酒の魔力
宿屋では部屋割りに揉めた。
メイがホークと一緒の部屋になりたがり、それをホーク以外の三人が制止したためだ。
「アンタたちにピピンで会うよりずっと前から、ほとんど肩くっつけ合って寝てたんだからいいじゃん!」
「メイ殿はそれでいいだろうが、今は姫の心もその身にあるのだ」
「というか、いくらなんでも不健全です。よほどの子供ならともかく、身の危険のある歳になったら男女で同室は避けるべきです」
「このクソチンピラ、ピピンで姫様にちょっと笑って貰うだけでオタオタしてたゾ。うっかり姫様が出てきたら、なにやらかすかわかったもんじゃねェ」
「お姫様とか関係ないじゃん! なんかあってもあたしの体なんだから別にいいでしょ!?」
「いやメイ、ちょっと待て。お前も何かされる前提で話を転がすな。俺が性犯罪者って前提作るな」
そもそもメイの身体能力は、ホークが全力で捕縛しようとしてもおそらく手首だけ動けば楽に逆転されるほど次元が違う。
最初からメイは年齢的にアウト判定だが、例えそうでなくてもメイを組み伏せて何かしようとはとうてい思えなかった。
「メイ殿はマリンと同室になるといい。もしも姫の精神と同居する不具合が出た場合も、他の者よりは神官のマリンの方が対処のしようがある」
「うー……じゃあアンタどうすんの真っ黒女」
「私は適当に樽にでも潜んで寝るので気にするな」
堂々とおかしいロータス。
そういえばピピンからの道中の野営などでも、見える場所で寝ているのを見た記憶がなかった。
「いや、宿屋なんだから例え変な体勢で寝るつもりでも宿賃は払えよ?」
「むぅ」
「……俺は一人部屋ってことで」
「待てやクソチンピラ。ロムガルドの金でお前如きがベッド使うなんて申し訳ねェと思わねェのか? 納屋でロバと一緒に寝てろや」
「あァ? さっきあれだけボロクソだったくせに何偉そうにしてんだてめえ」
「黙れや。俺はロータスには負けたが、一個も関わってねえてめェにゃ関係ねェんだよ。ただのカカシが何様のつもりだボケ」
絡んでくるゲイルに対し、ついカチンと来て至近距離で睨み合いをしてしまうホーク。
ロータスが盛大にため息をつき、割って入る。
「ゲイル。いい加減にしないと本気で貴殿には声の出なくなる呪いをかけるぞ。それにホーク殿も乗るな。どうせゲイルの金ではない」
「……チッ」
「ケッ。いけ好かねェゼ」
とことんこの狼人勇者とは相性が合わない。
二人とも歳が近く(ゲイルもホークと同い年か、多少年上かもしれない程度だ)、どちらも優雅な階級の出ではないために、互いにリスペクトの置き場がないぶん何かと突っかかりやすいのが災いしていた。
「真っ黒女。このマリンって人はともかく、こっちのバカはあたし本気で腹が立つんだけど。どうしても一緒に連れてかないとだめ?」
「姫に頼まれたではないか」
「そもそも、そのお姫様もあたしたちに命令する権利ないと思う。っていうかもうあんたが二人を送ってっちゃったらいいじゃん。……あたしたち二人はレヴァリア帰るだけなんだし、フユカイな思いしてあんたたちと一緒にいるメリットなんて、なんにもないよ?」
「そう言うなメイ殿。その分、宿代や補給物資代はこちらが持つ。それに姫はこれからも便宜を図ってくれる。点を稼いでおいて、後々損はない」
「……ホークさんがどうしても一緒はヤだって言ったら、あたし三人とも殴ってでも放り出すからね?」
「見ろゲイル。メイ殿がこんなに苛立っている。今や我々の命運はお二人次第なのだぞ」
レヴァリア一行で、唯一の行動判断力を持っているのはホークだけ。
メイはファルネリアのせいで意識が不安定だし、何より世間知らずで子供。戦う力は現状最強だが、行動判断はホークに丸投げだ。
ロータスはあくまでその護衛。先導はしない。
さらにマリンとゲイルに至っては、放っておくと迷子になるので連れて行ってやるだけに過ぎない。
五人の集団構造は、それぞれに別の権威を背負ってはいるものの、最終的にはホークの一存に委ねられている。リーダーはあくまでホークなのだ。
元々一番浮いた立場の盗賊なのに、責任はいつの間にか一番強くなっていた。
「元々面倒臭い状態なのに、次々に面倒臭いのが増えすぎだ……」
ホークは溜め息をついて現状を嘆く。
ジェイナス、あるいはリュノが生きていたら。
せめてリディックが生きてゲイルたちを引っ張ってくれていたら。
……イレーネという後ろ盾が、まだいてくれたら。
色々と虚しい想像をしては辛くなる。
◇◇◇
宿を取り、宿泊者用食堂兼用の酒場に集まる。
マリンとゲイルは中装鎧を着ているためか出てくるのが遅く、ホークが酒場に出た時点では、先に来ていたのはメイとロータスだけだった。
騒がしい酒場だが、あの二人がいないだけで少しは落ち着いて話ができる。ホークはたったそれだけのことが嬉しく思えてしまうのを滑稽に思いながら、口を開いた。
「そういやイレーネはどうなったんだろう。姫さん、何か言ってるか?」
「え、わかんない」
「……お前と姫さんってどうやって会話してるんだ? っていうか、できるのか?」
「うーん……なんか、めちゃくちゃ眠い状態になってる時はお姫様の声だけ聞こえてくるんだよね。多分お姫様の方も同じで、あたしが倒れてる状態の時だけ会話できるんだと思うけど……あと、お姫様が完全に表になってる時はあたしは完全に寝てる。それでお姫様が意識なくした瞬間に、その声だけの会話で叩き起こされる感じ」
「起きてる状態でもう一方に意見を聞こうとしても駄目なのか……」
「そうっぽい。それに眠くなるタイミングもよくわかんないし」
「そこはちゃんと法則見つけないとな。頻繁にバタバタ倒れるっていう話になると怪我も心配になる。新しく荷車でも買ってロバに引かせて、メイは乗せっぱなしにした方がいいかもしれない」
「えー。でもあたし、多少ケガしてもすぐ治っちゃうし。ホークさんが治癒力10倍って言ってたじゃん」
「それでもいちいち危ないことはさせたくねぇんだってば。お前がアホな怪我してる状態でドバルみたいなのが出てきたらどうすんだ」
「ドバルってあの汚い巨人だよね。あいつなら真っ黒女で十分倒せるじゃん」
「あまりアテにされると困る。たまたま私の手に負える状況だっただけだ。『ロアブレイド』も、姫の魔剣セットもなければ随分手こずる相手だったはずだ」
「むー……でも荷車かぁ……あれって壊れたら怖いよねぇ。簡単には直らないだろうし、エルフの隠れ里みたいな狭いところには行けなくなるし」
「そういうのは緊急事態だから、どうしようもなくなったら置き捨てるんでもいいんだよ」
ホークは給仕を呼び、酒を頼む。
ちょうど注文の混んでいないタイミングだったのか、酒はすぐに来た。
「ホークさん、お酒なんて呑んで……そんな油断してていいの?」
「酒場で酒も頼まずにいると逆に怪しまれるんだよ。女はそうでもねぇが、男はとりあえず一杯はいかないとな」
酒場で女が泥酔するのは、比較的平和な国でも愚行だ。何をされても文句は言えない。そのため、女が自宅以外で酒を呑むことを恥としている国や、そもそも女が酒を呑むこと自体を禁じている国もある。
だからメイたちは食事だけでもいいのだろうが、ホークのような若い男が酒を呑まないのは、それはそれで何かを企んでいると思われる場合がある。
この物騒な時代、酔った勢いの喧嘩と見せかけて人を殺すのは簡単だ。酔っ払って弱った者を狙い、金品を奪う目的でそれをやる輩も多い。
わざわざ酒場で呑まずにいるのは、それを狙っていると思われることがあるのだ。せっかくよく飲む常連を減らされてはかなわないので、それとなく酒場付きの用心棒を呼び、身辺に回されてしまったりする。
……と、いうことを。
「まあそんなわけでな。男のそういう配慮も大変なのだ。単純に酒の利鞘が大きいので、酒場にとって酒を呑まぬ客は煙たいというのもあるしな」
ホークがちびちび呑んでいるうちに、ロータスが全て説明してくれた。
まあ、単純にホークが酒好きという面があるのも否定はできない。
故郷を飛び出してから裏路地で育つ過程で、酒は人より早くから呑むようになった。
粋がった小僧の無茶呑みなら酒の味など気にもしないが、ホークの場合は盗みのノウハウを教えてくれた師匠格の男が、良い酒を愛する男だったというのも大きい。
さすがにいつ何があるかわからない無法者として、正体を失って他人に喉首晒すほどは呑まないが、同い年の若者に比べて呑み方が堂に入っているのがホークだった。
そんなホークの姿を少し不思議そうに見ていたメイだったが、しばらくしてイタズラっぽい表情になる。
「……ねえ、ホークさん。ちょっとちょうだい」
「駄目だ。ガキが急に呑むと、そのままブッ倒れて死んだりするぞ」
「だからあたしそんなにガキじゃないもんっ」
「だとしてもだ。だいたい呑んだことないんだろ、お前。好奇心で試すのはせめてレヴァリアに戻ってからにしろ。安全じゃないところで初呑みなんざするもんじゃない」
「お酒飲んだら入れ替われるかもしれないし」
「入れ替われても姫さんも酔ってたら役に立たねぇだろうが」
ホークは酒好きだが、酒の味が分かる人間が静かに味わう姿を見て憧れていたクチなので、子供に飲ませるのは否定的だった。
しかしロータスがとりなす。
「まあまあホーク殿。メイ殿のとにかく試そうというのも一理はある。確かに不用意に倒れるのを待つしかないよりは、意図的に入れ替わる緊急手段がある方がいい。うまくいくなら道中に酒を用意するのも悪くはない」
「お前も無責任にガキに呑まそうとするなロータス」
「ここだけの話、ドランカードクリアといって酒気だけ一息に消す魔術もあるのだ。危なくなったら私がそれを掛けよう」
「ズリィなそれ!」
泥酔が怖くてちびちびやるしかないホークは思わず叫んでしまう。
魔法は時々、とてもズルい。マナボルトやウーンズリペアよりも正直ズルいと思った。
と、その手からひょいと陶器の杯を奪い、メイはグイッと呑んでしまう。
「あ、バカ。一気に半分も」
ホークは慌てた。弱くはない酒だった。
「ん……んぅ……っ」
効果はすぐに表れた。
「マジかよ」
「おお。さすがメイ殿の直感だ」
「いや絶対あれ出まかせだった。これ偶然だ」
二人の見ている前で、肘をテーブルに置いた体勢のままメイはカクンと首を落とし、しばらくしてザワワワッと銀髪が金に染まる。
こんなに早く回るのか、というほど赤い顔で、メイ……いや、ファルネリアはホークを見て。
「ふへへへ」
「あ、だめだ。これめっちゃ酔ってる」
だらしなーく笑った。
酒酔いの速さも強さも個人差があり、たまに酒の匂いだけでフラフラになる弱い奴はいる。
獣人族で、しかも傷の治りが異様に早い特異体質のメイは、酒の回りも規格外なのかもしれなかった。
「ロータス、すぐにその酔い覚ましを」
「う、うむ。姫、少し大人しく……」
ロータスがそっと椅子を移してファルネリアに手をかざそうとしたが、それをゆらりとかわしたファルネリアは立ち、歩く……と見せかけて一歩目でいきなり足が前に出ず、だらしなーい顔のままホークに倒れ込んでくる。
ホークはそれを慌てて抱き止める。
「こら、姫さん。動……」
「……ほーくさまー」
いきなり。
ファルネリアの顔が迫ってきて、ホークの唇になんの躊躇もなく吸い付いてきた。
「!?」
「んん……ん、ん……んんっ……♡」
しかもディープな奴だった。
ホークにとってはファーストキスだった。
硬直しつつ、これは後で思い返す時、誰とキスしたことにすればいいんだろう、と酒臭い舌を味わいながら考える。
ショックで半分現実逃避していた。
それにしてもキス激しくないか。
姫さん実はキス巧者なのか。真面目で清廉な“勇者姫”と思われつつ、そんなに誰かとキスする生活してたのか。
その場合、自分は間男なのだろうか、などとやっぱり現実逃避が続く。
「……御免!」
そのファルネリアの後頭部に、ロータスが指を突き付けてドランカードクリアの魔法を発動する。
ファルネリアの中から酒気がいっぺんに飛び、ついでにホークの分も抜けた。効果範囲内のようだった。
そしてファルネリアは止まった。完全に。
しばらくして舌と唇を震わせながらゆっくりと離れたファルネリアは、酔っている時よりも錯乱した顔をしていて。
「いやああああああ!?」
ホークは突き飛ばされる瞬間に、“盗賊の祝福”を発動して一目散に逃げた。
「え、な、何!? ホーク様が消えっ……え、何なのー!?」
「落ち着かれよ姫。……あとでゆっくり説明して差し上げます」
酒場の外で、こんな形で隠し玉を教えることになるとは……と自分に呆れつつ、ホークは疲れ果てた体から深い深い息を吐いた。
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