えなくもない。だがロータスがやはりネックだった。

 その彼らの会話内容をそれとなく聞いているのは給仕が一人、酔客が三人。

 いや酔客のうち二人は、ただ若い女の尻に目を奪われているだけだ。あれはほっといていい。

 しかし給仕が真面目な顔でジッと見ているのはどうしたものか。おそらくゲイルの失言を耳にしてしまったのだろうが、酒場の与太話として聞き流してくれないものだろうか。

 しばらく悩んで、ホークは立ち上がってさりげなくロータスの肩を叩き、それから給仕にスイッと向かう。

「よう、姉ちゃん。……ちょっと小遣い稼ぎしねえか」

「えっ……」

 精一杯下品な表情を作り、給仕の娘に酒気交じりの息をかける。それほど酔っているわけではないが、彼女が危機感を抱くには十分なサインになるだろう。

「何、ちょっと二人きりでさ……どうしてくれってんじゃねえよ。目でもつぶってれば済むことだ」

「あ、あの、困りますっ」

「なに、ほんの少しの間、ちょっと困るだけでこんだけの儲けになるんだぜぇ?」

 給仕の娘の後ろ手に、チャリン、チャリンとコインを落としてやる。

 ホーク自身は慣れていない、レヴァリアの裏路地ではよくある「交渉」だ。

「さ、ちょっとだけサボっちまおうぜ。なぁに、心がけ次第じゃ二人とも楽しいひとときになるぜ?」

「で、ですからお客さんっ……」

 このあたりでロータスにサッと助けに入らせるのがホークの「作戦」だ。

 どこまで本気かもわからない酒場の噂話より、給仕の娘にとっては「イイコト」をさせられそうになることの方がインパクトが強い。

 あまり好みの娘ではないし、ホーク自身は傍で見ていることはあっても実際にやったことがない交渉なので、内心ではいろいろ辛いのだが、ウヤムヤにする「手」は他にいいのが思いつかない。“祝福”で不審死させるのはやり過ぎだろう。

 果たして、すぐに邪魔は現れる。

「おいこのクソチンピラ」

「お酒はほどほどにして下さい。困っています」

 ゲイルとマリンだった。ほぼ同時にホークの両肩を掴んでいる。

 いや、そこで何でロータスが出遅れるのだ、とホークは理不尽を感じた。こういう演技はそれなりに呼吸を合わせなくてはいけないのに。

「ンだよ。お前らはお喋りしてろや」

 ほどほどには悪役をやらないといけないので抵抗。

 すると瞬時にイラついたゲイルがいきなり拳を振りかぶる。これだから息の合わない他人は嫌なのに。

 さすがにタダで殴られるのは嫌だ。

「オラッ!」

 ブンッと振られる拳は、見え見えの大振り。ホークにもかわせないことはない。

 それなりに身体能力はあるようだが、この狼人勇者はメイやロータスのような超人的な動きには至っていない。ホークは身をかがめてそのパンチをかわし……そういえば、すぐ背後に給仕の娘がいた。

 そのままのパンチを放置すれば彼女の顔面に全力パンチが打ち込まれることになる、と気づき、ホークは自分の中の“祝福”の有無を一瞬で確認。ギリギリ使える。

 しかしどうするか。

 ここでゲイルをひねり上げるのは簡単だが、それは「悪役」としてやりすぎだろう。しかしまっすぐ立って、改めて殴られるというのも嫌だ。マリンを横に引きずって変わり身? それはちょっと酷すぎるか。

 モタつく時間はない。ホークは覚悟を決める。やっぱり立って殴られよう。

 勇者の大振りは痛いだろうか。歯が折れたらどうしよう。

 そう思いながら、横殴りの吹雪を呼び寄せ、視界が一瞬でほんの僅かに上がり……。


「ホーク様……?」


 ビクゥッ、と拳を振るゲイルが縮みあがって、拳は立ったホークの頭の上を通り過ぎていく。

 抱きつくような形になったゲイルをホークは手で押しのけると、その背後には異様なオーラを漂わせるメイ……ファルネリアの笑顔。

「何をしてらっしゃるのかしら……?」

「えっ、あ、えーと……いや、その、そんなに怒るようなことじゃなくてな?」

 そもそもお前たちの無防備な失言を誤魔化すためにやってるんだよ、と言ってやりたいのだが、それを言えば完全に台無しだ。

 ホークはロータスに助けを求めたが、ロータスはただジト目をするだけだった。

 合図が通じていなかった。

 思ったほど彼女とは阿吽の呼吸が通じなかったようだ。

「ひ、姫様……いや、ここは私たちが」

「どきなさいマリン。……下がれ。……キエロ」

「ヒィッ」

 何でそんなに……とホークが震撼するほどの怒気だった。

「あ、あんた、姉貴にあんなに絶賛される“勇者姫”だったはずだよな?」

「いえ? そんな人知りませんけど?」

「あ、ああ、うん、別人だったなそういえば」

 あまりの威圧感に、ホーク自身も失言してしまうところだった。

 ここにいるのはただの金髪の狼人少女であって、天下に名高い“勇者姫”ではない。

 背後を振り向くと、給仕の娘はとっくに逃げていた。コインは返してもらっていない。ちゃっかりしていた。

「ま、まあほら、あのな? こういう場にはそれなりに作法的なものがあって、これもまた一つのそういうアレっていうか」

 周りに混乱を与えない言葉を選びつつ、なんとか自分があんなことをした意図をファルネリアに訴えようとするが、クリティカルな言葉を避ければ何も表現していない無意味な台詞になる。

 どうしよう。“祝福”でまた逃げようか、と思ったら、ただ立ち上がるためだけに使っていた。もう使えない。

 誰か助けて、と左右を見渡しても誰も助けてくれそうにない。

「……お勘定はそいつに頼むっ!!」

 ホークはロータスを指さして、普通にダッシュで逃げる。ファルネリアは異様な歩き方(走っていない)でついてきた。

「ひぃぃぃっ!? なんでだ!?」

「逃がしませんよ?」

「うわあああ!?」


 宿場町を二周する追いかけっこが始まった。

 ホークも足の速さには自信があったが、さすがはメイの肉体だけあって、ホークの全力疾走に全く遅れないファルネリア。

 やがて、またなんの拍子か突然ファルネリアが気絶し、またメイに戻るまでその異様な追跡は終わらなかった。


       ◇◇◇


 追いかけながら急に倒れたメイは、しばらくして起き上がり、ホークの有無を言わさぬ必死の弁解を寝起きに聞かされると、目をこすりながら口を尖らせた。

「……もーっ、そういうのはあたしの時にやってよね? お姫様もあの勇者もどき二人もだけど、真っ黒女もついこの間行き会ったばっかりなんだから、アイコンタクトで通じるわけないんだし」

「メイも前からそんなに親しかったわけじゃないけどな……」

 多分メイも言い訳を聞かず怒る気がする。

「あと、お姫様の言い訳も聞きました。ホークさんちょっと座りなさい」

「ここに?」

「うん」

 メイが地面を指定するので仕方なく座る。その辺の畑のあぜ道だった。

「あたしとちゅーしたんだって?」

「……しました。いや俺からしたわけじゃないぞ?」

「なんであたしが寝てる時にそういうことするの!」

「だから俺がしたんじゃないぞ!?」

 そして多分ファルネリアも酒のせいで何かと間違えたのであって、不本意だったと思う。

「それでちゅーした直後に酒場の給仕をナンパしたわけだよね?」

「事実だけを並べればそうなるが」

「それでお姫様がものすごいモヤッとしたらしいよ。いやあたしもイラッとすると思うけど」

「そもそもキスしたの自体が事故みたいなもんだろう。っていうか元をたどれば全部お前の変な飲酒実験のせいなんだから俺が怒られる筋合いないだろう」

「今はその話じゃないんです。ステイ」

「……はい」

 理不尽だ。

「お姫様もんのすごい早口だったからちょっと前後怪しいところあるけど、なんでもピピンで会った時に『好きですよ』とか言っちゃった後死ぬほど悶え転がったりしてたらしくて」

「なんなんだあの姫さんは……」

「あの姉姫がわりと気軽にそういうの言う人だったからカッコつけて真似しちゃったけど、本気で取られちゃったらどうしようとか、私から言ったんだからプロポーズとして言質とられちゃったのかなとか、結婚したらどっちの国で暮らすことになるんだろうとか子供は早めに作る方がいいのかしばらくイチャイチャ生活しててもいいのかとか」

「……待てコラ」

「そこから猥談とか老後の生活まで超早口で短時間で語り尽されたあたしの気持ちをおもんばかってほしい」

「ごめん。取り憑くの本気で反対したらよかったかもしれない」

 メイの数倍はアウトな子だ。

「そういうわけであれな感じの気持ちになってたのでお酒で意識もーろーとしてた拍子にうっかり夢だと思ってちゅーしてしまったことは許してほしい、と謝られました。圧倒されて頷くしかなかったあたしを誰が責められよう」

「……うん。お疲れ」

「それはそれとして不公平なのでそのうちあたしもちゅーしてほしいんだけどいいかな」

「今面倒な話は増やさないで。頼むから」

「ちゅーぐらいいいじゃん……」

「もう少し大人になったらお前はきっといい女になるので少し待たせてほしい」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

 正確にはそこまでお互い生き残れたら、と思っているのは黙っておく。この状況だ。

「で、そのままドキドキしてたらちょっと目を離した隙にいきなり知らない女のお尻触ってるんだから燃えちゃいけない部分が真っ黒に燃えた。人生初めての気持ちだった。魔剣が手元にあったら危なかった。だそうです」

「今俺の中で姫さん像がすごいことになっているんだが。あとお尻触ってたんじゃなくてあれ後ろ手にコイン渡してたんだよ。そういうの見たことないか?」

「ないよ! だってあたしだよ!?」

「……そういえばメイは世間知らずだった」

 そういうお決まりの仕草があるというのはなかなか理解してもらうのが難しかった。尻触ったんじゃないからセーフなのか、と言われると全くその根拠もない。

「今後姫さんの前でおかしな行動取れないな……」

「あたしの前でもできるだけおかしなことはやめてほしいんだけど」

「何度も何度も言っているが俺は盗賊で悪党だ。物事をやるのにいちいち正しい方法は取らないし、能力的にも取れない。わかれ」

 何事もズルして、嫌われて、裏をかいて、危なかったら逃げて。

 それでも生き延びて手を伸ばすのが、盗賊の生き様だ。

「さて、戻るか。……ゲイルのバカが不穏な発言したのが、鬼ごっこでウヤムヤになってるといいんだが」

「さっさとこんなとこ出て野営したらいいんだよ。あたし野営好きだし」

「俺は寝るのはベッドがいいな……」

 膝を払って立ち、ホークたちは戻る。


 酒場に戻ると野次馬たちに「なんだ痴話喧嘩は終わりか」と囃し立てられ、非常に気まずい思いをした。

 そして、ホークたちに注目していた酔客の最後の一人は、いつの間にかいなくなっていた。

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